非核三原則の中には、『日本国外で、核を運ばない』ことは含まれておりますか?

2015年8月12日
安全保障関連法案は、核兵器の運搬を否定しないことが、参議院特別委員会での政府答弁で明らかとなりました。法律上は可能であるが、日本には非核三原則があるので、実際は運搬しない、『運ぶことはあり得ないぐらい日本人の常識だ』と自由民主党の幹部有力者は仰っています。

非核三原則の有る無しに関わりなく、日本が、核兵器を運搬することは憲法違反であり、そもそも核兵器が存在すること自体が、唯一の被爆国に生を受けた日本人として、人間の尊厳を踏みにじるものである、これの『均衡』ではなく、『廃絶』を発信し続けなればならないと考えます。『抑止力』という言葉は、要は、アメリカ合衆国の核の傘に入ることを意味し、核廃絶と真逆の方向に進むことに気付かなければなりません。

今日は、核廃絶や非核三原則を論じるのではありません。このところ政府与党が言う、『法律上可能だが、実際はあり得ない』と言う言葉の意味について考えます。

法律が制定される場合、『なんでそんな法律が必要であるか』が考えられます。すなわち、法律を制定しなければならない社会的事実が存在するのです。これを『立法事実』と言います。私が司法修習生になったころ、バイブルとされた東京大学の芦部信喜先生の著述に、『立法事実とは、法律を制定する場合の基礎を形成し、かつ、その合理性を支える一般的事実、すなわち、社会的、経済的、科学的事実』と書かれております。
立法事実論は、制定された法律が憲法に違反していないか裁判所が審査する際の基準として注目された経緯があります。つまり、ある法律が制定され存在すると言うことは、そのような法律を作るための根拠となる事実が、確実な証拠により合理性に説明できなければならないこと、そして、その法律が目指すところと、制定される法律が合致しているのか、目的達成できるのか、これが認められることが、合憲性の要件とされるのです。

私は、法律実務家の端くれですが、実際に適用されない法律が作られるなんて、聞いたことがありません。もし、日本には非核三原則があって、核兵器と関わることが人間の尊厳に背くものであるとの立法事実があるのだとしたら、こんな法律、出来っこないですね。むしろ非核三原則が国是であると言われるなら、その安全保障関連法案とやらに、『核兵器、大量破壊兵器等を使用する国のため、あるいは、そのような国と戦闘状態に至る明白な危険がある国のための兵站は一切行わない』法律を、どうして策定しないか理解できません。

そんなある意味福本悟に似合わない高尚な議論をしようと思っているのではありません。8月6日広島市での平和式典で、歴代内閣総理大臣で初めて非核三原則堅持に言及しなかった安倍晋三氏の周辺が、このことで強い反発が出たのは意外だと述べたことでもあり、政府与党は、実は、アメリカ合衆国等核保有国のために、日本の自衛隊が核兵器を運搬しても、非核三原則に反しないなんて、後になって言い出すのではないかと危惧するものであります。

非核三原則とは、『核を造らず、持たず、持ち込ませず』であります。日本国内で、核兵器が造られることはなく、また、核兵器を持つ政府や団体、個人は居ない、これは分かります。また、日本政府は、アメリカ政府に確認は取らないとは言うものの、核がアメリカから日本国内に持ち込まれたことはないはずです。

しかし、この安全保障関連法案により、日本国外の非戦闘地域において、同盟国アメリカの核兵器を日本の自衛隊が運んだとしたら、これは『持ち込ませず』には違反しないのでは?と法文上考えられる余地があります。公海上から公海上まで運んでも、日本の国内ではありません。まして、化学兵器、大量破壊兵器等非人道的兵器は、そもそも非核三原則には当てはまらないのでしょう。要は、本音は、可能な法律さえ作ってしまえば、後の『やる、やらない』は、ときの政府の施策、現場の自衛隊の判断でてきる道を開くのではと言う危惧であります。

法律上なんでもあり、あとは適用する政府の自由なんて事態は、認められません。この安全保障関連法案、廃案しかないと考えます。

一気飲みで放置されて亡くなった元学生の両親が、居合わせた友人らを提訴したと言う報道に寄せて

2015年7月24日

東京大学に在学中の男子学生が、大学サークルのコンパで一気飲みして死亡した『事故』をめぐり、当時の学友ら21名を被告として、死亡した元学生の父母が、損害賠償請求訴訟を提起したことが報じられています。

記者会見した元学生の両親は、一気飲みによる被害は、亡くなった息子で終わりにして欲しい思いから提訴したと、その動機を語っておられました。 『もう、このような被害を出して欲しくない』から、被害者やご遺族が、訴訟の提起などを通じて社会に警鐘を鳴らすことは、残念ながら後を絶ちません。

