全国高校サッカー選手権大会は、福岡県代表の東福岡高校が、17年ぶりに優勝しました。
部員数200名を超え、高校サッカーでは、最強リーグと言われるプレミアリーグに所属し、かの日本代表長友佑都選手をして『3軍』だったこのチームをしても、全国で優勝するのは至難の技と言うことです。最近は、少年時代より有望とされる選手は、Jリーグの下部組織等のいわゆるクラブチームに入る例ですから、高体連でプレミアリーグとは、相当な実力です。
いっぽうで、スポーツ選手の多くは、大学に進学する流れがあります。野球やサッカー等トップリーグがプロ化し、そのアカデミーが構築されているスポーツであっても、大卒の新人が増える感じはします。
陸上競技やラグビーなどは、高校→大学→実業団が一つのルートになっている感じがいたします。
私は、なんでも大学の風潮を、好むものではありませんが、スポーツ選手は、永遠にスポーツだけしていれば、仕事収入を得られるものではありませんから、いろいろな組織場所に身をおいて、学び経験することは、人生で無駄ではないと考えます。
日本のプロスポーツの指導者も、高校時代から注目されていて、すぐにプロの世界に飛び込むかと言われながら進学した方は、結構おられます。プロ野球で、『伝統あるチーム』と言われている読売巨人軍、阪神タイガースの監督さんもそうですし、友人であり、ライバルとされるサッカーJリーグで、今年揃ってJ1で戦うことになった名波浩氏と井原正巳氏もそうです。
特にサッカー元日本代表の主将で、その卓越したディフェンス力をして、かつて『アジアの壁』と賞賛された現アビスパ福岡井原正巳監督は、同期には、中山雅史氏もいた大学生のときに、フォワードからディフェンダーになって、一挙に才能が開花したとお聞きします。
いろいろな団体に所属して、多くの人と会うことで、人間は影響を受け、開花することがあるのだと思います。
聞くところによると、先の東福岡高校、選手権大会であれだけ躍動しましたが、そのままプロ入りする選手はおられないようです。
そう言えば長友佑都選手も、大学で力を存分に見せつけてからのJリーグ入団でした。今年アビスパ福岡には、東福岡高校から大学に進学してから新規加入した選手がおります。活躍を期待したいです。
そのアビスパ福岡、2016年の新体制が発表されました。新しい選手が8人加わり、そのうち6人が、井原正巳監督とともに会見に臨んだとのことです。
ゴールキーパー2名、ディフェンダー4名の構成は、『アジアの壁』井原正巳氏に相応しいですね。井原監督は、先ずはJ1残留が目標ではなく、最低ラインがそこだと述べられました。福岡には、福岡大学と言うこれまたサッカーに力を入れている大学があります。
ところが日本でいちばんサッカー熱に乏しい都市は福岡市だとの統計が、いろいろなところから発表されています。福岡は野球が盛ん、若い女性人口が多い、転勤族が多く定着しない、他に楽しいことがありすぎる等等言われています。実際サッカー日本代表の試合のテレビ視聴率が、相対的にいつも低いことは知られております。
これを書いている日も、サッカーオリンピック代表アジア最終予選が、夜テレビ中継されますが、さて視聴率はどうでしょうか。
サッカー強豪校と言われる高校、そして大学が市内にありながら、彼らは進学や他所に出て行ってしまい、元々サッカー熱がさほど強くない都市福岡に、昨年井原正巳氏が単身赴任したことから、何か新しい地殻変動が起きるのではないかの期待感があります。
高校、大学それぞれで、さまざまな経験をした若者が、また故郷に帰って来ることを期待します。それは、ふるさとを持たない私が、羨ましくもいつも思うことであります。
私たちの仕事は、人の話をよく聞くが基本です。
何気無く『聞く』と書いてしまいますが、『聴く』の文字もあります。『聴く』は、耳を傾け、注意して聴き取るの意味のようです。
