福岡市の屋台が、劇的に変わるようです。でも、素直に喜べないのはなぜでしょう。

2017年1月3日

私が好きな福岡、その夜の夜の彩りとなっている屋台が大きく変わるようです。私が福岡市で暮らしてした昭和58年には、福岡市内には、250とも300とも言われる屋台が出ていました。

 

今では中洲、天神周辺と長浜にほぼ集まっている屋台ですが、あのころは荒江とか平尾、そして博多駅の裏のほうにもにもあったと思います。今ではその数150件を切ったと言われます。

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屋台は通行の邪魔、不衛生で臭い、タダ同然で商売している、また、ぽったくりがあるとか、そもそも入りにくいとか批判があることも知っています。それで数年前には、屋台は1代限りとの条例?ができて、ますます屋台の数が消えました。一方で生活のため、また、常連さんや屋台の灯を消すな!の願いから、いわゆる『名義貸し』をして、営業が続けられている屋台もありました。

そのような中で、福岡市の長となった高島宗一郎氏は、屋台を残すと言う方向で、数年間調査検討を加え、昨年秋に、屋台の営業の公募を行いました。これは違法営業とされていた屋台28軒が、今年3月で廃業するのに伴い、新たに屋台営業に参入する道をひらいて活性化させ、福岡市の屋台文化を守っていく、観光資源とする意図があると論評されていました。

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私は、何が違法営業に当たるのか知りません。屋台で生計を立てていた人にとっては、屋台の営業そのものが1つの財産権です。それが1代限りと言うのは、法的にはおかしいことだと考えます。財産は、相続されます。相続が起きなくても、年齢その他の事情で、途中で屋台から手を引く人もいるでしょう。

 

そんな人にだって将来・老後の生活はあります。『あそこにあった屋台、無くなったの?』とガッカリするファンもおられるでしょう。世の中には事の是非は別として、名義貸しもしくはそれに類する、脱法行為とも評価される営業は存在します。私も仕事柄スナックや、クラブの営業、賃貸借で何度もこの種形態を見ています。高島市長ではありませんが、1代限りとすれば、当然屋台はいずれ消滅します。 だとすると、今回の公募制喜ぶべきことでしょうか?まず賛成する立場として、これまで屋台経営に参入したくてもできなかった人たちにとって、いわば寡占状態でもあった屋台の営業ができる道が開かれたと言うことでしょう。

 

また、1代限りは撤廃され、直系血族に限り1回だけの承継が可能となったことは、ひとつ前進と言えましょうか。そしてこれまで条例では、違反に対する罰則がなかったことで、違法屋台が存続して、福岡の屋台のイメージ悪化に繋がったとの声を受け、屋台の営業ルールを厳格にし、違反を繰り返し、警告に従わない屋台はいずれ市によって営業が取り消しされることも明記されました。

 

さらに屋台が混雑する、狭いことが屋台営業の限界ともなっていることを認め、屋台のサイズや営業時間に関しても、柔軟に対応する余地を残したとされます。 このように言うと、『良いじゃない』と感じますが、福岡市民ではない私が言うのはなんだ!と批判されそうですが、素直に良いことだと言い切るものではありません。

まず、折角1代限りを外したのですから、少なくとも法定相続は認めるべきです。つまり屋台主の配偶者、子、そして孫です。もし営業を継続しない屋台があれば、市が間に入って公募を含む『営業譲渡』を認めるべきです。特に今回公募参入する屋台は、基本的に3年間の営業期間であり、仮に審査を通って『延長』が認めれても最長で10年までです。この屋台は、10年だけの命なのです。

 

私は既得権と言う言葉は好きではありませんが、今回公募で営業が認められた屋台は、その順位に従って3月に廃業する屋台のある地域から、好きな場所を選ぶことができるそうです。屋台は、屋台文化は、一朝一夕に出来上がったものではありません。そこにあった屋台がなくなった、その場所に出店した屋台に行こう!となるでしょうか。屋台どうし仲間意識がありました。それは自分たちはあるいは市民から批判されている、いつも監視されている、だからみんなで緊張感のもと、頑張って行こうと言うものだったのではないでしょうか。

 

