2015年アビスパ福岡奇跡の物語最終章へ
2015年12月14日
日本のプロサッカー界で、その年度でいちばん長い間試合をしているのはどんな立場、状況にあるチームでしょうか?
それは、サッカーJリーグディビジョン1で、今年から始まったチャンピオンシップに出場し、その決勝戦に進出した2チーム、そして3年前から続いているJリーグディビジョン2に所属し、公式戦年間順位が3位から6位までには入って、翌年J1に所属するライセンスを保持するチーム間で行うトーナメント方式のいわゆるプレーオフで決勝戦に進出した2チームです。今年について言えば、J1は3月7日から12月5日まで、J2は3月6日から12月6日まで闘いが続いたものです。
先に行われたJ1のチャンピオンシップでは、年間総勝ち点が1位のサンフレッチェ広島が勝ち抜いて年間王者となりました。今年復活した2シーズン制に加えてこのチャンピオンシップを行うことは、過密日程もさることながら、これでは年間勝ち点を積み重ねたことが意味がないなどの批判が多いことは、あるいはこの『ひとりごと』でも述べたかもしれません。
私は、アビスパ福岡以外のチームの勝ち負けには利害関係はありませんが、やはり年間1位がチャンピオンになって良かったと思います。もっとも、ガンバ大阪の奮闘には、心打たれました。
さて、J2で最も長く試合をすることになったのは、年間3位のアビスパ福岡と年間4位のセレッソ大阪でした。J2では、年間勝ち点1位と2位のチームが翌年J1へ自動的に昇格し、残りの1枠を巡って昇格プレーオフが行われます。
2010年に年間3位でJ1へ昇格したアビスパ福岡が、翌年J1で、当時記録的と言われた○連敗したことから、簡単に3チーム昇格させるべきではないとの議論になったわけですが、私は、Jリーグの興行的側面が強いと思っています。プレーオフのお金はJリーグに入ります。これは、弱小チームアビスパサポーターの僻みでしょうね。
そんなアビスパ福岡は、これまでこの『ひとりごと』で何回もお話したとおり、今年井原正巳監督を迎え、開幕三連敗の最下位スタートをしたものの、その後順位を上げ、9月以降負けはなく、8連勝で公式戦を終え、2位のジュビロ磐田と同じ勝ち点82を確保、プレーオフの出場記録を塗り替えました。
4位のセレッソ大阪との勝ち点差15を付けてプレーオフとなったことには、いろいろ外野の意見は聞かれましたが、井原監督や選手は、まだ試合ができることを素直に喜び、いつもとおりの姿勢、プレースタイルを変えません。
きさらぎ法律事務所は、アビスパ福岡の法人後援会に登録されているわけですが、アビスパからは、雲の上の試合?のようなJ1チャンピオンシップについて、否定的な意見を表明する私は、やはり今年アビスパ福岡が残した結果から、まだ気持ちの整理が着いていなかったのでしょう。しつこいとは思いますが、今年に関しては、プレーオフが設けられた趣旨と合うのだろうかの思いはありました。
でも、プレーオフ制度は、2015年の公式戦が始まるときには決定されていたので、文句言う方がおかしいとはわかっています。しかも、アビスパ福岡は、この制度があったからこそ、年間2位になったジュビロ磐田と高いところで競い合い、ともに良い結果を残したのですから。
ただ、このプレーオフ決勝戦の会場については、ほとんどの人から、Jリーグの決定はおかしいと疑義が出されていました。私もそう思います。『中立地』で行うとされているところ、年間4位のセレッソ大阪のホームグランド『ヤンマースタジアム長居』で行われたからです。
しかも、このことは3月時点で決まっていたと後になって言ったこと、すなわち、これを発表したのはアビスパ福岡が3位、セレッソ大阪が4位につけた9月だったこともおかしいです。
ヤンマースタジアム長居で行うことが実際に決まった段階で、Jリーグは、その経緯や理由を明らかにしました。3点ほどあるのですが、ここでは省略します。ただ、結果論だとしても、ヤンマースタジアム長居は、『中立地』ではないですね。プレーオフ制度を良しとする立場の人は、年間上位チームのホームグランドで開催すべきと言います。
