やはり『北空港』は、こころに訴えるものがあります。
2016年3月1日
今月いよいよ新幹線が北海道に入ります。道内では、いろいろなイベントが行われ、また、東北や関東の都市の『ゆるキャラ』さんをお迎えして、ともにアピールする姿を見かけます。
ただ、北海道と言っても、道南に限られ、新函館北斗駅が、函館市から離れていることや、札幌方面には、特急電車を乗り継いでも相当な時間を有するので、便利さと言う面では、新新幹線は、まだまだこれからとなりましょう。やはり北海道に入る代表的な方法は、航空路です。 私にとっての北海道の玄関口と言えば、新千歳空港です。これまでこの『ひとりごと』でも何回か取り上げましたが、私がいちばん好きな空港でもあります。
新千歳空港は、もとは航空自衛隊と民間航空機が共用していた千歳飛行場が、利便性と安全性の観点から、隣接地に3.00メートルの滑走路を並行して2本有する日本で最初の24時間航空機の離発着が可能な空港として、昭和63年に開港された北海道内最大の空港であります。そして、国内では珍しい黒字経営がなされている空港でもあるのです。
新千歳空港の年間利用者数は、羽田、成田、福岡についで4位ですが、単一路線としては羽田線が世世界一の旅客数であることは広く知られております。それ以外にも、『日本一』や『日本初』あるいは『日本最後』が、この空港が記録しているのです。今日は、少し時間があったので、いつものサッポロクラシックを浴びるように飲みことはやめ、空港内を探索しました。
すると、空港内3階に、『イベントホール翔』と言うコーナーがあって、そこには、新千歳空港の歴史が展示されていました。
この空港は、大正15年10月22日千歳村民の労力奉仕により10haの着陸場が完成し、ここに当時『北のウォール街』と呼ばれた小樽から、小樽新聞社の『北海1号機』と名付けられた飛行機が着陸したのが最初で、昭和9年10月28日に『千歳飛行場』の竣工式が行われたのです。戦時下にあっては、海軍の飛行場となって、終戦により連合国軍に接収され、昭和34年7月に、この飛行場は防衛庁に返還されました。この歴史から、航空自衛隊千歳基地である千歳飛行場が生まれたのだと知りました。
現在でも千歳基地となっている千歳飛行場と新千歳空港は、誘導路で繋がっていて、相互に行き来可能であり、管制も一括して航空自衛隊が行なっていることは、よく知られております。 さて、日本一、日本初のお話です。戦後民間航空が再開されたのは昭和25年ですが、千歳と羽田の間に、日本航空が就航したのが最初です。日本航空が、国内初のジェット旅客機を就航させたのも千歳と羽田でした。また、『ジャンボ機』として知られたボーイング747の初就航も、千歳羽田間であり、そしてジャンボ機最後の国内線発着となったのも、平成26年3月30日、全日空羽田発新千歳空港着便でありました。
羽田新千歳間が、世界最大の旅客数であることは有名ですが、平成18年には、単一路線では羽田線が、世界で初めて年間利用者数1.00万人となったそうです。そして、新千歳空港に絡んだ深刻な航空機事故は起きていないことが、この空港を利用する者に、安心と喜びを与えます。ところが先月、日本航空福岡空港行きボーイング 737型機からの緊急脱出の際、シューターから降りた乗客数名が怪我をした『事故』が起きてしまいました。ちょっとだけ、残念な気持ちで空港内を歩きました。 そしたら、思いもよらぬものを発見しました。私は音痴ですが、それでも誘われれば、カラオケをすることはあります。まだ30代のころ、連れて行っていただいたすすきののお店では、何回かお姉さんに相手していただいたあの名曲の歌詞碑があったのです。
私は、演歌は好きです。福岡で司法修習生をやっていたとき、作曲家浜圭介さんが、ラジオ番組に出ていて、ひとりの女性歌手について紹介していました。ハスキーボイスのこの女性、大阪を舞台にしたデビュー曲からヒットを飛ばし、私は、とても好きな歌手でした。コンサートと言えば、50歳にして覚えたコブクロを除けば、五木ひろしさんに1回、そしてこの女性歌手のコンサート、今は無くなってしまいましたが、当時は、きさらぎ法律事務所近くにあった新宿の厚生年金会館に行って聴きました。今は……。 かれこれ30年くらい経ちましたか。
