きさらぎ法律事務所は、明治安田生命Jリーグ第2デイビジョンに所属するアビスパ福岡の法人後援会に登録されております。これまでスポーツでは、子ども2人がやっていたサッカーを観戦することがあったことや、単に福岡のチームを応援したい気持ちから、少しでも役立ちたいとの思いで、法人後援会『ソシオ』に入れていただいたものでした。しかし今年は違います。もう、アビスパ福岡が気になって仕方ないのです。
今年井原正巳監督を迎えたアビスパ福岡は、結局J2公式戦は3位となり、J1への昇格プレーオフに進むことになりました。公式戦最後は8連勝を飾り、2位のチームに勝ち点では並びながらも、得失点差により3位となったアビスパ福岡の夢、そして奇跡は終わっていないのです。
ホーム最終戦、そして公式戦最終戦を観戦して、もう充分ありがとう!の思いでありました。でも、こんなにもアビスパ福岡がJ1へ昇格することを願う人がいるのだと知って、私もまた、最後までアビスパ福岡を応援することは止められなくなりました。今年最後の試合、すなわち、J1昇格プレーオフ決勝戦が行われる『ヤンマースタジアム長居』に行くことに決めたのです。
J1への昇格プレーオフとは、J2で年間総勝ち点数が3位から6位となったチームが、トーナメントを戦って勝ち抜いた1チームが翌年J1に所属するシステムです。2012年から過去3回のプレーオフでは、6位チームが2回、4位チームが1回プレーオフを制していて、年間3位のチームは勝ち抜いたことがないどころか、まだこのプレーオフで『1勝』したことがないのです。
これは、年間勝ち点が上位チーム対下位チームで引き分けだった場合には、年間勝ち点が上位のチームを選択すると言うルールが、反対に上位チームは試合をやりにくくしているとか、下位チームは失うものはない大きなチャンスゆえに、モチベーションが高いからだとか言われているのです。
ただ、これまで3年間は、3位から6位までの勝ち点差は4、3位と4位の勝ち点差は1でした。
つまり、数字上それほど力の差はなかったのです。ところが今年アビスパ福岡は、勝ち点82と言う過去の3位の記録を更新し、4位とは15、6位とは22の勝ち点差を付けてのプレーオフ参加であります。このことに関しては、決まったこととは言え、あちらこちらでいろいろな議論が出ていました。でもアビスパ福岡の井原監督スタッフ選手たちは、もう2試合できるとこれまでの姿勢を失わず、この闘いに入ったのです。
そしてプレーオフ第1戦は、同じ九州で、過去プレーオフに進出したことがあるV・ファーレン長崎でした。引き分けでも良いとの姿勢はなく、勝ちに行ったアビスパ福岡ですが、熱戦が繰り広げられ、かろうじてアビスパが勝利することができました。
その後です。感動のシーンが起きたのは。福岡の選手が長崎のサポーターの前に挨拶に行ったとき、長崎側から、「アビスパ福岡!」のコールが起き、「J1へ行っちゃえ!」の横断幕が出たのです。会場に居たほとんどの観客が涙したと伝えられております。アビスパ福岡は、長崎そして九州の願いを背負って、決戦の地大阪ヤンマースタジアム長居に向かいます。「スポーツっていいな」と実感する瞬間でありました。
その決勝戦が行われる場所が、Jリーグの開催規約では、『中立地』とされているのに、アビスパ福岡より下位となる年間順位4位で、プレーオフ決勝戦に進出したセレッソ大阪のホームグランドとなっていることには、かなりの疑義が出されています。
聖地国立競技場は現在ありませんし、昨年決勝戦が東京調布市にある味の素スタジアムで行われたことから、今回は関東圏を外したとか、J1ではチャンピオンシップが、J2ではJ3との入れ替え戦が行われるので、4万人規模の収容が可能な競技場は限られてくるのはわかります。
しかし、ヤンマースタジアム長居に決まった9月ないし10月の段階で、ここをホームグランドとするセレッソ大阪は、プレーオフ圏内の順位に居たのですから、なんとかならなかったかと思います。