これは、日本のプロ野球の『クライマックスシリーズ』でもとられています。サッカー通の方々からは、サッカーの場合、圧倒的にホームチームが有利であり、実際欧州リーグ等歴史ある強豪チームが犇めくリーグでは、そのとおりの結果となっています。それが今回は、年間上位チームのホームではないどころか、年間下位チームのホームグランドで行われことには、なんの合理性もないと言うものであります。
このこと自体は、Jリーグが決めたことで、セレッソ大阪にはいかんともし難いことです。ですから、多くのサッカーファンが、年間2位チームと同じ勝ち点を確保したアビスパ福岡が、プレーオフに回ってヤンマースタジアム長居で試合することになって、アビスパを応援する気持ちを持っていただいたことは本当に嬉しいのですが、セレッソ大阪には、ホームの利はあっても、サッカーファンからの『逆風』を受けて、お気の毒思いがいたします。
アビスパ福岡井原正巳監督は、『常に謙虚であらねばならない』ことを仰っております。この井原監督が、プレーオフ決勝戦を前に、『サポーターの力が必要。みなさん長居に来てください。』と言われました。行かねばなりません。
いっぽう数週間前に就任したセレッソ大阪の監督さんは、このJリーグの決定には、素直にラッキーと言ったと伝えられます。もちろんアビスパは優勝したわけでも、J1へ昇格したわけでもなく、単に15ポイント多い勝ち点を得たに過ぎませんから、敬意を表せとは言いません。
ですが、日曜日夕刻の大阪での試合になり、福岡の子供たちは見に来れないし、福岡から駆けつけるサポーターだって、電車賃数百円ってわけありません。
この開催地問題では、せめて福岡や井原監督に対する思いやりの言葉を言えないのかと思いました。試合前には、自らを鼓舞するためでょうが、セレッソの一部選手から、公式戦最終戦から3試合続けてホームグランドでできて、移動が不要だったから、充分調整できたかの発言がありました。
コレってアビスパ福岡の選手が聞いたらどう思うのか考えなかったのでしょうか。
こんな思いの中、アビスパ福岡に関係する全てに感謝の気持ちを持って、私は、2015年12月6日、決戦の地大阪ヤンマースタジアム長居に向かいました。『2015年アビスパ福岡の奇跡の物語』にお付き合いください。
きさらぎ法律事務所の依頼者は、報復を潔しとしない方ばかりです。
2015年12月11日
明治安田生命Jリーグチャンピオンシップ第1戦サンフレッチェ広島対ガンバ大阪の試合は、ガンバ大阪のホーム万博記念競技場で行われました。チャンピオンシップ、略してCSは、今年から2シーズン制となったJ1で、年間勝ち点最高のチーム、ファーストおよびセカンドで1位となったチームなど最大5チームが参加して基本的にトーナメントを戦い、勝ち抜いたチームを年間王者とするものです。
J1を2シーズン制にすること、ましてそれぞれの1位もしくは年間1位を日本一とするのではなく、最大5チームをレギュラーシーズン終了後にトーナメントで競わせてチャンピオンを決めるやり方には、サッカーファンやスポーツコメンテーター等からは、かなり批判的意見が出されていました。
新制度初の今年は、結果として参加したのは3チームでしたが、私も、なんでこんなことする必要あるの?と否定派です。それは、たとえ2シーズン制であるにしても、年間1位がなんで1位ではないの?の疑問は消えませんし、各トーナメントにより一発勝負であったり、アウェイゴールとか複雑な上に、過密日程で選手の健康体調を無視して、興業主義に走り過ぎている感が否めないからなのです。
こうして始まったCSですが、初戦を年間3位のガンバ大阪が、ファーストステージ1位の浦和レッズを延長戦の末下して決勝に進んで、年間1位で、セカンドステージ1位でもあるサンフレッチェ広島と対戦したのが、冒頭挙げた万博記念競技場でのホーム&アウェイ方式の一戦でありました。
この試合、久しぶりに民間地上波で放送され、平日であったのに、多くのファンが見たようです。そして、素晴らしい試合、こんな試合が見たかった、日本代表戦より見応えがあった、これでJリーグ人気が出る、両チームの選手たちに拍手等等、好評だったようです。
