規制緩和もやり方によっては、格差是正になる?

2016年1月8日
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政府は、好調な海外からの観光客の入国が続く状況を活用すべく、本年度より、国内の空港は、民営化する方針を進めることにしたと報じられています。

空港民営化とは、国もしくは自治体が管理する滑走路などの施設と、空港ターミナルビルの運営を民間に一括して委託する手法で、空港民営化の第1号は、今年7月に予定されている仙台空港です。政府は、平成31年度には、福岡空港の民営化を目指していることは、既に発表されておりました。


実は、離発着間隔の短さ世界一の福岡空港は、平成30年に、現在の滑走路に並行して、もう1本滑走路が開設されることが、紆余曲折を経て決まったわけですが、その前提には、空港民営化が意図されていたと、まことしやかに言われてきたのです。

空港が赤字になるのは、高い着陸料の問題が深刻です。着陸料とは、着陸料の際に航空機運航会社が、空港の管理者に対して支払う費用ですが、日本の着陸料は、世界的にはかなり高額であることが知られています。


確かオーストラリアは、着陸料は不要と聞いたことがあります。現在の日本では、原則として航空機の重量と着陸回数により決まるので、海外の航空会社にとっては、数多くの大型機を日本に乗り入れることには、コストの問題があったのです。


着陸料を得た空港管理者は、滑走路や誘導路のメンテナンス、建物の補修などにこれを充てるわけですが、空港建物を管理する会社が、自由に金額を決めることはできない仕組みです。すなわち、法律?により、国土交通省が許認可するうえ、その変更を命じることもできることになっています。

安全面からの規制と言えば規制ですが、これが空港運営を硬直化して、赤字を生み出すと言われるのです。

民営化第1号となった仙台空港では、この着陸料、航空機を利用して仙台空港に来る搭乗客の数、すなわち埋まった座席数で決めると言うユニークな方法が注目されました。確かに滑走路などの施設と、ターミナルビルの運営を一体で民間が行えば、要するに、国が口出ししないならば、委託を受けた民間企業は、新路線の誘致や着陸料の設定(引き下げ)などが期待でき、そうすることにより、多くの航空機が着陸し、特に海外からの観光客を呼ぶことができると言うものです。ここ数年、海外からの観光客が増加している北海道の空港に、民営化の期待が寄せられている雲行きであります。


北海道知事は、2020年をめどに、外国人観光客300万人を打ち上げています。しかし、道内の空港では、特に国際線は、新千歳に集中しており、ここで新千歳空港を民営化すると、さらに一極集中が強まり、他の道内の空港は廃れていくとの懸念が、北海道側にはあるのです。


北海道は、他の空港との格差拡大を恐れて、新千歳空港の民営化には慎重姿勢と言われます。北海道内には、国が滑走路を管理する空港が、新千歳、函館、釧路、稚内で、国が所有する滑走路を自治体が管理する空港が、旭川と帯広です。こんなことを言っては、甚だ失礼ではありますが、現在の稚内とか帯広の空港一括管理を受託する企業は、そう簡単には出てこないのではないでしょうか。企業とは、利益を得るためにあるからです。その意味で、北海道の懸念はわかります。

さて、菅義偉内閣官房長官は、先日北海道新聞のインタビューに答え、「新千歳を含む道内6空港の一体的な運用が可能になれば、広域的な観光ルートの形成に大きな効果がある」と述べ、新千歳に集中している海外からの航空便を、他の空港に振り分け、さらなる外国人観光客の誘致が可能となるとの認識を示し、「政府は全面的に応援する。」とまとめたと伝えられております。


もともと国土交通省は、新千歳を民営化する場合、道内にある国の管理空港3つと一括して売却することを容認する方針でしたから、菅官房長官の応答は、これを確認してさらに進めるものと言えますか。


福岡と札幌によく行き来する私は、方や九州、方や北海道で、決定的に違うものを感じています。それは、北海道の人は、なんでも札幌だか、九州の人は、必ずしも福岡ではないと言うことです。北海道に行くと、札幌一極集中に気づかされます。新千歳空港のみが民間委託されたならば、海外からのお客様を含めて、さらに札幌集中が強まるでしょう。
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かつて北海道の翼を標榜して立ち上げられた北海道国際航空エァドウは、新千歳のみならず、函館、旭川、帯広、釧路、女満別と本州空港を結ぶ路線を設けました。しかし、経営は苦しく、ANAホールディングスの支援を受けるかたちとなりました。私は、必ずしも全日空に好意を持つ者ではありませんが、仮に民営化された場合には、新千歳空港が、経営が赤字の他の空港の運営も引き受ける『広域民営化』が望ましいと考えます。


