2月14日バレンタインの日に、東京では春一番が観測されました。

2016年2月16日
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バレンタインデーの14日、日本列島は、急速に発達して日本海を東北に進む低気圧の影響で、全国的に強風が吹く、大荒れの天気となりました。この低気圧に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、大気の状態が不安定となって、都内でも最大瞬間風速が軒並み20mを超え、交通機関は朝から乱れました。この南寄りの風は、今年の『春一番』と観測されました。

春一番とは、北海道、東北および沖縄地方を除く地域で、例年2月から3月の半ば、つまり立春から春分の間に、その年初めて吹く南寄りの強い風のことで、特に太平洋側で観測されます。春一番が吹いた日は、気温が上昇しますが、翌日は、西高東低の冬型の気圧配置に戻ることが多いとされます。


14日は、東京では前日から2日続きで気温は20℃を超え、仙台、名古屋他全国78地点で、2月としては、史上最高気温を記録したようです。都内では、24℃くらいになり、汗ばむ陽気でした。

『春一番の日』があるそうです。いつころから春一番なる言葉が用いられたかは諸説あるらしいですが、『2月15日』が春一番の日なのだそうです。それは1963年2月15日に、関東地方で発生した突風を、朝日新聞朝刊が、『春一番』と表現したからとされています。でも、春一番は、立春から春分までの間の突風ですから、この時期を外れた突風は、春一番とは言わないそうです。


また、一番は理論上1回しかありませんが、春一番と発表された突風の後、春分までの間に、さらに強い南寄りの風が吹いた場合、あまり聞きませんが、『春二番『『春三番』と呼ぶこともあるそうです。今年は、『春一番の日』の前日に、春一番が観測されたことになります。

春一番が吹くと、確かに翌日は、また冬型の天気になる例ですが、やはり春は近いと感じられるのではないでしょうか。私の場合、確定申告の時期、そして我が家で生活する母犬から産まれた子どもたちの誕生日の時期でもあります。女の子がいるご家庭は、お雛様でしょうか。我が家の周りには、そろそろ『つくし』が顔を出します。今、梅の花がきれいです。これから沈丁花の香りが漂うのでしょう。そして春は別れと旅たち、巡り会いのときでもあります。

きさらぎ法律事務所で、『このような』仕事をさせていただいておりますと、別居中の夫婦にあっては、子どもの行事、特に卒業式、卒園式、これに続く入学式、入園式への非監護親、すなわち、子どもと一緒に暮らしていない親、これはほとんどが父親ですが、この親の『出席』を巡るやりとりを行う時節でもあります。


夫婦が婚姻中は、子どもに対しては共同親権となります。何らかの理由で、夫婦が、そのどちらかが離婚を希望して別居しているとき、これを我々の世界では、子どもに対する事実上の監護親と言います。この監護親、通常母親であることが多いですが、非監護親は、子どもとの面会を求め、特に節目となる卒園式や入学式には、なんとしても出席したい、それが叶わないときは、せめて遠くから、子どもに気づかれない状態で、その姿を眺めたいと願うのです。

そんなご夫婦の間での面会交流、この時期では、両人のお子さんの節目となる記念の日に、非監護親が、その姿を見ることが叶うよう、私どもは、お手伝いします。この『ひとりごと』でも、触れたかもしれませんが、実は、離婚そのものよりも、子どもとの面会交流を巡る調整や決め事のほうが、その履行、すなわち実現性まで考えれば、遥かに厳しい局面が予想されるのです。


きさらぎ法律事務所弁護士福本悟にこの種案件をご依頼される方は、その事実上の監護親の立場であっても、面会交流の重要性は承知されています。別居に至った理由が、たとえDVなどの配偶者との接触自体を回避すべき事情があっても同様です。お子様のため、これを裁判所では『子の福祉』と言いますが、関係者は、工夫して実現いたします。
しかし悲しいかな、夫婦の問題と、親子の関係を一緒にする方は少なくありません。確かに同居中さまさまな葛藤はありました。子どもとて同様です。でも、お子様が生まれていつころかまでは、あなたが忌み嫌う方は、実質的にも『お父さん』(お母さん)だったのです。形式的には、別居中の現在も、お父さん(お母さん)です。今のあなたからすると、「子どもをかわいいなんて思っていない。きっと『会いたい』は、嫌がらせに違いない」となるのでしょう。


