あけましておめでとうございます。 2016年は、申年です。
すなわち、干支は猿です。
申年でなくても新年恒例のように撮影される大分県高崎山の猿山、猿が温泉に入っている姿は、例年よりも多く放映されています。猿は、去るでもあり、今年も慌ただしく過ぎていく予感があります。
日光東照宮にある『見ざる聞かざる言わざる』のモチーフは、神となった東照大権現すなわち徳川家康を祀るために、江戸初期に左甚五郎が彫ったとされます。猿が両手で目、耳、口を隠している姿で、そのゴロから、日本が、特に日光東照宮が、これの発祥の地と思われがちですが、この3頭の猿、世界各地に見られます。
すなわち、古代エジプトの史跡には、三猿がはっきりと見られますし、インドでは、ラーマーヤナの主人公ラーマに仕えた猿族の転化とも言われているようです。実際日本でも、庚申塔には、よく三猿が彫られており、この『三猿伝説』は、ナゾに包まれているのです。 日本で多く伝えられている解釈は、「他人の欠点や過ちは見ない、聞かない、言わないとするのがよい方法」と言う意味でしょう。これは、インド独立の父と言われたマハトマ•ガンジーが、常に3つの猿の像を身につけ、「悪を見るな。悪を聞くな。悪を言うな。」と教えたあたりから、戦後日本でも、このように使用されているのだと理解します。
このガンジー氏、自らが死するとき、亡き者にしょうとした者に向かって、額に手を当てて、「許す」と発したことが伝えられております。 『悪』に対する徹底した態度をとったガンジー氏、第二次世界大戦のとき、かつての友人日本人に向けて、こんなメッセージを送っておりました。
「かつて日本は、アジア人のアジアと言う崇高な理想を持っていた。しかし今では帝国主義の野望にすぎなくなった。そしてその野望のため、アジアを解体する張本人になってしまうかもしれない。アジアの解放は、ドイツやイタリアと結ぶことではないはず。あなた方は、いかなる訴えにも耳を傾けない民族になってしまったと聞いています。
ただ、剣にのみ耳を貸す民族になったと。それが大きな誤解でありますように。あなた方の友人ガンジーより」。ガンジー氏、生涯でいちど、『悪』を見るに見兼ねて、遂に友情のため、発言したのです。 昨年私は、ある場所ある場面で、あまりにも理不尽な状況に出くわして、散々言い放ったことがありました。
私は、ときどききさらぎ法律事務所を訪れる方から、その理不尽をした相手方を質して欲しい、より直裁に言えば、悪であることを諭し、真人間になるよう徹底して対処して欲しいと求められることがあります。
しかし、私どもの仕事は、困っている人の話を聞き、気持ちを楽にして差し上げ、相応な着地点を齎すことにあり、真人間を作るための仕事であるかの大それたことではないのです。
それなのに、私は昨年、義憤に駆られたとは言え、あたかも真人間にならなければダメだの如く言い放ってしまったのでした。
とても恥ずかしく、反省しても仕切れしい失態でありました。
今年は申年、『見ざる聞かざる言わざる』に徹しようと考えます。これは、見て見ぬ振りすることではありません。
声を出して他人を批判することは、たとえその内容が正しいものであっても、聞き苦しいものです。悔しい思いをされた方は、どうしても言ってやりたいとお考えになります。
それはわかります。ですから、そのはけ口には、私がなります。なんでもお話ください。
吐き出して、溜まっていたガスを抜いてください。そして私は、その相手に直にぶつけることはいたしません。
そんなものは見ない、聞かない、言ってやらない、すぐに反応するのは人間が浅い、軽い証左です。
絶えずあなたのためにどうすればよいか、何が解決になるのか(反対に言えば、そんなことして何になるんですかはしない)について、悪に対する憤りは収めて、皆様と一緒に考えていきたいと念じます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。