新千歳の儲けを、道内の他の空港にも配分するやり方です。北海道内全体の底上げで、まさに『チーム北海道』です。ANAホールディングスは、北海道全体の底上げに、良いことをしたと思うのと同じです。


空港の格差を無くすこと、それは北海道全体の利益だとの考えは、新千歳空港ターミナルビルを運営する北海道空港株式会社も同じ立場のようです。

この会社の代表取締役は、新千歳以外の空港を含む広域民営化に傾けば、自治体や関係企業と連携する、新千歳の収益を、北海道全体の航空網維持に役立てる発想があってしかるべきであり、新千歳空港が民営化された場合には、当然名乗りをあげるが、北海道経済に役立つかどうかで、他の空港もまとめることを考えたいとも述べたとされます。


さて、私がこの空港民営化に論を進めたのは、一極集中を無くす、全体の底上げと言うテーマは、常々言っている『富の分配』に繋がると思えたからです。新千歳空港の運営を受託した会社が、その儲け分を、他の道内の空港に回す、これは素晴らしいことではありませんか。


同じように、儲けた企業には、税金を負けてやるのではなく、世のため人のため、お金を回してもらうシステムを、空港民営化のように、国が音頭をとって行なって欲しいものです。道内経済に役立つかどうかを民間参入のポイントとしている北海道空港株式会社の姿勢と同じように、国民全ての経済が良くなり、格差を無くすためならどんどん儲けてお金を困っている国民に回しますよの企業が多くなると良いですね。


おそらく民営化なんてハナから反対!と言うだろうと思われていたであろう私が、これに賛意を示すような論調を張ったのは、こんな望みがあったからなのです。北海道空港株式会社の社長さん、本当にその気持ちを持ち続けてくださるならば、私は、新千歳空港ターミナルビルで今後も飲み食いして道内経済、ひいては格差是正に、こんなかたちで協力いたします。

 

心に残る富士山の姿

2016年1月7日
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調べたわけではありませんが、、日本で多い地名として『富士』があると思います。『富士見台』『富士が丘』『⚪️⚪️富士』です。

 

また、全国に、富士山の拝観スポットがあります。

もっとも、富士山は、静岡県と山梨県に位置しますから、そんなに遠方では見えないかもしれませんが。 先日富士山が観れるスポットベスト何とかと言うテレビ番組がありました。

 

記憶している限りでは、選ばれたスポットに名称が付けられておりました。『王道富士』『どでかい富士』『車窓富士』『対岸富士』等等です。王道富士と言うのは、東海道本線から眺める富士山の姿で、ちょうど富士川を渡るあたりが人気のスポットだそうです。長い時間、ほぼ全景が観れるのが、人気の理由のようです。この富士山が、番組ではもっとも人気が高かったです。

 

面白かったのは、都内の通勤電車からも富士山が観れることです。高架線が続く中央線中野から立川に続く間は、車窓左側から、ちょこちょこ富士山が見えるのです。それと、多摩センターから上北台を繋ぐ多摩モノレールでは、高架線から、朝のダイヤモンド富士が観れます。三多摩地区を管轄する裁判所は立川市にあり、多摩モノレール『高松駅』が最寄りなので、私も、この『ダイヤモンド富士』を何回か経験しました。

 

窓と光の屈折で、とても眩しいのが実感です。

 

これも経験がありますが、大月から富士吉田、河口湖方面に向かう富士急行では、徐々に登りとなって、富士山が大きくなるのがわかります。こちらは、『どでかい富士』だそうです。

また、意外にも『あれっ』と思えるのは、早朝羽田空港第1ターミナルから� �れる 富士山です。晴れた冬の日ですが、遠くに小さく、しかしハッキリと富士山の姿を捉えることができます。そこへ、離陸する航空機が滑走する場面がマッチすると、良いシャッターチャンスかと思います。これは、私が推薦するもので、番組では出てきませんでした。

 

かつて富士山は、遠くでみるほうが美しいなんて言われました。登山者と言うか観光客のマナー違反が言われて久しく、ゴミの山なんて言われたこともありました。地元自治体による入山料が、話題にもなりました。

 

私自身2回富士山に行き、山頂まで登りましたが、いかにご来光を観れても、子供のころ見えた『近くて遠い富士山』への思いに勝ることはありませんでした。

 

