3月5日は啓蟄を迎えました。春の暖かさを感じ、土の中で冬ごもりしていた生き物たちが、目覚めるころと言われます。 この日、日本列島は、軒並み気温が上昇し、九州では20℃を超え、東京あたりで例えると、ゴールデンウイークころの陽気となったようです。雪解けの雪崩、大量の花粉の飛散等に注意を要します。 気象庁は、1953年から、季節の移り変わりを動植物の様子で見る『生物季節観測』を続けていますが、温暖化、都市化の影響で、身近な生き物が見られなくなっているのです。気象庁が、全国規模で観測の対象としていたのは、トノサマガエル、チョウや鳥等の生き物が11種、タンポポやサクラ等の植物が12種だそうです。ですが、トノサマガエルは関東地方、九州福岡市でも見られなくなり、ホタルは外されたようです。その福岡市のアイランドシティにある体験学習施設で、日本では最大級とされるオオゴマダラと言うチョウが羽化したと報じられていました。 福岡市東区にあるアイランドシティは、人工島ですが、その上空を福岡空港に着陸する航空機が飛行します。最終の着陸態勢に入っていて、約2分で着陸します。ちなみに、3月5日は、『スチュワーデスの日』でもあります。スチュワーデスなる言葉は、男女雇用機会均等法の施行により、客室乗務員、すなわちキャビンアテンダントに変わったわけですが、スチュワーデスが日本に初めて誕生したのが、1931年3月5日だったからであります。でも、記念行事が行われている様子はないようです。 こんな話題を書きましたのは、3月5日、私は、羽田空港から福岡空港へ向かったからであります。でも、航空機に詳しい人にとっては、3月5日は、ひとつ忘れらない出来事があるのです。 それは、昭和41年3月5日、英国海外航空機(BOAC)の富士山麓上空で起きた空中分解事故でしょう。この前日3月4日には、濃霧の羽田空港への着陸に失敗、炎上して多くの死傷者が出たカナダ太平洋航空機の事故があったばかりでした。以前この『ひとりごと』にも書きましたが、1966年昭和41年は、当時小学生だった私にとって、とても怖かった『5連続航空機事故』が発生した魔の年でもありました。 航空機が空中分解するなんて…。想像を絶することだと思います。BOACのボーイング707型機は、当時ロンドンを起点に、世界の富豪たちを乗せて、世界周遊の途についておりました。ホノルルから香港に向かう途中、3月4日夕刻に、羽田空港に立ち寄る予定だったわけですが、例の濃霧のため着陸を断念、予定を変更して福岡空港に着陸、一夜明けた3月5日、羽田空港に立ち寄り、約20時間遅れて香港に向けて離陸したのです。そして、富士山麓御殿場市上空高度4.500mを有視界飛行中、乱気流に遭遇して、翼が分断されるなど、機体は空中分解して落下した事故がこれです。 この事故は、当時から計器飛行が行われていたのに、あえて機長は有視界飛行に切り替え、しかも、もともとの伊豆大島上空を経由せず、あえて富士山近くを経由する航空路の許可を得たのは、日本のシンボル富士山見たいと言う世界の富豪たちの希望を容れたからではないかと取り沙汰されました。民間のジェット機としては、かなり低空を飛行していたこともあって、好天の中、多くの目撃者がありました。空中で機体がバラバラとなり落下した様は、さぞかし驚いたことでしょう。しかし、事故原因、すなわち空中分解した原因が判明したのは、数年してからでした。 BOAC機が乱気流に巻き込まれたであろうとは、初期段階から指摘されていました。しかし、乱気流の原因が、富士山周辺で、快晴の日に発生する『山岳波』と言う乱気流であり、その中でも極めて特殊な力が作用した『剥離現象』がもたらしたものと確定したのは、1970年気象庁気象研究所の発表まで、調査が待たれたのでした。 山岳波は、富士山のような孤立した高い山の風下が特に強く、その影響は、標高の5割増の高さまで及ぶとされます。そのため事故のあった日は、南側の高さ5.800m以下の飛行は危険とされる計算です。これまでも、富士山麓では、ヘリコプターや自衛隊機が墜落したことがありましたが、旅客機による上空通過は、問題視されておりませんでした。 ところがこの日は、中国大陸からの強烈な季節風の影響で、従来の予想を超える山岳波が発生し、ボーイング707の設計荷重を遥かに超える重量がかかって、垂直、水平安定板が破損、主翼やエンジンまでが脱落して、最後にはきりもみ状態になって、墜落に至ったと結論つけられたのです。 この事故の教訓は、パイロットの間に、「晴れた富士山には近づくな」の合言葉になって、踏襲されているそうです。富士山は、孤立峰のため、もろに山岳波が発生するところ、大気が湿っていれば、他に雲が出て、雲の間から様子を知ることができるけれども、快晴のときは、肉眼では発見できないからと言われるのです。 ですから、富士山の北側を通過する航空路はありますが、南側は、富士山からかなり離れていなければ乱気流、すなわち山岳波に襲われる危険があるため、相当外側を通っています。西から、特に九州から羽田空港に進入するのに、通常は、大島上空を通過して、房総半島をくるりと廻って千葉県側から着陸態勢に入る理由がわかりました。それでも特に危ないと機長らが判断したときは、大島より更に南の八丈島あたりまで、周遊することもあるようです。 富士山は、確かに大きくてきれいです。 特に冬か春にかけて、空気が澄み切っている時期は、冠雪もあり、絵になる日本の風景です。でも、富士山に空から近づくのは危険なのです。美しいものにはなんとかと言われますね。さて、今日3月5日は、とても暖かい日で、雲の上は晴れていたようです。羽田空港から福岡空港に向かうとき、富士山の北側を飛行します。左手に富士山がみえるはずです。昔、航空機の中で、「左手に雪を被った富士山がご覧いただけます」とキャビンアテンダントのアナウンスがあったことを覚えています。 スチュワーデスの日の今日は、BOAC機の事故の日でもあります。機内では、真ん中の席でしたので、私の席からは富士山は見えませんでしたが、富士山……のアナウンスがなかったのは、今日と言う日が、航空関係者には、忘れてはならないとても重い日だったからではなかったかと考えてしまいました。そして到着した福岡空港もまた、よい天気でした。