あるいはこちらの『聴く』が、弁護士業務には用いられるべきかもしれません。「広く国民の意見を聴く」も、こちらの『聴く』のようであります。 『聞く』と『聴く』があることを意識できたのは、『コブクロ』の小渕健太郎さんのお話を聞いたことによります。『音楽を聞く』の場合は、『聴く』が使われます。先の『聴く』の意味からして、『音楽を聴く』となるのは何と無くわかります。
小渕さん、『聴く』の意味は、「耳を取ると十四の心が残る。音楽は、心で聴くもの。聴いた人の心のどこかに残るもの。そんな曲を作りたい」と。 以前にもお話しましたが、小渕健太郎さんの言葉は、本当に人の心を打つものがあります。学校の先生など、よく小渕語録をパクっていると聞きます。 この小渕健太郎さん、あるときこんなことを仰っていました。「人間弱いときと強いときがある。自分は、弱いときが好きだ」と。弱い人間は、辛さ、悲しさを抱えているから頑張ろう!と思える。
そして、弱い人の気持ちもわかる。強い人間は、人の話を聞き入れない。ときに自惚れ、傲慢になる。人間弱いときのほうが、謙虚で目標を持てるのだと言われます。 最近とても気になることがあります。批判する意見に対して「偏っている」と一蹴し、また、封じようとする動向です。
私は、よく覚えています。一昨年、ある報道番組に生出演した安倍晋三内閣総理大臣は、放映された『街の声』が、安倍内閣の経済政策を評価しない声ばかりだとして、「おかしいんじゃないか」と露骨に不機嫌となり、後日自民党は、総選挙に関する報道番組の内容にまで踏み込んで、『公平中立』を求める文書を各局に出したことを、その後自治体や公共施設で行われる平和や民主主義等、戦後日本国憲法のもと、私たちが普遍の原理、根本規範とされて守ってきた思想や価値観の表明まで、「政治的に偏っている」として自主規制と言うかたちによる抑制を受けた例があります。
勘違いしてはいけないのは、『特定の政党や政治団体に関わるものであってはならない』こととは、政権や政府与党の主張や政策を批判的に捉えることと同じではないことです。
ちなみに、私は、ハッキリ言って民主党は好きではありません(この『ひとりごと』をご愛読されている方は、「そんなの分かっている!」と言われるでしょう)が、例の安保保障関連法案を巡る議論に関しては、民主党議員が、政府与党より正しいと思っています。なんか政府与党に批判的な見解を示した人間は、全て野党を支持しているとでも思われているのでしょうか?要するに、政府与党に反対し、批判する意見には、偏っているとの『レッテル』を貼って、聞く耳持たぬどころか、「あんたはおかしい」としてこれを排撃する風潮が蔓延っているのです。
対立する問題点を明確にして議論し合うことは、民主主義の根幹です。それを「偏っている」と切り捨て、黙らせようとするのは、言論の抑圧に繋がりかねない恐怖があります。 『放送法遵守を求める視聴者の会』と称する団体は、昨年秋大手新聞社2社の紙面に広告を出しました。
それは安保法制を批判的に報道する番組のキャスターの発言が、政治的公平等を定めた放送法4条に反するのして、従来の総務大臣見解を問うものです。これを受けて総務大臣は、放送法4条は、放送局が自らを律する倫理規範であって、公平中立とは、番組全体を見て判断されるべきとの従来の立場を検証する委員会を設けることを明らかにしたのです。
新聞社が何を広告するかは、報道表現の自由ですが、マスメディアの発言が公平性を欠くかの論調を張る広告主の意向に沿うような時代になったことに先ず驚きました。件の団体は、政府与党に批判的な論調を張ったキャスターの発言が、公平中立ではないと言っているのであって、その発言が、特定政党への支持や反対をするためになされていたとでも言うのでしょうか?私も問題の報道番組、そしてこのキャスターの発言は聞いていますが、繰り返し申し上げるとおり、これにより特定政党を支持しているのではないのです。 今政府与党、安倍晋三内閣総理大臣は、本当に強いです。
国会論戦を聞いていても、まともに答えていませんね。別に野党なんか相手にしなくても、政権の基盤に綻びが出ることなどあり得ないです。誰も、与党内からも、『反対!』は言えなくなった感があります。
