幕末から明治維新を語るとき、好き嫌いは別として、島津氏の薩摩藩、毛利氏の長州藩を無視することはできないでしょう。
島津氏も毛利氏も、関ヶ原では西軍となったため、徳川幕府となって、大きく領地を失いました。ただ、島津氏はもともと薩摩、すなわち鹿児島県ですが、関ヶ原の後、防長2ヶ国となった毛利氏は、もともとは現在の山口県ではなく安芸の国、すなわち今の広島県の出です。ですから、戦国時代を舞台とすると、毛利氏は、広島県のイメージで語られるのだと思います。
『三本の矢』と言えば何を思い出しますか?そうです。アベノミクスの3本の矢です…でしょうか?
矢は放つ性質のものですから、発動したとか、実行した等と言われることがあります。たとえ実行されていなくても…。私は、アベノミクスの3本の矢は、難し過ぎて理解できません。
もっとも、理解しようとしないと言われたこともあります。
その1、大胆な金融緩和、
その2、機動的な財政出動、
その3、投資を喚起する成長戦略
だと言われます。
これは就活生には不可欠な知識なのだそうです。 私でも、ひとつだけわかることがあります。この『政策』は、デフレの脱却を意図していることです。それは、その1で、異次元と称される金融緩和、すなわち、日銀が、市場にジャブジャブと金を流し混んだことです。物の価値が低いから投資や消費が起きない、景気が悪いと言うわけです。
世の中にお金が出回ると、企業や家庭にーー例えば銀行が貸し付けするなどしてーーお金が渡る、みんながモノを買う、つまり消費が起こると良い物が出回り、競争も起きて物価も上がるだろうと帰結されます。 長い間のデフレ?に変に慣れたのか、私は、この冬のガソリン、灯油の低価格を経験して、そもそも「デフレって悪いの?」と考えてしまいました。悪いのは、多くの国民が感じる不景気であって、そのように感じるのは、格差が進行しているからです。
灯油を買えて、投資ではなく、凍死しなかった家庭はあると思います。それに、つとに株価の上昇が、政権側から声高に言われますが、株なんてやれる人は、お金と余裕のある人です。庶民派?の私なんか、株はやったことはありません。それに、株価の上昇は、その性質上当然期待値が含まれているのであって、実際の経済情勢を反映しているのではありません。つまり、お金持ちの期待に乗るかたちで発動されたわけです。 その2の財政出動は、ある意味昔の自民党に戻った感はあります。市場に流れたお金を使ってもらうと言う建前で、聞こえの良いインフラ事業が続々出で来ました。昔土建屋が儲かる公共事業なんて言われたことがありますが、確かにダムや道路、整備新幹線、果ては原発再稼働まで、民主党時代はもとより、躍起になった『小泉改革』より前の時代に先祖かえりした感じです。
でも、公共のためと言うなら、少子高齢化社会に沿った事業に、早々と予算を計上し、お金をかけるべきでしょう。ところが好収益、つまり儲かった企業はどんな業態でしたか?私は、経団連をはじめとする名だたる経済団体に名を馳せる企業に、福祉や教育、医療介護方面を見たことがありません。多額の法人税の減税をした上、『政策減税』まで受けたベスト何かの企業の名前は、この『ひとりごと』でも挙げました。少しも『公共』のためになっていないと思うのですが。
改正された派遣法、あれは雇用の安定になるんだそうです。賃上げも…。 ここまで来れば、その3、成長戦略なんて、聞こえ倒れですね。新しい起業をし、女性、高齢者等どんどん登用して、世界に通じる新たな業態を生み出すのだそうです。でもねえ~。政府与党の本音は、女性の役割はなんでしたっけ?終末医療にお金をかけることって、よかったかな?高度経済成長期ならともかく、少子高齢化社会に根本的に合わないと考えるのは、私だけではないと思いますが。
仮に『うまくいく』ところがあっても、結局は、庶民には『好景気』は実感できない仕組みに絡め取られています。消費税が上がりましたから、労働者の実質賃金が上がらないのでは、消費は起きない、公共事業と言い、資材と人材を要するところとなっても、同時に起きた円安により材料価額があがり、人手不足なのに賃金を上げることができず、良い物が適切な価額で市場に出ず、投資も起きにくい、これを内包しています。 『三本の矢』、これは良い言葉ですね。これに乗っかったのかな?
でも、もともと『三本の矢』は、何かを積極的に行うと言う意味ではありません。この言葉は、戦国大名毛利元就の『三子教訓状』から、後の世の人が、『毛利元就の三矢の教え』を創作したと言われるのです。三子教訓は、子の毛利隆元、吉川元春、小早川隆景に対し、毛利本家の結束を求めたもの、具体的には、毛利家を快く思わない者がいるから、兄弟仲違いすると、毛利家は滅亡するとの戒めを説いたものです。
これが1本の矢は折れる、しかし3本の矢は折れないの逸話に繋がります。いずれにしても、カッコつけや新しいことに突き進むことを求めるのではなく、まず身内足元を固めること、力を合わせて『目的』を実現することを求めるものです。戦国大名である毛利元就は、天下を狙いませんでした。毛利家、そしてその領民の安全安心が目的だったのでしょう。
現在日本国憲法のもと、政治を託された者は、国民のために、その安心安全のために、自己を律する立場です。アベノミクス、なんか自己満足に聞こえます。国民の安全安心が目的ではないように思えてなりません。 さて、私が、『3本の矢』について書いたのは、毛利元就の里、広島県安芸高田市吉田町に来たからです。
毛利家は、山口県ではなく広島県だと知ってはおりましたが、この山間の町に、決して目立たず、格好に囚われず、天下を望まない、変な野望もなければ、自分がいちばんなんて思っていない地味な、知る人ぞ知る毛利元就の足跡を感じたからです。
毛利家が収めた長州、山口県ご出身の方もまた、『3本の矢』はお好きですが、さて、毛利元就との評価は、『歴史』が決めるのでしょうね。