事実は消せない、歴史は隠せないーーある元高校球児の『事件』から。

2016年2月8日
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「春は選抜から」の言葉は、私が子どものころ、主催会社等が、キャッチフレーズとして使っていたいたものです。

 

毎年2月になると、3月下旬から始まる選抜高校野球甲子園大会への出場校が発表されます。高校球児にとって、また、野球少年にとって、甲子園は目標であり、夢の舞台でしょう。

 

その甲子園球場の外野スタンドの一角に、『甲子園歴史館』と言う博物館があるそうです。

 

もともとは、甲子園球場を本拠地とするプロ野球阪神タイガースの史料館だったところ、これの全面改修を契機として、2010年に、阪神タイガースのほか、高校野球、大学アメリカンフットボールの歴史や関連物品を展示する博物館して生まれ変わったものです。 この甲子園歴史館に展示されていたある高校球児が使用していた金属バットや当時のユニホームの複製が撤去されたそうです。

 

その理由は、件の元高校球児が、最近覚せい剤取締法違反の嫌疑で逮捕勾留され、報道されたところでは、被疑者本人が、勾留事実を認めているからと言うことです。

 

なんでも、教育上の配慮だそうです。 よく、テレビ番組やコマーシャルで、その収録時後に『事件』を起こした人が出ていた場合に、字幕で、収録はその前であったとテロップを流したり、その人が映った箇所だけカットして、放映することはありました。

 

これは、その番組なりが、現に視聴者の目に入ったそのときは、実は当人は、身柄拘束を受けるなどの情報で、出演することが不可能であれば、致し方ない措置のように思います。勘違いされないためにも、説明は必要と思います。でも、その人が寄贈した物や、博物館等が主体的に作成して展示した物を撤去するのはなぜでしょうか。

 

『教育上の配慮』って、何でしょう。 例えば、昔の立身出世物語のように、偉業をなし、また、成功した人が、自分の母校等に少なくない寄附をしたり、高価な物を寄贈することはあまただと思われます。そして、厚志を受けた側も、有難く銅像など建立することがあります。ところが、仮にその寄附なりした人が、その後事件を起こしたら、寄付金は返金し、銅像は撤去するのでしょうか。

 

私はしばしば、『事実は変えられない』と申します。あるとき、ある人が、あることをなし、それが 当時例えば記録となったとしたら、それは事実であり、ひとつの歴史です。聞くところよると、今回甲子園歴史館は、被疑者となった元高校球児が、甲子園記録となる13本めのホームランを放ったときに使用していたバットを撤去したそうですが、そのバットで、甲子園記録が生まれた事実は消せません。

 

そもそも甲子園歴史館は、甲子園の歴史を説明しているのであり、ホームランを放つなどして、甲子園で活躍したこの元高校球児を崇めているわけではないでしょう。確かに、件の元選手の偉業を讃え、彼が聖人君子だとして人間性を含めて功績を記念した博物館であれば、撤去も閉館もあり得るのかもしれません。

 

ですが甲子園は、この選手だけのものではなく、甲子園歴史館は、甲子園が見てきた歴史そのものを、後世に伝える役目があるのではなかったでしょうか。それがこの元高校球児とともに、13本のホームラン記録そのものが無かったように扱うのは、歴史の改変とも評せると考えます。

 

この後、この元高校球児が無罪にはならなかったとしても、いずれ社会復帰して、例えば何らかのかたちで社会に貢献したとすると、いったん撤去したバット等は、どうするのでしょう。

 

どうしても『教育上の配慮』を言うのであれば、13本めのホームランを打ったバッターの名前を、当面事情により隠すとか、社会復帰がかなうまでの間は、野球引退後の平成28年2月、警視庁に逮捕あるいは、⚪️月⚪️日有罪判決が確定とか付記しておく対処もあり得るのではと思います。

 

ただ、この場合であっても、もはや『公人』ではない元選手の過去を公開し続けることには、議論があって然るべきです。 私は高校野球、特に甲子園に出場した球児が所属する高校の不祥事が、すぐに『連帯責任』に発展するような風潮は、とても嫌でした。

 

