『三人寄れば文殊の知恵』と言う言葉があります。
もともとの意味は、凡人であっても、3人集まって考えれば、素晴らしい知恵が出ると言う意味 です。文殊とは、知恵を司る菩薩のことで、3人集まって相談すると、文殊にも劣らない名案が出ると言うことです。ただ現在では、凡人でなくて も、誰でもひとりで考えずに、複数の人に相談すれば道は開かれると言うように、目上の人に向けても使って良い言葉とされるようです。
そんな前 提で、『3人』で記憶に乗る事柄があります。少し長くなりますが、興味おありでしたら、お付き合いください。
私が福岡や新千歳に行くとき利用する航空会社に、スカイマークがあります。
特に、札幌の裁判所に午前10時に出頭するには、6時55分のスカ イマークに搭乗することが多いです。羽田から新千歳までは、飛行時間は1時間5分から10分くらいで、早朝便は、時刻表よりも早めに到着する ことが多いので、遅れが付いて回るスカイマークでも運航される限り、遅れが生じることはないのです。
時期によっては、新千歳空港まで1万円を 切ることもあったと記憶します。
スカイマークは、2015年1月28日東京地方裁判所に民事再生法適用の申請をしてその手続きが開始され、8月6日にANAホールディングス が支援する再生計画が認可決定し、弁済しながら新しいスポンサー等の支援を受けつつ、代表取締役には筆頭株主である投資ファンドのインテグラ ルの佐山展生氏が就任、ANAホールディングスからも取締役2名が入り、再生の道を進んでいます。
スカイマークの3人と言えば、澤田秀雄、井手隆司、西久保慎一の3氏です。この御三方、一緒に集まり、知恵を絞ったことはないかもしれませ ん。スカイマークの代表として指揮をとった時期が異なるからです。
それでもこの3人、航空業界に規制緩和を取り入れる契機となり、株式上場を 果たし、黒字転換させるなど、3人それぞれ特徴を出し、航空業界のみならず、日本経済に強烈な印象を残してスカイマークを去ったのです。
1996年(平成8年)11月、エイチ・アイ・エスの代表取締役澤田秀雄氏が中心になって出資して、規制緩和を必要とする航空業界に、最初に 新規参入したのがスカイマークエアラインズです。羽田福岡を最初に、低運賃を打ち出して順次就航路線を増やし、平均搭乗率80%を記録しまし た。機内サービスを簡略化し、整備も他社に委託し、少ない機材で効率良く回すやり方で、家族ずれや若者を中心に、人気を得たと思います。しかし、JAL、ANAは、スカイマーク便の時刻に合わせた低運賃をぶつけてきて、スカイマークは搭乗率が下がり、赤字転落します。確かにボール ディングブリッジからの搭乗ではなく、また、搭乗手続きが面倒等不便はありました。
でも、私はこのころ『スカイマークイジメ』と言いました。 スカイマークが撤退した、あるいは運航しない時間帯の便は、大手航空会社は、値下げしていないのです。
そして、澤田氏が去った後、スカイマークの代表取締役となったのは、井手隆司氏です。井手氏は福岡県出身、大学時代から航空業界に関心が強 く、キャセイパシフィック等の勤務を経てスカイマークの代表取締役には2000年よりも前に就任されたと思います。整備や運航を大手航空会社 に委託する環境では大手有利は変わらない、他から資金を集めるしかないとして、東証マザーズで、東京証券取引所初とされる赤字のままでの上場 を果たしたのです。
その後井手氏は、取締役会長となり、2003年に35億円を出資して、代表取締役に就任する西久保慎一氏に、経営権がバト ンタッチされることになるのです。なお、井手氏は、その後取締役でしたが、スカイマークが民事再生法適用の申請をした2015年1月28日、 スカイマークの代表取締役会長になり、民事再生が認可された後の本年9月に、これを退任しました。有る意味、スカイマークにいちばん関わった 方かもしれません。
そして、記憶に新しい西久保慎一氏の登場です。プロバイダ業界からスカイマークに35億円を出資して、筆頭株主となった西久保氏は、2004 年に代表取締役に就任し、良くも悪くもスカイマークと言えばこの人ありと言われた人物でした。西久保氏は、安全性第一とは言え、航空会社も企 業である以上、経営の健全化が必要と言い、独自の経営方針を貫きました。