そこに『ボン』と公募で認められて営業が開始されて来た新規店舗、他の屋台と、市民と、屋台文化にうまく溶け込めるとよいのですが。 私が高島市長の政策に素直に賛意を表せられないのは、これはもしかして屋台間に競争をさせようとの原理ありではないかと考えてしまうところにあります。屋台文化を継続と言いながら、3年とか10年で終わりと言うのは、屋台を営業する個人の目線に立った考えではありません。『期間』が過ぎたら次の人と言うのは、屋台そのものの消滅は食い止められるかもしれませんが、まさに屋台はビジネスの1つ、それのみに転換されるのではと思われます。10年で交代することがわかっていて、屋台を営業するのは、屋台は経済政策の1つと捉える資本力のある法人とかになってしまうでしょう。

良い屋台を残す姿勢がスタートにあれば、10年等初めから期間を決める意味わかりません。ここに競争に強いものが入って欲しいが見え隠れします。 今回の条例を受けて、現に営業中の屋台も、公募に応じたようであります。もっとも、市の説明では、3月に廃業しなければならない『違法営業屋台』も、公募制に応募できるとのことでしたから、これに生き残りをかけていた屋台もあったでしょう。現在名義貸し屋台を営業している方の中には、数年間ある屋台で真面目に修行し、ある屋台の営業主が、年齢等によりもう営業できないとなったとき、これを引き継いで、名義貸しにより営業をしている方がおります。

 

この屋台を知るファン、そして真面目に修行していた現在の営業主を知る人たちは、この方が引き継いでこの屋台の灯が消えなかったことを単純に喜んでいるはずです。この例に限らず、名義貸し屋台の店主は、比較的若い人が多いようです。今回の公募制で書類選考で理由と告げられず落選したある屋台、東京の新聞にも掲載されていました。彼らは露頭に迷うでしょう。知っていたのだから自己責任で片付けて良いでしょうか? 福岡市屋台基本条例の中には、市長は、屋台営業が、まちににぎわいや人々の交流の場を創出し、観光資源を発揮すると認めるときは、屋台営業候補者の公募を行うと記されています。名義貸しかどうか、あるいは競争力に耐えうるかどうかはともかくも、今回落選した方が、これに合致しないと判定される理由はわかりません。

 

 

私は観光客だとは認識していませんが、屋台を競争により消滅を回避させる政策には、素直に賛成することはできません。

 

2017年、福本悟は変わります!どんなふうにでしょうか?

2017年1月1日
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2017年が明けました。皆様新年おめでとうごさまいます。

今年は酉年、私の干支です。つまり、なんと還暦を迎えると言うことです。でもショックはないのです。それは外形や健康に関係なく、自分が歳をとったと感じないからです。

もっともっと働らかなければならない、そんな事情にあり、そんな気持ちでおります。 昨年仕事の面では、自分が担当している案件が、まさにその時最高裁判所の判例が変更されたことにより、大きな影響が出ることがありました。事案自体はこれから解決に向かうスタートと言う段階ですが、日頃の判例や条文を気にしない私としては、極めて珍しい経験でした。

 

当たり前ですが、その法規ができた趣旨と事案の具体的妥当性に留意しなければならないと気づかされた一件でした。 私生活では、長男が独立したわけではないのですが、家を出て1年経過しました。私の母の家を使わせてもらっておりまして、その母は、昨年極楽浄土に生まれし人となりました。私たち浄土真宗には、3つ名を持つことが許されます。

1つは、この世に生を受けた時に、親から受ける名前。

2つは、仏弟子として生きていくことを誓い、阿弥陀如来の前で、法主から授かる法名。これは『釋』が入ります。3つは、阿弥陀様のお導きにより、御仏となった時に名乗る『釋◯◯』であります。

 

すなわち、もともと法名をいだだいていれば、そのままです。死後いただく場合には、戒名みたいなものです。 父母とも御仏となった昨年、私はご住職にお願いして、法名を頂戴することに決めました。既に候補をいただいており、西本願寺で行われる帰敬式、いわゆる『お剃刀』の儀式に出て、門主から正式に授けられることになるものです。

 

私と家内は、偶々その祖先が浄土真宗本願寺派でしたから、共に日頃自分たちは無力、阿弥陀様の慈悲により災難なく生きていることを認識しており、ただいただくだけではなく、弟子として認めていただきたくなったのです。弟子と言っても浄土真宗はもともと在野宗派であり、固いことを言われないことが有難いことです。厚かましくも、勝手に弟子になったと受け取るだけです。 法名をいただく決意をした理由の1つは、多くの方々とお会いし、学ぶうちに、親からいただいたこの有難い名前、いささか名前負けしているように思えたからです。

