地方の中核都市がジャックされた日その2

2015年6月12日
以前の『ひとりごと』で、『地方の中核都市がジャックされた日』をお話しました。

昨年福岡国際マラソンが行われた12月第1日曜日に、福岡に宿泊することが困難を極めた経験から、かつてアイドルグループ『嵐』のコンサートと当たってしまって、札幌市内がジャックされた日を思い出したのでした。そのとき、地方都市を活性化させ、お金を落とす方法として、アイドルグループの活用を提案?したものです。

さて、困った事態になりました。

きさらぎ法律事務所は、Jリーグ第2ディビジョンに所属する『アビスパ福岡』の法人後援会に指定されており、その特典として、ホームタウンのレベルファイブスタジアムの招待券をいただいております。

今年は春先、まあまあの成績でしたから、シーズンが深まり、あるいはJ1への昇格なんて夢が訪れたとき、福岡に行って観戦すれば良いと思っておりました。

豈図らんや、いや、いつものとおりと言うべきか(失礼!)、北部九州が梅雨入りする前より、アビスパ福岡は連敗が続いており、もう、見るなら「今しかない!」と判断いたしました。

それで、急遽6月の土曜日の試合にご招待にあずかり、そのまま夜の福岡に行こう!と気合いを入れたのですが……。

この日、福岡市内のホテルは満室だとYahooニュースのトップに出ています。なんで……。この日、ヤフードームで、AKBの総選挙が行われるのです。この日福岡市内は、アイドルとそのファンにジャックされました。

ちょっと怖くなりましたし、私は、アビスパの試合が終わったら、レベルファイブスタジアムから歩ける範囲の距離にある福岡空港から、そのまま帰京することといたしました。

昨年末の衆議院議員総選挙しかり、このところ選挙の投票率は下がるいっぽうです。

特に若者は、棄権する傾向と言われます。私には、AKBの総選挙の選挙権は、ーーたぶんーーないのだと思いますが、こちらは、選挙権?ある人の投票率は高いのだと思われます。

かつて私は、開票速報に見入った過去がありましたが、しょせんテレビの前であります。全国から、『開票速報』が行われるヤフードーム、福岡市に選良が集まるとは凄いことです。

アビスパ福岡のファン掲示板にも、AKB総選挙の話題が出ています。

もしかすると、開票前のアイドルたちが、レベルファイブスタジアムに来るのではないかとの噂もあるようです。

ふだんレベルファイブスタジアムになかなか行くことがない私なんか、さしずめAKB見たさにこの日を選んで福岡に来たのだろうとあらぬ疑い?を持たれるかもしれませんね。

がんばれアビスパ福岡!

 

福岡県人会に参加して。

2015年5月25日

年末年始やお盆休みになると、よく『……をふるさとで過ごした人のUターン、帰省ラッシュが始まりました』なんて報道されますね。

 

東京等を生活圏とする方たちが、自分が生まれ育った場所に、家族を連れしばし戻って親戚や友人と、時間をともにするのです。

東京で生まれ、東京の学校を出て、東京で仕事をし、家族と暮らす私には、東京がふるさととの実感がありません。

 

『ふるさと』がある人はいいなと思います。

 

そんな私が、唯一東京を離れて暮らしたのは、25歳から27歳までの福岡市でした。

 

初めての一人暮らし自体で舞い上がったところもあったのでしょうが、以来すっかり福岡のファンになり、完全に取り憑かれてしまいした。

 

あちらこちらで福岡を宣伝したからだと思いますが、今から十数年前に、『東京福岡県人会』に入会が許されました。

いただいた会員証には、『福岡県人会は、あなたが福岡県を愛し、その発展を心から願うものと認め、会員証を発行する』と記載されております。

厚かましくも、私は、福岡がふるさとだと思っております。

 

そんな私ですが、少しは節度があるつもりです。

福岡を出て、こちらで暮らす方のふるさとを思う気持ちと同じだなんて、とても申せません。

ですから、会員規約にある『あらゆる機会に福岡県をPRし、自分との絆を深めるよう努める』ことは自覚しつつも、県人会には、年1回の総会懇親会に参加させていただくに留めているのです。

写真 1

そして例年とおり5月下旬の木曜日に、総会がありました。

来賓としてお越しいただいた知事から、最近のふるさとの情勢が説明され、多くのご来賓、協賛された方々の紹介の後、郷里から駆けつけた親善大使やゲストによる数々の発表があり、席について2時間経過したころ、いよいよ喉の渇きを潤し、ふるさとを語り合う時間がもたらされました。

