今日も、西本願寺のお話です。
西本願寺には、いくつ国宝があるのでしょうか?建造物だけでも7つ国宝に指定されています。中高の教科書でも、桃山時代の遺構とされる唐門や飛雲閣は、掲載さていたでしょう。唐門、飛雲閣、書院(対面所・白書院と言われる場所)、北能舞台、黒書院及び伝廊に加え、一昨年より阿弥陀堂と御影堂が、国宝に加わりました。
建造物以外の宝物としては、開祖親鸞聖人が活動した鎌倉時代の作とされる観無量寿経註や阿弥陀経註等があることも、知られていると思いますが、なんと平安時代作とされる宝物も残されているのです。私は、宝物のうち、幾つ国宝があるのか、正確にはわかりません。 以前お話ししたと思いますが、国宝のうちいくつかは、誰でもいつでも、開門時間内ならば拝観することができます。と言うよりも、阿弥陀堂と御影堂、これは西本願寺境内に入ると誰でも上がると思うのですが、タダで解放されているのです。唐門も常時見れますし、飛雲閣等も、予約すれば拝観可能です。
なぜ予約が必要かと言えば、西本願寺の関係者が、拝観希望者に付き添って、案内するからです。ちなみに、お東さん、東本願寺の建造物は、明治以降の建築だそうです。浄土真宗の寺院では、原則阿弥陀堂と御影堂が設けられております。西本願寺に入ると、本堂にあたる阿弥陀堂、そして親鸞聖人の木像があって、浄土真宗本願寺派の重要行事が行われる御影堂は、回廊で繋がっています。さて、境内に入った途端、そのスケールの大きさに、驚くかと存じます。 阿弥陀堂は、江戸時代の1760年に再興された状態で、ほぼ保存されています。中央に阿弥陀如来像を安置し、左右になにか仏様のような像、そしてなぜか聖徳太子とされる像があるのです。
これが浄土真宗の本堂で、西本願寺の阿弥陀堂は、東西および南北に、いずれも40m以上の長さがあり、高さも25mあると案内されていました。ちなみに、浄土真宗のご仏壇には、中央に立位された阿弥陀如来像があり、左右には、親鸞聖人と蓮如上人が描かれております。 阿弥陀堂と回廊で繋がるのが御影堂です。こちらは1636年の再建で、東西48m、南北62m、高さ29mで、阿弥陀堂より一回り大きいです。
その名のとおり親鸞聖人の木像が真ん中におわして、左右には、本願寺歴代の門主の御影が安置されています。西本願寺の行事は、この御影堂です行われます。畳441枚の広さで、1.200名が、一時に参拝できる広さです。そして、私が西本願寺に参拝した時刻、ちょうど日没勤行が行われておりました。当然誰でも、無料で参加できます。これが浄土真宗本願寺派の素晴らしいところだと思っております。 西本願寺の開門は午前5時30分、誰でも境内に入れます。午前6時から、晨朝勤行が行われます。要は、朝のお勤めで、阿弥陀堂で、そして御影堂で続けて行われます。御影堂でそのまま布教すなわち、仏様に関するお講話があります。その後昼間の時間帯には、いくつか行事があり、午後4時から行われる日没勤行が、最後のお勤めとなります。
そして閉門は、午後5時30分です。 私が『参加』した日没勤行もまた誰でも、無料で参加できるので、観光客の皆さんも、珍しそうに、また、「ラッキー」って感じで、参加?していました。これも阿弥陀堂と御影堂で行われます。真面目な門徒ではない私は、 「ナモアミダブツ」くらいしか唱えられませんが、お寿寿を用意したご門徒さんが、多く参加されています。
日没勤行とは、例の10年におよぶ石山戦争のとき、矢弾の中、お勤めを欠かさず続けられたのが、『日没勤行』になったそうです。このお勤めが終わると、お堂の正面は閉めれます。 最近ご葬儀を行われた方が仰っていました。そのご家庭は、無宗派で、仏様もお墓もなく、ご葬儀に関して、葬儀屋さんにその方式等を相談したところ、浄土真宗を勧めれたそうです。
その理由は、面倒がなく、緩くて簡単だから……だそうです。確かにそうですね。浄土真宗の教えは、亡くなった瞬間に、誰でも阿弥陀如来の本願力により仏様になられ、極楽浄土で暮らすことが約束されています。
そして残された者は、喪に服することも、霊を慰める必要もなく、返って御仏になられた方が、俗世界の凡夫である私たちをお救いになると言う教えであります。私は、他を排除しない、相対主義であり、誰でもどうぞの浄土真宗は、人に優しい宗派だと思います。これからも西本願寺に詣でて、優しいを学びたいと思っています。