NHK大河ドラマ『真田丸』、いよいよ『犬伏の別れ』です。

2016年9月2日
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NHK大河ドラマ『真田丸』は、いよいよ最大の見せ場『犬伏の別れ』が放映されます。


歴史通の間では、広く知られた場面ですが、その意義評価、特に真田昌幸の真意に関する捉え方は様々で、栃木県佐野市にある『犬伏』ですが、実際どこで『別れの話し合い』がなされたかも、複数説が分かれているのです。ただ明らかに言えることは、この場面、登場人物は、真田昌幸、真田信之(信幸)、真田幸村(信繁)の3名であること、この『別れ』の結果、3人それぞれの運命、真田家のその後が決まったと言う事実です。

少しおさらいしましょう。

犬伏の別れは、関ヶ原の戦いの直前になされています。太閤豊臣秀吉が死去後、遺児豊臣秀頼を盛り立て、忠誠を誓うことになっており、徳川家康もまた、かたちの上では豊臣の臣下でありました。

ところで石田三成を中心とする文治派と、いわゆる7将を代表にする武断派との対立があって、秀吉亡き後の豊臣体制は、一枚岩ではありません。

それは豊臣武士団の分裂を、徳川家康が利用したわけです。きっかけとなったのは、石田三成の朋友とされる直江兼続が、徳川家康に充てたいわゆる『直江状』に憤慨した徳川家康が、直江兼続の主君上杉景勝に謀反の疑いがあるとして、豊臣武士団を引き連れて、大阪伏見から東国に進軍したとき、近江の国佐和山城で謹慎していた石田三成が、反家康の旗を揚げたことが、関ヶ原の戦いに、その前提となる『犬伏の別れ』につながるものです。

真田家は、信州小県郡、現在の上田市を中心に勢力を築いており、もともとどんな巨大勢力にもつかない歴史がありました。

真田昌幸の父幸隆が、そのころ力をつけてきた甲斐の国の武田信玄に惚れ込み、真田昌幸を含む子らとともに信玄の家臣となったことが、真田昌幸そして信幸、幸村兄弟が世に出る契機となったものです。

真田昌幸は、若いころより武田信玄の下で帝王学を学び、長篠の戦いで兄2人が戦死したことから家督を継いだもので、他国の侵略を許さないと言う真田家の伝統と、偉大な軍略家であり、政治家である武田信玄への崇敬の念を併せ持つて、信長秀吉家康の時代を生き、これらと張り合うことになるのです。

これまでの歴史物では、真田昌幸そして幸村の家康嫌いが強く現れていたと思います。この点『真田丸』では、それもそうですが、信玄公に対する尊敬の念と、『あのころ』に戻りたい真田昌幸の思いが強く出ているように思います。


『犬伏の別れ』では、どのように描かれるかわかりませんが、草刈正雄さん演じる真田昌幸は、あのころの夢をもう一度のような、これまでといくらか異なる脚本になるのではと予想しています。

『犬伏の別れ』に関する解釈は様々です。その中で、『通説』とされていたのは、戦国の世をしぶとく生きぬいた真田昌幸は、豊臣徳川どちらの世になったとしても、真田家が存続できるよう我が子をそれぞれに分けて、自らは嫌いな家康をコケにしてやろう、最後の戦国武士の面目を示してやろうと考えたとされているのです。私もこの見解を基本的に支持していました。

これに加えて真田幸村は、上杉家に人質として出されたのに、上杉景勝や直江兼続によりしっかり教育されて幾分恩義を感じていたこと、かつての第一次上田合戦では家康軍を蹴散らし、また信玄公時代には、三方ヶ原の戦いで、家康を追い詰めていて、あの無様な家康の天下など見たくないとの思いが重なっていたと考えていました。

ただ最近では、別の見方があるようです。『真田丸』でもよく現れていますが、大泉洋さん演じる真田信之の正室は、徳川四天王のひとり本多忠勝であり、一時期信之は、家康の配下に入っていて、その政治力、すなわち乱世を終わらせるのは家康しかないと傾倒していた傾向があったのではないか、また、真田昌幸の妻は、石田三成の妻とは親戚関係にあり、真田信繁の正室もまた、石田三成とは親友である大谷吉継の娘であること、すなわち、姻戚関係により必然的に真田昌幸と信繁は西軍、真田信之は東軍に分かれたのだという説です。

さて、草刈正雄さんではなくて、真田昌幸さん、どういたしましょうか?と言うよりも、三谷幸喜さん、まさかいつかあったシーンのように、『くじ引き』ではないですね。

『犬伏の別れ』は、悲愴的な別れと言うよりも、大きな決意を持った新たな出発のときであったでしょう。直接関ヶ原の戦いには影響されなかったとは言え、第2次上田合戦の顛末は、徳川家康の逆鱗に触れ、真田昌幸信繁親子は死罪となるところ、真田信之そして本多忠勝の執り成しで、両名は、高野山への追放となったのです。

そして真田信幸は、信州松代藩を与えられ、これが幕末まで続き、恩田民親、佐久間象山らを輩出する徳川譜代と同格の扱いを受けたのでした。

『真田丸』とは、大坂の陣のとき、真田幸村が築いた砦です。

ただ、この大河ドラマでは、真田丸と言う家族が一体となって船出する姿が描かれているので、おそらく『犬伏の別れ』でも、そのような視点から、家族一体として真田丸の船出、新たな真田一族がスタートするのではないでしょうか。

一族が、敵味方になった事件としては、保元の乱があります。

このとき、勝者となった源氏の棟梁源義朝は、父為義や弟を処刑しました。これが源氏の凋落と、平家の世をもたらしました。


しかし真田一族の決別、『犬伏の別れ』は、それぞれに分かれた真田丸の船出、いわゆる護送船団方式とも言える敵ではあるが、互いに競い合うことで、結果として真田家を残し盛り立てる、さらに繁栄する契機となった特別な『別れ』なのだと思います。


そんな見方をして、日曜日の『真田丸』を見たいですね。