よく指摘されるように『くさいものに蓋』の体質が、高野連には色濃く残っているように感じられます。この元高校球児のバット等を隠すことは、高校野球、甲子園の歴史の一部を曲げることを意味します。甲子園歴史館は、この元高校球児を神と崇める施設ではないはず、歴史館の名が泣くのではありませんかと言いたいです。

 

なお、言うまでもないことですが、私は、覚せい剤事犯を擁護する者ではありませんし、件の元高校球児であり、元プロ野球選手のファンでもありません。

 

これまで報道されていた情報やテレビ放映で知る限り、私はこの方を好きにはなれませんでした。だからと言って、彼が残した歴史を隠し、また、事実を変えることはできないのです。

 

戦後レジームからの脱却って言葉、カッコいいと思われますか?

2016年2月5日
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戦後日本の出発点は、1945年8月15日の終戦、私たちの先人が、さまざまな思いで姿勢ただして耳を傾けた昭和天皇の玉音放送だったでしょう。


先の大戦の終結は、玉音放送の前日、ポツダム宣言を受諾したことに基づくものです。ポツダム宣言とは、アメリカ、イギリス、中国(対日参戦により、後に当時のソビエト連邦も参加)により、日本に対する降伏勧告と、戦後処理を宣言したものであることは、学校教育でおしえられたと思います。


今、歴史認識、歴史問題について、政府与党を中心に、それこそ歴史をひっくり返すような発言がなされています。いつも言いますが、人の評価はそれぞれ、でも、『事実』は変えられない、事実を変えようとする、事実を誤魔化そうとすると、必ずどこかで無理がきます。先の大戦が侵略戦争かどうかは、歴史家が決めるなんてどなたかは仰いました。



それはいいでしょう。でも、日本がポツダム宣言を受諾したこと、これにより終戦になったことは、天皇陛下の玉音放送にも現れている『事実』です。この『事実』を否定する、認めたくない人は、ポツダム宣言の内容を知らないのでしょうか。


今会期中の衆議院予算委員会では、安倍晋三内閣総理大臣に対し、憲法改正に関する見解等が問われています。安倍首相や自民党、保守と言われる方々は、日本国憲法が、占領下のアメリカ、特に左派占領軍の意向に基づいて、日本に無理やり押し付けられたものであるから、日本国民自身による憲法を制定すべきだと言われます。


これは、とても聞こえの良い説明だと、私は大学法学部で憲法を学び始めた当初より、感じています。同じく占領下で発足した 自衛隊の前身となる警察予備隊、そして日本国民より先に、アメリカ国民の前て約束して慌ただしく決まってしまった集団的自衛権、これらについて、「アメリカが……。」の声は上がりません。

まあ、そのことはもう言いません。翻って、憲法が占領下の……を言われるなら、ポツダム宣言の受諾こそ、アメリカ、イギリス、中国等の連合国が力ずくで、無理やり日本に受諾を迫ったもので、その『歴史的見直し』が叫ばれでもおかしくありません。


あるお方が大好きな『戦後レジュームからの脱却』は、戦後体制を根本から変えること、すなわちポツダム宣言→玉音放送→日本国憲法を否定することに繋がると思われます。

今はもう忘れられたのか、集団的自衛権に関する特別委員会が設けられる前、昨年5月に、党首討論が行われました。かつて日本が敗戦国となった戦争は、侵略戦争だったと歴史的には決着している、なぜなら日本が受諾したポツダム宣言には、きちんと『世界征服を目指した戦争』と明記されているではないかとして、内閣総理大臣の歴史認識を問われた安倍首相は、こんなふうに言いました。「ポツダム宣言は、つまびらかに読んでおりません。


ですから今、日本が世界征服を企んでいたとか紹介されましても、私つまびらかに承知しているわけではございません。ですから、そのことに関しては、ここで論評は控えさせていただきます…。」だいたいこんな感じだったと記憶しております。このやりとりを報じたのは、ごく一部の新聞紙でした。


この報道を知ったときは、相変わらず質問をはぐらかしているな、逃げて逃げて逃まくっておいて、やがて反対する側は何も対案?を示さず逃げて逃げて逃げまくっているとすり替えるんだなと、いつも同じ感想しか持ちませんでした。だって、つまびらかも何も、内閣総理大臣が、ポツダム宣言を読んでいないなんてあり得ないからです。


