北海道日本ハムファイターズ、栗山英樹監督から学ぶ。

2016年10月31日
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プロ野球日本シリーズが終わりました。セリーグの覇者広島東洋カープとパリーグの覇者北海道日本ハムファイターズの対戦となった2016年のシリーズ、第6戦で日本ハムが4勝目を挙げ、日本一になりました。

 

まず両チームの選手スタッフ、さらにチームを支えたファンのみなさんたちへ、良い試合ありがとうと言いたいです。そして広島東洋カープのみなさん、少し残念かもしれせんが、全力プレーで見ていて気持ちよかったです。お疲れ様でした。

 

さて、日本ハムのみなさん、おめでとうございます。凄かった。全員野球素晴らしいです。お疲れ様でした。 私のように、あまりプロ野球に関心がない人の間でも、今年の日本シリーズは、かなりの盛り上がりを見せたと思います。

それは両チームの力が拮抗していて、勝敗はどう転がるかわからない、本当に名勝負が続いたことが大きいと思います。また、広島東洋カープも、北海道日本ハムファイターズも、かたや黒田投手、かたや二刀流大谷選手が注目を浴びることはありましたが、若い選手やチーム生え抜きの選手が多く、チーム一体感があり、ファンも球場も一緒にやり遂げた感じを受けました。

 

広島市の市民球団、北海道の期待の星、よく似たバックボーンがあったと感じました。 野球に詳しいわけではありませんし、その瞬間をテレビで見てのは、第6戦の8回の表二死一塁からでしたから、試合の評価に関しては、評論家の意見の引用や、ネット上の厳しい投稿?から私なりの受け取り方になってしまいます。全ゲームを通して勝負は紙一重、どっちに転ぶかわからない緊張感ある好試合が続けられたと思います。

 

ネット上の投稿では、両監督の経験の差だとの指摘が結構あるようです。しかし、監督2年目でリーグを制覇して日本シリーズに出場させた緒方監督のチーム作りは凄いですし、栗山監督にしても、評論家から転身していきなりリーグ制覇したものの、臨んだ日本シリーズでは、読売巨人軍に跳ね返され、翌年リーグ最下位を低迷するなど、辛苦の数年だったと思います。

 

この両チームの監督さん、とても好感を持てる方であり、選手も信じてついていけると感じました。 経験と言うことからすると、この先緒方監督には、さらに指揮をとる期間があるでしょう。緒方監督、この先も是非見て見たい監督さんです。さて栗山監督はどうでしょう。この先のことは、ご本人が決められることですが、その異色の経歴は、誰もが知るところであり、栗山英樹氏の人柄が出ているようです。

 

東京都ご出身で、国立大学を卒業、教員資格をお持ちのところ、ヤクルトスワローズにテストを受けて入団、一軍に定着したものの怪我と病氣のため6年で引退し、スポーツジャーナリストを経て、大学教授にもなられた栗山英樹氏、転機は、北海道夕張郡栗山町の観光大使になられたことにあるかもしれません。

 

私財を投じて天然芝の野球場『栗の樹ファーム』を2002年に建設開業したことから、北海道と縁ができ、2012年のシーズンから、北海道日本ハムファイターズの監督となったのです。栗山英樹氏、ご自宅はこの『栗の樹ファーム』のすぐ隣のログハウスで、札幌ドームまでは、1時間以上かけて、自動車通勤をなさっているとお聞きします。

 

日本シリーズには、数々の名場面、勝負を分けた瞬間、流れを読んだプレーや関係者の発言などありました。子どものころに遡って、私もいくつか思い出すことはあります。ただここ数年は、『巨人、大鵬、卵焼き』に反発してきた自分が幾分丸くなり、また、読売巨人軍が、喜ぶべきことなのかはわかりませんが、常勝軍団ではなくなって、次第に野球には関心が無くなりました。

 

ただ、この日本シリーズの栗山監督の言動を見て、日本シリーズの常連、名監督とされた野村克也氏や森祗晶氏が述べていたことを思い出しました。

 