セレッソ大阪と言えばJ2屈指の資金力を持ち、元日本代表が複数、また、現在のハリルジャパンにも、代表選手を送り込んでいるタレント揃いのチームで、先日元協会幹部を務めた日本人が、監督になったばかりです。「協会は、どうしてもセレッソに昇格してもらはないと困るのだ」とのやっかみまで聞かれます。
そんな環境の中、大阪で決勝戦を行うアビスパ福岡に対しては、全国のサッカーファンから、激励の声が続々届いております。特に共に戦ったジュビロ磐田等J2関係者からは、「福岡が昇格しなければおかしい」と強い後押しの声が聞こえてきます。大分、長崎等九州チームのサポーターも、アビスパ福岡を応援するために、「12月6日ヤンマースタジアム長居に集まろう!」の声が上がっているのです。
アビスパ福岡が、多くのサッカーファンから支援を受けたのは、これが初めてではありません。一昨年の今ころ、債務超過で選手に対する給与さえ遅配となって、Jリーグから退会の勧告を受けるような事態となったとき、地元の老舗『ふくや』さんが、販売した明太子の代金を、全額アビスパに寄付したことから、全国のサッカーファンが挙ってふくやの明太子を買い、また、存続運動に動いていただきました。
そのおかげで、アパマングループのシステムソフトさんがスボンサーとなり、1年前78社だったスポンサーは、なんと今年ホーム最終戦を迎えた時点てまは、1,000社を超えるまでになり、井原正巳監督を迎え、2015年新生アビスパ福岡がスタートすることができたのです。
数年前から、アビスパ福岡の法人後援会に登録されているきさらぎ法律事務所は、この間の事実経過を知っておりながら、特段の力になることができず、情けない思いでした。
でも、今となってはこんな程度の後援者であっても、ホームレベルファイブスタジアムで、アビスパ福岡の主催ゲームが行われるときには、掲示板に『きさらぎ法律事務所』の名が刻まれるのは、あの苦しい時代があったからこそ、それぞれのかたちで応援された過去を忘れてはならないとの初心と、報恩感謝の念があるのでしょう。
でも、私は、今回の開催地の件では、セレッソ大阪さんに同情する気持ちがあります。協会が決めたことであり、セレッソ大阪のチームや選手にはなんの関係もないことです。しかし実際は、大きなプレッシャーがかかるでしょう。勝って当たり前、誠に遺憾ではありますが、負けたらボロクソ言われるのは想像できます。しかも、今年のアビスパ福岡には、昇格プレーオフはおかしい等の意見が後押ししてもいるからです。選手たちには、臆することなく、また、気負うことなく試合できる環境が与えられるべきです。その意味で、私は、やはりヤンマースタジアム長居での開催には、疑問があるのです。
アビスパ福岡の今年最終戦は、12月6日、大阪市にあるセレッソ大阪のホームグランド『ヤンマースタジアム長居』で行われます。『アビスパ福岡の奇跡の物語最終節』に立ち会うため、私も大阪に行ってきます。
そして、そのご報告が、今年1年長きに渡ったアビスパ福岡に関する福本悟の『ひとりごと』の締めとなるでしょう。「博多の男なら、気持ちを見せろ!恐るものはない。さあ、行こうぜ。」
最近『限定販売』の商品が多いことに気づきませんか?よく、『○○限定』として、並べられているやつです。特に買う物を決めていない状態で店舗に入ると、何と無く興味を唆られて買ってしまうことがあるのではないでしょうか。店員さんも、「ここだけでしか買えません」を連呼して、呼び込みに懸命なことがあります。
酒、特に焼酎が好きな私は、鹿児島に出張したときには、必ず『鹿児島限定焼酎』を複数購入します。また、普段のビールの銘柄は決まっておりますが、北海道で飲む時は、『サッポロクラシック』です。札幌の帰り、新千歳空港のとあるお店で、北の生ものをつまみにして飲み干すサッポロクラシックの美味しいこと……。今日もアルコールの話題から入ってしまいました。