ポツダム宣言は、わずか13項目で、その内容は、日本国民を欺いて世界征服に乗り出した軍事勢力を放逐すること、日本国民の自由な意思による平和的政府を樹立し、民主的傾向を妨げる一切の障害を排除して、基本的人権を尊重すること、連合国は、日本国の侵略戦争を制止するために今日の戦争に至ったと言うカイロ宣言を履行し、日本国の領土は、本州、北海道、四国、九州と周辺諸島とし、侵略して奪った地域を返還することが、主な内容でした。

すなわち、カイロ宣言に続くポツダム宣言を受諾したことは、かつての日本軍国主義が、侵略戦争をしたことを認めたわけです。だからこそ、これを受け入れたくない勢力は、『戦後レジームからの脱却』と言う言葉を操っているのです。


しかし、この言葉の持つ意味、国民はわかっているのでしょうか?そんなふうに心配しておりましたら、当の安倍晋三内閣総理大臣ご自身が、戦後レジームからの脱却の原点であるポツダム宣言を、本当に知らなかったことを知りました。日本国憲法が、無理やりアメリカが押し付けただの言われるように、ポツダム宣言も、アメリカが強行的に、日本に受諾を迫ったのだと言うのが、安倍晋三氏の歴史認識だったからです。

ちょっと冗談では?としか思えまない歴史的出来事がありました。安倍晋三氏が、内閣総理大臣になる前、2005年にある雑誌での対談で、このようなご発言をされています。「ポツダム宣言と言うのは、アメリカが日本に原子爆弾を2発も落として日本にたいへんな惨状を与えたあと、『どうだ!』とばかりに叩きつけたもの」なのだそうです。???

日本がポツダム宣言を受諾して、無条件降伏したのは、8月に起きた2度にわたる原子爆弾の投下とソ連参戦が理由です。これは、小学校で習いました。1945年7月26日に戦争終結のために提案されたポツダム宣言を無視したからこそ、原子爆弾投下に至った、アメリカに言わせると、侵略戦争を終わりにする正義だったとなるのではありませんか。何言ってんの?

本当に知らなかったようです。でも、件の雑誌対談から10年経過して、自身内閣総理大臣になられてもなお、ポツダム宣言は、「つまびらかに承知していない」のだそうです。


小学校で習わなかったのでしょうかね。もつとも、このお方、有る意味一貫しています。日本国憲法もポツダム宣言も、方や占領中のアメリカが、方や原子爆弾を落としたアメリカが、「どうだ!」とばかりに強要したとの理解に立っておられるからです。

でも、日本国のリーダーであられ、あれだけアメリカとの約束を重んじた方です。未だつまびらかにお読みになっていなくて、アメリカの要人に、「アメリカが原子爆弾を2発も投下してどうだ!とばかりに……」を仰られては、ちょっとした外交問題に発展しかねない危惧を覚えます。


歴史認識を言われるのであれば、まず、正しい事実を理解することが先決ではないでしょうか?

 

信頼関係構築の第一歩は、会って話をすることです。

2016年2月4日
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きさらぎ法律事務所は、事務所内での初回の相談は無料で、相談時間の制限は設けておりません。


このシステムは、多くの方々に理解を得られ、事務所に相談にお越しになって、その後の法的対応を弁護士福本悟にご依頼される方が少なくありません。なぜこのようなシステムを執っているのかは、きさらぎ法律事務所のホームページにご説明してございます。この『ひとりごと』では、顔を会わすことの大切さをお話しさせてください。

ここ数年は、携帯電話の普及からスマホまで、通信機器が発達して顔を会わすことなく、他人とやり取りすることが可能となり、また多くなりました。スマホ等に自分の顔写真を貼付して送受信することはあるでしょうが、見ず知らずの人どおしでも、すぐに友だちとなり、親しい感覚を覚えるでしょう。


簡単に人の懐に入り込むことを可能とするこれら通信機器の功罪はつとに言われることです。全然面識がない人が、初めて通信していた相手に会って、犯罪被害に巻き込まれたケースがあります。

きさらぎ法律事務所にいらっしゃる方に、しばしば申し上げることがあります。住所と氏名がわからない人とは繋がりを持つなです。まして、あったことがない人は、会うまでは信頼できないと言うことです。


