1月10日は、2016年の最初の日曜日、私は、少し遅れましたが、NHK大河ドラマ『真田丸』を見ました。
真田丸とは、幸村こと真田信繁が、大坂冬の陣の折、徳川方に対抗するため、大阪城の外に設けた出城を言います。ただ、この大河ドラマでは、ときは戦国末期、どのように生き抜くか、また、誇りを失わずに、家族家臣一丸となって戦うかの視点から、真田一族を描いていることで、初回はまさしく『真田丸』の船出でありました。
注目された初回視聴率ですが、関東地区で19.9%と出されました。この3年間の中では、最高の数字のようです。
私は、真田幸村の人気、時代背景、真田幸村を演じる堺雅人さんの魅力、そして前作からのリアクションで、今年の大河ドラマは、年間を通じて高視聴率となる予感があります。さて、堺雅人さんはじめ真田一族の姿も良かったですが、初回の主役は、別の人が取ってしまったようです。
真田幸村の父真田昌幸は、信濃の豪族であるその父真田信隆が、武田信玄の家臣となったことから、幼いときより武田信玄の小姓のような立場にいて、帝王学を学んだところ、2人の兄が長篠の戦いで戦死したことから真田家の当主となりました。
信玄公への敬慕の念は強く、また、戦国の世を生き抜く術を身につけておりました。その究極の判断が、息子信幸と幸村を、徳川と豊臣両家の臣下とし、どちらの世になっても、真田家は残る道をつけたことです。このように言うと、草刈正雄さん演じる真田昌幸が、初回の主役かと思われるかもしれません。
それも当たってはおりますが、「泣けた!」「カッコよすぎ」等1万6.000件を超える賛辞のツイートがなされた平岳太さん演じる『武田勝頼』こそ、初回のMVPでしょう。
武田勝頼と言えば、信玄亡き後、長篠の戦いで『馬と鉄砲』の愚かな大敗を喫し、信濃そして甲斐の臣下にことごとく裏切られて、最後は郡内、すなわち山梨県東部地区を収める小山田信茂から鉄砲を打ち込まれて笹子峠を超えられず、現在の甲州市甲斐大和で、わずか数十騎となり自害、ここに武田家を滅亡に導いた悲劇かつ無能の武将として描かれることが多かったと思います。
学校の日本史の学習では、長篠の戦いがあまりにも大きく取り上げられるので、その後の武田家の滅亡には、ほとんど話題性がなかったように思います。その武田勝頼が、これまでテレビ等で知られていた武田勝頼とは違った描かれ方がされていて、先の『泣けた!』のごとく感動的なシーンとなっていたものです。
平岳太さんの父親は、平幹二朗さんです。私は、小学校5年時に、NHK大河ドラマ『天と地と』の上杉謙信、そして、同時期に映画化された『風林火山』の山本勘助の主君武田信玄を知り、戦国時代の歴史に引き込まれた思い出があります。その後、今でも好きな俳優である中井貴一さん演じるNHK大河ドラマ『武田信玄』で、平幹二朗さんが、息子晴信すなわち後の武田信玄に放逐される父親武田信虎役を好演されていたので、その孫武田勝頼を平岳太さんが演じるのは、何かの縁と感じています。
『真田丸』での武田勝頼、人質のごとき立場で甲斐の国にとどめ置かれた真田兄弟の父真田昌幸より、真田の領地岩櫃城に移って、織田徳川連合軍に備えるよう進言され、いったんはこれを受けたのです。
ところが、既に武田勝頼を見限っている小山田信茂ら武田家重臣らは、勝頼をして真田領に進軍することを翻意させ、これを受けた武田勝頼が、甲斐の国を離れることができないと言う説明をするため、真田兄弟のもとに、忍びの姿で訪れるところから、クライマックスに進むのでした。
おそらく武田勝頼は、自らのそして武田家の行く末は、分かっていたのでしょう。最後まで忠を尽くした外様である真田家に、精一杯の礼を言い、人質を免じ、武田家との『心中』を回避させたのでした。伝えるべきことを言い、「邪魔したな」の一言で、真田兄弟のもとを去る武田勝頼の姿、先ず多くの視聴者は、感じ入ったのです。
そして平岳太さん演じる武田勝頼、小山田信茂の謀反を知ったとき、「もうよい」と一言だけ残し、恨み言ひとつこぼすことなく、踵を返したのです。この場面、「泣けた!」の感想が多く寄せられたそうです。あるネットユーザーは、この場面、「かつよりも 負けて泣かれる ほうがいい」と句を披露しておりました。
見事言い当てたと感じました。平岳太さんの演技に、多くの視聴者は、感動したようです。 私は、信長、秀吉、家康は、どうにも好きになれません。
この年になって、徳川家康には学ぶところがあるくらいの気持ちです。義侠心に厚い上杉謙信、「人は石垣人は城」で知られる領民のための政治を行った武田信玄に、魅せられておりました。以前この『ひとりごと』で、東京多摩地域には、武田家を尊重した徳川家康を崇める歴史があるようなお話をしたことがあったかもしれません。
私は、甲斐の国のはずれ、その先は相模そして今では三多摩地域と言われる武蔵の国と接する領地を預かる小山田信茂を頼って、裏切られて天目山の露と消えた武田勝頼には、元々愛惜の念がありました。 東京から笹子トンネルを通って抜けたところが、天目山のある甲州市甲斐大和です。
ここには、『武田家終焉の地』と言う看板が、笹子トンネルを出たところに掲げられています。何回か行ってみましたが、この地は、武田信玄が居を構えた甲府市に比べて、東京により近い位置にありながら、終焉の地に相応しく?何かとてももの悲しい感じがする場所でした。
それは、全てを悟り、なすがままに運命を受け入れた武田勝頼の無念と正確な生き様が、後世の世に伝わっていないからではないかと常々思っておりました。今回ほんのわずかですが、真田丸の出発に当たって、武田勝頼の最後が演出されたこと、そして多くの視聴者の感動を呼んだことが、私もじ~んときました。
真田幸村は、この先人質の立場での生活が始まりますが、NHK大河ドラマ真田丸、「邪魔したな」の一言で立ち去った最初の主君武田勝頼の『あのとき』が、彼の生き様に、大きな影響を与えたことになるのでは?と思ってしまう素晴らしい平岳太さん演じる武田勝頼でした。
今年の大河ドラマ『真田丸』、見続けたいですね。