それはそうなのかもしれません。でもそれは、あなたの現在の目線です。彼は(彼女は)は、お子さんからすると、それでも親なのです。親を子から遠ざける理由はなんでしょう。それはあなたの理由です。ご自分ひとりで、子どもを育てて来たわけではない、別居中の現在でも、婚姻費用の負担なりを通して非監護親は、子どもを思い、子育てを分担しています。一生懸命なのはわかります。


必死に子どもを監護して来たはずです。だからこそ、その姿を見せてあげましょう。気持ちが楽になるはずです。おそらく子どもが会ってしまったら、そちらになびくのではの不安があるのでしょう。でも、本当に、真から、子どもが気になる非監護親は、そんな余裕はありません。あっと言う間に時間が流れるだけです。そして、あなたに感謝するでしょう。

写真 2こんなに素直で、健康な成長をしている、そして節目となる今日のこの良き日を迎えられたことを。

春一番が吹くと、私がいちばん感じるのは卒園式卒業式、そして入学式です。


新たな旅たちの季節です。私の家の近くの公園の梅の花は、もう満開です。この公園の向かい側には、保育園があります。いつも元気な子どもの声が聞こえます。子どもは、親を選べないとはよく聞く言葉です。だからこそ、あなたの現在の思いから、片親を、子どもから遠ざけることはやめましょう。きっと、あの日あの時非監護親が、自分の晴れ姿を見てくれていた、大きくなったとき、きっとお子さんは、あなたに感謝するでしょう。


梅は、『春告草』とも言われますが、梅の果実は、1節につき1個しか成らないと言われます。あなたのお子さんには、たったひとりのお父さんお母さんしかおりません。梅の花を眺めると、毎年同じことを考えてしまうのです。

 

ある県議会が、全会一致で、報道機関を呼び出すことを決めたとの報道に寄せて。

2016年2月15日
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ある県議会が、2016年の県予算の概要を、県から議会に説明する前に、地元のNHK放送局が報道したことを遺憾として、放送局担当者を呼び出して、説明を求めることを決めたと報道されました。

なんでも県政記者クラブに加盟する新聞社、放送各社には、県が予算案を説明し、県議会議会運営委員会の終了後に報道するよう求めたところ、NHKは、独自取材に基づいて、件の委員会の開催前に、予算の規模や事業の概要を放送したそうです。ちなみに、報道機関と県議会との間には、報道の時期について、取り決めはなされていないようです。

この報道を聞いたとき、「ほら、来たか」と、「何を偉そうに」の思いが湧き出ました。

先日、現内閣の総理大臣が、放送局に対して、電波停止を含む指導の可能性を発表した『効果』がもう現れたかの恐怖と、このところ露わとなっている国会をはじめとする議会、議員の奢り、能力の低さを感じざるを得ません。特に驚いたのは、『こんなこと』を言い出すのは、県議会自民党であるにせよ、『全会一致』でNHK担当者を呼び出すことを決めたと言う点です。

国会では、現在2016年予算が審議されています。この『ひとりごと』でも、その内容を取り上げたかもしれませんが、政府の予算案は、国会で審議される前に、マスコミ各社は概要を報道しました。

そもそも予算は内閣(自治体の長)が国会(自治体の議会)に提出して、国民住民の代表者に審議してもらって決議を得て成立する仕組みですから、国民住民は、代表者が審議する予算案がどのようなものか、また、国会議会は、きちんと対応しているかをチェックする機会、その情報を得る機会があってしかるべきです。それを議会が把握するまでは、自分たちを選んだ住民には知らせるなとは、あなた方は随分偉くなったのですねと言いたいです。

まして、総理大臣が仰ったような『国論を二分する政治課題』とは思われませんし、NHKが、『公正中立』『不偏不党』に逸脱する報道をしたとも思えません。県議会の先生方、報道機関は、自分たちの単なる広報機関くらいの感覚なのでしょう。