前半0対0の試合が後半途中から動き出し、後半アディショナルタイムに2点取った広島が、3対2で勝利しました。
この結果に至ったのは、勝っていたガンバ大阪の選手が、いわゆるレッドカードを受けて退場となり、1人少なくなった大阪は、広島の波状攻撃を受け続け、流れが変わったからだと言われるのです。サッカーで、一発レッドは、ゴールキーパーとの1対1のような決定的得点チャンスを潰したケース以外では、故意の乱暴行為や審判等に対する暴言がなされた極めて悪質なケースとされます。
この試合でのレッドカードは、いわゆる報復行為とされるもので、プレー中に倒された相手を、プレーとは関係ないところで突き飛ばしたことだったのです。
確かに報復行為は、一発レッドが当然だと思います。ただ、聞いたところではこのケースもそうだったようですが、報復行為と言われるごとく、結果レッドカードを受けた選手を挑発するような伏線が、いくらかあることが通常です。
これに乗ってしまってはダメですが、挑発する側もどうかと思います。非紳士的行為と言うやつです。フェアプレーは当然です。胸(背中?)を押されたのに、倒れて顔を覆う行為って何?と思います。
よく、審判を騙す行為、これをシミュレーションと言いますが、例えば、わざとペナルティエリア内で相手に倒されたかにアピールするプレーなどは汚いプレーだとして、カードが出されます。
これに似たようなプレーとして、『マリーシア』と言われる選手が選手を騙す例の是非が論じられることがあります。もともとの意味はずる賢いであり、別な言い方をすれば、賢くうまく振る舞うことであって、マイナスイメージではなかったようです。
しかし、フェアプレーが信条の日本では、先の挑発行為なども含めて使われることがあるようです。
ずる賢いとアンフェアとは違うと思います。この万博記念競技場での『レッドカード事件』は、もし、必死の攻防の過程で、結果的にラフと思われるプレーをして、それを報復するのは許されません。もちろん、わざと挑発されても、報復するのはアウトです。
しかし、本当にフェアプレーに徹していたのに、勘違いあるいはカツとなって『報復行為』をされたのであれば、なんで当たってもいない場所、痛くもない場所を抱えて倒れこむ必要があるでしょうか?
私は、きさらぎ法律事務所を訪れる方に、嫌いな言葉は、『競争』『勝ち負け』であることを言うのですが、権利侵害を受けた、相手に酷い目に合わされたとしてその法的対処を求められるとき、必ず申し上げることがあります。
それは絶対に相手に報復する気持ちを持ってはならないと言うことです。また、相手からの仕返し、報復を恐れてこれの対処を求められる方に対しては、ーー逆恨みは別としてーーなんでそのような行為に至らせたのか、心するよう申し上げます。報復とは応報でもあります。自分がやってしまった行為を真摯に振り返ることなくして、『報復』からの危険を背負う可能性があるからです。
私は、報復した側も、挑発した側も、スポーツマンシップ、フェアプレーの観点からは、『どっちもどっち』と考えます。残された1試合、サンフレッチェ広島のホームグランドエディオンスタジアム広島で行われる対戦では、フェアプレーに徹して、雌雄を決していただきたいと思います。
『大阪』には、これまで、そしてアビスパ福岡の『12月6日』を思うといろいろあるのですが、今回のガンバ大阪については、なんとしてもガンバって欲しいと願うものです。
怒り方って人を大きく傷つけるものだと思います。
2015年12月10日
ある新聞の読者の欄に、少年が、老人に座席を譲ったのに酷く叱られてショックを受けた、自分はいけないことをしたのか悩んでいるとの投稿が掲 載されていました。
ある男子中学生が、混雑するバスの車内に座っていたところ、途中で乗車して来た重たそうな荷物をたくさん抱えた60代に見 える男性に席を譲ろうとしたところ、「ふざけるな!近ごろの子どもは、学校のマニュアルとおりに動かされて悲しいな。本当は座りたいのに、ペ コペコ席を席を渡してねえ。これくらいの年をとるとわかるの!」と言われたと言う内容です。
確か1ヶ月くらい前に出ていたものです。この少年は、深く傷ついたと思え、なんて言うことだと義憤に駆られました。
