『北空港』それは、私にとって別れではなく、また来るための挨拶の場所です。

2016年10月19日
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いつかこの『ひとりごと』で、指定席のお話をしました。落ち着く場所として、福岡空港のある飲食店から眺める風景をあげました。東京帰る前の、名残りのひと時でもあります。ビールの中では、あまり好きではない銘柄なのですが、気分次第で美味しく感じます。

でも、このところ数ヶ月経験していません。

私が福岡空港に次いでよく行き来するのは、いつもいちばん好きな空港と紹介する新千歳空港です。ここの魅力は、これまで何回もお話しましたので、今日は繰り返しません。ただ、ここにもどうしても、訪れる場所があります。


それは、以前ご説明した『北空港の歌詞碑』です。その設置の経緯やその後の出来事も、今日は触れません。ただ、あの歌詞碑の前に来て、ボタンを押したい自分があるのです。北空港、夜の札幌を舞台に、北の空港から飛び立つ男女の恋を歌うものです。1987年に発売されたデュエットの名曲、今でもカラオケランキングで、常に上位を占めているのです。

音痴で、今ではカラオケなんかやらない私が、なんで惹かれるのだろうと考えてしまいます。ひとつには、そのときの自分の歴史に重ねるからだと思われます。この曲が発売されたのは、私がちょうど30歳になるころ、子が生まれ、弁護士登録3年が経過し、ボチボチ私的に仕事を受けるようになった時期でした。また、浜圭介氏の秘蔵っ子とされたこの韓国人女性歌手、私が初めて親元を離れて福岡市に一人暮らししたころ、デビューしました。

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そのとき、一人暮らしで、何気なくつけていたラジオから、浜圭介氏が熱心に紹介し、片言のハスキーな日本語で挨拶する女性歌手、顔は見えないのに、なぜか気になったのでした。初めての一人暮らしを終え、東京に帰ることが決まっていた福岡2年目の夏、冷房がなく、西陽が入る1Kのアパートに住んでいた私には、『西陽で焼けた畳の上』で始まる歌詞に、引き込まれたことを覚えています。

この歌手は、デビュー以来ヒットを飛ばし、北空港の前後にもヒット曲があったからか、北空港は、発売当時は、そんなに印象に残る曲とは思えませんでした。折からバブルの時期でもあって、バーやクラブ、スナック等、あちらこちらで歌われたのでしょう。まだ北海道には行っていない私の耳にも、何か北の演歌って哀しくて、でも、旅立ちが似合うんだろうなと思えたのでした。


北海道の空の玄関口が、当時の千歳空港だとは、頭ではわかっていたものの、この歌により、北の空港に、北海道に行って見たいと考えるようになったのかもしれません。その直後に、青函連絡船が廃止されました。いよいよ北海道と言えば航空機、この空港には、様々な別れや出会いがあるのだろうなと想像してみたりしました。

そして、初めて北海道に行ったのはその2年後、私と北海道、特に札幌市との縁を結びつけてくださった南昇先生と知り合いになったのも、その1年後でした。こうしてきさらぎ法律事務所が開設されてから毎年北海道へ、新千歳空港に行き来することになったのでした。クレイルチーズの西村公太さんとお会いしたのも、今から10年以上前の新千歳空港でした。初めて私の北海道の依頼者となった方からいただいたのは、千歳市内にある洋菓子店『もりもと』の『雪鶴』でした。今でも、新千歳空港で買って帰ります。新千歳空港のある土産物店、また飲食店では、『いつもありがとうございます』と声かけされ、嬉しいですね。おそらく雰囲気で、『あの人』とわかるのでしょう。

そう振り返りますと、むしろ何気なく聞いていた『北空港』こそ、私を北海道へ誘い、新千歳空港へ呼び、そのファンにしたのではないでしょうか。そのことには、なかなか気づきませんでした。私が、新千歳空港に、北空港の歌詞碑があると知ったのは、なんと今年になってからなのです。それから必ずこの歌詞碑の前に行き、ボタンを押しています。周りには、滑走路を眺める多くの人々がおります。

しかし、毎回この歌詞碑に気づく人は見かけません、たまに子どもが興味があるのかボタンだけ押して、どこかに行く姿はありましたが。それでも歌が流れる間、順次照明が変わるこの歌詞碑の前で、飛び立つ航空機を眺めるこの場所もまた、私にとって『指定席』であります。新千歳空港の北空港の歌詞碑、私にとっては別れではなく、また来る日までのしばしの挨拶をする場所のようです。