自分に批判的な意見や提言は、全て偏っているで片付けるのは、話を聴いたことにはならない、すなわち、十四の心は残らないようであります。
1月10日は、2016年の最初の日曜日、私は、少し遅れましたが、NHK大河ドラマ『真田丸』を見ました。
真田丸とは、幸村こと真田信繁が、大坂冬の陣の折、徳川方に対抗するため、大阪城の外に設けた出城を言います。ただ、この大河ドラマでは、ときは戦国末期、どのように生き抜くか、また、誇りを失わずに、家族家臣一丸となって戦うかの視点から、真田一族を描いていることで、初回はまさしく『真田丸』の船出でありました。
注目された初回視聴率ですが、関東地区で19.9%と出されました。この3年間の中では、最高の数字のようです。
私は、真田幸村の人気、時代背景、真田幸村を演じる堺雅人さんの魅力、そして前作からのリアクションで、今年の大河ドラマは、年間を通じて高視聴率となる予感があります。さて、堺雅人さんはじめ真田一族の姿も良かったですが、初回の主役は、別の人が取ってしまったようです。
真田幸村の父真田昌幸は、信濃の豪族であるその父真田信隆が、武田信玄の家臣となったことから、幼いときより武田信玄の小姓のような立場にいて、帝王学を学んだところ、2人の兄が長篠の戦いで戦死したことから真田家の当主となりました。
信玄公への敬慕の念は強く、また、戦国の世を生き抜く術を身につけておりました。その究極の判断が、息子信幸と幸村を、徳川と豊臣両家の臣下とし、どちらの世になっても、真田家は残る道をつけたことです。このように言うと、草刈正雄さん演じる真田昌幸が、初回の主役かと思われるかもしれません。
それも当たってはおりますが、「泣けた!」「カッコよすぎ」等1万6.000件を超える賛辞のツイートがなされた平岳太さん演じる『武田勝頼』こそ、初回のMVPでしょう。
武田勝頼と言えば、信玄亡き後、長篠の戦いで『馬と鉄砲』の愚かな大敗を喫し、信濃そして甲斐の臣下にことごとく裏切られて、最後は郡内、すなわち山梨県東部地区を収める小山田信茂から鉄砲を打ち込まれて笹子峠を超えられず、現在の甲州市甲斐大和で、わずか数十騎となり自害、ここに武田家を滅亡に導いた悲劇かつ無能の武将として描かれることが多かったと思います。
学校の日本史の学習では、長篠の戦いがあまりにも大きく取り上げられるので、その後の武田家の滅亡には、ほとんど話題性がなかったように思います。その武田勝頼が、これまでテレビ等で知られていた武田勝頼とは違った描かれ方がされていて、先の『泣けた!』のごとく感動的なシーンとなっていたものです。
平岳太さんの父親は、平幹二朗さんです。私は、小学校5年時に、NHK大河ドラマ『天と地と』の上杉謙信、そして、同時期に映画化された『風林火山』の山本勘助の主君武田信玄を知り、戦国時代の歴史に引き込まれた思い出があります。その後、今でも好きな俳優である中井貴一さん演じるNHK大河ドラマ『武田信玄』で、平幹二朗さんが、息子晴信すなわち後の武田信玄に放逐される父親武田信虎役を好演されていたので、その孫武田勝頼を平岳太さんが演じるのは、何かの縁と感じています。
『真田丸』での武田勝頼、人質のごとき立場で甲斐の国にとどめ置かれた真田兄弟の父真田昌幸より、真田の領地岩櫃城に移って、織田徳川連合軍に備えるよう進言され、いったんはこれを受けたのです。
ところが、既に武田勝頼を見限っている小山田信茂ら武田家重臣らは、勝頼をして真田領に進軍することを翻意させ、これを受けた武田勝頼が、甲斐の国を離れることができないと言う説明をするため、真田兄弟のもとに、忍びの姿で訪れるところから、クライマックスに進むのでした。
おそらく武田勝頼は、自らのそして武田家の行く末は、分かっていたのでしょう。最後まで忠を尽くした外様である真田家に、精一杯の礼を言い、人質を免じ、武田家との『心中』を回避させたのでした。伝えるべきことを言い、「邪魔したな」の一言で、真田兄弟のもとを去る武田勝頼の姿、先ず多くの視聴者は、感じ入ったのです。