『限定販売』とは、企業が、商品を期間や地域などに区切って販売する方法を言います。当該商品が、全国に通用するか、マーケティング調査の目的で行われる場合、『限定』をうたうことで、消費者の購買意欲を高める目的で行なわれるとされます。
この中で、『地域限定』とされるのは、その地域の名産品を素材にしたものや、交通手段等の関係で、全国販売が難しいものが対象とされるようであります。こうしてスタートした限定商品ですが、近頃では、この地域をウリに、独自性を打ち出して販売展開される例となっているようです。
ところで、北海道限定商品については、チョット異なる歴史があります。北海道限定商品の販売は、今では、北海道以外の地域を本社とし、あるいは拠点として商品販売している企業が、特に販売地域を北海道内に限定して、販売しているのが実情です。それは北海道の特性からやむなく『地域限定』となった過去の経験から学んだことが出発点と言われます。
北海道は、古くは蝦夷地と言われ、アイヌ民族が歴史を刻んで来ましたが、明治になって開発が始まり、人は増えても、やはり本州から離れた寒冷地で、物流網が整備されず、本州でヒットした商品が道内に出回るころには、既にブームは下火となっていることもままあったようです。
それで北海道内では、道内の企業が、本州でヒットした商品を模して、独自の商品を道内で販売するようになり、これが道内では、『本物』として定着してしまい、それが道外の人たちからは、『北海道限定商品』となってしまったと言うもののようであります。
そして今度は、道外に本拠地を置く企業が、北海道の農作物や乳製品の豊富さを強調して、反対に本州との差異を打ち出すことで収益を上げる展開となっているものです。
この例は、先の『サッポロクラシック』がそうですし、私が好物としているカルビーポテトの『じゃがポックル』が典型だと思っています。また、もはや北海道限定ではなくても、「北海道に行かなければ買えない」と思われている、思わせている?宣伝効果も大きいでしょう。
新千歳空港で、4大銘柄と言われているのは、六花亭、石屋製菓、ロイズ、北菓楼ですが、次々に親戚品を打ち出して、『北海道限定』をうたっている反面、これら企業のメイン商品は、日本国中どこでも手に入る現状です。それでも『白い恋人は北海道で買う』意識は強いと思います。
『白い恋人』が、北海道土産の定番となっているのと、有る意味同じような感じで、福本悟が新千歳空港で、また、京王百貨店新宿店等の物産展で買う商品があります。それは、千歳市の企業『もりもと』が販売する『雪鶴』です。それは私が20年前、初めて北海道の依頼者となった当時千歳市にいらっしゃった方からいただいたのが『雪鶴』だったからです。
当時は、道内の牧場でとれたバター、チーズを使ったバタークリームと、千歳市苫小牧市が産地のハスカップを入れた2種類の菓子でした。その後『もりもと』では、様々な商品が販売されていて、いろいろ買いましたが、やはり初心忘るべからずではありませんが、私には雪鶴なのです。
この20年間、何回買い、人に勧めたことでしょう。雪鶴のパッケージであるつがいの鶴と羽ばたく鶴を眺めると、「またおいで。待っているよ」と話しかけられているように思えます。新千歳空港内の『もりもと』の店舗で買う雪鶴、今日もまた、思い出が詰まったいつも変わらぬ美味でした。
『名将』と言う言葉があります。辞書を引くと、優れた武将と出てきます。戦国一の名将は誰かとか、名将の戦術を知ろうとか、優れた先人に学ぼうとする人や企業は、いつの世でもいるのです。だだ、最近は、『名将』は、勝負事の指揮を取る人に当てはめることが多く聞かれます。例えばスポーツ界の監督です。これは、自分に勝ち、相手と闘うからでしょう。