今でもデュエットの名曲、大阪では『ふたりの大阪』、東京なら『銀座の恋の物語』、そして札幌ならこれです。夜の札幌と北海道を離れる空港を舞台にした浜圭介さんとのデュエット『北空港』 北空港の歌詞碑は、飛び立つ航空機を背にして、高さ2m幅0.9m、ボタンを押すとメロディが流れ、色とりどりの照明が歌詞を照らす仕組みです。
私もボタンを押して、飛び立つ航空機を眺めました。この歌詞碑は、平成16年7月24日に設置され、除幕式には、浜圭介さんとこの女性も出席したそうです。この碑は、もともと空港のセンタープラザに設置されていたところ、2010年ころから始まった新千歳空港の改修工事により、現在の3階フードコートに移動されたと言うことです。
私は、サッポロクラシックにありつくため、何回もセンタープラザにあるエスカレーターを使っていたわけですが、全く気づきませんでした。そして、現在の場所に移動したわけてわすが、この間『事件』は起きたのです。覚せい剤取締法違反で逮捕勾留され� �有罪 判決を受けたことにより、歌詞碑から、女性歌手の名が消えたのです。 デュエットですから、浜圭介さんの名だけ残っているのはどうか、あるいは、歌詞碑自体撤去すべきだとの意見もあったそうです。
ビルを管理する北海道空港株式会社は、『唄•⚪️⚪️⚪️&浜圭介』の部分を、浜圭介さんの了承を得て削除したのです。このときの浜圭介さんのご様子について、この歌詞碑が残ることに、ホットされていたと語られています。この女性歌手、日本から離れましたが、昨年韓国当局に逮捕され、覚せい剤取締法違反で実刑判決を受けたと報じられましたね。残念としかいいようがありません。
でも、『北空港』は不滅です。甲子園歴史館が、覚せい剤取締法違反の被疑者となった元高校生甲子園ホームラン記録の持ち主のバット等を撤去したことについて、この『ひとりごと』でも触れました。新千歳空港の『北空港』の歌詞碑、こちらは、撤去されていません。でも、久しぶり?の好天に恵まれた新千歳空港で、離発着の風景が見れる場所に設置されているこの歌詞碑、周囲には、飛び立つ航空機を眺める多くの人がおりますが、こちらには、誰も見向きもしませんでした。私は、ボタンを押して、最後までこの名曲のオルゴールによるメロディを聴きました。やはり新千歳空港は、こころに何か訴えるものがあるように思いました。
ボーイング737型機に搭した経験から。
2016年2月29日
よく似たことがあるなと思うことはありませんか?
私は新千歳、福岡によく行き来しますが、スカイマークと一部のエァドウの航空機は、ボーイング737型機ですが、JALとANAはほとんどがボーイング777型機が使用されています。ジャンボ機と呼ばれたボーイング747型機が、日本の民間航空機としては姿を消した後は、この777型機が幹線の主力となっています。
搭乗客数が100人台の737型機は、主として地方路線で使用されていると思っていました。 先日新千歳空港で、日本航空福岡行きボーイング737型機の事故がありましたが、大きな事故とはならなかったところ、荷物を持ってシューターで脱出した人や、騒ぎながら動画を撮っている人、緊急脱出時の援助がなされていない様子が映し出され、ネット上で意見が寄せられています。
ちょうどこの日私は、ボーイング737型機で鹿児島空港に向かいました。機内が狭く、座席の上の荷物棚も狭いので、航空会社の呼びかけもあるのかもしれませんが、手荷物預けが多いようです。それで、出発時刻を過ぎ、また、航空機のドアが閉まっても、貨物室への荷物の収納が進まず、出発と到着が遅れてました。
これは、ボーイング777や787型機が基本の幹線ではあまり経験しないことです。 同じ週に、新千歳空港行きに搭乗しました。幹線では珍しいボーイング737型機でありました。数日前のあの新千歳空港発福岡行きのあの便と同じ機体です。ボーイング737型機からですと、到着口搭乗口とはかなりボーディングブリッジの高低差があります。ところで、また『一部』同じ経験をしました。それは、貨物室への荷物の収納が進まず、出発と到着が遅れたことです。 出発時刻が経過しても、また、貨物室への収納作業をしている音と揺れが感じました。確かに係員が慌ただしく外で機械を操作していました。
ドアが閉まって10分以上経過して、羽田空港をJAL501 便定刻6時30分発札幌新千歳空港行きは出発したのです。ただし、出発が10分以上遅れたのに、珍しく?客室乗務員から、説明はありませんでした。満席の乗客の室への荷物預けには、かなり時間がかかると言うことでしょう。