そうなのです。実際に富士山を観れる地域ではないところで暮らす子どもたちも、絵本や幼稚園保育園で富士山の話を教えられます。大きく美しい富士山、日本のシンボルに対する憧憬の念が、子どもこころから生まれると思います。

 

私は大学生のころまで、大田区に住んでいました。通学した小中学校は、多摩川を望む高台にあり、すぐそばには、新幹線が通過する線路がありました。そしてこの橋の上から、富士山が観れるのです。ここでは朝ではなく、夕方観れる富士山、私たちは、『夕焼け富士』と教えられましたが、これがとてもきれいでした。

 

新幹線の横には、今で言う横須賀線湘南新宿ライン、昔は貨物専用の品鶴線が並走していて、私が小学生のころは、まだ蒸気機関車が通っておりました。蒸気機関車から出る煙が 橋の� �にも漂い、遠くにある富士山を隠していて、さらに富士山って遠いんだなと思えたときでありました。

 

それからいろいろな場所で、富士山を眺めてきました。自宅から駅までの道からも、冬の晴れた日にはきれいに見られます。富士山のかたちは変わらないはずなのに、富士山を見るときの状況や気持ちはいろいろです。

 

テレビ番組では、どの富士が見たいか美しいか議論していましたが、年を重ねるに従い、子どもころに観たあの『夕焼け富士』がいちばん心に残っていたことに気づきました。子どもの目はきれいでした。さて、皆さんは、どんな富士山を好まれますか、富士山との思い出はいかがですか?

初詣に行った社寺の歴史を調べると、特別な御利益があるかもしれません。

2016年1月6日
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みな様、初詣はなさいましたか。私は毎年節分の時期に、『櫛田神社』に詣でます。ただ私は今年から3年間、男性には3回あると言う最後の厄年周期に入ります。それでまず元旦に、初詣を兼ねて厄除けの祈願をしてまいりました。

行ったのは、『大国魂神社』です。 多摩地区に住むようになってから、府中市にある大国魂神社には、何回か詣でたことがあります。武蔵の国の護り神とされることと、大国魂神社の例大祭である『くらやみ祭』の折、日本最大級の大太鼓が繰り出すことは知っておりました。

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しかし、神社の謂れや歴史、宝物等は知りませんでした。今回真面目に?詣でて初めて知った事柄がありました。なかなか由緒あり、歴史好きには堪らないと思われ、暫しご案内します。 大国魂神社と言われるのは、大きな国の魂を意味するくらいかと思っていたのですが、御祭神を意味するものでした。大国魂大神をお祭りすると知りましたが、『大国魂大神』とは『大国主命』のことでした。

 

大国主神は、天照大神の弟素戔嗚尊の子とされ、因幡の白兎の説話に登場する心優しい神様であります。 大国主命ならば、その神話から、いくらか知識があります。大国主神は、出雲大社の御祭神として知られますが、出雲大社が縁結びの神様と言われるのは、御祭神大国主命が美男子で、多くの妻との間に、子をたくさん授かったことから来ているものです。大国主命は、国譲りの神様と言われるごとく国土の開発、特に農業等今で言う第一次産業の石杖を築きました。

 

やがて国造りが完成した後、天照大神の命により天孫降臨した瓊々杵尊にお譲りになり、出雲大社の御祭神となったのでした。 大国魂神社の説明文書によると、大国主命すなわち大国魂大神が、武蔵の国の国造りのため、現在の府中市あたりに来たとき、周囲は暗く、宿を探したところ、この地の農家が受け入れて、狭く暗い家の中でも、大神をおもてなししたことから、『くらやみ祭』が始まったとも言われます。その後景行天皇の紀元111年に、大国主命の家来の子孫が、武蔵の国造に任ぜられて、大国魂神社として、この地で祭務を掌ることになりました。

 

以後大国魂神社は、武蔵総社として東京、埼玉、神奈川にある6社各地の神様をお祀りする武蔵の国の護り神となったものです。 もともと朝廷のご信任により創建された神社でもあり、朝廷に対して歯向かう者を討伐するため、いわゆる前九年の役の折には、源頼義•義家父子が大国魂神社を訪れ、戦勝を祈願して欅の苗木1.000本を寄進しました。

 