名将の意味や定義もいろいろです。例えば、勝負事に勝ち続けることが名将なのか、あっと言わせるやり方で一矢報いることだとか、また、弱いチームを強くすることも、近頃『名将』として論じられています。名将は、どうして作られるのか、どのようにすれば名将になれるのか、いろいろ言われています。ただ、自分で自分を名将だと思う人はいないと思われ、名将がどうかは、他人の評価によるものでありましょう。
かつてプロ野球読売巨人軍を9連覇に導いた川上哲治元監督は、結果を見れば名将でしょう。また、今年圧倒的な強さで連覇した福岡ソフトバンクホークスの工藤公康監督も、監督としては初年度で、大きなプレッシャーがかかる中、結果を出されたのですからその器と評価されるかもしれません。ただ、あれだけの戦力、勝って当たり前との意見もあると思います。
この観点から言えば、名将とは、弱い、あまり結果が出ていない、あるいは充分な戦力はないチームや個人について、予想を超える結果をもたらす手腕を意味することになりましょうか。期待されていない、誰もがまさか?なのにこの結果はなんだ!コレでしょう。私の身近にそんな人がおります。ネット社会では、もう『名将』の名がつけられています。この『ひとりごと』で何回も登場したアビスパ福岡の井原正巳監督です。
アビスパ福岡は、サッカーJリーグディビジョン2に所属し、2012年にJ1から降格して18位、14位、16位で過去3年のシーズンを終え、今年の開幕前でも、J1への昇格プレーオフに出場できる6位以内に順位を予想した専門家は、1人もおりませんでした。井原監督の胸の内はわかりませんが、おそらくアビスパ福岡関係者でも、J1への自動昇格した2位チームと同じ勝ち点82を挙げて3位になるとは思っていなかったのではないでしょうか。高校までサッカーをやっていた息子たちが、口を揃えて言っているサッカーは監督で決まる』がわかる気がしました。
井原正巳氏は、元日本代表の主将ですが、現役引退後は、それこそ『名将』とうたわれたネルシーニョ監督のもと、長年にわたってコーチとして下積みと研鑽を続け、初めての監督就任が、今年のアビスパ福岡でありました。まさに満を持した登板であります。ともすれば、熱いだの気持ちだとかが持て囃されるスポーツ界の指導者として、その内面の思いは別として、井原監督は、終始冷静で、また、紳士なのです。いつか『男は顔!』なんて言ったことがあるかもしれませんが、サッカーに関心がなかった人たちも、井原アビスパに魅せられているようです。今年アビスパ福岡は、Jリーグ中前年度比観客数の増加率トップでありました。
もちろん、チームが強くなり、観客数が増加するのは、資金面を含めた経営努力が必要です。川森社長、野見山前社長は、関東のアウェイゲームにもいらっしゃいます。まさに現場フロントサポーター一体となった『チームアビスパ』です。それも井原正巳氏の人柄手腕だと言えます。井原イズムが選手に浸透しており、今年チームに加入した選手は皆力を発揮しており、怪我人の代わりに出場する選手も、しっかり結果を出しています。サポーターも、いらいらすることは少なく、皆井原アビスパを信じております。
井原正巳氏が、どのようにして1年立たないうちにも名将と言われるようになったのか、それはわかりません。だだ、組織を率いる人は、それに関わる全ての人を思い、そこからの信頼を得ることが不可欠だと知らされます。この先の結末はどうでも良いとは言いませんが、アビスパ福岡を取り巻く全ての人が、井原監督を信じ、結果を受け入れることは間違いありません。そこで福本悟流の『名将』とは、寡黙の中にも芯をとおし、関わる全ての人から信頼を得ること、結果は後からついてくることだとなりましょうか。