それと、冷静に文書を見る と、とても中学生が書いたとは思えないほど名文ですし、自分はショックを受けたけれども、あるいは自分が間違っていたのかとの狭間で、大手新 聞社にその経験を投稿するのは、かなり社会性や公共性が身についた子どもだと感じました。そしてこの少年の投稿に関して、この新聞社では、読 者の声を集めたものです。
新聞社によると、この投稿に関する読者の反響はかなりあったようで、少年を讃え気遣うものがほとんどだそうです。
特に、優しい気持ちを持った 少年が、この先も変わらないでいて欲しいこと、きっと良いことがありますよとの彼を応援するメッセージが目立ったようです。12月に入ったあ る日の朝刊で、この件に関する読者の声の『特集』が組まれておりました。
掲載された投稿全てが少年の気持ちを汲み、彼は間違っていないとするものですが、読者それぞれの経験から学ぶところがありました。
30代の女 性は、町で物を配布する仕事中、複数回老人に酷く叱られたことや、子どもが犬と散歩中、イヤホンを付けた老人とぶつかりそうになって愛犬が蹴 られた経験を言い、老人の身勝手思い上がりが社会悪であるとの観点から、認知症の親が、公共交通機関の車内で騒ぐなどして困った経験をした女 性は、少年の優しさを賞賛した上で、世の中には一般社会の常識では通らない老人がいるので、今回はたまたま変わり者に当たったと思って欲しい とのいたわりを、また同世代の少女は、席を譲って叱られる世の中の非情を綴っておりました。
私は、件の『老人』の心に潜むものや、この方なりの信念はわかりません。ただ言えることは、仮にこのときこの少年への対応が、この『老人』な りの『正義』であったとしても、「その言い方はないな」と言うことです。もちろん私は、この少年が悪いことをしたなんて思えません。
ただ、何 か気に障ることをされたと感じる人がいるのもまた事実です。しかし、当然のことをした、少なくとも自分は何も悪いことをしていないと信じてい る少年に対して、仮に気に入らない、さらに怒りたいところがあったとしても、「ふざけるな!」から始まるあの態度はないでしょう。受け手にそ のこと自体で、大きなダメージを与えます。
弁護士として仕事をしておりますと、ちょっとしたこと、ある言い方で紛争が深刻化しているケースにしばしば遭遇します。近隣紛争はその典型で す。隣家の音がうるさいので我慢に我慢を重ねたある日「ふざけるな!」なんて乗り込んで怒鳴りつければ、もうそのことで円満解決は混雑です。 よく電車が遅れる『お客様トラブル』というやつも、実は大半がコレですね。
混雑する車内でぶつかったとき、その注意の仕方、怒り方で『なん だ。その言い方は!』になり得るのです。人間は、本質的に他人から注意を受ける、叱られることが嫌いです。そのときの注意の仕方でショックを 受け、あるいは反発したくなるとも思えるのです。
少し話がずれました。
この少年の投稿に関して、この新聞社が読者の声を集めているこのとき、またしてもネット上では、気になる意見が散見され ました。確かにこれと似たような経験をしたことがある人は多いかもしれないが、この少年の心に潜む打算が見透かされたのだと言う意見です。
この意見の主、続けて、「こんなエピソードを、わざわざ○○新聞に投稿するような人ですから」と来ました。打算?それは将来○○新聞社に勤める とか、この新聞社に認められること?私は、この事件の主である60代の男性と、こんな『少年の打算』を言う人が、同じ人に見えました。
スカイマークの3人衆は、信長、秀吉、家康ではないけれど、歴史に名を残したと思います。
2015年12月9日
『三人寄れば文殊の知恵』と言う言葉があります。
もともとの意味は、凡人であっても、3人集まって考えれば、素晴らしい知恵が出ると言う意味 です。文殊とは、知恵を司る菩薩のことで、3人集まって相談すると、文殊にも劣らない名案が出ると言うことです。ただ現在では、凡人でなくて も、誰でもひとりで考えずに、複数の人に相談すれば道は開かれると言うように、目上の人に向けても使って良い言葉とされるようです。