法律事務所にいらっしゃる方は、何かしらの法的問題に見舞われ、それを抱えている方であります。トラブルの相手に何か主張、要求したいと考えても、相手がどこの誰だかわからなければ、対処のしようがありません。より具体的に言えば、裁判所から、確実に文書が届かない人とは、関わりを持ってはなりませんと言うことです。

人と関わりを持つとき、将来その人との裁判を予想する人はいないでしょう。でも、連絡が取れなくなった、逃げられた等の『被害』を仰る方はおられます。そのようなケースでは、携帯番号しかわからない、会ったことはないし、通称で呼んでいた等言われることがほとんどです。そんなとき思うのは、あなたは、その人をどの程度知っていたか、どれくらい信頼していたかのでしょう、信用していたのはスマホ等の機械の機能ではありませんかと言うことです。


確かにネット社会であるように、手間暇掛けず、知りたい情報にアクセスすることは可能です。でも、機械の向こう側まで、信用性が担保されたものではないはずです。実際会って、互いの氏名住所を交換し合う中になれば、逃げることは難しいです。つまり、悪さをされる危険性は相当低くなります。


人は、実際会うことにより信頼関係が構築されるとは、昔から言われることです。昨年サッカーJリーグ第2ディビジョンからJ1へ昇格したアビスパ福岡株式会社の代表取締役川森敬史氏は、もとアパマングループの取締役で、主として営業を担当されていました。昨年川森氏がアビスパ福岡の社長に就任したときには、スポンサーの数は二桁行くか行かないかだったとされます。


それが昨年のシーズンホーム最終戦前に、スポンサーは、1.000社を越えたことが明らかにされました。川森社長はいわゆる叩き上げ、自分の足と言葉で営業を続け、信頼を得たのでありましょう。アビスパ福岡株式会社でも営業担当を増やし、ひとりひとり各企業個人宅を回り、顔を合わせて言葉で説明することを徹底されたそうです。


その川森社長の座右の銘は、『謙のみそれを成す』だそうです。物事を成し遂げるにはいろいろなやり方があるけれども、結局は自分の目で純粋に捉え、謙虚に当たって行くことが唯一の近道だと言う意味だそうです。私にとりまして、今年の目標であり、自分が常に心しなければならないことだと思うものです。

よく、きさらぎ法律事務所のホームページをご覧になった上で、それでもどうしても電話で相談したい!お金は払います!との申し出を受けます。誠に僭越ながら、お断りしております。もちろん出張相談、訪問相談はお受けします。電話で済ませようとまでは思っておられないでしょうが、電話の向こう側にいる私福本悟をどうして信用できたのでしょうか。


電話で『解決』まで至る法律問題はありません。知りたいと思う知識を得たこと自体では、解決しません。また、弁護士と面談しても、わずかな時間で、聞きたいことだけ尋ねてその答えを貰うのも、それとほとんど同じです。面談し、お話ししつつ、互いを知り、やがて信頼が生まれるのだと考えております。


弁護士が法律問題の処理を依頼され、その解決を齎すのは、依頼者と弁護士との信頼関係が絶対だと思います。顔を付き合わすことが、最初の一歩です。法律事務所に足を運ぶ勇気があれば、弁護士と一体一のやりとりから生まれる信頼関係が出来上がれば、解決できない法律問題はございません。

これは弁護士的目線であり、また事務所に相談に見えられる方々からお聞きする実社会の有様から感じたことではあります。紛争解決の最後の砦は裁判所、住所氏名がわかり、 裁判所から書類を受け取る環境にある人は逃げられません、逃げません。そんな人とは、そもそも将来トラブルになる可能性自体少ないでしょう。


これを反対から見れば、携帯番号しかわからない人は、本当の姿かたちを見せることなく、悪さをして逃げることが可能です。顔を合わせて相手を知る、これが信頼関係の第一歩であり、トラブルに巻き込まれない基本だと考えるものです。

 