私は、これはやむを得ないと思っています。ただ、遅れの原因は、貨物室への想定外の搬入によるものてあることはわかっていたので、CAさんは、そのとおり機内アナウンスすれば良いのにと思いました。たとえ5分でも、出発が遅れた場合、あるいは到着が遅れた場合であっても、皆さんご存知の大手2社は、お詫びのアナウンスがあります。でも、不思議なことがありました。 なんとこのシーン、私は、前夜夢の中に出てきたのです。どこかに行くため航空機の中にいて、貨物室への荷物の搬入作業を見ている自分がいたのです。
そして「遅れておりますが……」のCAさんのアナウンスがなされたところで、目が覚めたのでした。そのまま家を出て、羽田空港で6時30分発新千歳空港行きのJALの737型機に搭乗したところ、現実の世界ではアナウンスはなかったのでした。 ある人が言っていたこととして、日頃頭の中で気にしていることが夢の中に出てくる、しかし、現実の世界ではそれは存在しないのだそうです。
例えば、みっともない自分と決別してダンディなおじさんになりたいと願っても、現実の世界では起こり得ないが故に、寝ているときに出てくるのです。だけど、航空機内への荷物の搬入作業がたいへんで航空機の出発が遅れ、しかもその理由のアナウンスがないのはあまり経験しないのではないでしょうか。
このところ私の頭の中で、『ボーイング737型機』『荷物』がひっかかっていたと言うことです。でもやはり夢は現実にならないことが明らかとなった実にくだらないここ数日の経験でした。
非常時の説明ビデオは、必ずご覧ください。
2016年2月26日
羽田空港から鹿児島空港に向かった日、北海道新千歳空港で、離陸前に降り積もった雪を下ろすために、再度駐機場に戻ろうとした福岡空港行きJAL機が、機内に煙が立ち込め、臭いもきつくなり、爆発音も聞こえたとかで、機長の判断により、搭乗者が緊急脱出した『事故』がありました。
重いボタン雪が、エンジン口に取り付いて、エンジンが不完全燃焼状態になったのではないかと報じられています。機内に煙や臭いが蔓延したら、たとえボーディングブリッジを離れた雪の中であっても、いち早く乗客を下ろした機長の判断は、正しいと思います。脱出の際、数名軽い怪我をされたようですが、不謹慎かもしれませんが、この程度ですんで良かったのではないでしょうか。
先日は、福岡空港で、離陸のため滑走路を走行中のJAL機が、おそらくバードストライクと思われる事態に見舞われてエンジンから発火し、急遽離陸を取り止める事態があったばかりです。飛行機は、空中にあるのが仕事で、鳥や雪とは共存していかなければなりません。自然が相手ですから、想定外の事態に見舞われることもあるでしょう。そんなとき、どのような対応をするかで、プロの真価が問われます。
後で映像を見て気になることがあります。それは、脱出の際、荷物を持って降りた人、緊急脱出の際、ダッシュ口の下で、手助けが行われていないことです。こんなときにも、動画を撮る人が後を絶たない現象には、もう慣れましたが。航空機内では、離陸前に、緊急の場合の対応が必ず説明されます。
必ずご覧くださいとCAさんから言われるのですが、けしからないことに、私は見ていません。たぶんこんな具合だろうと思っていて、そもそも『弾は当たらない』と思っているからです。
そんな私が言えることではありませんが、なんで荷物を持って降りるのでしょうね。緊急なのですよ。お土産か何か知りませんが、命あってのなんとかではありませんか。また、荷物は、緊急脱出の妨げになるゆえに、禁止されているものです。特にボーイング737型機は、通路は1本です。人や脱出用具に当たったらなんとしますか。
それと、非常口の座席は、広くなっていて、ビジネスマンの特等席と言われます。それは、非常の際に手伝いをする約束のもと、座ることが許されているのです。
この事故自体は仕方ないと思われますし、操縦室の判断、客室乗務員の指示誘導も、さすがと思わせます。特に寒さの中、CAさんは、自分たちの暖房用衣類を乗客に与えたと報じられてもおります。それなのに、脱出後30分も、乗客たちが外に残されたことはなんなのでしょう。まさか雪が酷くて視界不良で救出に迎えに行けなかったとでも言うのでしょうか?