かつて日本代表として、始めてワールドカップに出場した主将井原正巳氏を懐かしむ方々、どうぞアビスパ福岡の試合をご覧ください。この『ひとりごと』がアップされるころには、井原アビスパの2015年は全て終了しているかしれまんが、今年の集大成の試合をあと2つ行う権利を井原正巳氏が、アビスパ福岡にもたらしてくれました。名将にありがとうを言いたいです。
購読している新聞に、子どものころ住んでいた東京都大田区の歴史が掲載されていたので、懐かしい思いで、これをご紹介します。みなさん、大田区と言えば何を想像しますか?羽田空港、田園調布、中小企業、蒲田行進曲、大森貝塚、平和島ボート、桜坂、巨人軍グランド等等、世代や興味により、いろいろだと思います。
私が通学した小学校中学校は、高台にあり、近くを新幹線が通っていて、坂を下ると多摩川はすぐそばと言う環境にありました。子どものころから、多摩川には、よく遊び行きました。そして、私が歴史好きになったのは、多摩川がきっかけだったかもしれません。
小学校4年時に、クラブ活動と言う科目ができました。これは今で言う文化系サークルの走りです。それ以前から鉄道ファンで、地図を見るのが好きだったことも影響していたと思うのですが、私が所属したのは『郷土研究クラブ』です。通称『狂犬』と言われましたが、おとなしい男の子ばかりで、私はクラブ長でした。
この郷土研究クラブの5年時に、多摩川にまつわる歴史を調べ、史跡を散策して、大田区にその結果を投稿したことがあります。チョット恥ずかしい物ですが、ひとり暮らしをしていた母が、有老に入所するため、実家を整理したところ、なんと48年前の冊子が出てきました。母は、大切に保存していたのです。これは、今日の某新聞の東京版に出ていた記事と重なります。少しお付き合いを。
時は南北朝時代です。建武の新政に尽力した足利尊氏、新田義貞は、後醍醐天皇側か武家側かに分かれて戦うことになり、天皇すなわち南朝側の新田義貞は敗れ、京都に足利尊氏は、室町幕府を開きました。そして源頼朝以来の武士団が居る鎌倉をしっかり抑えるため、弟の足利直義を差し向けて、鎌倉府を設けました。新田義貞は、もと上州、群馬県を中心に勢力を築いており、鎌倉府ができたころは、新田義貞の子新田義興が力をつけておりました。新田の家を興す願いのもと、名付けたと言われております。
この新田義興、父の無念を晴らすために、上州から鎌倉を目掛けて進軍し、武蔵と相模の境となる多摩川まで来ました。今でも多摩川は、東京都と神奈川県の境です。この多摩川を渡ってしまうと、鎌倉側は窮地に陥る危険性があり、足利側は一計を案じて新田義興を殺害したのです。今で言う大田区の矢口渡あたりの出来事でした。
すなわち、鎧兜に身を固めた新田義興が、多摩川を渡るために使用する小舟の船頭を買収して、船に穴をあけておき、川の中ほどに来たときに、詰め物をしていた穴をあけ、船を沈めると言うものです。この船頭、とんべいと言いますが、とんべいさん、足利側との約束通り栓を抜いて、自らは川に飛び込み、謀られたと知った新田義興は、助からないと悟り、「無念!」の一言を残し、自害して果てたのでした。
それからです。多摩川は、毎年洪水に見舞われ、新田義興の殺害に協力したとんべいさんは、自己の行為を悔いて、新田義興の供養を続けましたが、結局発狂して亡くなりました。また、新田義興の亡霊が出ると噂され、このあたりでは、疫病で多くの子どもが亡くなりました。それで地元の人たちは、新田義興の霊を供うために神社を造り、また、とんべいさんを哀れに思って、地蔵も造ったそうです。また、足利氏より、新田義興の旧領を貰った江戸遠江守が、矢口渡の渡しにきたとき、激しい雷雨となって、空から新田義興の亡霊が現れ、遠江守目掛けて矢を放ち、7日間苦しんで遠江守は悶死したとも言われております。
