昔、国会の証人喚問で、「記憶にございません」が繰り返されたことがありましました。
これは、昭和51年初めに発覚した『ロッキード事件』が契機でした。法令に従って宣誓した証人が、自己の記憶に反する事実を述べると偽証罪に問われる可能性があるからです。自己の記憶とおりに証言すれば、たとえ客観的事実に反していても、偽証罪にはならないのです。
私たち弁護士は、法廷で、証人尋問を行うことがあります。証言とは、事実を述べることであり、証人の主張や見解を意味するものではありません。国会中継では、しばしばイライラする光景を目にするかと思われます。
それは、証人は、知っている、経験した事実だけをその記憶とおりに述べればよいのに、ときに弁明を、ときに自己主張を交えて述べ、また、尋問する側も、自分たちの期待した、筋書きとおりの答えが欲しくて、「こうでしょう」「こうなりますよね」「それ、おかしいんじゃないですか」なんて証人に議論を吹きかけることが見受けられるからでしょう。
実際の法廷でも、相手側の証人や本人の証言を聞いていると、「嘘ばっかり!」と憤慨される例です。私はもう慣れっこで、全然驚きません。なんとか嘘の証言を崩そうとして、反対尋問で、「あーでしょう。こーでしょう」とやれば、「違います」の一言で、証人の証言を固めてしまうのです。 そんな経験からでしょう、私たちの先輩は、「いちばん良い反対尋問は、反対尋問をしないことだ」と言われました。
これはもっともだと思います。
でも、依頼者からすると、真実ではない証言が延々と続き、自分の弁護士が、何もしないのは、やはりストレスとなるでしょう。私は、相手側の証人には、法廷で、堂々と嘘を言わせるのだと申します。好きなように喋らせて、明らかに不合理、客観的にあり得ない事実を述べさせると良いのです。 証人は、特に反対尋問には、最初緊張しております。そこを好きなように、それどころか証人を持ち上げるような対応をすると、ついいい気になって、やり過ぎるのが人間の性です。
やがてやりとりを聞いていた依頼者も、何が行われているかわかります。もちろん裁判官は、証人の全証言、証言態度から真実を見抜きますーーと信じておりますが。 そうは言っても、30年以上の経験をしても、まだ私は、「反対尋問しない」勇気はありません。これもよく言われるのですが、「決定打は1個で良い」のです。長い証人尋問で、たったひとつ「これだ!」となる決定的な証言を引き出せば、流れは一気に変わります。
これは、きさらぎ法律事務所のホームページのあちらこちらで書いておりますが、裁判官には、『心証の雪崩れ現象』があるのです。
ある事柄で、0から100に変わるのです。 ですから、決定打を取ったのに、欲を出して、あるいはさらに固めようと思ってやり過ぎると、効果は萎んでしまいます。決定打を取ったとき、件の証人は、それに気づいていないことがほとんどです。そこで止めておけばよいのに、さらにグダグダやると、気づかれてしまいます。
それで、さっきのは勘違いとか言って、落ち着きを取り戻してしまいます。 私が実際の証人尋問で何を心掛けているか、どんなやり方をしているか、関心はおありでしょうか?これは反対尋問のときだけではなく、相手方とやりとりするとき、「こんなふうに臨むのだ」と依頼者に申し上げるところに通じます。この『ひとりごと』は、同業者や依頼事件の相手方は、ご覧になっていないと判断して、少し種明かししましょう。
このことは、依頼者もしくは依頼者側の証人に、反対尋問への対処を指導助言していて気付いたことであります。反対尋問に対する答えは、『Yes』『No』『知らない』しかありません。私から先に行う主尋問で、「Aです」と証言したのを、反対尋問をする側は、「AではなくBです」と言わせたいわけです。ここから反対尋問者は、「こうでしょう」の質問となりがちです。
これに対して証人は、「Aです」と答える。つまり、反対尋問に対しては『No』の答えとなります。また、「あーでしょう」「こーでしょう」とたたみ込まれ、枕詞として、誰誰はこう言っているとか、何何なんだけど等言われたら、「知りません」で良いのです。このような反対尋問がなされ、このとおり証人が対応することで、先に述べた主尋問を固めてしまうことになります。 クイズ?が好きな方は、それでは福本悟は、どんな反対尋問をやっているのか、しようと心掛けているのか、答えが見つかったのではありませんか?そうです。
「YesともNoとも答えられない質問」をすることです。
これはなかなか難しいです。ですが、反対尋問を受ける人が、全て真実を述べているのではない限り、必ず出てくるはずです。もちろん事前に主尋問での答えを想定して準備はしますが、実際の法廷では、良くも悪くも準備やシナリオとおり行きません。その場の判断で即決対応となります。 でも、事実はひとつしかありません。それがYesともNoとも答えられないのはおかしいのです。なぜなら、これもしばしば申し上げるとおり、『事実は変えられない。事実と違うことをやり通そうとすると、必ずどこかに無理がくる』からです。
そして、経験した事実に関して、しかも直前の主尋問で答えた事柄に関連して「知らない」はあり得ないのです。これまでの幾つもの法廷経験で、あんな例、こんな例はありますが、具体的な事件が想定されたり、また、『こんな例』を覚えられてパクられたらイヤですから、これ以上は差し控えます。 さて、安倍内閣の経済再生担当大臣に便宜を図ってもらうため、千葉県内の建設会社が、大臣や秘書らに総額1.200万円を渡したとの記事を掲載した週刊誌が発売されたようです。
衆議院議員であるこの大臣の政治団体は、政治資金収支報告書には、1.200万円までの記載がないとのことで、仮に職務に関連して交付されたものではなかったとしても、この件は、政治資金規正法には違反するでしょう。この1.200万円のうち2回、各金500.000円は、直接大臣に手渡しされたと書かれているとのことです。これに対して大臣は、未だ週刊誌は見ていないとした上で、「調査して国民に説明する」と述べました。これは、先のとおり直接大臣に交付されたのですが•••の質問に対してなされたものです。
ちょっと待って!コレおかしくありませんか。何をこれから調査するのですか?だって週刊誌は、大臣に対して直接現金を手渡ししたと言っている人がいると書いているのですよ。自分が経験したことだけを述べれば良いのです。つまり、「Yes」か「No」のどちらかしかありません。自分のことですから、「知らない」はあり得ませんね。
あっそうか!「記憶にありません」これで行こう!あのロッキード事件の証人尋問が思い出されます。 これまで『政治とカネ』にまつわる疑惑に関して、政府与党が、関係したとされる人の証人尋問を避けようとしていることもわかりますね。
宣誓した証人が、記憶に反することを述べたら偽証罪になります。記憶にあるのに「記憶にありません」もアウトですから。