節分は、お多福と恵方の恵みをたくさん授かる機会です。

2016年2月3日
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節分は、季節を分ける節目の日ですが、節分の豆撒きで知られる2月3日は、立春の前の日に当たり、1年の厄を払う特別の日とされています。節分の豆撒きについては、昨年この『ひとりごと』に書きました。今日は、『恵方巻き』についてお話ししたいです。地域によっては、豆撒きよりも、恵方巻きを食べる家庭の割合が高いとも言われるようです。

『恵方巻き』とは、太巻き寿司のことで、七福神にちなんで7つの具材を入れて巻くのが伝統で、7個の幸福を巻き込む意味があり、 大阪がルーツだとされています。それは江戸時代、大阪商人が、商売繁盛と厄払いの願いを込めて、立春の前の日に、幸運巻寿司と名付けた太巻きを、『丸かぶり』して食べたことが始まりとの説が有力なのです。節分の夜に、その年の恵の方向に、無言で向かって願い事を思い浮かべながら丸かじりする習わしであります。私が子どもころは、そんな習慣はなかったように思います。いつからか定着したのでしょう。

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江戸時代の大阪がルーツだとすると、最近盛り上がっているように思えるのはなぜでしょう。それは、相次ぐ販売促進運動によるものだと思われます。何かめでたいこと、おもろいことをしたい大阪商人は、土用の丑の日にうなぎを食べることに対抗して、節分には、丸かぶり寿司という太巻きを食べる運動を、戦後すぐに展開しました。

最近では、コンビニにも恵方巻きが並べられますが、そのきっかけは、平成10年にセブンイレブンが、全国販売するに当たって、恵方巻きと言う商品名を用いたからだとされています。折からのロールケーキのような丸いものの売れ行き上昇に乗ったことも、影響があるようです。

恵方巻きは、恵方を向いて食べると福が来ると伝わっています。恵方とは、その年の福徳が司る神様のいる方向を意味します。その神様のいる方向は、毎年変わるので、今年は⚪️⚪️なんて宣伝されるのです。恵方の決め方は、古来中国からもたらされた『四方と十干の組み合わせ』なのだそうですが、私はよくわかりませんので、毎年の結論だけ覚えます。2016年の恵方は、南南東でした。

でも、東京から南南東の方角は、ごく限られています。東京からですと、北北東や西南西あたりは、随分先まで日本列島が続きます。でも例えば、沖縄県与那国島では、『西』はもうありませんね。そういう意味で、恵方が毎年変わるのは、福徳が日本国広くもたらされるわけで、良いことだと思います。ただ、私もそうですが、恵方巻きを食べることに夢中になり、恵方を見て願い事をすることは、すっかり忘れておりました。

博報堂生活総合研究所が、5年前に『節分で何か行事をしたか』首都圏、名古屋圏、阪神圏で調査したところ、恵方巻きを食べたが48%、豆撒きをしたが44%だったと報告されています。相対的に関東よりも関西のほうが、恵方巻きを食べる文化が根強いと思われますが、それでも豆撒きの割合を超えたのは驚きです。
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かく言う私も、毎年節分の豆撒きはしますが、今年初めて恵方巻きを食べました。恵方巻きを食べる習慣は定着したようです。子どものころ、「鬼は外福は内」をやった経験からすると、これも少子高齢化社会の影響でありましょうか。

もうひとつ、福本悟の節分の過ごし方があります。毎年2月に入ると、節分の3日までに、福岡博多の総鎮守『櫛田神社』に初詣に参いることがそれです。昨年の『ひとりごと』でもご案内しましたが、櫛田神社には、『日本一のおたふく面』が登場します。『おたふく』とは、『お多福』と書きますので、このおたふく面の口の中を通ってお参りすると、多くの福がもたらされると言われるのです。

 櫛田神社と言えば、7月15日早朝4時59分から始まる『博多祇園山笠』の出発地点です。こうして1年に2回、私は櫛田神社に詣でるのです。博多祇園山笠が終わると福岡博多に暑い夏がやってきます。節分が過ぎると春はそこまでと感じられます。皆さんは、どのような節分を過ごされ、何を感じられたでしょうか?