こんな態度を向けられたNHKをはじめ全ての報道機関は、メディアの使命は、独立して権力を監視すること、厳重に抗議すべきです。

そもそも議会が、権力を使って報道機関を呼びつけること自体、報道への介入になることが全く理解されていません。自分たちが知る前にメディア、そして主権者である住民が知るのはけしからんと言っているのと同じで、かつて『マスコミを懲らしめる』と発言した自民党若手議員の存在が露わになりましたが、地方議会まで、自分たちは偉いかの錯覚による高飛車な態度が蔓延したと思います。

それにしても『全会一致』とは驚いたと言うか、呆れました。国会の『一強他弱』の状況は、この国の隅々まで蔓延したのでしょうか。先日の『ひとりごと』にも書いたとおり、このところの政府与党の高圧的な姿勢は、政権や地方の与党まで、マスコミを統制しても、批判されないどころか、一定の支持を得ている感があります。
この県議会の民主党「突然の自民党側の提案で、いいも悪いも判断できなかった」。共産党「県民の代表が知る前に報道されるのはおかしい。議会にとって大きな問題と思って賛成した」そうです。

ここで助け舟が出ました。

この県議会の全会一致の決議が出た直後、県の広報課が、県議会議長である自民党県議に対し、「ルールを逸脱したことについて、既にNHKに抗議した」と連絡、それで各会派を回って、NHKの招致は撤回することの同意を得たのだそうです。

ちなみに、問題となったNHK支局、「議会から連絡を受けていないので、お答えできない」とのことであります。そしてこの県議会議長、「報道への介入という意識はなかった」と述べたそうです。

この日、国会では、安倍内閣総理大臣が、先日の発言は、表現の自由、報道の自由を侵害するものではない、安倍内閣は、これまでの報道に関する見解を変更したものではないと国会で答弁したばかりでした。

さすが一強他弱、直ぐに地方まで『一声』が飛んで、徹底されたのですね。安倍総理は、報道の自由、表現の自由は、安倍内閣になってより強く守られたと国会で述べられました。

この一地方に起きた報道の自由、表現の自由を侵害しかねない深刻な事態を、この国会での一言で、救ったことになるのでしょうか。

 

福岡市で白子ポンスを食べながら札幌市を想う。

2016年2月12日

冬の味覚と言えば何を挙げますか?

 

冬しか採れないもの、旬が冬季のものです。魚で言えば、北海道はタラ、ドンコ、カレイ、九州はあら、フグ、そして鯖でしょう。

 

牡蠣は、広島県や宮城県が知名度全国区ですが、北海道はサロマ湖、厚岸湾、九州は博多湾、九十九島等いろいろあります。そんな中で、九州贔屓の私は、『さば』『ぶり』ですね。 年末になると、博多の台所『柳橋連合市場』をはじめ、福岡市内の鮮魚店には、軒並みぶりが並びます。

 

玄界灘で獲れたものがほとんどですが、ときに大分県や鹿児島県産も入ります。寒ブリとして、北陸地方が有名ですが、こちらのブリも、形と言い、大きさと言い、そして美味しさと言い、全く負けていないと思っています。福岡博多で、この時期ブリが多く見られるのは、福岡では、正月のお雑煮にぶりを入れるからです。

 

すなわち、『アゴ』『かつお菜』『ぶり』に、丸餅を入れたすまし汁のお雑煮なのです。アゴとは、とびうおを干したもので、良い出汁となります。 私は、子どものころ正月が好きではありませんでした。それは、どうにもお雑煮と言うものがイヤだったからです。いつも東京にはふるさとはないと言っていますが、あるのかどうかわかりませんが、『東京のお雑煮』なるものを食したことがなかったです。

 

でも、やはり母は、お正月だとして、お雑煮もどきをだします。これをおふくろの味と思えば良いのかしれませんが、『お雑煮』と言われたら、正月のしるし、おめでたいものと言われたら、勘弁願いたいものでした。『決まり』なんかなく、毎年お椀に餅は入るものの、他はごった煮みたいで、どんな味がしたか、何が入っていたか覚えておりません。