そして平岳太さん演じる武田勝頼、小山田信茂の謀反を知ったとき、「もうよい」と一言だけ残し、恨み言ひとつこぼすことなく、踵を返したのです。この場面、「泣けた!」の感想が多く寄せられたそうです。あるネットユーザーは、この場面、「かつよりも 負けて泣かれる ほうがいい」と句を披露しておりました。
見事言い当てたと感じました。平岳太さんの演技に、多くの視聴者は、感動したようです。 私は、信長、秀吉、家康は、どうにも好きになれません。
この年になって、徳川家康には学ぶところがあるくらいの気持ちです。義侠心に厚い上杉謙信、「人は石垣人は城」で知られる領民のための政治を行った武田信玄に、魅せられておりました。以前この『ひとりごと』で、東京多摩地域には、武田家を尊重した徳川家康を崇める歴史があるようなお話をしたことがあったかもしれません。
私は、甲斐の国のはずれ、その先は相模そして今では三多摩地域と言われる武蔵の国と接する領地を預かる小山田信茂を頼って、裏切られて天目山の露と消えた武田勝頼には、元々愛惜の念がありました。 東京から笹子トンネルを通って抜けたところが、天目山のある甲州市甲斐大和です。
ここには、『武田家終焉の地』と言う看板が、笹子トンネルを出たところに掲げられています。何回か行ってみましたが、この地は、武田信玄が居を構えた甲府市に比べて、東京により近い位置にありながら、終焉の地に相応しく?何かとてももの悲しい感じがする場所でした。
それは、全てを悟り、なすがままに運命を受け入れた武田勝頼の無念と正確な生き様が、後世の世に伝わっていないからではないかと常々思っておりました。今回ほんのわずかですが、真田丸の出発に当たって、武田勝頼の最後が演出されたこと、そして多くの視聴者の感動を呼んだことが、私もじ~んときました。
真田幸村は、この先人質の立場での生活が始まりますが、NHK大河ドラマ真田丸、「邪魔したな」の一言で立ち去った最初の主君武田勝頼の『あのとき』が、彼の生き様に、大きな影響を与えたことになるのでは?と思ってしまう素晴らしい平岳太さん演じる武田勝頼でした。
今年の大河ドラマ『真田丸』、見続けたいですね。
昨年流行った言葉のひとつに『爆買い』があります。
主として日本を訪れるアジア系団体客の有様を言うものでしたが、まとめ買いをする場合に、普通に用いられるようになってきたようです。
爆買いは、ひとつの経済となり、例えば爆買いをするお客様目当ての商売が、生まれてもおります。地方空港に外国の航空会社のチャーター機を受け入れ、そこから貸切バスを出して量販店を巡るツアー等、活用されているようです。
大量のまとめ買いは、別の形態で古くから存在していました。いわゆるダブ屋による買い占めと転売です。チケット入手が困難なアーチストのコンサート会場等には、「チケット買うよ」とか、「チケットあるよ」の声を出しているお兄さんの姿を見ることがあります。
アレを見ると、何と無く嫌だなのイメージがあると思われますが、転売して利鞘を稼ぐこと自体がダメと言うわけではなく、公共の場所で人を呼びかけ、つきまとい、ビラ等を配ることが公共の迷惑だとして、各自治体の条例で取り締まるに届まります。
いっぼうでは、どうしても、高くても良いからチケットが欲しい人はいるもので、何らかの事情で購入したチケットを利用できず、無駄になってしまうのは、社会的経済的にももったいないとの考えもあり、一律に法律で違法とはできないのです。条例で問題になるのは、転売目的での買い占めと、現実の売り買いです。
最近では、いわゆるネットオークションが流行っており、チケット等が出されることがあります。もともとは、所有する不要物を処分するにあたって、幾らかの対価を得ようとすることから始まり、ある人には不要となった物でも、また別の人には意義がある物もありると思います。
私は数年前、ある破産事件で、生活保護を受給するにあたり、なんでも換価できるものは処分しなさいと自治体に言われて、なけなしの金額を得るのと引き換えに、オークションに出品された方の事例を経験しました。