 

福本の『福』はまさに福。『本』は、木の下のところに横棒一本が入って、樹木の根、物事の大元を意味すると言われます。

 

『悟』はまさに物事を理解することです。

 

どっかりと構えて物事をわかり、愉して人に幸福を与えるなんて、チョットねであります。 釋は、 開祖親鸞聖人がつけておられました。その下の2文字は、真面目に修行?するのであれば、親から付けた名の1字をもらうことができるようです。

 

まだ帰敬式の予定は未定ですが、60歳となるこの年に、生まれ変わった気持ちでいたいとも思えたのです。少しは気持ちが楽になるかもしれません。

 

そして、返って偉そうなことを言ったらどうぞお叱りください。 昨年私を知る方々から、『アレ』と驚かれたのは、この私がFacebookを始めたことです。

これは事務所ホームページだけではなく、きさらぎ法律事務所を、福本悟を知っていただきたいと考えて始めたものです。

 

有難いことに、お友達が増えました。また、もともと喋ったり書いたりするのが嫌いではなったので、いささかハマり気味です。

この『ひとりごと』は、電車の中で書くことがほとんどですが、その『時間帯』を今度はFacebookの書き込みに取られることになったようです。

そこで、今年は、この『福本悟のひとりごと』なるコーナーは、『軽め』とすることにしました。

内容を短くはできないタチなので、掲載の数を減らす方向になると思います。さすが事務所で執務中には、これはいたしませんので。今年もどうぞよろしくお願いします。

 

寛容の心、和解の精神で、これからも?アメリカに意見して欲しい安倍晋三内閣総理大臣の真珠湾での演説を振り返ります。

2016年12月30日
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アメリカ合衆国ハワイ州真珠湾を訪問し、メッセージを発した安倍晋三内閣総理大臣、あちらこちらからいろいろな評価がされているようです。

私は、安倍首相が真珠湾に行くと聞いた時点から、まさか『本音』は言わないだろうが『戦後レジームからの脱却』なるかねてからの持論を封印するか、とても関心がありました。何れにしてもそこでアメリカ合衆国へ、日本へ向けて発言したことは、世界へ発信されることになるからです。

安倍内閣総理大臣の真珠湾での演説、至るところで掲載されていますから、その内容は、もうここでは引用しません。

これを聞いた日本国民の90%が評価し、内閣支持率は70%近くにまで達したとされます。私も、その演説内容は良いことを言われている、と言うか、日本国憲法のもと、戦後日本が歩んできた道、国際社会で果たすべき役割からすると、当たり前のことを言っていると思いました。ただ、それを安倍晋三氏が言ったのは、日頃の言動、このお方の思想歴史観からすると、チョットあり得ないわけで、果たして本当なの?、夢じゃない、ご本人わかって喋ったの?等等心配する見解もあるのです。

安倍ドクトリンの前半は、敵国に対する終戦直後からのアメリカ合衆国の『寛容な心』、これに感謝を言っています。後半は、世界に類を見ない親密な同盟国となった日本とアメリカ、和解の精神で、世界平和のために尽くすと言っています。

前半部分は、美辞麗句と社交儀礼はともかくも、歴史的にはそのとおりです。しかし、そうであれば、平和主義が徹底されている日本がなすべきこと、特に同盟国アメリカに対してどのような態度をとるべきかは明白であり、実際のところどーなってんの?と言いたいですね。

私は、安倍氏の『郷里の先輩』らが中心となって築いてきた明治維新以来の日本、この国家は一言で評価すると、戦争ばかりしていたと受け取ります。ここではその理由や動機、まして自衛かどうかは議論しません。いつも言うように、戦争そのものが悪だからです。終戦があると言うことは、その最初があるわけで、日本が戦争を止める契機となった太平洋戦争、その始まりが真珠湾とされることから、真珠湾に行く意味があるのです。

ただし、戦争の始まり、そして日本が戦争を止めた、『戦後』となり、平和国家となった契機となった出発点の場所は、実は真珠湾だけではありません。アメリカ世論が騙し討ちと昂揚したのが、その直前まで、日米交渉が行われていたからとされますが、真珠湾の1時間前には、マレー半島を攻撃して上陸しており、真珠湾と同日には、アジア太平洋地域の米英の植民地に、欧米からの解放を名目に、爆撃を加えていました。すなわち、一口に太平洋戦争の始まりと言っても、真珠湾だけではないのです。この事実は、あまり知られていないと言うか、報道されないですね。