短い時間?したが、とても良いですね。本当のふるさとがあることはとても良いことで、羨ましくなりました。

 

毎回この場では、肩身の狭い思いがいたします。

 

そして、お楽しみは、ふるさと福岡がぎっしり詰まったお土産です。『FUKUOKA』と描かれたお土産袋を持って電車に乗ってるときだけは、なんか優越感を持つ自分があります。

 

この気持ち、バカですが、ふるさとをお持ちの方々には、馴染めないのではないでしょうか?童心に帰ったとは、こんな感じ?と思ってしまいます。

 

今年は、きさらぎ法律事務所が法人後援会に登録されている『アビスパ福岡』が、現在のところまあまあの感じであることも、気分良く帰路につけた理由でもあります。

写真 2

 

 

アビのマスコットも、福岡から来てくれました。

 

 

川森社長様には、いつも遠い関東のアウェイの試合にも、私どもと一体になって応援していただいており、前社長ともども有難いことです。

 

ふるさと?に感謝のひと時でありました。たまには、肩の力が抜けた話題もどんなもんでしょう。

2015年のアビスパ福岡に寄せて

2015年5月13日
ゴールデンウイークも終わりとなった5月9日、久しぶりにサッカー観戦をしました。

きさらぎ法律事務所が、法人後援会に登録されているサッカーJリーグディビジョン2に所属する福岡市をホームタウンとする『アビスパ福岡』の試合が、この日宇都宮市でありました。

栃木SCとの試合のほうは、0対0の引き分けで、両チームとも、ご苦労さまでした。

アビスパ福岡は、もともとJ1におりましたが、最初のころは、「落ちそうで落ちない」と言われ、ついでJ1とJ2を行き来し、それから何年周期で再びJ1に昇格するが、1年で直ぐに降格し、このところは、すっかりJ2に定着した感があります。

あまりファン、すなわちサポーターが増えない悩みをここ数年抱えておりましたが、前前社長、前社長、そして前監督を含めたスタッフサポーターの努力で、今年は地元の企業、そして資金力ある企業の応援を得られ、元日本代表主将井原正巳氏を監督に招聘でき、ここまでは、まあまあの成績を維持しているものであります。

新しく応援してくださる皆様には、誠にありがたいことであります。

ただ、資金難で2年間債務超過、ゆえにライセンス返上となって、Jリーグ退会、廃部の危機にも陥ったチームを、どん底から救ったのは、その当時の関係者、そして地元企業、さらには同じJリーグ所属クラブのサポーターたちでした。

特に博多明太子の売上金を全額寄付した企業と、この姿勢に全国のサッカーファンが共鳴協力してくださったことは、決して忘れてはならないと出来事でありました。明太子がチームを救ったとも言えます。

また、チーム存続の危機が報道されたとき、他チームからのオファーを断って、先頭に立って各方面に支援をお願いした選手あってこその今日だと、宇都宮での試合を観戦して、しみじみ思いました。

我々の社会では、苦しい局面に陥った人や団体を救えるかどうか、とても大事なことだと思います。
でも悲しいかな、苦しい、ドン底に陥った者をあえて、わざわざ手を差し伸べようとする姿勢は、なかなか見られないと感じます。
よく勝ち馬に乗るなんて言われますが、人間自分にブラスとなる選択をするのでしょう。どーせやっても無駄だよは、選択しづらいものがあるのでしょう。

さて、アビスパ福岡は、支援されるだけの魅力があったのだと思われます。
応援してくださった方々は、落ち目の団体だとか、無駄なことだとなんて考えもしなかったのです。
私なんぞが論評するのもおこがましいですが、ただひとつだけ言えることは、スポーツが結んだ縁、勝ち負けの世界であっても、それだからこそ、相手が苦しいときには応援しようとの思いがあったのではないかと言うことです。

いつかサッカーJリーグが推奨する『リスペクトの精神』を申し上げました。
感謝する気持ち、それは自分にとって目には見えない実感が伴わないものかもしれませんが、何と無く『仲間』を放っておけない行動に駆り立てるのかもしれません。

私は、事件の相手方をこれでもかと叩くことは絶対にいたしません。

自分の依頼者が苦しかった、紛争を抱えていたと言うことは、相手方だって苦しかったはずです。

苦しい状況の人を助けられるか、それはとても難しいことです。

ただ、アビスパ福岡に関係する方々は皆、助けてもらった恩は忘れないでしょう。

こうして見ると、競争し、強い社会を作ることよりも、多くの人は、優しい互いに共存する社会を望んでいるのだと考えさせられるのです。

 