これが現在もこの地にある欅並木です。また、それを知った源頼朝は、妻政子の安産の祈願を行い、社殿を造営しております。そしてときは流れて江戸へ移った徳川家康は、1606年に、社殿を始め境内建物の大造営を行いました。徳川家康は、源頼朝を尊敬していることで知られております。徳川家康が造営した本殿は焼失しましたが、その後も、徳川幕府歴代将軍が、切れることなく寄進、造営を続けた結果、幕末の風雲告げる1867年(慶応3年)に、社殿を鋼葺に改められたものが、現在の大国魂神社の社殿として残存し、京都有形文化財に指定されているのです。

 

新年初詣に行った社寺の歴史、宝物等知ることは、その社寺から縁起とパワーを貰えるように思いました。

私が今年の初詣を大国魂神社としたのは、たまたま元旦の朝、風水に関するテレビ番組を見たことが契機でした。今年は、大国魂神社社殿と欅から、パワーをいただけると説明されていたからです。そして初詣と兼ねた厄除けを待つ間、宝物殿に入って、これら歴史を知り、貴重な宝物を観覧することができたのです。日本最大級の大太鼓、徳川家康はじめ徳川将軍直筆の書も展示されています。

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都内多摩地区には、新撰組に代表される徳川幕府贔屓なところがあるなと感じておりましたが、武蔵の国を照らす総社と徳川幕府の関係に踏み込めば、なんだか庶民の思いとしても、わかる気しました。もともとこの辺りは、甲斐武田家と浅からぬ縁があったところで、徳川家康が、武田家に綱がる人や物を密かに援助したことは、知る人ぞ知る事実です。初詣、そして厄除けのために行った大国魂神社でしたが、どうやら歴史好きの私に火をつけたようです。いろいろ調べたくなりました。

 

皆さんも、お近くの社寺、初詣に行かれた神社仏閣等の謂れや歴史を是非調べてみてください。御利益があると信じるのは私だけでしょうか?

 

脱サラ監督、青山学院大学原晋氏の指導力について

2016年1月5日
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新春恒例の箱根駅伝は、今年92回を迎えましたが、前評判とおり青山学院大学が、往路復路とも断トツの首位をキープして、総合優勝しました。


昨年は、史上最高タイムで優勝し、連覇した今年は、第1区から最終第10区まで、一度も首位を譲ることがない『完全優勝』でした。おめでとうございます。青山学院大学の強さゆえに、今年は、復路1月3日の箱根駅伝視聴率は、28%を割り込んだようです。

なんで青学は強いのか?昨年の優勝以来、スポーツジャーナリストを中心に、『調査』がなされたようです。そう言えば、青山学院大学陸上部駅伝監督の原晋氏は、あちらこちらでマスコミに登場していましたし、本を出版しました。スポーツ界のみならず、原監督の指導は、経済界にも注目されたようで、名だたる経済誌にも、特集が組まれたことがありました。


この原晋氏、広島県三原市出身で、県内の駅伝の強豪校世羅高校を経て中京大学に進学し陸上部に所属、卒業後は、地元の中国電力の駅伝部一期生として入社、相次ぐ怪我で27歳で競技人生を終えると、中国電力の社員として山口県徳山に転勤、ここで営業を中心とするサラリーマン生活に入ったそうです。転機が起きたのは2004年のことです。


世羅高校の後輩で、青山学院大学の卒業生でもある広島県の放送局に就職した人物の紹介で、再生を模索中だった青山学院大学駅伝監督に応募して採用されたことから、サラリーマン生活に終止符を打って、関東での生活がはじまるのでした。

原晋氏を低迷が続く青山学院大学の監督に推した方は、その理由を、「水を飲むな!」の指導が当たり前の時代でも、世羅高校の主将だった原氏は、練習中率先して小川の水を飲んでいた、それは「水を飲んだほうが身体によいから」だと考えていたからだと言い、「なんでそうなのか」を考えることなく、指導者の言われたとおり練習していたのでは、絶対に強くなれないとの持論に賛同したからだと答えたことがあるそうです。


曰く、自分で考えなければ成長しないのだ言うことです。

運動神経がない私でも、最近のサッカーや駅伝の放映場面を見ると、水分補強は当たり前なのにと感じます。ちなみに、元読売巨人軍の桑田真澄投手も、同じことを仰っています。原晋氏は、「水分を摂ってはならないはおかしい」と思っていたそうです。だから学生には、「自分で考えなさい」と教えるそうです。学生が、練習メニューを持って来たら、監督としての自分の意見と違っていても、まずは学生の思うようにやらせるのだそうです。