開戦の場所としてはいくつかある中で、偶々真珠湾が選ばれた、それはオバマ大統領が広島を訪問したことの返礼でも、退任間近のオバマ大統領へのはなむけであってもよいです。しかし、安倍ドクトリンの前半は、まさに日本国憲法の理念であるところ、かつて氏は、これとは相容れない発言をしています。

日本国憲法は、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、国の交戦権を認めません。つまり、他国に対して国の政策として武力を行使しないと言うこと、侵略戦争をしないことを反省を込めて宣言しているのです。

安倍氏、この日本のかつての侵略戦争を反省する国会決議に反対する目的で結成された『終戦五十周年議員連盟』の事務局長代理の地位につかれ、日本の二百万余の戦没者が、『日本の自存自衛とアジアの平和のために命を捧げた』と述べています。そして与党自民党の決議案が、先の大戦や日本の立場に関して、『侵略的行為』『植民地支配』を容れていることに反対してもおられます。


それでヤルタ会談で、日本の行為を侵略とし、これに連なるポツダム宣言を受け入れた歴史を否定したい、これが『戦後レジームからの脱却』なのではありませんか?安倍ドクトリンにより、これまで発信してきたご本人の思想歴史観を変えたと理解してよろしいのですね。だから評価されていることをお、忘れにならぬように願いたいものです。

真珠湾で亡くなったアメリカ人は、2.500人と言われます。日本人の死者310万人、アジア太平洋地域では1.000万人にも上る尊い命が失われました。人の命は地球より重い、もちろん数の大小で悲劇、そして命の重みが違うものではありません。天皇陛下は、昨年パラオ諸島フィリピン等をその地で命を落とした御霊に対して、哀悼の意を捧げにご訪問されました。安倍晋三さん、朝鮮半島、中国大陸、アジア太平洋地域で落命した数千万人の慰霊に旅する意思はありますか?真珠湾攻撃が、アメリカ国民からすると騙し討ちだとするなら、中国国民からすると、南京大虐殺なのです。

真珠湾でも広島でも、謝罪は必要ありませんでした。それは、心からの反省と哀悼の気持ちがあったから、『被害者』は、謝れ!とは求めないのです。それなら、歴史を否定しないなら、ぜひ南京に行って欲しいです。かつて日本が謝罪ことは誤りであるかのような一部の風潮、ハッキリ否定してきてください。

安倍ドクトリンの後半部分、日本は、日本国憲法のもと、軍隊を持たず、他国に武器を待って入ることもありませんでした。それが国連のPKO活動で自衛隊が国外に派遣され、その後閣議によって、日本国憲法は集団的自衛権の行使を認めているなどと解釈改憲して、昨年安保法制ができあがりました。


戦後他国に出かけて武力行使しているのはどこの国家でしょうか。その本土が他国から攻撃されたのは真珠湾であるが、建国以来アメリカが戦争をしていない期間は極めて少なく、『戦後』は、アメリカは、他国に出かけて戦闘行為に参加しています。平和国家日本、どうしてアメリカに意見して、これを止めされないのでしょうか。対等の、世界に類を見ない同盟国なんですから。『和解の精神』を発揮しないのでしょうか。


これを実践されるよう、見てますよ。

 

真珠湾での安倍晋三内閣総理大臣の演説を聞いた福本悟のひとりごとです。

2016年12月28日
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安倍内閣総理大臣は、日本時間の12月28日、ハワイホノルルで、アメリカ合衆国オバマ大統領と会談し、真珠湾にあるアリゾナ記念館を訪問後、アメリカ国民に向けて演説しました。

この模様は同時に日本国内にも発信されています。

日本国内では、安倍氏を支持(師事?)する方々を中心に、詩的で素晴らしい、感動したとの声が聞かれます。全体を通して、私も良いことを言ってるなと思いました。率直に言って、日頃の安倍首相の言動と、そこから推し量る考え方からすると、予想外でした。

前半部分は、静かな入江の波間に戦闘が起きて、この地で落命した御霊への哀悼の意の表明と不戦の誓いでした。この地で戦死した日本軍人の慰霊碑を、アメリカ国民が建立したことから始まり、終戦後見渡す限りの焼け野原で困窮していた日本国に手を差し伸べたのはアメリカ合衆国であり、さらに日本が国際社会へ復帰する道を開いてくれたことの感謝を、『アメリカ国民の寛容な心』として述べています。ここまでは、歴史的事実でもあり、外交儀礼とパブォーマンスが含まれているとしても、頷けるところです。

