アビスパ福岡前代表取締役社長野見山氏の退社報道に寄せて。

2015年12月24日

プロ野球は、日本シリーズが終わり、サッカーJリーグは、チャンピオンシップとJ1昇格プレーオフ、J2J3入れ替え戦が終わるとストーブリーグです。ただ、毎年のことですが、契約更改をしない選手、すなわち、そのチームを去らなければならない選手が出る辛い季節でもあります。

 

でも、選手だけではありません。監督コーチの契約終了は、プロである以上、現場の責任者として避けられないことでありましょう。 今日は、悲しいと言うか、ありがとうとしか言えない報道に接しました。

 

アビスパ福岡取締役で、平成26年1月代表取締役に就任し、今年3月アパマングループのシステムソフトさんが出資されて、その経営を委ねた後も、取締役としてアビスパのため努力され続けた野見山篤氏が、アビスパ福岡株式会社の取締役を、12月15日付けで退任されたのです。アビスパ福岡サポーターからは、『号泣!』『感謝しかない』『涙が止まらない』等、整理がつかない惜別の弁が続出しております。 野見山篤氏は、福岡県飯塚市出身の59歳、飯塚高校から早稲田大学に進み、サッカー部に所属、卒業後は住友金属株式会社に入社、後の鹿島アントラーズの礎を築かれました。

 

Jリーグ創成期の立役者で、ジーコ氏を日本に連れてきたのも野見山氏と言われます。その後日本サッカー協会でも強化委員や技術部副委員長等を歴任し、また、鹿島アントラーズの育成部長に戻るなどした後、2013年末に、選手に対する給与遅配が起こり、経営難が表面化したアビスパ福岡の再建のために、郷里の福岡県に戻られる英断をされ、見事にこれを再建、そして、アパマングループの資本参加を得て、川森社長にバトンタッチされたのです。

 

この方がおられなかったら、アビスパ福岡は倒産したか、少なくとも連続した債務超過により、ライセンス剥奪は避けられなかったのでした。 でも、私を含めたアビスパ福岡のサポーターは皆知っています。野見山さんは、単に経営手腕に優れているだけではないのです。いつも、どんな天候でも、アビスパが勝っても負けても、スタジアム前に立たれ、ひとりひとりに頭を下げて、観戦のお礼を述べられます。

 

また、アウェイゲームにもいらっしゃって、一緒に観戦してくださっていました。特に私は、東京福岡県人会の総会の会場で、外に小さな机を置いて、会員ひとりひとりにアビスパ福岡を知っていただくべく、入り口でお辞儀をする姿が忘れられません。今となっては、野見山さんとお話しできたこと、名刺交換できたことが、私の財産となっています。

 

『火中の栗を拾う』と言う言葉は、この方のためにあるように思いました。でも、拾った栗は、素晴らしい輝きを見せました。アパマングループを招聘したことも、井原正巳監督を招いたことも、中村北斗選手を呼び戻すことができたのも、野見山氏あればこそでした。

 

どんなに感謝しても感謝しきれない恩人です。そして、J1昇格を果たしたこのとき、静かに退社されるなんて、カッコ良すぎですね。ご自分がなすべきことは全てやり遂げた思いなのでしょう。

野見山篤前代表取締役社長、本当にありがとうございました。

そしてお疲れ様でした。

 

野見山氏の残した財産、私たちは決して忘れません。

 

そしてこのような方こそ、会社の代表に相応しい。代表者たるもの、自ら率先して事に当たる、会社とは、これに関係する全ての人に、「ありがとう!」の気持ちで臨まなければならないことを教えていただきました。

 

 

サッカー、また、スポーツ界だけでなく、野見山篤氏を必要とする組織は必ず存在します。アビスパ福岡を助けていただけたように、苦難に陥った組織や人々を、どうか助けてあげてください。アビスパ福岡のサポーターとしてのお願いです。繰り返します。野見山篤氏に対しては、感謝しかありません。