なんで繰り返されるのか?と義憤に駆られることは、しばしばあると思います。

ただ、この元学生のご両親が、21名を相手どってそのような対応に踏み切った最大の、また、直接の契機は、『一気飲みでぐったした者を別の場所に移して4時間放置したうえ、異変に気付いて救急車が到着したら、その場を立ち去ったことがなんとも容認できないから』と言われるのでした。

ご両親は、苦しんでいた息子は、さぞかし辛かっただろう、もし、誰かが気付いて通報なりしてくれれば、息子は死ななかったと胸のうちを吐露されています。

確かにそうかもしれません。

この感情は、実際このような目に遭った方でなければわからないでしょう。この提訴の事実の報道に対しては、相変わらずネット社会では、『自己責任』の声が多いです。 亡くなった元学生の思いを、推し量ることは難しいです。

本当に、勝手な推測ですが、悔しい、苦しいより、友達甲斐がないことにショックを受けているのではないでしょうか?

私は、この記事を目にしたとき、ご両親と同様、『(救急車が来て、事態が明るみにでたら)よくその場を立ち去れるな』と思いました。 一気飲み自体は、ネット上の意見に与するわけではありませんが、全てがその場に居合わせた学生らの責任と断ずることはできないと思っています。

 

少なくとも法律的には、亡くなった元学生には、結果(被害)に関して過失はあります。自動車事故等でしばしば言われる過失相殺です。

また、21名全員に、この元学生が亡くなったことについてまで、法的責任があるのか、ましてその証明ができるのか難しい問題ですね。21名は、本当に、異変に気付かなかった、それはやむを得ない状況だったのかもしれない、また、仮に早く誰かが気付いていて、通報等なんらかの措置を執ったとしても、元学生の命は、残念ながら救えなかったかもしれない、これはしばしば裁判等で過失、予見可能性、相当因果関係と言われる部分です。

しかし、そうであればこそ、ご両親、そしてその代理人弁護士にはそんなこと、百も承知のことなのです。この3年間、ずっと気持ちを温めていたのでしょうか?

そうではないでしょう。

ちなみに、不法行為の事実および加害者知って3年経過すると、損害賠償請求権は、消滅時効が完成します。

さて、そんな思いでおりましたら、最初の報道の翌日、こんな新聞報道がありました。これを記事にしたのは、安倍晋三内閣総理大臣、そして安全保障関連法案、さらにはかつてこの『ひとりごと』でも書いた『ギャグ先生』からの評価等等について、特にこのところ福本悟が、その特徴(特異?)をご案内する大手新聞社でした。

 

その報道によれば、事故後これまでの間、元学生のご両親は、その場に居合わせた彼の友人らをあたり、話をし、また、彼らからの話を聞いて十数人と『和解』したのだそうです。

『和解』の内容はわかりません。これまた勝手な推測ですが、いくらかの和解金、その金額としては、お見舞金程度だったかもしれませんが、それを授受し、例えば亡くなったこの元学生のことを生涯友人だったと思い、悲しい不幸な事件を忘れないことをこころに誓うこと、あるいは、飲酒事故撲滅のために、なんらかの社会的活動を行うことなどが、内容になっているのでは?と考えます。

これは、弁護士的視点であります。 ところが、今回被告となった21名は、「法的責任はない」と応対したのだそうです。それはそうかもしれません。刑事上は、その場に居合わせた者に、保護責任を負わせることは難しいです。民事上も、先程来挙げたとおり、その立証等には、幾つものハードルがあります。

しかしながら、だからこそ、また、私が弁護士だから言うのかもしれませんが、和解?を拒絶した21名(全員がそうなのか、新聞報道の限りではわかりません)は、間違っていると断じます。確かに防衛本能はわかります。

あれから時間が経過しました。元学生のご両親には、時間は止まったままです。元学生は、還ることはありません。くだらないネット上の意見はともかく、ご両親は、何億かのお金が欲しくて何人をも提訴したわけではないのです。

いつまで経っても 友達甲斐がない連中、あるいは、もう友だちではない、関係ないなんて態度こそ、容認できないのでしょう。

私に言わせれば、「何が法的責任はないなんて言えるんだ。偉そうに。ふざけるな!」であります。

 

ご両親、そしてこの案件を担当された代理人弁護士のご苦労は、いかばかりかとお察しします。

3年間、当時の学生らを訪ね、一人一人和解の機会を求めてきたのです。何もしなかった、単に大金を請求したと言うものではないのです。『和解』を拒絶した?21人は、世間から低い評価以上に、この方々も、ずっとひきづるのだなと、有る意味かわいそうです。