その後も雷を伴う風雨が続き、とんべい地蔵さんは、その度に溶けてしまって顔が消え、多摩川の洪水も止みません。そんな数年が続いたある雷雨の日、溢れ出た多摩川から、ひとつの観音様がこの地に流れ着いたのです。金色に見えたこの観音像を、地元の人たちが手厚く祀ったところ、雷は止み、翌年から多摩川の洪水も、新田義興の亡霊も、現れなくなったと言うものです。この観音様をして『雷止観音』と言うようになったと言う歴史物語であります。この観音様が流れ着いたのは下丸子にある光明寺前の池で、度重なる多摩川の洪水で、池になったとも言われます。そしてこの『雷止観音』は、沼部の密蔵院に安置されております。このお寺様こそ、私が通学した学区域にあるのです。
江戸時代には、平賀源内が、別のペンネームをもって『神霊矢口渡』と言う本を描き、人形浄瑠璃にもなり、この辺りは、歴史に名を残すことになりました。今は蒲田から多摩川駅まで、東急多摩川線が通っています。蒲田、矢口渡、武蔵新田、下丸子、鵜の木、沼部、そして多摩川です。この短い路線には、新田義興を巡る歴史と伝説が多く残っております。確か小学校3年のとき、社会科の副教材で、『私たちの大田区』と言う本が配布され、この地域に興味を持った記憶があります。
人々が、その地域に住むのは、全くの偶然であることがほとんどです。でも、何かの縁があって、住んだ我が街の歴史を知ると、その街の一員になった気がいたします。小学校時代の思い出が、この歳になって目にした新聞により、懐かしさが込み上げて来ました。みなさんも、今住んでいる街の歴史を調べ、学ぶことをお勧めします。あのころ、純粋だったなと思います。
日本は、周囲を海に囲まれ、火山もあるなど山岳地帯が多く、人口の多くは、平野部に集中しています。これは統計上人口密度の多少によって明らかになります。鉄道やバスは、人口が少ないところ、つまり人家のない場所には通りません。これら公共性ある事業も、私企業である以上、営業収支を無視することはできないでしょう。
反対に、人口が密集していない場所に設けられるものと言えば空港でしょう。東京や大阪、そして福岡等で暮らしていて、各地の空港を利用した方は、ずいぶん市街地から離れているなと感じられたと思います。それは、その地域で生活する人がおり、安全性や環境面から、近くに空港は開設できないのは当然だと考えます。歴史的事情等あるにしても、福岡空港や大阪伊丹空港は、例外中の例外だと思われます。
だいたい空港は、人里離れたもと山の中や、海岸線に沿って、また、海の中に人工島を造って開業されているものです。広島空港や鹿児島空港は、着陸寸前まで周りは山ですね。この両空港も、昔は、より街の中にありました。大分空港や松山空港等、海に接している空港も多いです。東京国際空港羽田もそうですね。
それから、海の中に人工島を造って空港を開業した例があります。長崎空港が有名でしたが、北九州空港も出来ました。新しく開業される人工島の空港は、24時間離発着可能を売りにしています。数年前に開業した羽田空港の4番目の滑走路は、早朝深夜便の離発着を可能とし、羽田空港の国際線誘致に、効果を発揮していると言えるでしょう。
国際線の重要性からすると、離発着時間が限られている空港は、各国は、乗り入れしにくいかもしれません。成田空港が、しばしば例にされています。
そんなことがあったのか、関西国際空港は、大阪湾泉州沖に開業しました。この空港は、大阪市内から離れていることや、伊丹空港神戸空港とのすみ分けの問題等あって、赤字だとされながらも、やはり国際空港の役割があり、LLCを呼び込むなどして滑走路を増やし、利用客の増大に奮闘しているようであります。
先日初めて中部国際空港を利用しました。東京にいる人間が、名古屋に行くときには、わざわざ航空機は利用しないと思います。そもそも、羽田空港と中部国際空港との間に空路が設定されていたとは、ほとんど知られていないのではと思います。現在羽田と名古屋中部との間には、ANA1便、JAL2便があります。
