昔の人は、「紅白を見ないと年を越せない」と言ったそうです。
確かに私が子どものころ、NHK大河ドラマの総集編後編が終わると、午後9時になり、そのころは飲酒しませんのですることもなく、もちろん勉強などするわけもなく、なんとはなしに、そのままつけていたNHKテレビを見ることもなく眺めていた感はありました。
それがいつころからか、午後7時半ころからか始まり(今はもっと早いのですか?)、前半後半なんてあり、最後は赤白どっちが勝つかなんてやって、日本野鳥の会の皆さんが出て来られ、並べられた団扇と投げられた玉の数が数えられ、昔藤山一郎氏、その後平尾昌晃氏(今は誰でしたか?)による蛍の光の合唱により、午後11時45分となって、突然画面は古い寺社に変わり、『ご~ん』の鐘が鳴る、すなわち『ゆく年来る年』で新年おめでとうとなったものです。
私、そして我が家で紅白を見なくなった理由はそれぞれですが、視聴率が下がる傾向にあるから、放映時間を長くするのは間違いですね。昔は、どうしても紅白に勝てない民放各局をして『裏番組』に躍起でしたが、これだけ放送時間が長くなると、ずっーと見ている人は少なくなるのではと思います。
我が家でも、子どもは格闘技やお笑いを、私たちは特別番組あたりをコロコロ変えながら、それでも午後11時を過ぎるころ、チャンネルはNHKになっているのです。これが我が家の紅白の実態です。あるいはこれでも紅白を見ていることになるのかもしれません。
紅白を見る見ないは、人々の生活様式、家族のあり方や社会文化の変化など様々な事情があると思います。そして年が明けると、これも新春恒例と言うか、もう、国民的年中行事になっていると言えるかもしれないのが『箱根駅伝』です。これは、関東陸連に所属する大学20チームにより、東京大手町と神奈川県の箱根町芦ノ湖湖畔までを10人の選手が襷を繋いで往復するレースです。伝統ある大会で年々視聴率は上がり、多くのファンがおります。
全国各地の中長距離ランナーは、箱根駅伝に出たくて、関東の大学に進学する傾向があるとも言われています。 新年1月2日と3日に行われる箱根駅伝、私もファンのひとりです。まだ日本テレビが完生中継をする前から、NHKラジオの時代からとても関心があり、ずっと見ていました。古くは大久保初男さん、私と同世代の瀬古利彦さんや、山の神と崇められた今井正人さん、柏原竜二さん等等多くのアスリートに感動してきたのは事実です。襷を繋ぐ、これは人生に意義あることだと思います。 しかし、箱根駅伝人気が膨れ上がる近時は、少し考えさせられるようになりました。
よく言われることですが、そうまでして襷を繋がなければならないのか、その選手の健康、その後のいわゆる選手生命に関わるのではないかと思ってしまう現実を、目にする機会があるからです。特に箱根駅伝のハイライトとされるのが最長区間でもある5区山登りです。
高低差850mを一気に駆け上がるのは、計り知れない身体への負担があるのではないでしょうか。疲労骨折や低体温症で、見てはいられない状況になった選手は数多くありました。それでもほとんどの選手が棄権しません。 選手の体調健康はいちばん大切なことだと思います。それで5区を短くしろとか、出場回数を限れとかの意見が出ています。ただ、このところ5区を制する学校が優勝することから、5区で勝負できない学校と、その関係者あたりからの声が中心だとの疑心もあって、なかなか名案は出ないようです。
それに、倒れても襷を繋ぐ姿に感動する視聴者が多いことが問題を複雑にしています。新年早々の全国民注視のスポーツであり、受験シーズンを間近に控える私立大学にとっては、箱根駅伝は、志願者を増やすチャンスでもあるからです。 近時は、別のところから箱根駅伝を批判し、不要論を言う人たちが出ているようです。それは、箱根駅伝のせいで、素質ある有能な選手が潰れて行く、特に男子マラソンが低迷しているのは、箱根駅伝の影響があると言う意見がそれです。
確かに私が福岡に居たころ、圧倒的強さで福岡国際マラソンを制覇した瀬古利彦さんが、ロサンゼルスオリンピックで失速したことは衝撃でした。また、このところ『山の神』を巡って、公然と?言われるようになっております。私の記憶では、箱根駅伝で結果を出していたオリンピックマラソン選手は、日本体育大学出身の谷口浩美さんくらいかもしれません。だから駅伝とマラソンは違うのだと言われます。 それはそうでしょう。でも、私は、この意見には同意できません。なんでマラソンが強くなければならないのでしょう。
まして箱根駅伝に出た選手は、なぜ当然にマラソンをやるのだと決めるのでしょう。それこそ襷を繋ぐ大切さを学ぶために、箱根に賭ける若者もいるはずです。いつの間にかマラソンが陸上界の花形になったと言うことでしょうか?身体能力でほとんど決まると言われる短距離走では日本人は太刀打ちできないからマラソンなんですかと言いたくなります。
コレって、メダル至上主義ですね。箱根駅伝で潰れて欲しくない、能力ある選手は、箱根で完結して欲しくないから箱根駅伝不要論を言うのは、マラソンを中心とする日本陸連の青田買いではありませんか。 『紅白を見ないと年が越せない』と、『箱根駅伝が来ると年が明けた』は同じことかもしれません。
どちらも国民的人気に裏付けられた行事の感はあります。でも私は、箱根駅伝のテレビ観戦は続けるでしょう。それは、スポーツは、純粋に素晴らしいと思うからです。私は、スポーツ選手、まして箱根駅伝を目標にする大学生は、純粋だと思っています。彼ら、また、そこを目指す若い人たちを惑わすような先人の声は、聞きたくありません。