それは短期決戦であると同時に、日本シリーズでは4つ勝てば良い、つまり、3つ負けてもよいのだと言うことでした。 野球評論家と言われる方々は、大谷翔平投手が2勝するかどうか、どちらのチームが第1戦を勝つかが、シリーズ制覇のポイントのように言われました。結果は、大谷投手は0勝、初戦の勝者は広島カープでした。2敗して本拠地札幌ドームに戻ることになった栗山監督、こう言われました。

 

『3つ負けられるシリーズで、先に2つ負けた』。これを聞いたとき、監督もチームも、全然動揺していないなと思いました。4つ勝てばよいのであって、誰で勝つとか、いつ勝つなんて関係ない、また予定が崩れたら、そこは『短期決戦』、7試合の中で、どのように修正していくかが大事と言うのことです。札幌ドームで3連勝して、その勢いのままにと思いきや、第6戦には、もともと2勝が期待されていた大谷翔平選手を出場させませんでした。

 

これは、相手チームにとっては、7戦までやる気だと受け取ったわけで、第6戦の試合前から、かなりのプレッシャーになっていたのではないでしょうか。同点で迎えた第6戦の8回表の二死満塁の場面、4番バッターの後方ネクストバッターズサークルに、大谷翔平選手を立たせてバットの素振りをさせていたのも、無言のプレッシャーを相手投手に与えたでしょう。

 

このチーム、大谷翔平選手だけではありません。しかし、野球評論家を含めて、大谷翔平選手に怯えた結末でした。 第6戦試合終了後の監督インタビューも良かったですね。まず勝った感覚がないと述べられた後、広島カープの健闘、カープファンのマナーに感謝を述べておられました。私もカープファンの素晴らしさを思いました。

 

試合が終わっても、ほとんど席を立つことをせず、日本ハムファイターズの日本一に拍手を送っていました。広島カープ、来年はきっと雪辱するのではと思わせた瞬間でした。やはりスポーツっていいなと思うのです。栗山監督、初年度でリーグ優勝して翌年最下位に、そしてクライマックスシリーズでは、2年続けて敗退しました。今年のレギュラーシーズンでは、首位と11.5ゲーム差あったのをひっくり返して優勝しました。

 

シーズンを通して、シリーズを通してどうするかをよく研究なさった思います。目先の1勝に拘らず、何が目標なのか、何を獲得したいのか、ブレなかったですね。 目先の1勝ではなく、何を目標にし、何を獲得したいのかの点は、私の仕事にも当てはまります。

 

よく、相手からこのように言われた、どうするかを論じる方がおられます。それはほとんど意味ないことです。相手のために解決してあげるのではありません。自分は何を目標にし、獲得したいのかが大切です。最初ひとつ言い勝っても、それでおしまい、紛争解決ではありません。相手が動くと気になるのは分からなくありません。しかし、結局は、自分はどうするかなのです。

 

例えば、7回の裁判期日の中で、何回か嫌な思いをしても、また、相手方に流れが行ったように思えても、最後に予定とおり、希望したとおりの落し処に収まり、解決すればよいのです。私たちは、いつもそのように捉え、計画し、進めております。日本ハムファイターズの選手たちが、栗山英樹監督について行ったように、ぜひとも信頼すべき弁護士に、ついて来て欲しいと思います。

 

日本ハムファイターズ、2016年プロ野球日本一おめでとうございます。

 

再び根室本線富良野新得間廃止報道から思う北の国からの思い出。

2016年10月28日
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大学生だったころ、何回か東京駅から、『大垣行』普通電車に乗りました。

 

この電車、当時は153系または165系と言う車両が使用されていて、4人向かい合わせ、いわゆるボックス席でした。あるときは友人と、あるときはひとり旅を楽しみました。東京駅を23時台に出て、名古屋を経て、終点の東海道線大垣駅には、確か翌朝7時前に到着したと記憶しています。

 

この電車、東京駅を出て横浜駅を通りしばらくの間は、通勤客も乗車しています。小田原駅を過ぎてからは快速運転となり、深夜の時間帯は、停車駅は少なくなります。やはり若者が多く、ほとんどの乗客が、名古屋もしくは終点大垣まで行きます。