そんな前 提で、『3人』で記憶に乗る事柄があります。少し長くなりますが、興味おありでしたら、お付き合いください。
私が福岡や新千歳に行くとき利用する航空会社に、スカイマークがあります。
特に、札幌の裁判所に午前10時に出頭するには、6時55分のスカ イマークに搭乗することが多いです。羽田から新千歳までは、飛行時間は1時間5分から10分くらいで、早朝便は、時刻表よりも早めに到着する ことが多いので、遅れが付いて回るスカイマークでも運航される限り、遅れが生じることはないのです。
時期によっては、新千歳空港まで1万円を 切ることもあったと記憶します。
スカイマークは、2015年1月28日東京地方裁判所に民事再生法適用の申請をしてその手続きが開始され、8月6日にANAホールディングス が支援する再生計画が認可決定し、弁済しながら新しいスポンサー等の支援を受けつつ、代表取締役には筆頭株主である投資ファンドのインテグラ ルの佐山展生氏が就任、ANAホールディングスからも取締役2名が入り、再生の道を進んでいます。
スカイマークの3人と言えば、澤田秀雄、井手隆司、西久保慎一の3氏です。この御三方、一緒に集まり、知恵を絞ったことはないかもしれませ ん。スカイマークの代表として指揮をとった時期が異なるからです。
それでもこの3人、航空業界に規制緩和を取り入れる契機となり、株式上場を 果たし、黒字転換させるなど、3人それぞれ特徴を出し、航空業界のみならず、日本経済に強烈な印象を残してスカイマークを去ったのです。
1996年(平成8年)11月、エイチ・アイ・エスの代表取締役澤田秀雄氏が中心になって出資して、規制緩和を必要とする航空業界に、最初に 新規参入したのがスカイマークエアラインズです。羽田福岡を最初に、低運賃を打ち出して順次就航路線を増やし、平均搭乗率80%を記録しまし た。機内サービスを簡略化し、整備も他社に委託し、少ない機材で効率良く回すやり方で、家族ずれや若者を中心に、人気を得たと思います。しかし、JAL、ANAは、スカイマーク便の時刻に合わせた低運賃をぶつけてきて、スカイマークは搭乗率が下がり、赤字転落します。確かにボール ディングブリッジからの搭乗ではなく、また、搭乗手続きが面倒等不便はありました。
でも、私はこのころ『スカイマークイジメ』と言いました。 スカイマークが撤退した、あるいは運航しない時間帯の便は、大手航空会社は、値下げしていないのです。
そして、澤田氏が去った後、スカイマークの代表取締役となったのは、井手隆司氏です。井手氏は福岡県出身、大学時代から航空業界に関心が強 く、キャセイパシフィック等の勤務を経てスカイマークの代表取締役には2000年よりも前に就任されたと思います。整備や運航を大手航空会社 に委託する環境では大手有利は変わらない、他から資金を集めるしかないとして、東証マザーズで、東京証券取引所初とされる赤字のままでの上場 を果たしたのです。
その後井手氏は、取締役会長となり、2003年に35億円を出資して、代表取締役に就任する西久保慎一氏に、経営権がバト ンタッチされることになるのです。なお、井手氏は、その後取締役でしたが、スカイマークが民事再生法適用の申請をした2015年1月28日、 スカイマークの代表取締役会長になり、民事再生が認可された後の本年9月に、これを退任しました。有る意味、スカイマークにいちばん関わった 方かもしれません。
そして、記憶に新しい西久保慎一氏の登場です。プロバイダ業界からスカイマークに35億円を出資して、筆頭株主となった西久保氏は、2004 年に代表取締役に就任し、良くも悪くもスカイマークと言えばこの人ありと言われた人物でした。西久保氏は、安全性第一とは言え、航空会社も企 業である以上、経営の健全化が必要と言い、独自の経営方針を貫きました。
その後40億円を出資して、エイチ・アイ・エスグループから脱却、自 らの会社もスカイマークエアラインズに統合して新会社スカイマークとし、西久保自身パイロット養成学校に通い、小型セスナ機ジェット機を操 縦、スカイマークをLCCに転換されて、全て機材をボーイング737型小型化機に変え、機内サービスはしない、機内持ち込み荷物は乗客が出し 入れする、パイロットの制服は廃止、CAはポロシャツとして、徹底して無駄を省く姿勢を貫いたのです。
