みな様、初詣はなさいましたか。私は毎年節分の時期に、『櫛田神社』に詣でます。ただ私は今年から3年間、男性には3回あると言う最後の厄年周期に入ります。それでまず元旦に、初詣を兼ねて厄除けの祈願をしてまいりました。
行ったのは、『大国魂神社』です。 多摩地区に住むようになってから、府中市にある大国魂神社には、何回か詣でたことがあります。武蔵の国の護り神とされることと、大国魂神社の例大祭である『くらやみ祭』の折、日本最大級の大太鼓が繰り出すことは知っておりました。
しかし、神社の謂れや歴史、宝物等は知りませんでした。今回真面目に?詣でて初めて知った事柄がありました。なかなか由緒あり、歴史好きには堪らないと思われ、暫しご案内します。 大国魂神社と言われるのは、大きな国の魂を意味するくらいかと思っていたのですが、御祭神を意味するものでした。大国魂大神をお祭りすると知りましたが、『大国魂大神』とは『大国主命』のことでした。
大国主神は、天照大神の弟素戔嗚尊の子とされ、因幡の白兎の説話に登場する心優しい神様であります。 大国主命ならば、その神話から、いくらか知識があります。大国主神は、出雲大社の御祭神として知られますが、出雲大社が縁結びの神様と言われるのは、御祭神大国主命が美男子で、多くの妻との間に、子をたくさん授かったことから来ているものです。大国主命は、国譲りの神様と言われるごとく国土の開発、特に農業等今で言う第一次産業の石杖を築きました。
やがて国造りが完成した後、天照大神の命により天孫降臨した瓊々杵尊にお譲りになり、出雲大社の御祭神となったのでした。 大国魂神社の説明文書によると、大国主命すなわち大国魂大神が、武蔵の国の国造りのため、現在の府中市あたりに来たとき、周囲は暗く、宿を探したところ、この地の農家が受け入れて、狭く暗い家の中でも、大神をおもてなししたことから、『くらやみ祭』が始まったとも言われます。その後景行天皇の紀元111年に、大国主命の家来の子孫が、武蔵の国造に任ぜられて、大国魂神社として、この地で祭務を掌ることになりました。
以後大国魂神社は、武蔵総社として東京、埼玉、神奈川にある6社各地の神様をお祀りする武蔵の国の護り神となったものです。 もともと朝廷のご信任により創建された神社でもあり、朝廷に対して歯向かう者を討伐するため、いわゆる前九年の役の折には、源頼義•義家父子が大国魂神社を訪れ、戦勝を祈願して欅の苗木1.000本を寄進しました。
これが現在もこの地にある欅並木です。また、それを知った源頼朝は、妻政子の安産の祈願を行い、社殿を造営しております。そしてときは流れて江戸へ移った徳川家康は、1606年に、社殿を始め境内建物の大造営を行いました。徳川家康は、源頼朝を尊敬していることで知られております。徳川家康が造営した本殿は焼失しましたが、その後も、徳川幕府歴代将軍が、切れることなく寄進、造営を続けた結果、幕末の風雲告げる1867年(慶応3年)に、社殿を鋼葺に改められたものが、現在の大国魂神社の社殿として残存し、京都有形文化財に指定されているのです。
新年初詣に行った社寺の歴史、宝物等知ることは、その社寺から縁起とパワーを貰えるように思いました。
私が今年の初詣を大国魂神社としたのは、たまたま元旦の朝、風水に関するテレビ番組を見たことが契機でした。今年は、大国魂神社社殿と欅から、パワーをいただけると説明されていたからです。そして初詣と兼ねた厄除けを待つ間、宝物殿に入って、これら歴史を知り、貴重な宝物を観覧することができたのです。日本最大級の大太鼓、徳川家康はじめ徳川将軍直筆の書も展示されています。
都内多摩地区には、新撰組に代表される徳川幕府贔屓なところがあるなと感じておりましたが、武蔵の国を照らす総社と徳川幕府の関係に踏み込めば、なんだか庶民の思いとしても、わかる気しました。もともとこの辺りは、甲斐武田家と浅からぬ縁があったところで、徳川家康が、武田家に綱がる人や物を密かに援助したことは、知る人ぞ知る事実です。初詣、そして厄除けのために行った大国魂神社でしたが、どうやら歴史好きの私に火をつけたようです。いろいろ調べたくなりました。
皆さんも、お近くの社寺、初詣に行かれた神社仏閣等の謂れや歴史を是非調べてみてください。御利益があると信じるのは私だけでしょうか?