 

鉄道ファン、暇人、変わり者、バカとか言われながらも、この電車を愛する人は少なくありませんでした。

 

その後指定席の『ムーンライトながら』となり、やがて廃止となりました。

 

この『大垣行』、当時は、普通列車としては、相当の走行距離を運行されていたことになります。東京と名古屋の間がおよそ360km、新幹線のぞみで約1時間40分の現在では、昔日の感にたえないです。大垣行に乗車したとき、どこまで普通列車で行けるかを実践しようとしたことがありました。

 

つまり、翌朝7時ころに岐阜県の大垣駅に到着しますので、その後西に進むと、その日のうちにどこまで行けるかです。大学1年生の冬、折から実家の用で、広島県に行くことがありましたので、実践してみました。 東京駅から乗車して、翌朝終点大垣駅に到着すると、隣のホームに、『西明石行』普通電車が入線していました。そのままこれに乗車して、米原、京都、大阪、三ノ宮と通過して、終点兵庫県の西明石駅に到着したのは、午後になっていました。ところがこの先は、うまい具合乗り継ぎ電車がありません。

 

後続の電車で姫路か網干まで、さらに後続の電車で岡山まで、そこから広島行き直通電車を待つか、糸崎か三原まで先に行って、そこから広島方面の接続電車に乗り換えるか思案を要しました。何れにしても、広島駅到着は、夜遅くなることが時刻表上わかったので、計画を断念したのでした。西明石駅は、山陽新幹線の停車駅、新幹線に乗り換えて広島駅まで行ったのです。

 

ヤワでだらしないですね。 この経験から、それでは早朝東京駅から乗車して、その日のうちにどこまで行けるか調べてみました。その当時で、確か山口県の下関の手前までは到達することが可能とわかりました。2016年現在で、日本一運行距離が長い普通列車は、山陽本線岡山駅発下関行き369M列車です。岡山駅を16時17分に出て、終点下関駅には23時50分に到着します。384kmを7時間33分かけて運行されます。また、運転時間が最長なのは、根室本線滝川駅発釧路駅行き2427D列車です。

 

これは函館本線から分岐する滝川駅を9時40分に発車し、富良野、新得、帯広を経由して、終点釧路駅には18時01分に到着します。その運行時間、なんと8時間21分となります。 なぜこんな暇そうな記録を書いたかですって。私が昔鉄道少年であって、地理に詳しい、そして今でも出張地方が少なくなく、時効表を見る機会が多いことはあります。でも最近、JR北海道の富良野新得間が廃止される見通しとの報道を知ったことが大きいです。

 

先日も、この『ひとりごと』でも書きました。『北の国から』の思い出、それは、私を北海道に誘ったきっかけ、それこそ昔日の思い出なのです。この根室本線富良野新得間の廃止は、確かに輸送密度や営業係数からそうなったのは間違いないでしょう。

 

ただし、この夏、相次いで北海道を襲った台風により、この区間が壊滅的被害を受けて、現在運行できない状態になっていることが大きいと思います。どんなに早くても、運転再開は来年春以降となり、それに要する復旧費用は、相当な金額となることが見積もられています。

 

そうなのです。現在は、滝川釧路間の『あの列車』は、全線での運行はなされていないのです。もしこのまま廃線となると、富良野新得間は、現在なされてるバスによる代行運転が、本当の『バス路線』となるのでしょうか。 現在時刻表の上では、日本一運行時間が長い普通列車、滝川釧路間の2427D列車、かつて『北の国から』が放映されていたころは、この区間、長い急行列車が運転されていました。その名は『急行狩勝』。確か釧路か帯広あたりから、新得を経由して富良野へ、そして滝川に抜けて終点は札幌駅だったと思います。

 

その後も、旭川から美瑛を経由して、富良野から根室本線には入って、確か帯広までだったと思いますが、『快速狩勝』が運行されていたと思います。急行と言い、快速と言っても、単線で駅区間が長いので、決して早くはありません。この急行狩勝』と言えば、『北の国から』で、名シーンがあります。 黒板五郎さんが、純と蛍を連れて富良野麓郷に来たのは、いしだあゆみさん演じる妻令子の不倫がひとつの理由となったわけですが、いよいよ父と母との離婚が決まって、富良野に来た母に対しては、純はともかく、蛍は心を開きません。