寒さの中、病人が出ないことが幸いでした。でも、その救出を待っている間、少し落ち着かれたのか?動画を撮っている余裕も出たようです。
いつも何も考えないで機内にいたのですが、本当に非常時はあるんだとわかったので、鹿児島空港からの帰りのJAL便では、真面目に?非常時の案内を見ました。
いつものことですが、CAさんは、「必ずご覧ください」とアナウンスします。この日は、新千歳空港で事故になった737型機でした。久しぶりに、初心に帰って機上の人となったのでした。
雨の中の五代友厚像の下で考えてみました。
2016年2月25日
昨年は、『まさロス』と言う言葉が流行りました。マッサン?ではなくて、福山雅治さんです。
そして今年早々、『五代さまロス』です。NHK朝ドラ『あさがきた』で、ディーンフジオカさん演じる五代友厚氏が画面から消えたからです。ところが主人公白岡あさの夢の中に、『五代さま』が現れたのです。
五代さまが朝ドラに『再登場』した翌日、私は鹿児島市に来ました。
五代友厚は、薩摩藩出身の武士でしたが、明治維新後実業家として、特に大阪経済の恩人と言われております。この辺り、『あさがきた』をご覧になっている方ひはお分かりのことです。大阪証券取引所の前に大阪経済の恩人として、また、大阪経済の顔として凛々しい銅像があるそうです。こちら鹿児島市には、中心街からほんの少し入った公園の入口に、銅像はありました。地元の人もあまり知らないようで、雨だったせいもあり、私以外足を止めた人間はなかったです。
出身地と別の場所が、その人にとって、縁深い土地とされることがあります。例えば、豊臣秀吉は、現在の愛知県出身ですが、天下統一した後、大阪城にあり、秀吉と言えば大阪のイメージがあります。でも、東京で生活する私は、江戸幕府を開いた徳川家康は、東京のイメージはありません。それは江戸から東京となったからでしょうか。
五代友厚と同じ薩摩藩出身の黒田清隆は、例の官営物払下げ事件で思い出されるように、北海道札幌にはなくてはならない人となっています。この点、西郷隆盛、『せごどん』は、城山の西郷さんと言われるごとく、根っからの薩摩鹿児島の人ですね。
山梨県人のうち4分の3の方は、尊敬する人物として武田信玄をあげると聞いたことがあります(何かの統計を取ったわけではないようで、真偽はわかりません)。甲斐信濃の盟主で、信玄公亡き後武田家が滅亡したこともインパクトが強いのかもしれません。
武田信玄の好敵手上杉謙信の上杉家は、謙信公の後を継いだ上杉景勝の代に、米沢に移りましたから、上杉家と言えば、新潟よりも米沢の印象でしょうか。もともと上杉家は、関東管領の名家でしたし。
私の世代は、プロ野球は巨人が強かったこともあり、東京の早稲田実業高校から、読売巨人軍に入った王貞治氏は、どう考えても東京の人でした。ところが20代の息子たちに言わせると、王貞治氏は、福岡の人なのです。
世界のホームラン王王貞治氏は、1994年にダイエーホークスの監督になって以来、チームが福岡ソフトバンクホークスに変わり、自身が球団会長に就任した現在も、『福岡』が本拠地です。確かに、もう、20年以上経ったのかの思いです。王会長のお気持ちはわかりませんが、東京生まれで福岡がふるさとと言って憚らぬ私にとって、王貞治氏が福岡に定着?したことは、とても嬉しいことなのです。
五代友厚氏は、鹿児島県出身で、最後は東京で療養生活をされましたが、大阪の顔なのです。人間どの場所ボディションにいるときが最も力を発揮できるか、自分とその場所に何を残せたかが重要な気がいたします。
そういう意味では、『五代さま』は、まさしく大阪時代が輝いていたことは疑う人はおられないのではないでしょうか。鹿児島市の公園にある五代友厚像は、大阪の方向を向いています。きっと大阪に心を残しておられたのでしょう。飛んでいけ!と願っておられるかのように。
航空機の出発時刻をご存知ですか?
