2015年12月6日、大阪長居の夜の歓喜は、忘れることはないでしょう。
アビスパ福岡井原正巳監督は、かつてサッカー日本代表のDFとして、国際Aマッチ出場回数は歴代2位、W杯アメリカ大会へのアジア最終予選での『ドーハーの悲劇』、4年後日本代表主将として臨んだW杯フランス代表へのアジア最後の切符をかけた『ジョホールバルの歓喜』を経験した方です。
その井原正巳監督が、『長居の歓喜』が訪れたその瞬間、微かに涙を見せました。
寡黙で真面目な井原正巳監督、これまでの思いが込み上げて来たのでしょう。 サッカーJリーグJ1昇格プレーオフには様々な意見がありました。特にアビスパ福岡が初出場となった今年は、勝ち点差や会場の件では、Jリーグへの批判的意見が多く、その分アビスパ福岡を応援する方々がいらしたことは事実だと思います。
上位チームのアドバンテージと言われる同点の場合は、年間上位チームを進出と認めると言う規定も、上位チームには戦い方を難しくして、これまで過去3回、決勝戦では全て下位チームが勝利する結果となっておりました。
ところが、アビスパ福岡は、このジンクス?も打破しました。アビスパ福岡対セレッソ大阪の対戦は、1対1の同点でした。アビスパは、試合に勝ったわけではありません。 いつもとおりやれば良い、謙虚に戦うことを信念とする井原正巳監督のもと、城後寿主将は、ホーム最終戦の後こう言いました。「自分を信じ、仲間を信じ、これまでやってきた、関わった全てを信じ奇跡を起こす」と……。奇跡は起きたのです。彼らは起こしたのです。
結果的に、Jリーグがプレーオフを行うにあたり決めたルールにより、同点で昇格できました。これは2015年の公式戦を謙虚に戦ったご褒美のような気がします。勝ち点差15は伊達じゃなかったと言うことです。井原正巳監督以下アビスパ福岡の関係者は、決勝戦は『中立地』で行うとのJリーグの規定を云々することなく、規定とおり、自分たちのいつもとおりに試合をしたわけです。アドバンテージまで味方にした素晴らしい1年の締めくくりでした。
井原正巳氏とは、ワールドカップフランス大会をともにしたジュビロ磐田の名波浩監督は、プレーオフ決勝戦の後、こんな秘話を明かしました。ジュビロ磐田とアビスパ福岡は、リーグ戦最後まで競い合ったライバルでありました。
最終戦でともに勝利し、同じ勝ち点ながら、得失点差によりジュビロ磐田がJ2の年間2位となって自動昇格を決めて、磐田に帰ったころ、誰よりも早く井原正巳氏から「おめでとう」の電話が入ったのだそうです。名波浩監督は、「あの状態で電話される器の大きさに感動した」と言いました。その井原正巳監督、アビスパ福岡が昇格を決めた長居での後半42分に起きた同点ゴールについて、「チームの力、サポーターの力が乗り移った」と評しました。
中村北斗選手の同点ゴール、私の目の前に飛び込んできました。試合後評論家?からは、10回に1回(あるいは100回に1回と言ったか?)あるかないかのゴールだと論評していました。 試合後嬉しかったのは、アビスパ福岡のサポーター席から、「セレッソ大阪!」コールがなされたことです。相手チームが居たからこそ、このような歓喜の瞬間に身を置くことができました。もちろん、この結果は、相手チームサポーターは、直ぐに受け入れることはできないと思います。
ただ、項垂れて挨拶に来た選手たちに向けて、心無い横断幕が示されたことは、『チームアビスパ』とは対照的でした。あんなもの、試合前から準備していたことに驚きました。途中交代したもと日本代表で、ワールドカップでも得点したセレッソの選手が、仲間たちがいるベンチに戻らず、コーナーブラック近くに座って、スパイクをいじっている姿も??でした。 少し落ち着いたころ、城後寿主将は、インタビューでこんなことを言っていました。
「隣の人のために、そして周りの人のために、それがチームのために繋がった」。
ひとりひとりがみんなのために、自分ができることを謙虚に行うことの大切さだと思いました。人がついてくるには、まず自分に謙虚で自分を信じること、そして仲間たちと一体となって事を成す、これは2015年井原アビスパから学んだ大きな本当に大きな感動と財産でした。 この年になって、涙が止まらない経験をするとは思いもよらないことでした。
城後主将は、続けて、「福岡の街をもっと知ってもらいたい」と述べたそうです。彼は、福岡県でサッカーをすることに意味があるといつも言っていました。福岡県出身アビスパ福岡一筋『ミスターアビスパ』城後寿選手の言葉を受けて、私もあちらこちらで、さらに福岡の話をしていくことになるでしょう。
そんな思いで帰京しましたら、知り合いから早速お祝い?のメッセージが入りました。曰く、「テレビに映っていましたよ!笑」