今月いよいよ新幹線が北海道に入ります。道内では、いろいろなイベントが行われ、また、東北や関東の都市の『ゆるキャラ』さんをお迎えして、ともにアピールする姿を見かけます。
ただ、北海道と言っても、道南に限られ、新函館北斗駅が、函館市から離れていることや、札幌方面には、特急電車を乗り継いでも相当な時間を有するので、便利さと言う面では、新新幹線は、まだまだこれからとなりましょう。やはり北海道に入る代表的な方法は、航空路です。 私にとっての北海道の玄関口と言えば、新千歳空港です。これまでこの『ひとりごと』でも何回か取り上げましたが、私がいちばん好きな空港でもあります。
新千歳空港は、もとは航空自衛隊と民間航空機が共用していた千歳飛行場が、利便性と安全性の観点から、隣接地に3.00メートルの滑走路を並行して2本有する日本で最初の24時間航空機の離発着が可能な空港として、昭和63年に開港された北海道内最大の空港であります。そして、国内では珍しい黒字経営がなされている空港でもあるのです。
新千歳空港の年間利用者数は、羽田、成田、福岡についで4位ですが、単一路線としては羽田線が世世界一の旅客数であることは広く知られております。それ以外にも、『日本一』や『日本初』あるいは『日本最後』が、この空港が記録しているのです。今日は、少し時間があったので、いつものサッポロクラシックを浴びるように飲みことはやめ、空港内を探索しました。
すると、空港内3階に、『イベントホール翔』と言うコーナーがあって、そこには、新千歳空港の歴史が展示されていました。
この空港は、大正15年10月22日千歳村民の労力奉仕により10haの着陸場が完成し、ここに当時『北のウォール街』と呼ばれた小樽から、小樽新聞社の『北海1号機』と名付けられた飛行機が着陸したのが最初で、昭和9年10月28日に『千歳飛行場』の竣工式が行われたのです。戦時下にあっては、海軍の飛行場となって、終戦により連合国軍に接収され、昭和34年7月に、この飛行場は防衛庁に返還されました。この歴史から、航空自衛隊千歳基地である千歳飛行場が生まれたのだと知りました。
現在でも千歳基地となっている千歳飛行場と新千歳空港は、誘導路で繋がっていて、相互に行き来可能であり、管制も一括して航空自衛隊が行なっていることは、よく知られております。 さて、日本一、日本初のお話です。戦後民間航空が再開されたのは昭和25年ですが、千歳と羽田の間に、日本航空が就航したのが最初です。日本航空が、国内初のジェット旅客機を就航させたのも千歳と羽田でした。また、『ジャンボ機』として知られたボーイング747の初就航も、千歳羽田間であり、そしてジャンボ機最後の国内線発着となったのも、平成26年3月30日、全日空羽田発新千歳空港着便でありました。
羽田新千歳間が、世界最大の旅客数であることは有名ですが、平成18年には、単一路線では羽田線が、世界で初めて年間利用者数1.00万人となったそうです。そして、新千歳空港に絡んだ深刻な航空機事故は起きていないことが、この空港を利用する者に、安心と喜びを与えます。ところが先月、日本航空福岡空港行きボーイング 737型機からの緊急脱出の際、シューターから降りた乗客数名が怪我をした『事故』が起きてしまいました。ちょっとだけ、残念な気持ちで空港内を歩きました。 そしたら、思いもよらぬものを発見しました。私は音痴ですが、それでも誘われれば、カラオケをすることはあります。まだ30代のころ、連れて行っていただいたすすきののお店では、何回かお姉さんに相手していただいたあの名曲の歌詞碑があったのです。
私は、演歌は好きです。福岡で司法修習生をやっていたとき、作曲家浜圭介さんが、ラジオ番組に出ていて、ひとりの女性歌手について紹介していました。ハスキーボイスのこの女性、大阪を舞台にしたデビュー曲からヒットを飛ばし、私は、とても好きな歌手でした。コンサートと言えば、50歳にして覚えたコブクロを除けば、五木ひろしさんに1回、そしてこの女性歌手のコンサート、今は無くなってしまいましたが、当時は、きさらぎ法律事務所近くにあった新宿の厚生年金会館に行って聴きました。今は……。 かれこれ30年くらい経ちましたか。
今でもデュエットの名曲、大阪では『ふたりの大阪』、東京なら『銀座の恋の物語』、そして札幌ならこれです。夜の札幌と北海道を離れる空港を舞台にした浜圭介さんとのデュエット『北空港』 北空港の歌詞碑は、飛び立つ航空機を背にして、高さ2m幅0.9m、ボタンを押すとメロディが流れ、色とりどりの照明が歌詞を照らす仕組みです。
私もボタンを押して、飛び立つ航空機を眺めました。この歌詞碑は、平成16年7月24日に設置され、除幕式には、浜圭介さんとこの女性も出席したそうです。この碑は、もともと空港のセンタープラザに設置されていたところ、2010年ころから始まった新千歳空港の改修工事により、現在の3階フードコートに移動されたと言うことです。
私は、サッポロクラシックにありつくため、何回もセンタープラザにあるエスカレーターを使っていたわけですが、全く気づきませんでした。そして、現在の場所に移動したわけてわすが、この間『事件』は起きたのです。覚せい剤取締法違反で逮捕勾留され� �有罪 判決を受けたことにより、歌詞碑から、女性歌手の名が消えたのです。 デュエットですから、浜圭介さんの名だけ残っているのはどうか、あるいは、歌詞碑自体撤去すべきだとの意見もあったそうです。
ビルを管理する北海道空港株式会社は、『唄•⚪️⚪️⚪️&浜圭介』の部分を、浜圭介さんの了承を得て削除したのです。このときの浜圭介さんのご様子について、この歌詞碑が残ることに、ホットされていたと語られています。この女性歌手、日本から離れましたが、昨年韓国当局に逮捕され、覚せい剤取締法違反で実刑判決を受けたと報じられましたね。残念としかいいようがありません。
でも、『北空港』は不滅です。甲子園歴史館が、覚せい剤取締法違反の被疑者となった元高校生甲子園ホームラン記録の持ち主のバット等を撤去したことについて、この『ひとりごと』でも触れました。新千歳空港の『北空港』の歌詞碑、こちらは、撤去されていません。でも、久しぶり?の好天に恵まれた新千歳空港で、離発着の風景が見れる場所に設置されているこの歌詞碑、周囲には、飛び立つ航空機を眺める多くの人がおりますが、こちらには、誰も見向きもしませんでした。私は、ボタンを押して、最後までこの名曲のオルゴールによるメロディを聴きました。やはり新千歳空港は、こころに何か訴えるものがあるように思いました。