春の陽気に誘われて

2015年3月28日

このところ本格的な春の暖かさが感じられ、汗ばむ陽気となっています。

通勤電車では、息が詰まるようです。そして関東地方では、遂に春一番が観測されませんでした。

春一番とは、北海道、東北、沖縄を除く地域で、節分から立春までの間に、その年初めて吹く南寄りの強い風のことで、関東地方の記録としては、今年は、2000年以降2回目の観測なしの年だそうです。

 

そして立春となった3月21日、九州では、桜の開花宣言が出されました。

3月と言えば桃の節句、ひな祭りですね。女の子の健やかな成長を祈る節句の行事です。写真1 H27.03.23

 

桃の節句と言われるのは、江戸時代から節句とされた3月3日に行なわれたところ、明治となってグレゴリオ暦となって旧暦の3月3日は4月となったものの、3月3日は、寒冷地では積雪等が残ってお祝いができず、依然として4月にお祝いをする、

そのとき桃の花が咲き乱れることから桃の節句と雛祭りが重なることになったのでした。 雛祭りは、全国各地それぞれに歴史伝統を承継し、趣向を凝らした独自のお祝いがあります。

 

特に九州では、数年前から、『雛の国九州』と言うキャッチコピーで九州全体が協力して雛祭りをお祝いし、また観光客にあったか九州を知ってもらう機会として、アピールしているようです。

このブログのカテゴリー『よかとこ九州』でも、かつて天領日田のおひなまつり、柳川の雛祭りさげもんめぐりをご紹介しました。

とても綺麗ですよ。3月中は、町中雛人形を目にするので、きらびやかな感がいたします。

この時期、私が宿泊したホテルにも、雛壇が飾ってありました。 雛祭りの時期が終わって4月になると、入学式です。新年度が始まります。

 

私が小学生のころは、『桜の木の下での入学式』がキャッチフレーズでした。

これも地球温暖化の影響からか、年々桜の時期が早まり、入学式のころは、都内では、もう桜は終わっていることが多いです。

 

3月から4月、日本国中別れと出会い、新旧切り替え、旅たちと巡り会い、ひとつの節目を感じる季節です。皆さんは、どんな春を迎えられましたか?

 

西郷さんに教えられて

2015年2月27日
 鹿児島の男性に対する褒め言葉は、『せごどんに似とっと』だと聞いたことがあります。

せごどんとは、西郷隆盛さんです。

子どもたちは、上野の西郷さん像が印象強く、西郷隆盛さんが薩摩すなわち鹿児島ご出身だと知らないようです。

西郷さんがバカな弟子たちに、『おいどんの命、おはんらに預けた』と言って、『政府にただす筋これあり』の蜂起をしたのは、明治10年2月15日、鹿児島が60年ぶりの大雪となった朝でした。

そして西郷さん一行は、懐かしい故郷鹿児島の城山に戻り、最後のときをむかえたのです。
前夜、西洋事情に詳しい村田新八が中心になって皆が歌った『ラ・マルセイエーズ』は、西郷さんをして、別れではなく、勇気を与える歌なのだと言わしめたものです。

春は、別れと出発の季節です。写真 4  27.02.25

卒業式等では、『蛍の光』が歌われますね。『蛍の光  窓の雪………開けてぞ今朝は、別れ行く』で、別れの歌といわれます。

ただ、原曲であるスコットランドの『オールド・ラング・サイン』は、別れを意味するものではありませんでした。この辺り、あるいはNHKの『マッサン』で放映されるかもしれません。
家の近くのあるスーパーでは、営業終了時刻になると、蛍の光が流されるので、蛍の光の重みを感じなくなってしまいました。

西郷さんたちが、最後の夜、勇気を与えると評したフランス国歌を歌ったと言うのは、別れは次の再会を約束し、決してこれで終わりではないと思ったのではないでしょうか?

蛍の光も、原曲がそうであるように、

この場では一旦別れるけれども、また会おう!それぞれが大きくなった姿を見たいねと言う約束の歌と思えます。
写真 1写真 2-1



そんな思いで鹿児島空港にある足湯に浸かりました。

西郷さんが、『おやっとさん』(お疲れさん)と労ってくれたように感じました。