『ハマの番長』こと、横浜DeNAベイスターズ三浦大輔選手の現役引退報道に寄せて。

2016年9月26日
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秋にもなると、春先から行われていたプロスポーツも、終盤を迎えます。プロ野球のペナントレースも、先日セ・リーグでは、圧倒的強さで広島カープの優勝が決まりました。

 

また、12球団中唯一クライマックスシリーズに、出場した経験がなかった横浜DeNAベイスターズが、シーズン3位以上を確定させ、これに初めて出場することが決まっております。いっぽうパ・リーグのほうは、北海道日本ハムファイターズが、優勝マジックを点灯させました。

 

こちらは、2位の福岡ソフトバンクホークスとは1ゲーム差であり、最後までペナントの行方はわからない状況です。 シーズンも終盤になると、この年限りで引退を表明する選手が現れます。既に横浜の三浦大輔選手、日本ハムの武田勝選手、阪神タイガースの福原忍選手らが引退表明しました。シーズンが終われば、次々と引退を決意する選手が出てくるでしょう。引退と言っても、自分はやり遂げたと納得して、ユニフォームを脱ぐ選手もいれば、いわゆる戦力外となって、契約更新が認められず、かと言って、他の球団からの誘い、契約締結に至ることがなくて、不本意ながらこの世界を去る形での『引退』をされる選手もおられるのです。

 

プロの世界は厳しいと思わせる瞬間です。 子どものころから成人するまで大田区に住んでいて、また、一 時期川崎市にも住んだことのある私は、元大洋ホエールズのファンでした。大洋が、日本シリーズに初出場して、4戦全勝して日本一になった昭和35年のことは、記憶にありません。子どもから大人になる過程で、大洋ファンと言うよりも、ある球団が大嫌いになりました。よく言われるアンチ○○であって、このチームが負けると、気分が良かった時期が続きました。

 

その後大洋球団が、本拠地を横浜に移したころから、ホエールズ、後のベイスターズにはあまり関心がなくなり、平成10年の2度目の日本一のときも、それほど感動したものではなかったのでした。また、アンチ○○のほうも、このチームが常勝軍団ではなくなり、また、いろいろ野球外でくだらない話題が出てくるようになって、もう敗けろ!と強がる必要はなくなりました。 ですから、私は、あまり野球には関心はないのです。ただ横浜地方裁判所に行き来するときに乗り降りする『日本大通駅』には、横浜スタジアムの最寄駅と言うこともあり、ベイスターズの選手のポスターが、あちらこちらに張り出されていることには、いくらか気になってはおりました。

 

やはりベイスターズが勝つと良いなとは思えるのです。よく種を蒔き、耕し、実りをつけると言われます。今年のカープは、ブラウンーー野村ーー緒方の各監督が、長い目線でひとつづつ丁寧に選手を育て、チームをまとめ上げたと評価されます。ベイスターズも球団オーナーが代わり、高田GM、中畑清監督になり、今年承継したラミレス監督により、丁寧に育ててきた成果が、少しづつ現れてきたのだと思います。

 

それと球界最年長、『ハマの番長』こと三浦大輔選手兼任コーチの存在が大きかったと思うのです。 三浦大輔選手は、若いころからリーゼントヘアで、番長らしい風貌だったわけですが、横浜一筋25年、ベテランから神の域に 達してもなお、黙々と練習する姿は、若手ならずとも感銘を受けるものです。『番長』とは、こと三浦選手に限っては、強面のツッパリではなく、自ら率先してなんでもやる、いくつとなっても追い求める諦めない代表のような尊敬の念を持って多くの人から称えられているのだと思います。大洋ホエールズを知り、また20年前の日本シリーズ優勝を経験したただひとりであり、記録よりも記憶に残る選手でした。

 

それでも最優秀防御率や最多奪三振を獲得し、プロ野球の投手としては、24年連続安打を放ったと言う世界新記録を更新してギネス登録されたことは記憶に新しいです。無四球完投勝利16回は、もちろん現役最長で、39歳で獲得したシーズン最多完投数も、もちろん最年長記録です。年輪を重ねても衰えを知らない三浦大輔選手、ただ凄いとしか言い表せません。

 

リーゼントで現れた先日の引退会見も、三浦選手らしかったですね。引退を決意したのは「勝てなくなったから」。誠に失礼ながら、ベイスターズに在籍していなかったら、200勝は当然のこと、未だ未だ勝てたでしょう。もっとも、ベイスターズ一筋故に長く続けられ、達成できた部分もあるのかもしれません。珍?記録としては、開幕投手7連続敗戦という日本記録もお持ちなのです。そんな三浦選手を小学生時代から知る元阪神タイガースの岡田彰布監督から、FA宣言をした三浦選手に対して、当時の横浜ベイスターズを遥かに超える破格の条件で熱烈ラブコールを受けたときにも、三浦選手は、「番長行かないで」「三浦!三浦!」コールに感動して、横浜残留を決めたとされます。

 

ここ数年は、コーチ兼任選手として、いつも1軍に帯同しつつも、自身は2軍暮らしが多く、そんな時でも三浦選手が出場していない横浜スタジアムに、『18番』のユニフォームレプリカを身につけたファンの姿を見て、絶対に1軍で投げる、勝つのだとの信念で続けてきたと目を潤ませて述懐されていたのが印象的でした。奈良県橿原市出身の三浦選手、いつになっても『関東言葉』にならないところがまた凄いです。

 

これはお叱りを受けることを承知で申しますが、私は、『関西弁』では、三浦大輔氏のそれだけが、きれいに受け入れられました。 横浜球団は、三浦大輔選手が付けていた背番号18は、『横浜ナンバー』として、プレー、振る舞いの両面でチームを牽引するとともに、チームの象徴となるべき選手が付ける番号と指定しました。これは、事実上の永久欠番の扱いです。その三浦大輔選手、今年の横浜DeNAベイスターズの公式戦最終戦がある9月29日、現役最後の1軍登板が予告されています。

 

この試合で、24年連続1軍登板での勝利と言うNPB日本野球機構の新記録を樹立できるかどうかも焦点ですが、選手全員が、18番を入れたユニフォームで登場することが発表されています。

 

 

選手球団ファン、それぞれのハマの番長への愛惜と感謝の気持ちでしょう。三浦大輔選手、ありがとうございました。これからの御活躍ご健勝を期待しております。