 

学生でしたし、お雑煮に期待もなかったです。 それが福岡のお雑煮を知って、もうやみつきになりました。我が家では、正月は、『アゴ』『かつお菜』そして『ぶり』のお雑煮です。ぶりは、柳橋連合市場から31日に送っていただき、干しアゴとかつお菜は、2月の節分に、櫛田神社に詣でた機会に、岩田屋さん等市内で仕入れて持ち帰り、すぐに冷凍して1年間寝かせます。かつお菜も、12月から2月ころまでの野菜で、まさにかつおのにおいがし、かつおのような出汁が取れれます。今年も買ってきました。

 

さばは、どうかと言えば、福岡博多では、『ごまざは』を年中食べるので、冬のイメージはないかもしれません。昨年の今ころ、この『ひとりごと』にご紹介しましたが、『ごまざは』とは、福岡博多では、鯖の種類を言うのではなく、生の『真鯖』にごまを混ぜて食べることを意味します。そうです。福岡市内と言うか、九州では、ざはは生で食べるのです。おきうと、がめに、明太子と並んで、博多の朝食とされています。

 

私が、冬の福岡で楽しみにしている『さば』は、これではありません。秋から冬に玄界灘で獲れる『さば』です。

写真 1

『さば』、特にこの時期最高なのは、玄界沖でも九州からかなり離れた五島、対馬、済州島の間あたりで獲れるさばです。見た目も大きく、脂のノリも良く、素晴らしいとしか言いようがない美味しさです。ちなみに、この海域は、魚の宝庫で、『あかむつ』も、ここの物が最高だと思っています。

 

五島や対馬の新鮮なさばを生で食べるべく刺身にした後、炙って食べた感動は、言葉では言い表せません。さばの素晴らしさを知る機会ともなります。 先日福岡で、さばを楽しみました。これも行きつけの店になりつつある『天神あらんどろん』です。ここは、年中五島の鯖を出していますが、春夏秋冬この店で『五島の鯖。刺身とごまさばで』を注文している私からすると、やはり時期によって脂ののり具合はわかります。

写真 3

2月のさばは、最高ですね。おまけ?と言っては失礼ですが、天神あらんどろんには、『白子ポンス』がありました。福岡だからと言って、トラフグ白子ではありません。

 

 

タラの白子です。道内でも、新鮮な白子ポンスにありつける機会はそれほどあるわけではありません。店主の説明では、アラスカやロシアから入るので、結局どこの魚市場に船が入るかが重要だと言われました。国外の品物が、直に福岡漁港に入るのだから、北海道で食べるのと、さほど違いがないと言う意味なのでしょう。

自分に向けられた批判的意見こそ大切にしたいものです。

2016年2月10日
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現内閣の総務大臣は、衆議院予算委員会で、放送局が政治的な公平を欠く放送を繰り返したと判断された場合は、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及しました。

これを受けて、政権に批判的な放送をしただけで業務停止が起こりうるとの野党議員の質問に対しては、「法律は法秩序を守る。法違反があった場合は、罰則規定もあるから、実効性を担保する必要がある」と強調しました。

放送法4条は、放送局の自律性を守る倫理規定とされてきました。例えば、NHKの過剰演出問題を検証した放送倫理•番組向上機構(BPO)は、そもそも総務大臣が、NHKに対して文書により『注意」したこと自体が、「政府が、個々の番組に介入することは許されない」と批判されました。

もともと電波による放送は、民主主義社会を支える国民の知る権利に奉仕する役割があり、公共性と併せて、政治権力に支配されないことが求めれます。現代世界でもその例がないとは言えないのは、権力者によるマスコミ統制です。これは、ナチスによる喧伝が代表例とされます。放送局には、ときの政治に阿ることなく、自立独立し、かつ、自らを律する必要があるのです。

