盛り上がらなかった福本悟の地元駅に、『新幹線新駅開設運動!』

2016年3月7日
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先日、静岡県沼津に行って来ました。

 

沼津市は、静岡県東部最大の都市で人口約21万人、商業都市として知られております。でも、私にとっては、魚の町です。特に駿河湾で捕獲される深海魚は、その博物館があるように、沼津港の象徴です。

 

春になると、桜えび、しらすが堪能できます。これらを盛った『こぼれ寿司』が有名ですね。でも、残念ながら、魚とビールの時間はなく、新幹線でアタフタと帰ってきました。

 

ところで、新幹線は、沼津駅を通りません。ひとつ東京寄りの三島駅に停車します。三島市は、西伊豆の入口で水の都とも言われ、主として観光に力を入れている人口約11万人の中核都市であります。

 

同じく西伊豆へ、車で向かうためには、東名高速道路は沼津インターでおります。沼津は、御殿場線が出ていて、以前は、小田急新宿駅からJR東海と相互乗り入れする特急『あさぎり』がありました。

写真 1

なんで新幹線は、沼津ではなく、三島に停車したのでしょう。 東海道新幹線は、東京オリンピックの開催に合わせて開通しました。当初は、東京新大阪間を3時間以上かけて運行されておりました。そのときは、三島駅はありませんでした。

 

そういう意味では、静岡県内の新富士駅、掛川駅は、開業時にはありませんでした。三島駅近くには、新幹線の車両基地があって、車両の出し入れが行われること、西伊豆や静岡県東部へへの利用客を見込んで、「新駅を」の動きが出たと言われます。

 

でも、新幹線は、もともと沼津駅を通りません。それが形式的な答えです。しかし、そもそも沼津駅には、新幹線の線路を設けることができない事情がありました。いずれも地形の問題と言われます。新幹線は、新丹那トンネルを通りますが、沼津駅に線路を向けるとするなら、トンネルをて出たところで大きくカーブせざるを得ず、そうすると、新幹線は、速度を相当落とすことになることがひとつ。

写真 2

もうひとつの理由は、『沼津』の名のおとり、沼津駅周辺は、柔らかい地盤となっていて、工事に費用と時間を要するところ、それでは東京オリンピックに間に合わない可能性が指摘されたからです。つまり、もともと沼津駅には新幹線は通らず、決して、『沼津対三島』ではなかったと言うことなのです。

 

新幹線三島駅は、東海道本線の三島駅から少し離れています。それは、開業当時には、三島駅に新幹線を停車させる予定がなかったことを意味します。

 

熱海駅からみれば、両隣となる小田原駅、三島駅には、わずか数分で到着します。速さを求める限り、新駅には、消極的になるのはわからなくはありません。でも、利用する人はいるものです。以前この『ひとりごと』で、裁判所の管轄についてお話しましたが、静岡県東部、沼津市、三島市のみならず、たとえば熱海市、御殿場市などの土地管轄は、沼津なのです。

 

以前は、新宿から『あさぎり』を利用できましたが、これが無くなって、沼津に行くには、新幹線三島駅から、乗り換えをせざるを得なくなったのです。 三島駅は、隣接する沼津市が、静岡県東部の中心とされることで、また、西伊豆への入口として、新幹線の駅の需要はあると思います。

 

先ほど申しましたように、掛川駅は、新幹線の線路がそこを通っていたゆえに、新駅が後で開業したのかもしれません。同じように、山陽新幹線には、厚狭駅がありますが、ここも、山陽本線の駅の横を、新幹線の線路が通っておりました。

 

 

そういう意味では、東北新幹線には、『久喜駅』が将来できるかもしれません。これと『逆』なのは、九州新幹線が通らなかった佐賀県鳥栖駅ですが、鳥栖駅を出た長崎本線と、九州新幹線が交錯する場所に、長崎本線の『新鳥栖駅』が開業したことでしょうか。

 

私は東京都大田区で子どもは時代を過ごしました。近くに東急池上線『御嶽山駅』がありました。その下を、東海道新幹線が通過していました。

 

鉄道少年だった私は、「新幹線を御嶽山に止めよう!」と音頭を取ったことを覚えています。誰も賛同してくれませんできたが、学校の先生からは、「なかなかユニークな発想だ」とお褒めの言葉がありました。そんな昔を思い出しつつ、新幹線三島駅から帰るところです。