川崎と立川をつなぐJR東日本の南武線は、かつて奥多摩と臨海地区を結ぶ貨物線としても利用されていました。 東神奈川と八王子を結ぶ横浜線とともに、首都圏では数少ない南北を結ぶ路線でもあります。JRが前身の国鉄時代、『省線電車』と言われるような昔には、山手線や京浜東北線で使用された古い車両が順次回されて、『なんボロ線』なんて陰口を叩かれていたこともあったのです。 東京大田区で大学生時代まで暮らし、司法修習生として福岡に赴任した私は、この間のつまり司法浪人?の数年は、実は南武線沿線に家がありました。このとき思ったのは、南武線は、始発から終点まで乗車する人ってどれくらいいるのかな?と言うことです。 南北をつなぐ路線ですから、途中東西を結ぶ路線と交差すれば、当然乗り換え駅が存在します。立川から南に下ると、分倍河原で京王線、府中本町でJR武蔵野線、稲田堤で京王相模原線、登戸で小田急線、武蔵溝ノ口で東急田園都市線、武蔵小杉で東急東横線、尻手で南武支線(浜川崎線)、そして終点川崎となり、たくさんの乗り換え駅があります。今でも実際南武線に乗車していると、乗り換え駅では多くの乗降があります。乗り換え混雑による危険防止のため、登戸駅や武蔵小杉駅等では、繰り返し工事が行われておりました。 最近南武線沿線は、私学の宝庫とか、中学受験の聖地なんて持て囃されていると聞きます。武蔵小杉駅には湘南新宿ライン横須賀線の駅ができ、東急線は他線との相互乗り入れが伸長し、小田急線も京王線も、便利になりました。南武線沿線に住んでいれば、乗り換え1回で、どこにある学校にも行けると評判なのだそうです。 いっぽう最近の首都圏のマンション販売では、武蔵小杉が著しい高値となっているとの情報です。こうしてみると、南武線は、他線につなぐ役割を担っているように思います。 先に申しましたように、南武線には、首都圏大動脈の路線で活躍した車両が割り当てられることが多いです。南武線は6両編成ですが、ここ数年は、埼京線や横浜線から回ってきた通称205系が主力でした。120両あるこの205系をJR東日本は、本年中にインドネシアの『ジャカルタ首都圏鉄道』に譲渡することを決めたと発表し、先月中ころから、『南武線→海外譲渡』のヘッドマークをつけて運転されていたものです。 私も偶然立川駅で見ました。そして12月6日、205系の最終運転となった車内での車掌さんからのアナウンスが、評判になっているとのことです。 この日の最終電車となった205系の車内に向けて、終点が近づいたとき、車掌さんは、「ただいまご乗車いただいているこの車両は、本日をもちまして南武線から引退し、今後はインドネシアのジャカルタで走り続けることになります。 お降りの際には忘れ物なきよう、また、この電車との思い出もお持ち帰りいただければさいわいです」。これを聞いた乗客からは、『感動!』『泣けた!』等のツイートがなされているようです。 電車内には、ありとあらゆる人がおり、そこにはざまざまな人生があります。電車は、人々の人生、いろいろな思いを乗せて、目的地まで運んでくれるのです。 以前少しの間私が住んでいた家から、かすかに南武線が見えました。アレに乗って、乗り換えて、赤煉瓦の法務省に向かい、司法試験最終合格を知ったのは、今から33年も前の秋の日でありました。205系の引退譲渡を知り、昔を思う師走の夜でした。