BPOは、NHK過剰演出問題で、「行政からの指導、それも放送行政で許可権限を持つ総務大臣が意見を表明するのは、非常に問題かある」と指摘されたばかりです。それを「放送法の規定を遵守しない場合は、行政指導を行う」と総務大臣が宣言するのでは、放送局は、許可権限を有するときの政府を向いて業務を行うことになりかねない危惧を覚えます。

政治的公平を欠くとはどのようなケースでしょう。総務大臣は、「国論を二分する政治課題で、一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げて、それを支持する内容の放送を相当時間にわたり繰り返す放送」を挙げました。これで思い出すのは、一昨年の衆議院議員総選挙の前に、あるテレビ番組に生出演した内閣総理大臣が、街かどでは、アベノミクスの効果を感じられない声が放映されたのを見て、「政府の政策を反対ばかりでおかしいんじゃないか」と発言したことです。街かどの声には謙虚に耳を傾けるべきか、一国の宰相たるもの、いちいち批判にとらわれず、悠然と構えるべきか、議論はあり得るでしょう。


でも、テレビ番組の生放映で、首相が、放送局の姿勢を「おかしいんじゃないか 」と批判するのは尋常ではありません。

その発言があった後、まさか与党総裁への提灯持ちではないと思いますが、自民党の副幹事長らが、選挙を前にして、在京テレビ局に『選挙報道の公平中立』を要請ししたことが明らかになりました。

昨年首相は、衆議院予算委員会で、自らの発言を「圧力だと感じる人は世の中にいない」と答弁しました。また、そのすぐ後には、自民党の情報通信戦略調査会が、NHKとテレビ朝日の幹部から『事情聴取』し、「政府は、テレビ局に対する停波の権限がまである」とマフコミを前に公言しております。そして、例の『ギャグ先生』の勉強会に参加した自民党議員から、「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」の発言に至ります。

要するに、これまで権力を監視する、権力の介入を受けないとの立場で、放送局の倫理規定とされていた放送法4条の規定は、行政指導ができる根拠だとし、電波法には罰則もあるから、許可権限がある総務大臣が指導すなわち、個々の放送の中身まで調査し、『指導』することが可能となるのです。政府与党を批判する放送をすることは、「一方の政治的見解を取り上げず、他の見解のみをことさらに取り上げてそれを支持する内容」に違いなく、それを相当期間放送したら、政府から『指導』がなされることを意味します。


これが圧力ではなくなんなのでしょう?くだらないと言えばそれまでですが、安保法案に反対する集会で、内閣総理大臣に関する『替え歌』を歌ったことが、そんな連中に公共機関が場所を提供するのは『政治的中立』に反するなんて言われる時代です。

安保法案が国会で審議されているころ、小林節慶應義塾大学名誉教授は、安倍氏の地元山口4区を巡って、誰も安倍晋三内閣総理大臣自由民主党総裁に意見しない、できない状況をして、「アベ家が、キム家になる」と危惧を表明しました。


内閣総理大臣、その意を受けた行政や与党から、放送に関して『注文』があった場合、放送局が、『政治的中立、不偏不党』を維持することは困難でしょう。

民主主義を大上段に構えるまでもなく、耳の痛い意見を聞くことなくして、その人の成長はないと思うのですが。

ある30万人都市のタクシー運転手の年収をご存知ですか。

2016年2月9日
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2月になると、札幌雪まつりをはじめ、雪国では、寒さや雪にちなんだイベントが行われます。

12月ころから降り続けた雪が、厳冬の1月を過ぎて、積雪量が多くなるのが2月です。2月も後半になると、水分が増えた雪に変わりますが、それまで山は、静かに眠るのです。北国では、特に酒と演歌が似合う時期だと感じます。

雪に弱い首都圏の交通機関は別としても、やはり鉄道や航空路に影響は出てきます。日本の飛行場で、最も降雪量が多い空港をご存知ですか?私は、女満別空港か旭川空港だと思っておりましたが、違うようです。


正解は、青森空港なのだそうです。多い年には、積雪量が10mを超えるそうです。羽田空港から東北地方には、青森県、秋田県、山形県を結ぶ航空路がありますが、なぜか私は、青森県の空港(三沢空港、青森空港)は、利用したことがありません。