JAL便は、両空港を朝と夜遅くに出発する便が設けられていて、あまり存在を知られていないからか、空席がある限り、前日までに航空券を購入すれば、8.000円台の料金です。中部国際空港から名古屋までの名鉄電車の料金をプラスしても、新幹線より安上がりですみます。私は、今回中部国際空港駅が始発で、終点の名鉄岐阜駅まで乗車したので、三連休の最終日で、混雑が予想された名古屋駅乗り換えを、行きはすることなく、便利でした。
この中部国際空港もまた、人工島に開設された空港です。ですから、台風の影響等風が強い日は、欠航となることがままあります。内部、特に国際線出発口は、成田空港、関西国際空港とほとんど同じです。そして国際空港だから当然と言えば当然ですが、あちらこちらに海外からのお客様がおられます。特にアジアのある国の団体さん、ご家族は、すぐに『それ』とわかります。大きな荷物をカートで引っ張って、エレベーター出入口に固まり、他の利用者の出入りに協力?されないのでチョット困りました。私は、海外に行くことはありませんが、日本の観光客も、現地の文化習慣に慣れず、迷惑をかけているのかとも思ってしまいました。
それと、今回朝の羽田空港から中部国際空港へのJAL便を利用して気づいたことがあります。この空路は、ボーイング738型小型機が使われているのですが、この航空機は、国際線仕様だったことです。
つまり機内座席の前には、ビデオがあり、機内誌は英語版があって、ショッピングの案内本も複数用意され、オーディオも国内線とは異なりたくさん視聴可能となっていました。また、これは一般的によく見られる光景ではありますが、自社のキャビンアテンダントが、複数制服を隠して搭乗していました。
要するに、早朝羽田空港から中部国際空港に向かったこの国内線は、中部国際空港からは、海外おそらくさほど遠くない空港への国際線として使用されるのだろう言うことです。
例えは、中部国際空港から片道3.4時間の海外の空港に往復するのに、午前10時ころに出れば夕刻また戻って来れます。ただ、それで終わりにしないで、早朝羽田空港から機体を出し、夕刻から夜に中部国際空港に帰って来て、これを夜遅く羽田空港に戻すことができれば、このボーイング738型小型機を休ませる、つまり遊ばせておくことなく、効果的に利用できると言うものです。
もちろんこの私見を、日本航空に確認したものではありません(尋ねても、教えてくれるかどうかわかりません)。でも、たとえそうであったとしても、嫌な感じはいたしません。そのお陰で、安い料金で、利用することができました。もしかしたら、日本航空や全日空は、羽田と名古屋中部間の航空料金にはさほど意識はなく、こうして航空機のやりくりができること、空の機体を飛ばす必要がなくなることで採算は合っているのかもしれません。昔羽田空港を早朝6時30分に出る関西国際空港行きと言う便があって、1回利用したことがありました。この便も、ボーイング767型機の国際線仕様だったことを思い出しました。
そう言えば、幹線の早朝便は、JALもANAも、小型機が多い印象です。あまり利用客が少ないなら、無理して飛ばさなくてもと思えるものの、このような使い方があるのかもしれません。羽田空港から中部国際空港へ滅多に経験することがないであろう搭乗をして、新しいことに気づきました。これはひとつの企業努力かもしれません。
さて、この経験は、J1への自動昇格を目指す『アビスパ福岡』の2015年リーグ戦最終戦を観戦するため、正午ころまでに、岐阜市長良川競技場に行く必要性から生まれたものでした。今年は、アビスパ福岡に、いろいろ楽しませてもらいました。
試合に勝利しながらこの日J1への昇格がならなかったアビスパ福岡の試合を観戦後は、前日までに、中部国際空港から羽田空港への夜便が取れなかったゆえに、三連休で超混雑の名古屋駅から、ぎゅうぎゅう詰めの新幹線のぞみの自由席で帰京しました。航空機は、上手い利用をすると、得した感じになりますよ。