原監督は、基本的に体育会特有の上下関係やペナルティーは好まないけれども、学生が自主的に決めたことなら、異を挟まないことにするそうです。ここから、学生らは、「遅刻は丸刈り」のペナルティーを設けたが、「丸刈りにすればいいや!」の風潮になって、前近代的なペナルティー主義では緊張感が保てない、強くなれない、チームは纏まらないことがわかって廃止になった、つまり、監督からの指示ではなく、強くなりたいと思う学生たちが考えた結果、縦横の関係は良くなり、みんなが仲間となって纏まったと言うものです。


そう言えば、今回の箱根駅伝、選手に伴奏する青山学院大学の監督車からは、ほとんど原監督の声は、聞かれませんてましたね。特に、怒鳴ったり、怒ったりする雰囲気はありません。


よく、精神論をぶつける指導者がいますが、アレって、試合本番に意味あるんですかね。昨年アビスパ福岡の試合を観戦する機会がありましたが、井原正巳監督は、終始穏やかでした。ところが対戦相手のあるチームの監督さんは、ハーフタイムに選手たちに対して、「死ぬ気でやれ!」と檄を飛ばしたと伝えられました。相手チームのこととは言え、「なんなんだ!」と思いました。


昔は、よく「いまどきの若い者は」なんて言われました。ひとときのベビーブームで、経済が右肩上がりの時代ならば、大人先人の言うとおりにしていれば、生きていくことはできたでしょう。大人が決めた、敷いたレールを外れなければ良いのですから。


ただし、今の若者は、大人に任せていれば良いとは思っていないでしょう。若年層の貧困化が顕著ですが、何も大人は保証しませんから。若者は、自分で考えて行動せざるを得ないのは世の流れ、それを今でも体育会式の上からの指導のみでは、やり遂げられないでしょう。


青山学院大学の原監督のやり方は、単に学生に任せて自分は何もしないのではありません。学生と監督との間に、強い信頼関係が無ければなし得ないはずです。そうなるには、信念を曲げずに10年継続してきた重みがあります。


原監督、4年生が卒業する来年も、この最強布陣は揺るがないのかの質問に対して、このように答えたそうです。「10年間積み上げたものは、簡単には崩れない」のです。

どなたかが、昨年末自分のやってきたことについて、『桃栗三年』と評したと伝えられています。『桃栗三年柿八年』、青山学院大学原晋氏には、まさに積み重ねと、支持する若者たちとの信頼関係で、8年10年だったでしょう。


さて、『桃栗三年』と言われた方、『8年』やるんですか?果たして支持する?人の意見を聞き、その考えるところを尊重していただけるのでしょうか?そんなことを考えてしまう青山学院大学原晋氏の手腕でした。

いわゆる慰安婦問題に関して、日韓両政府が合意したとの報道に寄せて。

2016年1月4日
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平成27年末、驚きのニュースが飛び込んできました。

日本と韓国両政府は、多くの日本人の仕事納めとなった12月28日、ソウル市内で外相会談を開き、いわゆる慰安婦問題を決着させることで合意しました。 その合意内容の骨子は、慰安婦問題は、日本軍の関与のもと、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題だとし、日本政府は責任を痛感しているとした上で、安倍晋三内閣総理大臣は、「すべての元慰安婦の女性に心からお詫びと反省の気持ちを表明する」と表明、日本政府は、韓国が設立する慰安婦の支援を目的にする財団に10億円拠出して、両政府が協力して元慰安婦を支援する事業を行う方針が決められました。

 

そしてこれが両国にとって、慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決であることが確認されたものです。

また、韓国は、かねてより日本政府がその撤去を求めている在韓日本大使館前に設置されている慰安婦像については、関連団体と協議して、適切に解決するよう努力すること、慰安婦問題では、今後両国とも、国際社会で互いを批判することを控えると言うものであります。

 

2015年は、先の大戦が終結して70年経過した年でしたが、その当時、日本国の一部とされていて、日本の敗戦により独立した朝鮮半島、その後南北分かれて休戦中の大韓民国と国交を回復した50年が経過した年でもありました。

 

日本と韓国が国交を回復したのは、1965年6月22日に締結された『日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約』、すなわち日韓基本条約であります。この条約により、日本と韓国は、それ以前に締結されていた諸条約が全て無効であることを確認し、韓国は、日韓併合後も含めて、日本に対する一切の請求権を放棄する、日本は、韓国が、朝鮮半島における唯一の合法国家であることを承認し、有償無償を合わせて5億ドルの円借款(別に民間の借款3億ドル)を行うことを骨子に、国交が回復されたのでした。

 