 

ところが、東京に帰るため、母が富良野から乗車した『急行狩勝』に向かって、岩城滉一さん演じる草太兄ちゃんに連れらて、空知川島ノ下あたりで列車を待っていた蛍は、涙を流しながら大きく手を振って、列車とともに走り出す姿がありました。このシーン、我が家の子どもたちも、繰り返し録画を見ていました。純粋だったですね(笑)。

 

あのときの急行狩勝、ずいぶん長い編成でした。そしてかなりの距離を運転されていたのです。その後私は、折からラベンダーの時期、札幌地裁岩見沢支部に出張する機会があり、富良野に立ち寄りました。

 

そのときは、『ラベンダーエクスプレス』と言うリゾート車?でしたが、滝川から空知川を望むあの名シーンの場所を通過して、富良野駅に到着しました。幾つになっても、『北の国から』に魅せられ、また、鉄道への郷愁を感じるのでした。地方都市での各駅停車の旅、童心に帰って、いつかやってみたいです。

『北の国此処に始まる』は、私にとっても、北海道の始まりでした。

2016年10月27日
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JR北海道は、特に利用が少ない3路線を廃止し、バスに転換する方向で、沿線自治体と協議することになったと報じられました。

 

その中には、根室本線の富良野新得間が含まれています。100円の営業収入を得るのに必要な営業費用を『営業係数』と言うそうですが、これが1.430円かかっているとのことです。また、1kmあたりの1日の平均輸送人数を『輸送密度』と言うらしいですが、この区間は、152人と算出されたそうです。

 

JR北海道では、輸送密度が500人以下であると、燃料費その他の輸送にかかる経費を賄えないところ、今回挙げられた富良野新得間、留萌本線の深川留萌間、札沼線の北海道医療大学新十津川間は、いずれも輸送密度が200人を切っているのだそうです。

 

札沼線は、札幌から途中までは電化区間で、学園都市線と称していたと思います。もともとは留萌本線の石狩沼田駅までつながっていました。それが新十津川駅までになったのですが、新十津川駅発着列車は1日上下1本だけと言う、鉄道ファンには馴染みの路線ではあります。

 

ファンは、この珍しい列車を追いかけるのには、新十津川駅近くの函館本線滝川駅からやって来ると聞いたことがあります。ですから、この区間が廃線となる可能性については、予想されないではなかったと思われるのです。留萌本線は、本線と名がつくものの、区間が短く、海沿いの増毛留萌間は本年12月に廃止されることが決まっていて、何となく予想できないものではありません。

 

しかし、根室本線富良野新得間の廃止は意外と言うか、ショックを受ける人も、少なくないと想像できます。 赤字路線の廃止が決まると、だいたい騒ぎ出すのは鉄道ファンだと言われます。昔鉄道少年だった私は、大人になって地元の方々、運営会社の苦労を顧みずに勝手なことを言っていたなと反省しきりです。例えば、道内では秘境駅とされたある駅が、鉄道ファンの希望で、まだ廃止になっていない例もあります。

 

ただ、この根室本線富良野新得間に関しては、鉄道ファンならずとも、廃線を惜しむ声はあるのです。私もそのひとりです。 まず、『根室本線』と聞いて、どこ?と思われますか?函館本線滝川駅から富良野、新得を経由して帯広、釧路、そして根室本に続く長い路線です。今では南千歳駅から石勝線があり、十勝道東へ線路は続きますが、その前は、札幌から滝川を経て、この路線で帯広、釧路方面に行くしかありませんでした。

 

特に青函連絡船があったころ、函館釧路間に特急『おおぞら』が、長距離運行されていたのです。そして日本一長い距離を走行する普通列車としても、長く滝川釧路間のデイゲルカーが、その地位にありました。そう言う意味では、根室本線富良野新得間は、まさになくてはならない路線だったわけです。でもこの例ならば、鉄道ファンの域を超えませんね。 『北の国から』をご存知ですか。今では、私がほとんど見ないテレビ局が、昭和56年から放映していた連続テレビドラマです。