『和解』は、ひとつの形式に過ぎないのかもしれません。しかし、この形式により、それぞれの節目となり、リスタートする千載一遇のチャンスとなるものです。 この報道については、いろんな意見、評価があるでしょう。

◯◯新聞社も、良いこと書きますね。「それはそうだろう。」ギャグ先生はもちろん、有る方向から教えられそうです。

マスコミによく登場する弁護士さんの回答が、常に正しいわけではないのですが。

2015年7月3日

誤判とは、裁判所が誤った判断をした場合を指すとされています。

裁判所は、法律の適用に関しては専門家だと言う点で、判断の前提になる事実認定を誤ったことが、私たちの世界では、『誤判』とされるのです。

 

もちろん、現在審議中の、安全保障法案が合憲なんて判断が出た場合には、裁判所が憲法の解釈を誤ったわけですから、法律専門家として、誤判以上の間違いを犯したことになりますが。 誤判は、再審無罪等が報じられることでも、刑事事件のイメージがあると思います。

 

司法修習生のとき、結構好きだったある裁判官が、事実認定は刑事事件こそ重要と仰っておりました。そのときは、有罪率が99%以上で、ほとんど被告人が自白している刑事事件は、ある裁判官なんて、起訴状と同じに判決を書くことが重要なんて言ってくらいで、私は、民事事件の事実認定が大変なのでは?と感じていたのです。

 

民事事件では、まず原告被告は、真っ向から違った事実の存在を言ってきます。証人本人尋問なんて、事実はひとつなのに、双方全然違うことを証言します。

これを依頼者から見れば、「嘘ばっか言って!」と頭に来るわけです。勿論、反対尋問の機会はありますが、最も良い反対尋問は、反対尋問をしないことだと先人が言われるごとく、理詰めで追い詰めようとしたら、反対に、相手方の主張を固めるだけになってしまうからです。

何処かで述べたと思いますが、裁判所は、それ自体が、また、存在する客観的証拠と照合して、不合理な弁明、証言は排斥します。そして、あるきっかけにより、『心証の雪崩現象』を引き起こして判決に至るのです。

 

さて、ある民事事件の判決で、裁判所の判決文に、41箇所間違いがあったと報じられております。主として判決文に添付する一覧表の数字とか、曜日の誤りで、判決内容には直結する誤りかどうかはわかりませんが、この誤記?多数の判決文を手にした当事者にとりましては、裁判そのものの信頼を失うのではないでしょうか。

 

この判決文を書いた裁判所は、判決を『訂正』するようです。 おそらくこの判決を書いた裁判官は、自分の意図したところと、判決文の表示が異なっていたのでしょう。

よく入札等で、1000円だと思って品物を買おうとしたとき、間違って100円と希望価額を書いしまったなんて事態はありますね。これは、表示上の錯誤と言われます。しかし、表示上の錯誤ではなく、完全な間違いをするケースもあります。

先日、テレビの法相談番組なんかによく出てくる⚪️⚪️女性弁護士と言われている方が、一緒に出演していた芸能人から、「無期懲役と言っても、15年くらいで出てくるんでしょう」と尋ねられて、これを肯定する回答をしたことが、ネット等で議論されています。

これは完全な誤りです。

 

細かい統計を見たわけではありませんが、この数年、裁判員裁判が始まり、有期懲役刑の最高が30年となりうるようになって、少なとも20年未満で、いわゆる仮釈放される受刑者はいないはずです。先の『30年』との均衡からか、30年以内で仮釈放された無期懲役囚がおられたならば、マスコミ挙って取り上げると思います。

「被害者の…」「遺族は…」 件の⚪️⚪️女性弁護士さんは、表示上の錯誤、すなわち、「言い間違えた」のではありません。本当に、無期懲役受刑者は、15年くらいで出てこれると思っていたのです。

 

しかし、ネット上のやりとりは、もっと私を驚かせました。ほとんどが、この弁護士さんを批判する投稿かと思いきや、そうではありません。 曰く、「30年でも早い」「無期懲役なんだから生涯入っているのは当たり前」「ここぞと言うときに『人権派』が出てくる」等等です。公共の電波から、間違った回答をした法律専門家をバッシングするのだろうと予想していたのですが、実に意外でした。

 

でも、無期懲役囚の方々は、飛んだとばっちりではないでしょうか。裁きを受けて受刑中ですが、また「そんな奴…」と非難される羽目になったのですから。

 