その後40億円を出資して、エイチ・アイ・エスグループから脱却、自 らの会社もスカイマークエアラインズに統合して新会社スカイマークとし、西久保自身パイロット養成学校に通い、小型セスナ機ジェット機を操 縦、スカイマークをLCCに転換されて、全て機材をボーイング737型小型化機に変え、機内サービスはしない、機内持ち込み荷物は乗客が出し 入れする、パイロットの制服は廃止、CAはポロシャツとして、徹底して無駄を省く姿勢を貫いたのです。
その後スカイマークは黒字転換し、ここ5年くらいは、スカイマークは、いつも満席の感がありました。西久保社長は、国土交通省の天下りは一切 受付しない、長期雇用を目指して契約社員は試験を受けさせて全て正社員とする、航空会社一本に絞り、子会社は設けない等独自性を発揮したと思 います。
ただ、そうは言ってもワンマンから来るトラブルや苦情は後を絶たず、気に入らない者は直ぐにクビにしたり、新規購入したA330型機 には、CAにミニスカート着用を義務付け、従わない者は、この機材には搭乗させない等物議を醸す事態を次々に引き起こしました。特に昨年に は、スカイマークで操縦士試験に合格したのに退職したパイロットに対して、次々に教材費等の返還訴訟を提起していることが報じられました。
いっぼうで、国際線への進出を目指した西久保氏は、世界最大と言われたエアバス社のA380型機を複数機発注したところ、円安や燃料費の高騰 等から支払いかが困難となり、ここ数年参入してきたLCCとの消耗戦にも疲弊したのか搭乗率は下がり、特にミニスカ便として、スカイマークの 目玉として多額のリース料を負担して就航させたA330型は、思いのほか搭乗率が上がらず経営は悪化、平成26年末にはスカイマークの現金保 有額は6億円となって、もはや従業員の給与も支払えない事態に陥ったものでした。
こうしてスカイマークは、平成27年1月経営破綻しました。しかし、スカイマークは20年間にわたり、大手の傘下に入ることなく、有る意味あ らゆる嫌がらせや逆風にもめげず、独自性を貫き、日本の航空業界に新風をいれ、その一躍を担ってきた功績は大きいと思います。澤田氏の志、井 手氏の願い、そして西久保氏の夢と経営手腕、そのいずれが欠けていても、スカイマークは存在し得なったでしょう。
特にミニスカートのCAを侍 らせてニヤけたPR用ポスターを作らせた西久保氏は、経営破綻したスカイマークの社員を路頭に迷わすことだけは避けたいとして、2015年の 民事再生法適用申請まで間に、倒産必定のスカイマークに数億単位の資金を提供して代表取締役を辞任、自分の見通しの甘さから経営破綻を招いた として、静かに一線を退いたのです。
新生スカイマークは、投資会社が筆頭株主で、ANAホールディングスが支援するかたちとなりました。現時点で、この体制の是非は論じません。 2015年12月時点で、ANAとの共同運航等は具体化されていないようです。
共同運航と言っても、スカイマークは、1便あたり20%くらい の座席をANAに売って代金を得るだけであり、機材も運航スタッフも自社で行うかたちは崩さない予定です。大手に飲み込まれず、とは言え独自 性のあまり、顧客や社会から支持を得られなくなると、やはり生き抜くことは難しいのです。私は、西久保氏はきれいに責任をとりましたので、こ の人を非難する意思はありません。
ただ、先のミニスカに関する一連の『騒動』や、わざわざ機内の乗客に見えるところに、「機内での苦情は一切 受付しません」と記した文書を置いたことなど、世界的な不況の中、黒字続きでいつも満席状態の現状に、あぐらを描いたと言うか、図に乗ったと ころはなかったでしょうか。昨年あたりから、こんなこと!になるのではないかと感じておりました。
新生スカイマークは、澤田秀雄氏、井手隆司氏、西久保慎一氏の姿はありません。でも、この3人は、強烈な印象を残しました。折から、『小泉改 革』なるものが進められていて、小泉純一郎氏、竹中平蔵氏、宮内義彦氏を合わせて私なんか三○○トリオなんて言いましたが、スカイマーク3人 は、文殊の知恵とは言えないにしても、それなりにゼロから、またマイナスからのスタートで、工夫努力してきたと思っています。
この3人を含 め、過去スカイマークに携わって、志半ばで去って行った人の歴史を思いつつ、相変わらずスカイマークを必要とする自分があるのです。