脱サラ監督、青山学院大学原晋氏の指導力について

2016年1月5日
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新春恒例の箱根駅伝は、今年92回を迎えましたが、前評判とおり青山学院大学が、往路復路とも断トツの首位をキープして、総合優勝しました。


昨年は、史上最高タイムで優勝し、連覇した今年は、第1区から最終第10区まで、一度も首位を譲ることがない『完全優勝』でした。おめでとうございます。青山学院大学の強さゆえに、今年は、復路1月3日の箱根駅伝視聴率は、28%を割り込んだようです。

なんで青学は強いのか?昨年の優勝以来、スポーツジャーナリストを中心に、『調査』がなされたようです。そう言えば、青山学院大学陸上部駅伝監督の原晋氏は、あちらこちらでマスコミに登場していましたし、本を出版しました。スポーツ界のみならず、原監督の指導は、経済界にも注目されたようで、名だたる経済誌にも、特集が組まれたことがありました。


この原晋氏、広島県三原市出身で、県内の駅伝の強豪校世羅高校を経て中京大学に進学し陸上部に所属、卒業後は、地元の中国電力の駅伝部一期生として入社、相次ぐ怪我で27歳で競技人生を終えると、中国電力の社員として山口県徳山に転勤、ここで営業を中心とするサラリーマン生活に入ったそうです。転機が起きたのは2004年のことです。


世羅高校の後輩で、青山学院大学の卒業生でもある広島県の放送局に就職した人物の紹介で、再生を模索中だった青山学院大学駅伝監督に応募して採用されたことから、サラリーマン生活に終止符を打って、関東での生活がはじまるのでした。

原晋氏を低迷が続く青山学院大学の監督に推した方は、その理由を、「水を飲むな!」の指導が当たり前の時代でも、世羅高校の主将だった原氏は、練習中率先して小川の水を飲んでいた、それは「水を飲んだほうが身体によいから」だと考えていたからだと言い、「なんでそうなのか」を考えることなく、指導者の言われたとおり練習していたのでは、絶対に強くなれないとの持論に賛同したからだと答えたことがあるそうです。


曰く、自分で考えなければ成長しないのだ言うことです。

運動神経がない私でも、最近のサッカーや駅伝の放映場面を見ると、水分補強は当たり前なのにと感じます。ちなみに、元読売巨人軍の桑田真澄投手も、同じことを仰っています。原晋氏は、「水分を摂ってはならないはおかしい」と思っていたそうです。だから学生には、「自分で考えなさい」と教えるそうです。学生が、練習メニューを持って来たら、監督としての自分の意見と違っていても、まずは学生の思うようにやらせるのだそうです。


原監督は、基本的に体育会特有の上下関係やペナルティーは好まないけれども、学生が自主的に決めたことなら、異を挟まないことにするそうです。ここから、学生らは、「遅刻は丸刈り」のペナルティーを設けたが、「丸刈りにすればいいや!」の風潮になって、前近代的なペナルティー主義では緊張感が保てない、強くなれない、チームは纏まらないことがわかって廃止になった、つまり、監督からの指示ではなく、強くなりたいと思う学生たちが考えた結果、縦横の関係は良くなり、みんなが仲間となって纏まったと言うものです。


そう言えば、今回の箱根駅伝、選手に伴奏する青山学院大学の監督車からは、ほとんど原監督の声は、聞かれませんてましたね。特に、怒鳴ったり、怒ったりする雰囲気はありません。


よく、精神論をぶつける指導者がいますが、アレって、試合本番に意味あるんですかね。昨年アビスパ福岡の試合を観戦する機会がありましたが、井原正巳監督は、終始穏やかでした。ところが対戦相手のあるチームの監督さんは、ハーフタイムに選手たちに対して、「死ぬ気でやれ!」と檄を飛ばしたと伝えられました。相手チームのこととは言え、「なんなんだ!」と思いました。


昔は、よく「いまどきの若い者は」なんて言われました。ひとときのベビーブームで、経済が右肩上がりの時代ならば、大人先人の言うとおりにしていれば、生きていくことはできたでしょう。大人が決めた、敷いたレールを外れなければ良いのですから。


ただし、今の若者は、大人に任せていれば良いとは思っていないでしょう。若年層の貧困化が顕著ですが、何も大人は保証しませんから。若者は、自分で考えて行動せざるを得ないのは世の流れ、それを今でも体育会式の上からの指導のみでは、やり遂げられないでしょう。


青山学院大学の原監督のやり方は、単に学生に任せて自分は何もしないのではありません。学生と監督との間に、強い信頼関係が無ければなし得ないはずです。そうなるには、信念を曲げずに10年継続してきた重みがあります。


原監督、4年生が卒業する来年も、この最強布陣は揺るがないのかの質問に対して、このように答えたそうです。「10年間積み上げたものは、簡単には崩れない」のです。

どなたかが、昨年末自分のやってきたことについて、『桃栗三年』と評したと伝えられています。『桃栗三年柿八年』、青山学院大学原晋氏には、まさに積み重ねと、支持する若者たちとの信頼関係で、8年10年だったでしょう。


さて、『桃栗三年』と言われた方、『8年』やるんですか?果たして支持する?人の意見を聞き、その考えるところを尊重していただけるのでしょうか?そんなことを考えてしまう青山学院大学原晋氏の手腕でした。