もっとも、受刑者の方々は、件の『法律番組』を見聞きすることはないですかね。

世の中の風潮として、テレビ番組等で発言する弁護士等法律専門家の見解が常に正しいと受け取る向きがあるのではないでしょうか。確かに、法律相談をしたいとき、『敷居が高い?』法律事務所をわざわざ訪ねずに済みますから便利ではあるでしょう。

そう言えば、当時弁護士だったマスコミによく登場する弁護士が、⚪️⚪️地区の番組で、ある刑事事件の弁護団を許せないなら所属弁護士会に懲戒申し立てしよう!と呼びかけたとかで、弁護士会には懲戒申立てが続出、当の弁護士本人も、所属弁護士会から、『弁護士として品位を欠く行動』だとされ、懲戒処分を受けております。

 

マスコミに露出する弁護士は、世間では応援され、弁護士仲間からは批判される例のようです。

おそらく「無期懲役囚は15年で仮釈放されて出れる」との見解を示した弁護士が、市民から、懲戒申立てをされることはないでしょう。

むしろ、所属弁護士会が、『無期懲役囚は、ここ数年30年未満で仮釈放されたケースはないのに、間違った情報を社会に広めた』として、不勉強ゆえにこの弁護士を懲戒処分にしたら、社会世間の皆様は、どうされるか興味があります。(極めて稀有な例ですが、)30年経ったら出れると説明(事実なのですが、)する弁護士会がおかしいなんてご意見が寄せられるような気がいたします。

事は、裁判官が、判決を訂正して済まされるようなケースとは異なった結果となると思われるのです。

 

伝家の宝刀は、抜かないほうがよいと思います。

2015年7月2日

私は、週刊誌は読みません。

 

ただ、なんとはなしに、通勤電車の吊り広告には目が行きます。

そこで週刊誌の案内を見ることがあります。ほとんど記事の見出しだけなのでしょうが、細かく読みいることはあります。

ある週刊誌に掲載されているらしいのですが、関西方面の市議会議員の私行が出ていました。

昨年あたり、地方議員の行いがいろい紙面を賑わしたことがあり、国民の関心は、あるのかもしれません。なんでもこの市議、交際中の女性に暴力を振ったとかで、傷害罪での被害届が出されたそうです。

人に手を出して怪我を負わせたなら、公人でなくてもいけないですね。

ただ、週刊誌は、公共の利害に関わることであって、専ら公益を図るために、この市議の『事件』を報じたのでしょうか。それはたぶん違うでしょう。続けてこの市議は、『被害者』の女性との間に子を設け、認知していると書かれております。

子を認知したと言うことは、この市議には妻がおり、要するに、件の女性とは不倫関係だったと言うことであります。

なんでもこの女性、市議の辞職を求める陳情書を市議会に提すたそうです。

 

不倫したかどうかは、確かに市民の代表としての資質に関わることことかもしれません。

でもねえ。認知したと言うことは、当然ながら子の父親であることを公けにしたわけです。この市議が養育費を支払っているかどうか知りませんが、母親であるこの女性とは、スナックのママさんらと一緒のときに、暴力事件が起きたと言うのですから、この女性や子どもから逃げていたわけではなく、その後も、なんらかの『関係』が続いていたことになるでしょう。

 

暴力はいけません。

 

だけどこの女性、『こんなこと』公けにして、もし、市議が失職して、養育費なりの支払いができなくなったら困らないのでしょうか。

 

それと、これも弁護士福本悟からすると、年中行事の感がある『妻から、夫の不倫相手に対する慰謝料請求』の対象になるとは、お考えにはならなかったのでしょうか。

 

不倫とは、要するに肉体関係があること、そんな事実を市議会に言ってよいのでしょうか。

きさらぎ法律事務所にお越しになる方に、よく申し上げる言葉として『伝家の宝刀は抜くな!』があります。

 

抜くぞ抜くぞと見せかけている間が、『こちらが上』なんです。これも反対の立場に置かれた方からのご相談でも申します。

『いついつまでに、これこれをしろ。やらないときは、然るべき手続を執る』これもよくあります。

 

そんなとき、相手の要求を受けられないとき、また、よく考えれば、そんな要求なんて放っておいて困らないときは、無視しましょうと申し上げます。

先方は、『やりたくない』然るべき手段、つまり裁判その他をしなければならなくなります。

 

本当に、そんな手続を堂々と出来るならば、いちいちそんな『予告』をするまでもなく、やってしまえばよいのす。

 

刀は抜けない事情があるわけです。

 