 

昭和56年と言う年は、後で知った私の厄年にあたり、司法浪人中であり、いちばん暗い年でした。だからか当時私は、『北の国から』は、全く知りません。北の国からを初めて知ったのは、平成元年に2歳になった長男を連れて、初めて北海道に家族で旅行したとき、ラベンダーで有名な富良野を歩いていたときに、どこからともなく聞こえてきた『あぁあぁあああああぁ、……』の声でした。

 

これこそ北の国からからのテーマ曲、さだまさしさんが、富良野の風景を見て、何も言えず、ただ、あああぁと感嘆して歌となったあのメロデイでした。

 

それから北の国からからの虜になりました。その後も数年間隔で放映された北の国から、全て見ました。その最終章は、『2002年遺言』でした。我が家の息子たちも、途中から知った北の国からを見て、成長したように思います。その北の国から、シリーズ最初のシーンは、田中邦衛さん演じる黒板五郎さんが、吉岡秀隆さん演じる純と、中嶋朋子さん演じる蛍を連れて列車から降り立ったのが富良野の次の駅、根室本線『布部駅』でした。

 

その後数回富良野そして美瑛に行きました。JR布部駅にも行きました。そこには、『北の国此処に始まる』と書かれた木製の看板があります。布部駅近くで線路を渡り、布部川に沿って森林を進むと、北の国からのロケ地となる『麓郷』になります。この道路も何回か通行しました。

 

そして、数々のロケ地を巡りました。その起点となった、此処に始まった布部駅が、廃線により無くなるのです。 北の国から、様々のシーンが蘇ります。

 

あの印象が強すぎて、未だに名俳優吉岡秀隆さんを見ると、『純』と呼んでしまいます。そして、ある女優さんを見ると、純の奥さんだった人!って思ってしまうのです。布部駅が無くなる、北の国からにもありましたが、これも『時代』なのでしょうか。根室本線富良野新得間が無くなっても、北の国からは不滅です。

そんなふうに思ってしまう、ひとつの時代を感じるのでした。

 

定員オーバーで、座席がない乗客を搭乗させた航空機が離陸しようとした事例に関するひとりごとです。

2016年10月26日
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1ヶ月ほど前、福岡空港を出発して離陸しようとした全日空機が、定員オーバーであって、1人分の座席が足りないことが判明して、その状態での離陸が不可能となり、ボーディングブリッジに引き返すアクシデントがありました。

 

『立ったまま離陸』とか、かなり驚きをもって報道されましたが、この事態を知っていくつか考え、思うことがありました。 まず、本当に満席だったのだとわかりました。

 

昔、JRが国鉄だったころ、列車、特に寝台列車は、必ず座席の空きを残しておくと聞いたことがあります。本当に、突発的に、予想しえない万一が起きたときに、対応するためだそうです。もっとも公共交通機関は、可能な限り満席にして運行したいわけです。特に航空会社は、時期によっては上りと下りで搭乗客の数が相当違ってくることがあります。

 

カラの飛行機を飛ばさないことが求めれます。それでも本当に全部の座席を埋めていたとは初めて確認しました。確かに座席数より多く予約を受け付けるので、ときに『オーバーブッキング』が起こることはあります。そのときでも予約客に協力を求めて他便に振り替えてもらい、搭乗人数を減らして出発します。ですから、正真正銘の満席になっていたのだと驚いた次第です。

 

この定員オーバーの事態は、別々の席を予約していた父子が、同じバーコードを使用して搭乗しようとしたことからミスが起きました。本来別々のバーコードを各自使用しなければならないところ、子が誤って父の座席のバーコードをスマートフォンにダウンロード、保安検査場と搭乗口では、同じ人物が2度通過したことになる『警告』が出たものの、係員は、複数回機械にタッチしたからだと思い込み、実は1枚の搭乗券が使用されたことになるので、別の1枚の座席保有者は、搭乗していないことになって、その1座席が、キャンセル待ちの客に割り当てられてしまったと言う流れでした。

