NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の池田屋のシーンから

2015年6月30日
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福島県会津地方では、未だ長州すなわち山口県に対して、敵対心があると聞きます。

 

実際会津を歩き、地元の歴史愛好家から、そんな事実を聞かされました。

会津は、長州によって悲哀を味わされたと言う思いです。 会津と言えば戊辰戦争、特に白虎隊の悲劇で知られています。

会津の人は、会津こそ京都守護職として朝廷を守った、松平容保は御宸翰を賜った、それが御所に発砲した長州から朝敵扱いされた、とても許せぬと言うわけです。

 

会津が、幕末維新期の悲劇の象徴となってしまったことについては、歴史家等が散々論じていて、歴史好きな私なりの認識はあるのですが、今日は、それを言いたいのではありません。

これからお話することは、あるいはこの『ひとりごと』に最も多く登場する方と「実は仲良しなんだ!」と思われるかしれません。

それもまた一興です。

会津が、長州その他の新政府、官軍から恨まれた原因のひとつに、新撰組を抱えていたことがあると言われます。新撰組と言えば池田屋です。

 

東京都下に住む私は、周辺には、新撰組と縁がある施設等あって、知人には、新撰組ファンが少なからずおります。

 

薩長による新政府ですから、池田屋で落命した当時の尊皇攘夷派志士が、明治になって殉難七士とされたように、新撰組が一躍勇名を轟かせた池田屋事件がなければ、明治維新は、1年早く訪れたとも言われます。

これまで池田屋事件は、新撰組に捕らわれた古高俊太郎の自白により、長州を中心とする尊皇攘夷派により、祇園祭の前の風が強い夜に市中に火を放ち、公武合体派の中川宮を幽閉、守護職松平容保を殺害、そして孝明天皇を長州にお連れするとの計画があり、その打ち合わせが、池田屋か四国屋で行われるとのことだったとされておりました。

しかし、近時これに異を唱える向きがあるようです。私もそのひとりであります。上記志士らの企みなるものは、古高俊太郎の自白しかありません。

これは、土方歳三の苛烈な拷問によるものであることは史実として明らかで、自白したとされる古高俊太郎は、すぐに別の件で処刑されています。戦後憲法のもと、刑事訴訟法を学んだ私からすると、「拷問による自白は証拠とならない」「自白のみでは有罪とされない」のは当たり前であります。

要するに、新撰組土方歳三がそう言っているだけなのかもしれません、後の木戸孝允、このとき池田屋の会合に行く予定だった桂小五郎は、この当時は、古高俊太郎の救出に関して話し合いかが持たれていたと述懐しています。

 

この後、禁門の変に繋がることからしても、長州その他のお歴々が、そんな計画を実行できる用意があったのか疑問です。 この池田屋事件での『殉難者』のひとり吉田稔麿は、松下村塾四天王のひとりであり、殉難七士の中で、意外にも?唯一の長州出身者です。こんなところからも、私は、新撰組そして会津側から史実として定着している古高俊太郎の自白なるものの信憑性に、疑いを持った理由のひとつです。

そして、この吉田稔麿の最期についてもまた、いろいろな説が出ているのです。

殉難と言われていることからして、当日池田屋で闘死したとの説、池田屋の急を知らせに長州藩邸前にたどり着いたが追っ手が来て自決したとの説、池田屋の変を聞いて、長州藩邸から池田屋に向かったが、新撰組に挑んで斬殺されたとの説いろいろです。

ところで、低視聴率で喘ぐNHK大河ドラマ『花燃ゆ』は、先日池田屋の場面がありました。

吉田松陰先生(私は、つい、『松陰先生』と言ってしまいますので、お聞き苦しい方は、何卒ご容赦願います)の門下生四天王のひとり吉田稔麿の最期シーンです。

ドラマでは、吉田稔麿は、松陰先生が野山獄に繋がれるとき、先生に背を向けたことを生涯負い目に感じていて、また、友を大切にする教えを終生大事に思っていたところ、若い頃、松陰先生と日本各地を回った宮部鼎蔵より、友と言われて感激し、池田屋の変を知って、彼らを捨て置けないと感じ、桂小五郎の制止を振り切って、池田屋に向かう途中、会津藩兵に囲まれて、最期を遂げたというものでありました。

 

このとき会津藩は、長州藩は、御所に火をつけて帝を誘拐するかに言いました。吉田稔麿は、「長州男児は、そんな卑怯なことはしない!」言い、多勢に無勢、斬り死したのです。これは新説かもしれません。会津関係者からすると、許し難い脚本かもしれません、古高俊太郎が自白したと言う内容は事実ではない、武士になりたい!地位固めをしたかった新撰組の陰謀だとの立場に立つからです。

そして、新撰組を抱えていたのは会津藩です。 歴史に誤魔化しは認められないとは、つとに言われることです。大河ドラマの世界だから良いではないかと言ってしまえばそれはそうでしょう。

私からすると、吉田稔麿のあのシーンは、全くの脚色だとは言えないのです。しかし、大河ドラマ『花燃ゆ』では、もっと酷い歴史の虚構がありましたから。

 

まあ、大目に見てよと言いたいところではあります。 幕府が、孝明天皇に対して約束した攘夷決行日である5月10日に、実際攘夷を決行したのは長州藩だけでした。

 

ある意味、異国大嫌いの孝明天皇の御意を実行に移した点では、『長州こそもともと真の勤王』と評価されるのでしょうか。

それはそれとして、長州藩が、関門海峡を通過する異国船に発砲したわけですかが、『花燃ゆ』では、『フランス船』になっていました。

これこそ明らかに事実に反します。

 

長州藩が砲撃を加えた最初の異国船は、無抵抗のアメリカ商船です。どこの国籍かどうでもいいんじゃないと言えなくはないかもしれません。

ただ、これが放映されたとき、関門海峡のある山口4区を選挙区とする安倍晋三内閣総理大臣は、折から渡米中で、オバマ大統領に対して日米同盟の重要性を言い、また、アメリカ合衆国国民を前にして、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障法案を、早期に成立させると約束しておりました。

 

そんなとき、大河ドラマで、長州藩が、アメリカに砲撃を加えたなんで、まずかったのでは?と考えてしまいます。

 

この歴史の捏造?に比べれば、所詮大河ドラマの中のこと、会津関係者の皆様、吉田稔麿の死に関するあの放映は、何卒寛大にと願わずにはいられません。それから、なんで私が、どなたかと同じ、吉田松陰先生を尊敬しているのか、心ある?友人は、とても理解できないと言います。

 

そんなことを気にする方は、私は、今国民の圧倒的多数の支持を受けている団体の長として、戦後70年を抜本的に変えてしまおうといろいろやっておられる方とは、『平和』『立憲主義』『人間の尊厳と民主主義』等に関して、全然異なる考えであると仰っているわけであります。

 

さて、そのことの真偽は、ひとりごとの読者のご判断に委ねます。