確かに青森は、雪のイメージです。特に「上野発の夜行列車降りたときから、青森駅は雪の中…」で始まる『津軽海峡冬景色』が浮かぶ世代には、インパクトがあるでしょうか。津軽地方には、7つの雪が降ると歌われたのは、新沼謙治さんの『津軽雪女』でした。こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪、みず雪、かた雪、氷雪だそうです。都会では、水分が強い雪しかお目にかかれませんが、雪国では、いろいろあるのですね。私が知っていたのは、パウダースノーと言われる、北海道に降るサラサラのこな雪くらいでした。


雨や雪が降ると、歩いて帰るのは面倒で、飲んだ後等にはタクシーを利用する人もいると思います。実際青森県には、タクシー業界の規制緩和の後、新規参入があって、青森市内にはその数およそ900台、18社が営業しているそうです。八戸市と弘前市は、7社であることから、際立って多い感じがするのです。


青森県の地理に詳しい方ならお分かりでしょうが、同じ青森県であっても、八戸市や県南方面と津軽地方とでは、積雪量は全然違います。青森市では、ねぶた祭りがある8月と、冬季の降雪の期間が、タクシーの需要が多いとされ、これを当て込んで、新規参入が増えたと言われます。

しかし、青森市のタクシー運転手の年収は、177万円で全国最低だそうです。全労働者の平均がこれですから、生活保護の支給額より低い給与額しか支給されない運転手は、少なくないと想定されます。雪の時期を期待したものの、実際タクシー代行を頼んだり、歩きやバスを利用する酔客が増えたとかで、タクシーは、『余っている』らしいです。


この傾向は全国的であり、行き過ぎた規制緩和が生存権を脅かし、ひいては安全性に影響しかねないとして、数年前に、いわゆる改正タクシー特措法が、議員立法で成立はしました。これは、ひとつの営業区域に一定数の人口がある場合、その区域内には、新規参入や増車を禁止することを可能とする『特定地域』に指定できるという内容です。

ところがその要件は、『人口30万人』となっています。青森市の人口は29万4.000人で、特定地域に指定されません。この6.000人の差で、指定を受けられないことから、青森市では減車が進まず、これがために低賃金を強いられているとして、昨年市内のタクシー会社に勤務する運転手8名が、国を相手に、供給過剰状態が解消すべく制定された特措法の不備を指摘して、損害賠償請求訴訟を提起しました。

現在の民事訴訟は、具体的な権利侵害があって、損害が発生することが要件です。つまり、法律や通達それ自体が違法だとの争い方は認められません。

このような訴訟が提起されると、一部からは、『結局は金目』との声が出るわけですが、実態に合わない規制緩和を続けていては、運転手の生活が成り立たず、なり手がなく、いずれ業界の崩壊に繋がりかねない、そうなると、本当にタクシーを必要とする人が利用できなくなる事態に至るかもしれない危惧から、実態を知ってもらうために提訴された背景があるのだと考えます。

交通機関で事故が起きると、利益のため安全性を無視したとの批判が常に出てきます。その道のプロは、安い賃金だから、安全性なんか関係ないなんて思って、人の命を預かる業務に携わることがあるとすれば、それはもってのほかです。そんな姿勢で臨んでいる人はいないと信じたいです。

ですが、低賃金重労働を強いられていると、こころとからだのバランスが崩れることがないとは言えないと思います。そんなところから、最初は、やる気が出ないくらいから、やがて生活基盤が不安だと、何から何まで不安となり、足元がぐらついて、『本来の責務』を果たせなくなるように思われます。

これは現代日本の構造であり、タクシー会社や運転手だけに責めを帰すのはおかしいです。雪があることが、産業を成り立たせるかと思いきや、それを当てにして、大勢が集まってパイを取り合うようでは、雪は単なる厄介物でしかないと言われそうです。


雪と縁がない首都圏に住む私は、いつか7つの雪を体験したい、そのときは、青森市のタクシーを利用しようと思いつつ、この項を書きました。