昔鉄道少年だった私は、蒸気機関車を追い、また、ループ線やスイッチバック等の特殊な路線には、かなり興味がありました。 スイッチバックは、箱根登山鉄道でも見ることはできますし、ループ線も、北陸本線敦賀新疋田間や、上越線の土合土樽間にもあります。ただこのループ線は、トンネルが絡んでいて、あまり山登りの実感がないと思います。山を回っている感じがするのは、肥薩線の通称大畑ループ線です。ここにはスイッチバックもあり、私は、司法修習生として福岡市に住んでいたとき、見に行きました。今では、観光列車も運行されているのです。 スイッチバックやループでなくても、峠越えはあります。急勾配を登ることで有名なのは、旧信越本線の碓氷峠、すなわち横川軽井沢間でしょう。この『ひとりごと』でも何回か取り上げました。それと、『峠』と言う駅名もある奥羽本線板谷峠と合わせて、かつて日本の旧国鉄三大勾配区間と言われたのが、通称『セノハチ』広島県内にある山陽本線八本松瀬野間です。今日はセノハチのお話です、 この区間10.6kmは、瀬野駅から八本松駅に向けて22.6‰の急勾配で、上り列車には、補助機関車を連結して、連続した急勾配を走行しています。 ただし、平成になってからは、貨物列車のみが増結の対象で、しかも、八本松瀬野での連結切り離しではなく、広島貨物ターミナルと八本松駅の先、東広島市の中心西条駅で、これが行われているようです。これは、通勤電車にも、セノハチの通過に支障のない動力を備えた車両が、投入されたからです。 私は、子どものころブルートレインこと、夜行寝台特急列車によく乗車しました。東京からは、九州山口に向かって、さくら、みずほ、はやぶさ、富士、あさかぜが運行していました。 歴史好きな私は、吉田松陰先生の出身地萩、原爆ドーム厳島神社のある広島、源平と維新の地下関等に行くため、よくブルートレインに乗りました。ちょうどセノハチを通るころ夜明けとなり、周囲の山々を眺めたことを覚えています。このセノハチは、増結した機関車から飛び降りたとして、トラベルミステリーにも登場したことがあります。 現在ブルートレインは廃止され、私も、広島や山口に用があるときは航空機を利用しますので、セノハチを通ることはありません。むしろ『裏セノハチ』とでも言うべき区間を何回も通ったことがあります。 広島空港が、平成5年に県内東部の本郷町、その後平成の大合併で三原市に組み込まれました山間地区に移り、広島市内に行き来するには、山陽自動車道河内インターから出入りする必要が生じたからです。 そして、空港のある河内インターのある三原市から、西条町のある東広島市を経て広島市内に通行するとき、西条インターと志和インターの間が、道路のセノハチであります。こちらも、東広島市の八本松、広島市安芸区の瀬野と同じような地形となっています。ここを、広島空港と広島市内を往復するため、リムジンバスに乗車するのです。 広島の場合、空港と市内は、結構あります。高速道路が開通する前は、鉄道は難所で、八本松瀬野で機関車を付けて外す作業もあるように、ここから広島市は遠いのです。 さて、この山陽自動車道の八本松瀬野間に相応する西条インター志和インター間にある『八本松トンネル』で、交通事故が発生しました。トンネル内に渋滞中の車両に、後方から車両が突っ込んで火災が発生し、死傷者が出る惨事となったと報じられています。 トンネル火災は、東名日本坂トンネル事故が記憶に新しいです。また、高速道路のトンネル内の事故と言えば、中央高速笹子トンネル天井崩落事故を思い出します。なんでこのような惨事が起こるのでしょう。笹子トンネルの事故は、ここを通行した車両には、どうしようもなかったことですが、他の交通事故も、同じ原因をよく聞くのですが、止まるべきとき、減速すべきとき、これを怠ったことが、事故に結びつくケースがあります。 特にトンネル内で渋滞が発生すると危険です。今回の八本松トンネル火災事故も、トンネル内は渋滞していたようです。先に申しましたとおり、西条インターから八本松、そして瀬野地区になる志和インターまでは、広島市に向かって下り坂となります。先般の軽井沢スキーツアーバスの事故ではありませんが、下り坂のスピードは、要注意ですね。 まだ八本松トンネル火災事故の原因は、確定していません。昔鉄道が懸命に、また注意して走行レール上を走行していた近くに並行して、高速道路が開通しました。鉄道とは違うとは言え、やはり運転手は、この辺りは緊張して走行しているのだろうと思っています。高速道路は便利かもしれませんが、『レール』に乗らない点で、各自のマナーに任される部分はあるのでしょう。 『乗客』となった運転手は自己責任であり、また、他人にも影響を与える立場です。高速道路は怖いなと思えました。 さて、この『ひとりごと』にセノハチを思い出しつつ、八本松トンネルの事故に言及したのは、事故の翌日、私は急遽、『あの場所』を通行する必要が生じたからです。広島空港から広島駅まで空港リムジンバスを利用する用事があるのです。 事故により通行止め、リムジンバス運行停止の情報を聞きながら、この『ひとりごと』を書きました。 事故に遭われた皆さま、お見舞い申し上げます。