 

私も、よく搭乗口で、バーコードがエラーになることがあります。そのときは、また搭乗券をタッチさせてやり直し、通過します。搭乗口で、タッチし直しの場面を見ることは結構あると思います。変に慣れてしまって、どうせ感度が悪かったからとか、機械が『詰まった』のだと判断して、当然のようにやり過ごします。ここには機械も一瞬間違えるが、機械は正しいとの思い込みがありました。

 

バーコードのかざし方が悪かったのでダブルカウントされたと、人間は判断してしまったのです。 バーコードのかざし方による『警告』は、利用者も係員も、 もう慣れっこになっていて、警告の意味をなしていないように思います。いつか保安検査場の『ブー』は、こけおどしではないかなんて申しましたが、これでは何のために機械を用いたのかわかりません。今回のアクシデントは、たまたま父子のもと予約席が、キャンセル待ちにより割り当てられたことがすぐに判明しましたから、安全への不安は少なかったでしょう。

 

しかし、全員正規の予約をした人でありながら、席がひとつ不足すると言うケース、もしかして邪な考えの者が1人紛れ込んでいるかもしれません。

 

むしろたまたま定員オーバーだったから離陸できなくなり、機械に頼る問題性が露呈されたのであり、安全先に警鐘を鳴らしたことになるなら良しといたしましょう。 今回の事態を踏まえ、国土交通省が、2012年以降の統計を取りました。すなわち、運行開始前の航空機で、搭乗手続きを済ませた搭乗客数と実際の搭乗者数が異なるケースが236件発生していたとの結果が出ました。

 

その中で、定員超過は5件あったとされ、いずれも離陸前に定員超過に気づいたと言うまさに今回のANA機と同様のケースです。さらに、離陸後に定員数が合わないことに気づいたケースも報告されたそうです。航空会社は、いずれも搭乗手続きのミスが原因で、同じ席の搭乗券を2枚出した例等が説明されました。

しかし、こんなところで『ひとりごと』を書くのも問題なのかもしれませんが、今回の国土交通省の統計を、公にしたことは秘密はよくないですが、悪用されないか心配であります。

 

機械を頼り、信用し過ぎると、ヒューマンエラーが起きるのだと、肝に銘じる必要があるでしょう。

 

しかも、間違いが起きていることに気づかないのが問題です。 先日瀬戸内海を高速船で渡りました。そのとき、搭乗券購入に際して名前を言いましたが、いざ乗船するときには、番号カードを渡されました。

 

それを下船するときに、係員に渡します。こうすれば、購入したチケットを他人に渡したり、偽名で申し込みすることは可能であっても、実際の乗船数には、齟齬は生まれないと思います。

 

これは人間による手作業です。機械を操るのも人間、私は、人間を信用したいです。

 

JR千葉駅は、今年から3年かけて新しく生まれ変わります。

2016年10月25日
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これから年末に向かう時期、道路工事が多くなる印象です。

これは3月末にも見られる風景で、予算を使い切る意識があると見られています。でも、12月とか3月は、各界とも慌ただしく、ときに工事は交通渋滞のほか、様々な経済上の影響をもたらすことがあります。このところ、街のあちらこちらに、工事の予告版が出てもいます。

長期間の工事となる場合はともかく、例えば戸建住宅の建設も、秋から冬、そして春先に向けての時期が多い気がします。職人さんは、暑さも寒さもたいへんですが、雨が降ると工事ができなくなり、また、寒さは体を動かして気にならなくても、やはり暑さは応える、特に熱中症の危険性が指摘されるようになってからは、従業時間も少しずつとなるからだそうです。

全てが地球温暖化ゆえとは言えないにしても、多少の寒さは可との業態もあると言えますか?

