年間観光客数が5.500万人を突破した国際観光都市京都。海外からの観光客も約200万人と、日本を訪れる外国人観光客の7人にひとりは、京都を訪れている計算になります。 何回も京都を訪れ、ファン、マニアあるいは信仰とか、一定な歴史を学ぶためにいらっしゃる方々は別として、京都観光にも定番はあるようです。私が子どものころから、金閣寺、清水寺、二条城がベストスリーでした、これに銀閣寺や嵐山嵯峨野散策、東山散策、祇園や河原町、大原や伏見等目的や宿泊数に対応して、観光される習わしです。私が中学校のときも、京都奈良が修学旅行地でした。 そんな京都で、隠れたと言うか、ほとんどコースには入らない『名所』があります。この世界遺産の敷地内に、いくつ国宝があるのか、数えたことがないので正確にはわかりませんが、京都駅から徒歩圏内、しかも『国宝』とされる建造物にも『タダ』で入れますし、『タダ』でお坊さまの勤行を見学できるのです。 敷地内には、鳩を追ったり、ボール遊びする子どもたち、建造物内では、上半身裸で寝そべる外国からのお客様、若者は、回廊をスマホをやりながら歩いています(それが良いことだとされているとは思えませんが、咎められないのです)。そしてとにかく広い。でも現存する建造物は、江戸時代からそのままのもあるのです。さて、それはどこでしょう。 それは、浄土真宗本願寺派の総本山龍谷山本願寺すなわち、『西本願寺』です。京都には、『東本願寺』と『西本願寺』があることは、知られていると思います。東京には3つの弁護士会があって、その違いを聞かれることがあるのですが、成り立ちや会員数の違いがあるくらいで、中身すなわち業務の内容や能力に違いはありません。 本願寺にしても同じ、喧嘩しているのではありませんし、教義が違うわけでもありません。あえて言えば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代背景と言うか、それらに翻弄された?歴史の産物と、私は思っています。 浄土真宗の開祖が親鸞聖人であること、その教義は他力本願であることは、知られているかもしれません。他力本願とはすなわち、人間はみな同じ、階級も善悪もない、そして自分の力で祈願しても願いはかなわない、ひたすら南無阿弥陀を称えることにより、阿弥陀さまのお力により救われると言う内容です。 この世の生が終わるときには、阿弥陀さまの本願力により即極楽浄土に行くことが約束されていて、即成仏して御仏になる教えであります。これが、死して霊が彷徨うことはない、死は穢れではなく、第二の生であるとの信仰に結びついて、戦国時代『一向宗』とも言われる集団となり、特に織田信長を徹底的に苦しめたことに繋がりました。 親鸞聖人が広めた浄土真宗、中興の祖と言われるのは蓮如上人です。その蓮如上人が継いだ浄土真宗の小さなお手が、京都東山にあった『本願寺』でした。このころは、のちに信長も手を焼いた比叡山延暦寺の末寺のごときで、このときの本願寺はかなり寂れていて、ここには統一性も独自性も失われていたそうです。蓮如上人は、浄土真宗の再興に勤めて、機内にも徐々に教えが浸透してきたところで比叡山から疎まれて、『本願寺』は破壊され、北陸地方に逃れました。北陸地方に一向一揆が発生しやすかったのは、もちろん蓮如上人がそのような教えをしたわけではありませんが、阿弥陀さまの救いが死を恐れない抵抗となったのかもしれません。 やがて蓮如上人、近江国や京都の入口山科あたりに本願寺を移し、そして1496年、大阪御坊に『石山本願寺』の造営がなったのです。浄土真宗の門徒の家にあるご仏壇には、真ん中に阿弥陀様、左右に親鸞聖人、蓮如上人がおわします。なお、浄土真宗には、位牌はありません。写真も飾りません。死して祈る必要がないからです。御仏になられた方は、凡夫である俗世界で生きる私たちをお救いになる、ひたすら阿弥陀さまに感謝の気持ちを持てば良いのです。 以上の説明は、積極的な間違いはないとは思っておりますが、真面目、熱心な真宗のご門徒さまからは、その説明の仕方、お叱りを受けるかもしれません。私の理解は、浄土真宗は、人間には階層も優劣もない、人間は弱いもので、かつ悪玉を持っている、自分ひとりの力ではなにもできない、また、何かを自分の力で求めるものではない、ひたすら南無阿弥陀を称えることで、どんな人でも救われる、現世で悪人と言われる人であつても、『悪人正機説』しかり、御仏として極楽浄土で行くていくことができる、だから他人を信じなさい、自分だけで、何ができるものでもない、人に優しくなのだと言う理解です。 こんなふうに考えますと、西本願寺の境内には誰でも自由に入れる、料金は要らない、そして疲れた!面倒だ!の人は寝そべっても良い、だってそれが人間の普通の姿だから。阿弥陀堂、御影堂で行われる僧侶による勤行や布教、これは誰でも自由に、無料で参加することができます。 西本願寺の歴史、もう少しお話したいことがありますので、それは次の機会に。 今日は、複数の国宝があり、拝観料は不要、誰でも参加できる西本願寺にどうぞお越しくださいと申し上げます。それにしても広いです。その辺を歩いているお坊さまに、気軽に「こんにちは」と声をかけてしまいたくなる西本願寺に行ってきました。