「春は選抜から」の言葉は、私が子どものころ、主催会社等が、キャッチフレーズとして使っていたいたものです。
毎年2月になると、3月下旬から始まる選抜高校野球甲子園大会への出場校が発表されます。高校球児にとって、また、野球少年にとって、甲子園は目標であり、夢の舞台でしょう。
その甲子園球場の外野スタンドの一角に、『甲子園歴史館』と言う博物館があるそうです。
もともとは、甲子園球場を本拠地とするプロ野球阪神タイガースの史料館だったところ、これの全面改修を契機として、2010年に、阪神タイガースのほか、高校野球、大学アメリカンフットボールの歴史や関連物品を展示する博物館して生まれ変わったものです。 この甲子園歴史館に展示されていたある高校球児が使用していた金属バットや当時のユニホームの複製が撤去されたそうです。
その理由は、件の元高校球児が、最近覚せい剤取締法違反の嫌疑で逮捕勾留され、報道されたところでは、被疑者本人が、勾留事実を認めているからと言うことです。
なんでも、教育上の配慮だそうです。 よく、テレビ番組やコマーシャルで、その収録時後に『事件』を起こした人が出ていた場合に、字幕で、収録はその前であったとテロップを流したり、その人が映った箇所だけカットして、放映することはありました。
これは、その番組なりが、現に視聴者の目に入ったそのときは、実は当人は、身柄拘束を受けるなどの情報で、出演することが不可能であれば、致し方ない措置のように思います。勘違いされないためにも、説明は必要と思います。でも、その人が寄贈した物や、博物館等が主体的に作成して展示した物を撤去するのはなぜでしょうか。
『教育上の配慮』って、何でしょう。 例えば、昔の立身出世物語のように、偉業をなし、また、成功した人が、自分の母校等に少なくない寄附をしたり、高価な物を寄贈することはあまただと思われます。そして、厚志を受けた側も、有難く銅像など建立することがあります。ところが、仮にその寄附なりした人が、その後事件を起こしたら、寄付金は返金し、銅像は撤去するのでしょうか。
私はしばしば、『事実は変えられない』と申します。あるとき、ある人が、あることをなし、それが 当時例えば記録となったとしたら、それは事実であり、ひとつの歴史です。聞くところよると、今回甲子園歴史館は、被疑者となった元高校球児が、甲子園記録となる13本めのホームランを放ったときに使用していたバットを撤去したそうですが、そのバットで、甲子園記録が生まれた事実は消せません。
そもそも甲子園歴史館は、甲子園の歴史を説明しているのであり、ホームランを放つなどして、甲子園で活躍したこの元高校球児を崇めているわけではないでしょう。確かに、件の元選手の偉業を讃え、彼が聖人君子だとして人間性を含めて功績を記念した博物館であれば、撤去も閉館もあり得るのかもしれません。
ですが甲子園は、この選手だけのものではなく、甲子園歴史館は、甲子園が見てきた歴史そのものを、後世に伝える役目があるのではなかったでしょうか。それがこの元高校球児とともに、13本のホームラン記録そのものが無かったように扱うのは、歴史の改変とも評せると考えます。
この後、この元高校球児が無罪にはならなかったとしても、いずれ社会復帰して、例えば何らかのかたちで社会に貢献したとすると、いったん撤去したバット等は、どうするのでしょう。
どうしても『教育上の配慮』を言うのであれば、13本めのホームランを打ったバッターの名前を、当面事情により隠すとか、社会復帰がかなうまでの間は、野球引退後の平成28年2月、警視庁に逮捕あるいは、⚪️月⚪️日有罪判決が確定とか付記しておく対処もあり得るのではと思います。
ただ、この場合であっても、もはや『公人』ではない元選手の過去を公開し続けることには、議論があって然るべきです。 私は高校野球、特に甲子園に出場した球児が所属する高校の不祥事が、すぐに『連帯責任』に発展するような風潮は、とても嫌でした。
よく指摘されるように『くさいものに蓋』の体質が、高野連には色濃く残っているように感じられます。この元高校球児のバット等を隠すことは、高校野球、甲子園の歴史の一部を曲げることを意味します。甲子園歴史館は、この元高校球児を神と崇める施設ではないはず、歴史館の名が泣くのではありませんかと言いたいです。
なお、言うまでもないことですが、私は、覚せい剤事犯を擁護する者ではありませんし、件の元高校球児であり、元プロ野球選手のファンでもありません。
これまで報道されていた情報やテレビ放映で知る限り、私はこの方を好きにはなれませんでした。だからと言って、彼が残した歴史を隠し、また、事実を変えることはできないのです。