 

天皇陛下のフィリピンご訪問の記事に寄せて

2016年2月2日
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「私ども日本人が決して忘れてはならないこと」。今年1月下旬にフィリピンを訪問された天皇陛下のフィリピンアキノ大統領主催の晩餐会でのお言葉です。82歳になられた今生陛下は、先の大戦で、フィリピンが日米の戦場となって、フィリピン国民100万人以上ものいのちが失われたことをこのように述べられ、今回のご訪問には、当初予定に入っていなかったフィリピン側戦没者の慰霊を、加えれたのです。

昨年陛下は、パラオを訪問されました。沖縄県には、皇太子時代を含めて相当回慰霊に参いられいてます。そして今回は、皇太子時代にご訪問されたフィリピンを、皇后陛下とともに再び訪ねられたのです。


陛下の慰霊のご訪問には、特に陛下のご意思が強く現れているところがあります。それは、国籍や当時の敵味方関係なく、愚かな戦争に駆り出され、巻き込まれて落命した方々に対して、この事実を決して忘れないことを伝え、慰霊の想いを表されることです。

先の大戦時の世界地図をみれば、当時の日本の領土、租借地、そして占領した地域が、実に広範に渡っていたかがわかります。それら『生命線』を死守するため、どれだけの血が流されたことか。当然その地で暮らす人がおります。近時の戦闘地域での空爆でも、民間人が巻き込まれる悲惨な事実が明らかになっています。


日本は、先の大戦では、沖縄県が唯一地上戦が行われました。かの辺野古沖移設問題で、戦後の沖縄の保守勢力は堕落したなんて、平気で与党議員が発言する世ですから、沖縄の悲劇は、後世に伝え続けなければならないことは論を待ちません。でも、戦火にまみれたのは、現在の日本領土だけではないのです。かの地の方々が、「日本さえ居なければ…」と思われても仕方ないのではと考えてしまいます。

フィリピンもまた、先の大戦で激戦地であったことは、有る程度知られているでしょう。恥ずかしながら、私は、111万人とも数えられるフィリピン国民が亡くなっていたとまでは、存じませんでした。日本の戦死者は210万人、民間人は100万人と言われています。このフィリピン人の犠牲者が、100万人を超えていたと言う数字を、どのように考えるべきでしょう。同じことは、インドやマレーシア等でもあったでしょう。

このところ日本国内では、戦時下での行為に関して、謝罪云々が論じられていますが、戦争そのものが悪であることは明らかで、かつてこれに日本が関わっていたこともまた事実です。これを後の世代に伝えることが、自虐的だの宿命を負わすなど、そんな議論が大きな声となること、理解できません。


いのちの尊さを教えるのは戦後教育の根幹であり、いのちには国籍は関係ないはずです。このことを最も理解され、その想いのとおり行動されておられるのが、他ならぬ今生陛下でありました。

繰り返し陛下は、「昨年日本は、先の大戦から70年を迎えました」を仰います。このお言葉は、実は日本国民、特にこの国の政治を司る政府与党に向けられていると感じます。この70年、日本が戦争を引き起こすことも、巻き込まれることもなく、国際社会において相応の責任を果たし、それなりの評価を受けていると考えられるのは、先の大戦の反省が石杖になっているからなのだと、どなたかの心に届けと願うばかりです。

念ため改めて申しておきます。私は、右翼ではごさいません。

今生陛下のお心の優しさ、そして前世界の人々が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちの生存することをお望みになり、かつ、自ら足を運んで実践されるお姿は、本当にこころ打たれ、最大級の尊敬の念に至り、かしこくも恐れ多いことであります。


それと、陛下こそ、やり残しのない人生を送られようとする、これから高齢化社会まっしぐらの日本人が学ぶべき象徴ではないかと思いました。

天皇のお言葉は、全くの私的行為ではない点で、内閣の助言と承認が必要です。これまで、特に昨年来天皇陛下が『先の大戦』に触れたお言葉を述べられる機会が増えているのに、安倍内閣は、何か感じないのでしょうか。


恐れ多くも、天皇陛下から『助言』をいただいているのはわからないのでしょうかね。天皇陛下のお言葉が、とても気になる時代になったのは、自民党等与党が、国会で絶対安定多数の議席を得、安倍晋三内閣総理大臣が登場してからだと感じるのは私だけでしょうか?


まさに天皇は、日本国の象徴、日本国民統合の象徴であり、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づくとされた憲法第1条の重みを感じるときであるようです。