安倍総理は、なお言いました。戦後不戦の誓いをした日本、自由で民主的な国を作り上げ、法の支配を重んじ、平和国家として静かな誇りを感じながら、この不動の方針を貫いていくと。これは戦中戦後、アメリカ国民の寛容さによりもたらされたのだとするなら、今言っていること、やっていること違うのではないかと思います。

まず日本国憲法、あれは占領下で、アメリカに押し付けられたものだと言う主張。そして、この日の演説の後半にも繋がる『日米同盟』の内容です。戦い合った敵でも敬意を表する、憎しみ合った敵でも理解しようとする。その寛容の心は、どうしたのでしょう。安倍晋三氏は、いっぽうで、憎悪が憎悪を招く連鎖は無くなろうとしないとも言っています。この点アメリカを中心に、破壊的行動をとった敵を『テロ』と呼び、テロに屈しない、テロと戦うなどと言って他国の紛争に介入し、返す刀で『テロ』を引き起こされる、つまり敵を許さない、やられたらさらにやり返す方向性に進んでいることに説明つきますか。

アメリカ合衆国と日本、歴史にまれな、深く強く結び付けられた同盟国と言いました。そうなんでしょう。問題は、なんの同盟なのかです。世界を覆う幾多の困難に共に立ち向かう同盟と言いました。でも、それは誰の目線、誰にとっての『困難』なのでしょうか。かつての日本を別にすれば、アメリカ国土を攻撃してくる国や人はおりません。しかしアメリカは、外に出て行って、戦争をしています。正確に言えば、困難を抱えた国や民族の戦闘行為に、軍隊と武器を送り込んでいます。イラク戦争の後、ISイスラム国は出来ました。その前、アルカイダも石油を巡る利権が絡んだ中東地域での戦闘行為が契機となった面があります。テロの前には、テロに走った民族地域で、アメリカが加わった戦闘行為があったことを忘れてはなりません。

日本には、日本国憲法があります。

朝鮮戦争を契機に、警察予備隊が創られ、これが自衛隊に繋がります。でも、憲法があるから専守防衛であり、武器を携えて他国に出かけることはなかったのです。それが国連のpkoから始まって、今では集団的自衛権の行使ができるとされて、アメリカに対する攻撃が日本への攻撃となるとして、地球の裏側にまで、自衛隊が出動できる安保法制が確立しました。

何のために、誰のために、こんな体制が構築されたのでしょう。安倍氏は、この真珠湾こそ和解の象徴と言いました。なんでアメリカは、日本に対しなしたように、現在軍隊を派遣している国や地域と和解しないんでしょう。また、日本は、類い稀な同盟国に、和解を勧めないのでしょう。反対に自衛隊を派遣するなんて。

この真珠湾訪問に先立ち、日本が、安倍首相が、アメリカに謝罪すべきか、また、謝罪させられるのではないかの議論がありました。これは、先にオバマ大統領が広島を訪問した時にも議論されました。すでに寛容の心を持ち、類い稀な同盟国となったのであれば、そして互いに不戦の誓いをしているなら、互いに謝り合うまでもないでしょう。

真珠湾ではアメリカ人が、ヒロシマナガサキでは日本人が被害者となりました。ここが日本とアジア諸国との関係と違うところです。動機はどうであれ、アジア諸国の人々、特に朝鮮半島や中国大陸の人々に対しては、この理屈は立ちません。広島で、真珠湾で謝らなかったから、アジア諸国にそれでいいとは思えません。安倍晋三氏が内閣総理大臣になる前までは、河野談話や村山談話、そして基本的に歴代首相は、アジア諸国民に対しては、甚大な被害を与えたことに遺憾の意を表明してまいりました。それをあたかも謝罪を撤回するかな態度をとるから、その国々から批判が高まったのです。かつて謝ったのは間違いだったなんて、おかしいです。真珠湾とは違うのです。

それと気になるのは、真珠湾を済ませたから戦後は終わったではないということです。安倍晋三氏は、ポツダム宣言は、アメリカ合衆国が、原子爆弾を日本に2つも落として甚太な被害を与えた後に、これでもかって叩きつけて来たものと理解しています。それなのに、戦後レジームからの脱却を訴えています。言うまでもなく戦後レジームとは、ヤルタポツダム体制の打破です。これで戦後は総括されたから戦前回帰なんて、絶対に認められるものではないのです。