2016年2月24日
春が近づき、プロ野球、プロサッカーチームのキャンプやオープンゲームが盛んです。
特に南国と言われる沖縄、鹿児島、宮崎、高知には、関係者マスコミが入ってきて、空港ターミナルは賑やかです。そんな沖縄那覇空港で、プロ野球パリーグに今年入団したばかりのドミニカ共和国出身の選手が、バッグ内に実包1個を入れていたことが手荷物検査所で発覚して、銃砲刀剣類法違反の被疑事実で逮捕されたと報じられています。
ちなみに、この選手の母国では、この所持が許される場合があるそうです。 この選手、件の実包は、自分の物に間違いないと認めた上で、ドミニカ共和国の自宅にあったものだが、これがバッグに紛れ込んでいたことには気づかなかったと述べているそうです。もし、これが事実なら、実包を所持していた認識はなかったので犯罪は成立しないことになります。日本で野球をするために入国したのですから、実包を持つことが許されないことは、知らされていたでしょう。
そうであれば、なんでわざわざこんなもの持ち込む必要があるのでしょう。拳銃があったとは聞いておりません。
それにしても不可解なのは、この選手、成田空港から入国し、羽田空港→新石垣空港→那覇空港と経由して、逮捕された日は、那覇空港から鹿児島空港に搭乗する際の手荷物検査で『発見』されたと言うことです。本当に、母国から持ち込んだならーーたとえ本人にその認識がなかったとしてもーーこの日の那覇空港までに、国内の空港で何回か手荷物検査を受けているのに、なぜ発見されなかったのでしょう。
沖縄県警は、入手経路慎重に調べているとのことです。あるいは、日本国内で、何人かから入手したと疑っているのでしょうか? 最近は、もうなんとも思わなくなりましたが、私は、空港での手荷物検査所、アレ嫌いでした。なんでかと言うと、きちんと検査しているとは思われないからです。なんとなれば、金属類のみならず、およそ何も持たない、ただ服を着用しているだけのとき、行きと帰りと全く同じ物を持ち歩いたときに『ブー』となったからです。
アレは、単なるこけおどしなのでは?と思えました。本当に危険物が持ち込まれたら大丈夫かなと思いました。まあ、気の弱い『犯罪者』なら、たとえこけおどしでも、一般予防にはなるでしょうが。 そんなふうに考えた昔を思い出させる今回の一件であります。 この選手は、その場で逮捕されたので、この選手が搭乗予定の便は出発遅れはなかったでしょう。
でも、厳しい手荷物検査の影響で、搭乗機の出発が遅れることは多いです。特に羽田空港は、これが慢性的に起きていると感じます。そんなこともあってか、航空各社では、手荷物は1個にするよう、大きな荷物は機内貨物室に預けるよ呼びかけしています。ところが、今日は、これが原因で出発が遅れました。
私は、この日朝一便、鹿児島6時25分発のJAL鹿児島空港行きに搭乗するため、ギリギリ6時05分に手荷物検査所を通過し、機内にほとんど最後の客として入りました。ところが、搭乗予定客が揃っても、なかなかドアは閉まりません。なんと航空機に搭載する手荷物がまだ搬入作業中とこことでした。私の座席からその様子が見れました。
荷物が全て機内に入ったときには出発時刻を過ぎていました。小さい航空機でしたかは、人間対荷物のバランスが悪かったのかもしれません。 航空機の出発時刻をご存知ですか。例えば、時刻表に午前9時と書いてある場合、何を持って9時とするのかのでしょう。
正解は、航空機が動き出すときを指します。つまり、搭乗手続締切でも、離陸時でも、また、航空機のドアがしまつたときでもないのです。
正確には、『航空機が、止まっている位置から動いたとき』と言うのですが、具体的には、航空機を誘導路に出すために、トーイングカーによって、プッシュバックされる瞬間であります。
ですから、プッシュバックして誘導路に出たものの、混雑その他でなかなか離陸許可が出ないときなどは、公式記録上出発してから随分時間がかかるなと感じられることがあるのです。
福岡空港から羽田空港までの所用時間がら2時間くらいになるのは、世界一離発着間隔が短い福岡空港と羽田空港の混雑が影響しているのです。福岡空港から羽田空港まで、冬季でしたら、ジェット気流に乗りますので、離陸後1時間10分くらいの飛行時間なのですが。 今日は、手荷物検査で往生せず、航空会社の定時出発に皆さん協力したにも関わらず、出発および到着時刻が遅れた経験をお話ししました。航空機に乗ると、いろいろな発見がありますよ。