日韓国交回復の『立役者』は、朴槿恵現韓国大統領の父である朴正煕当時の韓国大統領、そして日本国内閣総理大臣安倍晋三氏の祖父岸信介氏であったかもしれません。日韓基本条約は、朴正煕大統領と岸信介氏の弟である佐藤栄作内閣総理大臣の時代に締結されているのです。

 

韓国との国交回復に関しては、佐藤栄作氏の兄岸信介氏の悲願のひとつでもあり、1950年代から、外交ルートで、その準備が着々と進められていたところ、これが一挙に現実化したのは、1961年に軍事クーデターにより韓国を収め、その後大統領に就任した元日本陸軍士官学校を卒業して、日本名『高木正雄』と称する朴正煕氏によるところ大です。朴正煕氏は、クーデターで政権に就いた後、日本との関係改善に努め、当時国民所得がひとりあたり60ドルと言う世界でも相当な貧困国家と言われた韓国を、政府に金を集めて開発独裁と言われるごとく軍事政権でありながら、経済基盤の確立を重視し、『漢江の奇跡』と言われる国民所得を20倍にまで跳ね上げる高度経済成長を成し遂げたのでした。

 

そのときのお金は、日韓基本条約により国交回復した日本から流れていたことは、周知の事実です。

今でも韓国歴代大統領の中では、群を抜いた人気を誇る朴正煕氏、その娘としての人気があったゆえに、大統領になったと公然と言われる朴槿恵現実韓国大統領は、慰安婦問題に端を発したこのところの日韓の冷え込みについては、思うところがあったのかもしれません。

 

先日は、朴大統領を中傷したとして起訴された日本の元大手新聞社ソウル支局長に対する韓国内の刑事裁判で、韓国政府から裁判所に対して『要請』がなされていたことが、裁判所によりあきらかとされました。日韓両国の思惑がどこに向かっているのか、また、アメリカはなんと言ったのか、気にならなくはありませんが、率直に今回の両国の合意は良かったと思います。

 

慰安婦問題等の個人からの日本に対する損害賠償請求は、日韓基本条約により、韓国政府が、国内問題として責任を持つから円借款をと求めれた経緯はあります。ですから、かねてより日本政府は、『解決済み』と言っていたのです。ところが、かの条約締結にあたり、朴正煕政権は、それを国民に隠していたことと、韓国の最高裁判所が先年、韓国政府は、慰安婦に対する賠償に関して、日本政府と誠実に協議する義務があると判決したこと、そして日本国内では、一連のある新聞社の元記者による『従軍慰安婦誤報問題』に関するバッシングが、やがて「日本軍の関与はなかった」「慰安婦問題など存在しなかった」のごとく一部マスコミや論者により誘導されていたことや、現内閣総理大臣が、かつて日本政府が承継して来た『反省とお詫び』を間違いであるかの見解を露わにしたことから、互いが互いを非難して、冷え切った時代に入り込んだのでした。

 

そんな中、気持ち悪いくらい急転直下、どうしてこうなったの、何がそうさせたのかわからないですが、この問題が解決したことは、素直に嬉しく思います。 これから、慰安婦問題に関して執拗に個人攻撃を続けている方々、また、『軍の関与はなかった』『従軍慰安婦は存在しなかった』と声高々のみなさん、安倍内閣は不信任でしょうか。

 

私は、きさらぎ法律事務所を訪れるみなさんに対して、『事実は変えられない。変えようとすると必ず無理がくる』『相手が降りてきたら、意地や見栄を捨て、受け入れること』を申します。たったひとり新聞記者が、一部誤報を書いたからと言って、事実は変わりませんし、消すことはできません。

 

また、『村山談話』のころ、『女性のためのアジア平和国民基金』を創設して、国民から拠出された金員と国債から福祉支援金を元慰安婦の方にお渡しするシステムが構築されたにも関わらず、韓国内の一部の団体から、「 これは日本政府からのお金ではない。反省しない日本からそんな金を受け取ったら公娼になる」と元慰安婦の方々に触れて回ることがあって、互いに批判を繰り返すことになりました。

 

振り返れば、社会党村山富市内閣だからできた側面もあり、あのとき韓国では、日本政府と民間の力で出来上がった基金を蹴飛ばすべきではなかったのです。

 

私は、今回の外交、政治決着は、『事実は変えられない』『意地や見栄を捨てる』ことを認識し、実践することにより、物事の解決に進むのだと改めて確認した次第です。

 

2016年は、このような良い政治が行わられるよう、内閣総理大臣閣下頼みます!!