このとおり行うのであれば、法の支配、民主主義、平和主義これらの規範となる日本国憲法を守り抜く先頭にいなければならない。

国民も、詩的だとか言葉に酔ってではなく、安倍晋三氏の行動を、しっかり検証する必要があると改めて自覚した真珠湾でした。

 

こんなところで日本人の優しさを考えるーー過労自殺した若い女性の母親の1年後の手記から。

2016年12月27日
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昨年のクリスマスの夜、24歳の若い命を絶った女性の過労自殺。1年経った日、女性の母親が手記を発表しました。『人は自分や家族の幸せのために働いているのだと思います。仕事のために命を落としたり、不幸になってはならないと思います。』

この企業、今年のブラック大賞を受賞しました。報道各社も、女性の母親の言葉を一面に掲載するなど、過労死・過労自殺の問題を大きく取り上げました。

 
この社会問題化した違法残業、厚生労働省は、違法な長期間残業があった企業に対し、行政指導の段階での企業名の公表の基準を引き下げることなどを盛り込んだ緊急対策を公表しました。具体的には、月100時間超の違法な長期間労働を月80時間超に見直し、また、複数の事業所で、過労が原因で労災が認定された企業も、新たに公表の対象とすることであります。従前の基準のもとで公表されたのは1社と言う実態がありました。
私は、これを歓迎します。もちろんこの基準に引っかかるような企業が出ないことを望みますし、もし、違法残業を発見したら、果敢に、躊躇なく企業名を公表して欲しいです。見て見ぬ振りは厳禁、また、企業内部での告発もしやすくすべきです。公表を進めるべきなのは、この過労自殺に追い込まれた女性の悲劇、一部の経済人の間では、主としてネット上で、歪んだ見方が発信されているからです。
その最たるものは、普通に考えて、他に自殺する原因があったのではないか、また、困難に直面してどうするかは自己責任、嫌なら辞めりゃ良い等等。こう言うことを言う人たちこそ表に出て、ご遺族や厚生労働省の前で、自論を展開されるとよろしい。だから違法残業、過労による労災はなくならないのです。自己責任とは、みんな同じ立場スタートラインにいるとき、何にも影響されず、どこにも阿ることなく、自由に意思決定できる状況において言えることです。力関係やその時の環境で、『公平』を欠くときには、そんな原理は働きません。

 

よく言われるのは、今回ブラック企業大賞を受けた件の企業、この会社が残業漬けであることは、世間は皆知っている、だから分かって入社したのだから…と言う見解です。コレ、どうかしていますね。この会社、これまで行政からも司法からも断罪されていなかったと思います。また、新入社員相手にリクルートするときに、『ウチは違法残業させます』って公にしたのですかね。この大企業を知っている、それはその名に憧れたのかもしれない、取引したかったのかもしれない、その会社と付き合いがあると言いたいのかもしれない、そんな人たちのひとりごとでしょう。

 

 

そもそも違法残業していることを知っているなら、それ自体悪であり、どうして違法なことをしていた側を擁護するんですかね。こんなことしても、トリクルダウンは起きませんよ。
競争社会に犠牲はつきものかもしれません。犠牲となった人、舞台から降りた人に対して、敬意のかけらもありません。昔自分も死ぬほど仕事をさせられたと誇らしく言う人もいます。そのとき理不尽を思ったでしょう。でも、その理不尽を、だから他の人も受けるのは当たり前のような行動をすれば、世の中から理不尽は無くなりません。あの会社は違法残業をするのは当たり前なんてネット上で言っておりながら、自殺の原因は他にあるって、どう言う神経?

 
今回の厚生労働省の新基準、こんな意見を払拭することを期待したいです。万一にもこの基準に合っているとして、公表も何もされていない企業の社員、不幸にも労災が発生したら、世間は、『知らなかった』知らされていなかったわけですから。

 

 

今回発覚した痛ましい出来事に関して、『知っていたはず』だとして、その結果を回避できなかった悲劇を『自己責任』なんて意見した人たち、『自分は知っていた』、それなのに厚生労働省はなんだ!って、政府を非難するんですかね。
本当に日本人、優しさが無くなったと思います。

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