怒り方って人を大きく傷つけるものだと思います。

2015年12月10日
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ある新聞の読者の欄に、少年が、老人に座席を譲ったのに酷く叱られてショックを受けた、自分はいけないことをしたのか悩んでいるとの投稿が掲 載されていました。

 

ある男子中学生が、混雑するバスの車内に座っていたところ、途中で乗車して来た重たそうな荷物をたくさん抱えた60代に見 える男性に席を譲ろうとしたところ、「ふざけるな!近ごろの子どもは、学校のマニュアルとおりに動かされて悲しいな。本当は座りたいのに、ペ コペコ席を席を渡してねえ。これくらいの年をとるとわかるの!」と言われたと言う内容です。

 
確か1ヶ月くらい前に出ていたものです。この少年は、深く傷ついたと思え、なんて言うことだと義憤に駆られました。

 

それと、冷静に文書を見る と、とても中学生が書いたとは思えないほど名文ですし、自分はショックを受けたけれども、あるいは自分が間違っていたのかとの狭間で、大手新 聞社にその経験を投稿するのは、かなり社会性や公共性が身についた子どもだと感じました。そしてこの少年の投稿に関して、この新聞社では、読 者の声を集めたものです。
新聞社によると、この投稿に関する読者の反響はかなりあったようで、少年を讃え気遣うものがほとんどだそうです。

 

特に、優しい気持ちを持った 少年が、この先も変わらないでいて欲しいこと、きっと良いことがありますよとの彼を応援するメッセージが目立ったようです。12月に入ったあ る日の朝刊で、この件に関する読者の声の『特集』が組まれておりました。

 
掲載された投稿全てが少年の気持ちを汲み、彼は間違っていないとするものですが、読者それぞれの経験から学ぶところがありました。

 

30代の女 性は、町で物を配布する仕事中、複数回老人に酷く叱られたことや、子どもが犬と散歩中、イヤホンを付けた老人とぶつかりそうになって愛犬が蹴 られた経験を言い、老人の身勝手思い上がりが社会悪であるとの観点から、認知症の親が、公共交通機関の車内で騒ぐなどして困った経験をした女 性は、少年の優しさを賞賛した上で、世の中には一般社会の常識では通らない老人がいるので、今回はたまたま変わり者に当たったと思って欲しい とのいたわりを、また同世代の少女は、席を譲って叱られる世の中の非情を綴っておりました。

私は、件の『老人』の心に潜むものや、この方なりの信念はわかりません。ただ言えることは、仮にこのときこの少年への対応が、この『老人』な りの『正義』であったとしても、「その言い方はないな」と言うことです。もちろん私は、この少年が悪いことをしたなんて思えません。

 

ただ、何 か気に障ることをされたと感じる人がいるのもまた事実です。しかし、当然のことをした、少なくとも自分は何も悪いことをしていないと信じてい る少年に対して、仮に気に入らない、さらに怒りたいところがあったとしても、「ふざけるな!」から始まるあの態度はないでしょう。受け手にそ のこと自体で、大きなダメージを与えます。
弁護士として仕事をしておりますと、ちょっとしたこと、ある言い方で紛争が深刻化しているケースにしばしば遭遇します。近隣紛争はその典型で す。隣家の音がうるさいので我慢に我慢を重ねたある日「ふざけるな!」なんて乗り込んで怒鳴りつければ、もうそのことで円満解決は混雑です。 よく電車が遅れる『お客様トラブル』というやつも、実は大半がコレですね。

 

混雑する車内でぶつかったとき、その注意の仕方、怒り方で『なん だ。その言い方は!』になり得るのです。人間は、本質的に他人から注意を受ける、叱られることが嫌いです。そのときの注意の仕方でショックを 受け、あるいは反発したくなるとも思えるのです。
少し話がずれました。

 

この少年の投稿に関して、この新聞社が読者の声を集めているこのとき、またしてもネット上では、気になる意見が散見され ました。確かにこれと似たような経験をしたことがある人は多いかもしれないが、この少年の心に潜む打算が見透かされたのだと言う意見です。

 

この意見の主、続けて、「こんなエピソードを、わざわざ○○新聞に投稿するような人ですから」と来ました。打算?それは将来○○新聞社に勤める とか、この新聞社に認められること?私は、この事件の主である60代の男性と、こんな『少年の打算』を言う人が、同じ人に見えました。