しかし、ネット上で、転売による利鞘稼ぎが露骨に見受けられるようになって、主催または管理会社より、出品禁止例が出されたり、チケットそのものに、転売はできない仕組みや約定を設けるケースも増えています。
私たち夫婦は、『コブクロ』のコンサートに行きますが、数年前に、絶対に購入者本人以外には渡らないようシステムが構築され、慣れない人がたくさんいて、混乱が生じたことを覚えています。結果、周囲にインターネットを操作できる人がいない方は対応困難になり、ファンが増えているとは思えない状況です。
大量購入された物は転売禁止すべきかどうかについては、一律にこうだ!と言い切ることには躊躇します。さらに進んで、転売目的でのまとめ買い、要するに『爆買い』については、さまざまな意見があると思います。
さて、新年の名物『福袋』を巡って、ネット上で議論されている『事件』があります。それは、全国展開するあるコーヒー喫茶業の店舗が、福袋108袋を用意したところ、開店前に簡易椅子を並べて場所取りしていた5名のグループが、開店と同時に車の中から現れて、用意された108袋全部を買い占めたと言う事件がこれです。
ネット上では、この『爆買い』?したグループへの非難はもとより、この店舗の対応を問題視する意見が多く寄せられているようです。店とすれば、誰に売っても同額であり、早くさばけたのかもしれないが、長い時間待たされた挙句、福袋を買えなかったお客さんに対してあんまりだと言うわけです。確かに経済的には同じであり、誰に売る売らないは店舗と客の契約の自由だとは言えるでしょう。
でも、店舗にとってのお客様は、この買い占め5人組だけではないはず、こんな経験をした店舗には、もう行きたくないと考えるお客様予備軍がいたとしてもおかしくありません。この日、店舗前に並んだ人、そしてこの情報を知った人は、この店舗に対して、肯定的な評価はしないと思います。実際、この業者の福袋は、ネットで購入額以上の価額で落札されているとのことで、買い占め5人組と思われる人物が、得意気にポーズする写メも出ていたそうです。
私が言いたいのは、この店舗は、お客さんを逃したと言うことです。この店舗を運営する会社は、マニュアル化が進んでいるとも、また、店員ひとりひとりの対応が素晴らしいとも評されたことがあると聞きます。実際今回の福袋の販売にあたっても、ひとりあたりの購入数を制限した店舗もあるのです。
要は、店側は、転売目的かどうかを判断するのではなく、並んだ、購入しようとした人全てが、明日のお客様だと思って対応できたかどうかだと思います。
きさらぎ法律事務所では、事務所内での初回相談は、無料です。相談時間の制限も設けておりません。
よく、「採算合うの?」と聞かれます。本来有償である法律相談を無償としているのですから、その相談者との関係で言えは、採算なんてあるわけないことは、数字上明らかです。てすが、私は、もちろん来ていただいた方に、充分満足していただくことが、ブロとしての対価には変えられない自己満足の部分もありますが、こうして事務所に来て、福本悟を知った方が、『明日のお客様』を連れて来られることを期待しているのです。
目の前にあるもの、そこにいる人だけが全てではないと思うことを、このひとりごとのまとめといたします。
新年早々くだらない会見と報道がありました。ひとつは、30代の女性タレントが、昨年夏に、一般女性と婚姻した人気バンドの20代のボーカルと、『不倫』していたと週刊誌に掲載された件での『釈明会見』、もうひとつは、昨年秋、ある自治体の市議らが、視察のために訪れたと言う街の温泉旅館に宿泊したところ、夕食後の二次会を誘われた70代の女性市議が、同僚の男性市議複数がいる部屋に入ったところ、その中のひとりである60代の男性市議から、浴衣をはだけられたり、身体に直接触られた等のセクハラをされたとして、刑事告訴したと言う件です。