ところで、いつも、いつになっても工事していると感じられる場所ってありませんか?私が自宅から、かつての実家のあったところに行く途中、いつでも工事している箇所がありました。ときに道路を真っ直ぐに、ときに舗装を、ときに幅員拡張を、ときに橋の補強をと、本当にやってない日はないくらいです。

でも、同じ工事を繰り返しているのではなく、先のとおり1つの箇所で、いろいろやっているのです。ですから、ここを通る人車は、わかっているのです。どうせ渋滞するなと。

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私の行動範囲で、いつも工事していると言うか、いつになったら終わるの?と思う場所があります。ひとつは福岡空港、ひとつはJR千葉駅です。福岡空港は、国内線ターミナルが3つと国際線ターミナルがありました。国際線と国内線が離れているの羽田空港でもそうなのですが、国内線が分かれていて、特に第1ターミナルは小さく古くなっていて、JAL、ANAでも行き先によりターミナルが異なるなど、乗り換えに不便とも指摘されていました。

現在の福岡空港、年間の離発着回数は17万回以上、国土交通省が、円滑に離発着できる回数と指定する16万4.000回を超えて、慢性的に遅延が発生しています。そのために到着ゲートやターミナルが変更になるなど、よくわかっている利用者でも、混乱することがあるのです。新ターミナル着工は、混雑緩和と増加する海外からのお客様を受け入れるアジアのハブ空港とする目的があるとされています。平成25年から、本格的な工事が行われています。

でも、いつも行き来する者としては、この新ターミナル構想が持ち上がる前から、いつも、どこか工事していた印象です。例えば、取り付け道路駐車場入り口とか、国内線ターミナルの売店、飲食店の配置などかいろいろです。何か不便があると、小手先の済ませ方をしていると思われ、返って不便を感じました。新ターミナルは、平成31年完成の地上5階地下2階建てで、国内線ターミナルをひとつにまとめられるそうです。

工事が開始されて1年経過したところで、第1ターミナルは、閉鎖されました。さらに搭乗口は減ったでしょうか。混雑気になりますね。

でも、平成31年に完成するかどうか、福岡空港の関係者に聞くと、もっとかかるのでは?と答えが返ってきます。素人目にも、ホントちょこちょこやっている感があります。これだけ利用者が多いので、その目を縫うように、やらざるを得ないのかもしれません。この進捗に接すると、結構ストレスですね。

それと、根本的には、滑走路が1本である点で、混雑緩和は解決しません。紆余曲折あった末、平成37年には、現在の滑走路に並行して、2.5000メートルの滑走路が完成される予定ではあります。ただ、もと板付遺跡の一帯でもあり、現在行われている環境アセスメント次第では、さてどうなるやらと思ってしまいます。いずれにしても福岡空港の工事は、延々と続きます。

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JR千葉駅の工事は、いよいよ今年11月20日に、『一部』完成により、新駅舎が開業となります。県庁のある千葉市の玄関千葉駅は、房総への入り口でもあります。いっぽう、成田や潮来、銚子方面にも向かいます。それでJR千葉駅は、房総方面の内房線、外房線と、佐倉方面に向かう総武本線、成田線が分れるため、駅そのものが、『横広』となっています。要するに、歪なかたちとなっていたのです。それを駅コンコースを3階にして、改札口から各ホームまでほぼ等距離にして、並行感を持たせる造りとなって、生まれ変わります。

そして駅ビルの中に順次店舗他を入れて、ひとつの大きなターミナルとする構想です。開業は、3回3年に分かれるようですが、その第1期開業となる『ペリエ千葉、エキナカ』が、開業するとのことです。

千葉駅の工事、実際いつから行われていたか覚えておりません。ただ、はっきり言って、あまり便利な駅だとは思えなかったので、なんとなくいつも工事をしていた感覚なのです。これから3年間にわたり、駅ビルも含めて順次開業していくそうですが、そこを生活の本拠としていない者としては、単に駅が使いやすくなればよいのです。

工事期間が長い、いつも工事をしていると思えてしまうのは、そのを場所が不便だとか、通るのが面倒だとの感覚があったからではないかと考えられます。私が嬉々として行き来する福岡の入り口福岡空港もまた、工事は延々と続く気配ですが、大好きな福岡の一部、入り口と思えば、工事に携わる方たちのご苦労を思い、楽しみに完成を待つことといたしたいと思います。

 

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