その後スカイマークは黒字転換し、ここ5年くらいは、スカイマークは、いつも満席の感がありました。西久保社長は、国土交通省の天下りは一切 受付しない、長期雇用を目指して契約社員は試験を受けさせて全て正社員とする、航空会社一本に絞り、子会社は設けない等独自性を発揮したと思 います。
ただ、そうは言ってもワンマンから来るトラブルや苦情は後を絶たず、気に入らない者は直ぐにクビにしたり、新規購入したA330型機 には、CAにミニスカート着用を義務付け、従わない者は、この機材には搭乗させない等物議を醸す事態を次々に引き起こしました。特に昨年に は、スカイマークで操縦士試験に合格したのに退職したパイロットに対して、次々に教材費等の返還訴訟を提起していることが報じられました。
いっぼうで、国際線への進出を目指した西久保氏は、世界最大と言われたエアバス社のA380型機を複数機発注したところ、円安や燃料費の高騰 等から支払いかが困難となり、ここ数年参入してきたLCCとの消耗戦にも疲弊したのか搭乗率は下がり、特にミニスカ便として、スカイマークの 目玉として多額のリース料を負担して就航させたA330型は、思いのほか搭乗率が上がらず経営は悪化、平成26年末にはスカイマークの現金保 有額は6億円となって、もはや従業員の給与も支払えない事態に陥ったものでした。
こうしてスカイマークは、平成27年1月経営破綻しました。しかし、スカイマークは20年間にわたり、大手の傘下に入ることなく、有る意味あ らゆる嫌がらせや逆風にもめげず、独自性を貫き、日本の航空業界に新風をいれ、その一躍を担ってきた功績は大きいと思います。澤田氏の志、井 手氏の願い、そして西久保氏の夢と経営手腕、そのいずれが欠けていても、スカイマークは存在し得なったでしょう。
特にミニスカートのCAを侍 らせてニヤけたPR用ポスターを作らせた西久保氏は、経営破綻したスカイマークの社員を路頭に迷わすことだけは避けたいとして、2015年の 民事再生法適用申請まで間に、倒産必定のスカイマークに数億単位の資金を提供して代表取締役を辞任、自分の見通しの甘さから経営破綻を招いた として、静かに一線を退いたのです。
新生スカイマークは、投資会社が筆頭株主で、ANAホールディングスが支援するかたちとなりました。現時点で、この体制の是非は論じません。 2015年12月時点で、ANAとの共同運航等は具体化されていないようです。
共同運航と言っても、スカイマークは、1便あたり20%くらい の座席をANAに売って代金を得るだけであり、機材も運航スタッフも自社で行うかたちは崩さない予定です。大手に飲み込まれず、とは言え独自 性のあまり、顧客や社会から支持を得られなくなると、やはり生き抜くことは難しいのです。私は、西久保氏はきれいに責任をとりましたので、こ の人を非難する意思はありません。
ただ、先のミニスカに関する一連の『騒動』や、わざわざ機内の乗客に見えるところに、「機内での苦情は一切 受付しません」と記した文書を置いたことなど、世界的な不況の中、黒字続きでいつも満席状態の現状に、あぐらを描いたと言うか、図に乗ったと ころはなかったでしょうか。昨年あたりから、こんなこと!になるのではないかと感じておりました。
新生スカイマークは、澤田秀雄氏、井手隆司氏、西久保慎一氏の姿はありません。でも、この3人は、強烈な印象を残しました。折から、『小泉改 革』なるものが進められていて、小泉純一郎氏、竹中平蔵氏、宮内義彦氏を合わせて私なんか三○○トリオなんて言いましたが、スカイマーク3人 は、文殊の知恵とは言えないにしても、それなりにゼロから、またマイナスからのスタートで、工夫努力してきたと思っています。
この3人を含 め、過去スカイマークに携わって、志半ばで去って行った人の歴史を思いつつ、相変わらずスカイマークを必要とする自分があるのです。
北海道新幹線『新函館北斗駅』の名称決定を巡って思うこと。
2015年12月7日
2016年3月26日、新青森駅と新函館北斗駅間が開通し、遂に北海道新幹線が、開業します。