結論を先に言えば、いずれも『こんなこと!』が、なんで報道されたり、会見の対象になるのかです。まあ、興味を持つ人がいるから、報道されるのでしょうが、『男女問題』を多く目にする私からすると、男女問題こそ、公にされるべきものではないと考えるので、別に興味があったわけではありませんが、一言物申す次第です。
ひとつめの不倫疑惑事件、件の女性タレントは、何回も『謝罪』したようです。相手となった既婚男性とは、『お友だち』なんですって。別に不倫ではなくても、男女の交際が露見すると、しばしば『お友だち』が出てきますね。
単に『お友だち』と一緒に居たら、なんで謝罪しなければならないのでしょう。コレって、子どもたちから、質問がでそうです。この女性タレント、『会見』を開いたものの自分から数分喋っただけで、一切質疑応答はなかったそうです。コレって、『会見』なのでしょうか?何の意味あるの?です。
気に入らないのは、この女性タレントを擁護するような見解が多いことです。何しろ婚姻して半年経つか経たないかのこの既婚男性、奥さんと上手くいっていなかったとした上で、この女性タレントの気持ちはわかるが軽率だったかの論調です。
随分失礼な論理ですね。婚姻半年で婚姻関係が正常ではなかったかの物言いも、よくそんなことを断言できるなですが、そもそもこの女性タレントはもとより、第三者が、他人の夫婦関係がどうだなんて議論することがおかしいです。私がよく経験する「あんたに言われる筋合いはないよ!」です。『軽率』なのは、バレてしまうような交際をしたこととと言えば良いのにと思います。
ふたつめ、70代の女性市議対60代の男性市議の件、ネット上では、「気持ち悪い」の意見が多いです。私も、そんな感じを持たなかったとは申しませんが、このご両人の言い分を聞く限り、「どっちもどっち」、さぞかしこの市議の地元自治体住民には、こんなこと!で全国放送されて、恥ずかしい思いをしているのだろうとご同情いたします。
この自治体の市議は、視察と称して温泉旅館で二次会をし、女性市議が浴衣姿で男性複数の部屋に行き、件の男性市議の弁明が全て真実だとしても、複数の男性市議がいる前で、数分間女性に、「仲良くしようと思って肩を組んだ」「互いに酔っていたから、斜めに倒れて被さった」行為を行って、告訴に対しては、「徹底的に戦う」のだそうです。
この女性市議の主張は、男性市議の行為は、強制猥褻罪に当たると言うものです。
確かにその主張される行為が行われたのであれば、許すことはできないでしょう。
しかし、こんなこと!テレビ番組に放映させる等、公にすることでしょうか。性的犯罪が親告罪とされているのは、事案の性質上、これを秘匿しておきたい、少なくとも公にしたくないのが被害者の心理であろうと推察されるからです。それをわざわざ言いますかね。被害者ご自身が恥ずかしいと思われなかったとしても、告訴の会見をして、何になるんでしょうか?
むしろ、こんな『被害』が事実であっても、不特定多数に広まるところで公表するのは、公共の利害に関わる事項で、専ら公益を図るためになされた場合でなければ、他人に知られたくない行為である点で、反対に名誉毀損となりうる可能性もあります。果たしてこの女性市議さん、専ら公益を図る目的ゆえの行動だったのでしょう。
私が最も申し上げたいのは、男女の問題は、他人に公表したり、弁明し、また、第三者が知った口を叩くような事柄ではないはずと言うことです。
きさらぎ法律事務所にいらっしゃる方々は、本当に悩み抜いて、誰にも長い間打ち明けることができず、ギリギリ追い詰められて、少しずつお話なさっている現実があります。
そのような方々から、全ての事実関係をお聞きし、吐き出していただいて、信頼関係を構築した後、依頼者となった方のために、お仕事をさせていだく現実があります。未だ他人に言える、まして弁明できている状況の方は、周りが深刻に捉えてあげる必要はないのではと思います。
あるいはそんな方々は、弁明も含めて、何か話したくて仕方ないのかもしれません。
こんなこと!無視するに越したことはないと思うは、男女問題を専門?にしている人間の曇った目となりましょうか?