さて、この女性、刀を抜いてしまいました。まず、この市議とは、以前のような『関係』ではいられないでしょう。

市議の奥さんから 法的措置を執られるかもしれません。それと、面白おかしくマスコミや追われ、世間からはどんな目で見られるでしょう。

 

いつまでも、この子のお父さんお母さんなのです。大丈夫でしょうか。

ある裁判官が仰っていました。不倫はどっちもどっち、フィフティフィフティ。法律的には結論が出ても、社会的にはいずれかだけが責めを負うと言うのはバランスを欠くのだそうです。

 

もちろん私は、この事件、どちらの肩を持つものではありません。『不倫は悪い』のは当たり前、なんで『こんなこと』記事にするんですかねと言うことに尽きるのです。

逃げたい人と逃がす人

2015年6月26日

アメリカ合衆国のある州にある刑務所で、殺人罪で有罪判決が確定して服役中の既決囚2名が脱走したとのニュースが入ってきました。

この脱走は、何らかの機器または道具を用いたことが明らかと言われており、数日後、この刑務所内の洋服を仕立てる作業場に勤務していた女性が、ドリル等を服役囚らに渡した嫌疑で逮捕されたと報じられております。

 

日本の刑務所は、外部の業者が立ち入って作業等することは、基本的にないと思っています。

 

よく、刑務所内の刑務作業により作られた家具等が、販売される機会がありますね。

また、国家試験の問題は、刑務所内で作成されていることが多いです。これは、日本の刑務所が閉鎖的、すなわち、中で何が行われているか外部からは掴みにくいことによって、実現できることであります。 有罪判決が確定して受刑中の人も、やはり『逃げたい!』と思う気持ちがあるわけです。

まだ起訴されず、有罪判決を受けていない段階の被疑者は、なおさら『逃げたい!』と思っている人は、少なからず存在するのだと思います。逃げたいとは、逃走するのではなく、他人に罪を被ってもらいたいとの『卑怯な』『厚かましい』思いに繋がるようでもあります。

 

先日福岡県内の警察署に勾留中の覚せい剤取締法違反の被疑者が、留置管理係の警察官に対し、同じ署内の留置場に勾留中の知人に、この件の罪も引き受けてくれるよう『伝言』を依したこと、そしてこの警察官は、実際『伝言』したことが、この知人の供述により判明したと報じられております。

 

どうやら、伝言を依頼した被疑者が、福岡県警あげて撲滅を目指している指定暴力団の組員だったことから表面化したようで、とんでもないことだと思います。

 

何がとんでもないかって、『逃げたい!』と思うのは、本人のある意味自然な感情、しかし、他人は違うはず、『逃がしたい!』と思うのは自然な感情だと言えますか?

私たち弁護士は、刑事弁護人として被疑者と接見することが、とても重要な職務です。

接見交通権と言われるものがこれです。ときに録音機を持参した、写メで撮影したなんてことで、検察庁等から、弁護士会に担当弁護士の懲戒請求などなされることがあります。

 

中には、被疑者から聴取した事実を確認するため関係者と接触しただけで、証拠隠滅なんて疑いをかけられることもあります。

留置管理室、業界用語で『看守さん』は、ストレスが溜まるお仕事だと思います。

 

でも、『真実』を曲げる行為を、しかも職務に絡んで行うのは、いったいなんの意味があるのでしょうか?現段階では、金銭授受はないそうです。

報道では、この警察官は、「信頼関係が築け、業務が円滑に遂行されると思った」と供述したそうです。

 

誰と誰の信頼関係なのか、なんの業務がスムーズに進めばよいと考えたのか、報道の限りでは明らかではありません。

 

『伝言』を聞いた『知人』は、「自分がやった」と供述し、その後警察官からの『伝言』のとおり対応したと訂正したそうです。

 

この警察官には、暴力団員とされる被疑者を逃がす意図まではなかったでしょう。暴力団との信頼関係なんて『まさか』ですから。弁護士としてとても気になるのは、単に犯人を逃がす手伝いをした、つまり犯人隠避の罪が成立することが問題ではなく、『業務の円滑』とは、要は、犯罪が起きたら犯人を挙げることが重要、『犯人』が誰かは関係ないなんてこの警察官が考え、教えられていたのではないかと言うことです。

 

もし、件の暴力団組員が否認するなど捜査が困難を極めていたら、折良く『犯人』になってくれる者がいたら……の思いに至ることはなかったのかの疑いであります。留置管理室の手柄で捜査は一件落着?そんなことがあろうはずがありません。これは一福岡県の特別なケースだなんて終わらせず、警察組織の問題として、『真実追求』をして欲しいと願います。

 

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