近ごろおかしな『謝罪』が目につきます。
今年の初頭、ある女性タレントが、昨年夏に婚姻したばかりのミュージシャンと交際したことが週刊誌に取り上げられることが判明した段階で、週刊誌の記者らマスコミ関係者を集めて謝罪会見がありました。以前この『ひとりごと』でも、「くだらない!」ことだとして取り上げた『お友だち』だけど謝罪したというやつです。
そんなことで謝罪するのは全く理屈が通らないと思いすが、もし、お友だちとなったことが悪いことだと考えるならば、謝る相手は違いますね。なんでマスコミ関係者に謝罪しなければならないのでしょう。この人、マスコミ関係者に対して、何か悪いことしたのでしょうか?マスコミ関係者に対して、「こんなこと!」をしてしまったバツの悪さをごめんなさいと取り繕っているのでしょうか? この女性タレントから、「お友だち」と言われている件の男性ミュージシャンは、自分のコンサートで、集まったファンに『謝罪』したとのことです。
ファンに対して、心配と迷惑をかけたとか言ったそうですが、どんな迷惑をかけたと言うのでしょう。また、何を心配させたと言うのでしょう。この人が思い当たる『心配と迷惑』は、解消されたのでしょうか。あるいは、この人、本当に心配している人は、別に存在すると気づいているのでは?と思われなくもありません。
長野県軽井沢町で起きたスキーツアーバスの事故は、多くの若者が命を失い、一命を取り留めた方たちも、心身に大きな傷を負った誠に痛ましい悪夢でありました。ところで、事故を起こしたバス会社の代表者らが、謝罪会見を行いました。この方々、多くの記者を前に、土下座して詫びていました。私は、強い違和感がありました。あるいはマスコミ関係者を前に、土下座しなければ、その場は逃れられないとでも思ったのか、心底後悔謝罪のポーズをとったのかとも感じました。
土下座して済まされるものではないでしょうし、そんなことしたからって、被害者の気持ちはら収まるでしょうか。被害者ひとりひとりを訪ね、謝罪の言葉を述べるべきなのでは?と思いました。 昨年末、日本と韓国との間で、いわゆる従軍慰安婦問題について、両政府が合意をしました。この『ひとりごと』でも取り上げましたが、安倍晋三内閣総理大臣の本意はともかく、私は、日韓両政府の外交交渉と決断を評価します。
ただ、このような決断をした事情として、安倍首相が語ったとされる内容には、疑義があります。それは、かねて聞かされるところの安倍晋三氏の本音が、見え隠れしてもいるのです。曰く、「後世代の子らに、謝罪し続ける宿命を背負わせてはいけない」のだそうです。 これはおかしい。そもそも従軍慰安婦問題は、軍国主義下での日本政府がとった政策であり、旧憲法のもと、治安維持法、国家総動員法等が適用される中、日本国民の当時の自由意思により行われたものではないのであり、政治の継続性からして、謝罪しなければならないのは、国民ではなく政府です。そして、これが『河野談話』『村山談話』であり、アジア女性基金につながります。
すなわち、日本政府は『謝罪』したのです。 ところが、安倍晋三内閣総理大臣は首相就任後、新たな『談話』を出すことに意欲を持ち、かつて日本政府が行った従軍慰安婦に関する『謝罪』がら誤りであったかの論調に至りました。いったん謝ったのに、それが間違いであったかに言うのでした。どこの世界に、『謝ったことは誤りだった』なんて言う人が、いるのでしょうか? 謝罪は1回でよいでしょう。ただ、謝罪を撤回するなんて、あり得ません。
謝りが誤りだとされたなら、謝ってもらうべき『被害者』は、とうてい納得できないと思います。この従軍慰安婦問題で、韓国側が態度を硬化したのは、あたかも謝りは誤りとするかの安倍晋三内閣総理大臣を盟主と仰ぐ保守勢力の主張行動にあると思います。 何度も謝れはおかしい。しかしながら、一旦謝ったのに、これを撤回されたならば、繰り返し『謝れ!』と言いたくもなるでしょう。
要するに、心底日本の為政者が謝罪すれば、もはや謝れと言われることはあり得ません。後の世代が謝る必要はないのです。要は安倍晋三内閣総理大臣が、心底過去の日本軍国主義の過ちを認め、軍の関与により、慰安婦とされた方々への心からのお詫びの気持ちがあれば、後の世代が謝罪を強いられることはあり得ないのです。
いずれにしても、国民が謝る性質のものではないのです。 このように考えますと、お金を支払うことで謝ったことなる法律実務の世界は、うまい到達点落し所を、考えているのだと思います。政治の世界で、あたかも従軍慰安婦問題では、韓国が怒っているかに報道するのは正しくないと思います。
韓国側が怒ったのは、謝罪を撤回されたことにあると考えるからです。ごめんなさいの撤回はないですよ!これこそが大事だと思うものであります。