東京あたりでは、これで函館が近くなると話題になり、JR北海道でも、『物語がはじまる、北海道新幹線』をキャッチフレーズに、開業PRポスターをはじめ、いろいろなプロモーション活動を開始したた報じられています。でも、ある報道によれば、地元?函館では、この北海道新幹線が開通しても、利用することはないだろうし、あまり歓迎感がないのだそうです。
昨年函館に行きましたが、確かに新幹線開業を待つ感じは受けません。むしろJR札幌駅のほうが、大々的にアピールしています。函館市内では、意外にも?冷静なのは、『新幹線は、函館を通らない』との認識があるからだと思います。これは、地図を見るとすぐにわかります。東北新幹線が、青森駅に入らず、『新青森駅』が終点になっていたのと同様、函館駅は、行き止まりの地形になっておりますから、将来札幌方面まで繋げる予定の北海道新幹線は、『函館駅』に行くことはできないのです。 それで、函館市から離れた北斗市に新駅を作り、しかし函館通過はマイナスイメージになると思ったのか、『新函館北斗駅』の名称になったわけです。
新青森駅からは、奥津軽いまべつ駅、木古内駅を通って終点が新函館北斗駅となります。東京新函館北斗間には、10往復の新幹線『はやぶさ』が運行されるそうです。ところで、新函館北斗駅は、函館市にはありません。函館ライナーと言う新幹線から函館駅までのアクセス列車を設けるようですが、新幹線だけでも、東京新函館北斗間は優に4時間を超えるので、函館に行く人は、東京から北海道へいちばん近い空路である羽田函館便を利用することは変わらないと予想されてもおります。
東京あたりでは、あまり報じられていませんが、時々北海道に行き来する私は、札幌市内で配布される経済誌などの情報で、北海道新幹線の開業を巡って、函館市と北斗市の『喧嘩』や、北海道と函館市との対立など経緯を知っております。新函館北斗駅となる北斗市の中心駅である函館本線『渡島大野駅』は、函館駅から17km離れた無人駅で、1日の乗降客は、2012年で108人でした。先に述べた地形の関係とは言え、新幹線に通過される函館市としては、この渡島大野駅を『新函館駅』とされるのは当然との思いがあったのでしょう。
北海道も、JRも、その意図だったと言われます。 ところが、『新函館駅』に決まりそうだとなった時点で、旧大野町から市となった北斗市の市長が、「北斗駅にすべきだ」と発言したことから函館市が即刻抗議、以来2年以上にわたって、北海道やJR北海道を巻き込んで喧々諤々の論争を繰り返して来ました。
函館商工会議所の会頭が、記者会見の際に、『新函館北斗駅』を双方に提案したいと述べたことがきっかけとなって、北海道が調整に乗り出すことを表明、しかし函館市と北斗市間での協議はいつも平行線で終わり、開業1年を切った2014年4月、双方ともJR北海道に一任することで合意、今度はJRと北海道との政治決定に進むことになったようです。
そしてもともとのJR北海道案であった『新函館駅』に、北斗を入れて欲しいとの北海道知事の要望で、『新函館北斗駅』と決まったものであります。 北海道新幹線が新函館北斗駅まで繋がると、現在函館駅と札幌駅を結ぶ特急列車は、新函館北斗駅に停車します。JR北海道によれば、新函館北斗駅から洞爺や登別、さらに札幌まで利用する乗降客が見込まれるとのことです。
新幹線の駅に特急列車が停車するのは、九州新幹線の新鳥栖駅と同じですが、私は、新函館北斗駅を経由して、札幌方面に行く乗降客は期待できないように思います。 今でも、道外から登別、洞爺すなわち函館方面に行くのは、新千歳空港から路線バスのほか、南千歳駅を経由して鉄道で行くことが当たり前です。
4時間を超えると、鉄道利用から航空機利用に一気に傾きます。新幹線も良いですが、JR北海道は、電化区間を増やして気動車減らすこと、それと、厳しい気候で仕方ない面もありますが、いつも冬季は時刻とおり運行できず、しょっちゅう遅れが出るところをなんとかしていただきたいと言うのが、そこで暮らすわけではなく、都合良く行き来する道外の人間の勝手であります。
そんなふうに、今日も羽田空路と新千歳空港を往復して、夜の新千歳空港を立つときに思いました。