京王電鉄で、2001年3月最初に登場した女性専用車両は、2015年10月を過ぎたところで、全国の151ある鉄軌道事業者のうちその2割にあたる31事業者が、計82路線で導入しているそうです。
女性専用車両は、電車内での痴漢から女性を守るために導入されたものですが、2001年には、既に京王線を利用していた私は、女性専用車両が導入されたとき、車内放送とか、京王電鉄の広報で、その目的が痴漢被害にあることだと聞かされた記憶はありません。やがて、京王線が先駆けとなって、首都圏の各鉄道会社がこれに習うようになった折、地方で生活する知人から、「京王線利用している人って、よく痴漢するの?」と尋ねられてなんとも言えない思いをしたことを思い出します。
実際女性専用車両が登場したことで、痴漢は減ったのでしょうか。もともとこの種犯罪には暗数が付きまとうので正確な分析は困難ですが、暗数があること自体は、女性専用車両の導入は関係しないでしょうから、ある程度の評価は可能でしょう。
警視庁によれば、全国の列車内での強制わいせつ事件の認知件数は、2001年がピークの532件で、数年は横ばいもしくは微減だったところ、2009年に400件を割り、その後年間300件前後で推移しているとの結果が現れています。もちろん、警視庁は、認知件数すなわち、被害届の提出数が減ったのは、鉄道会社の女性専用車両のおかげだと分析しているわけではありません。
大阪市内に行くとき注意することがあります。それは、エスカレーターは右側に立つことがひとつ。
大阪伊丹空港到着時点では、左右半々のところ、キタの中心梅田に着くと、エスカレーターで左側に立っている人はほんの僅かで、私なんかハラハラしてその人を見ています。これがミナミの中心難波に行くと、絶対に左側に立ってはなりません。その理由、『違反』したらどうなるか、コメントは控えさせていただきます。
そしてもうひとつ、コレ、意外と他所もんには注意されていないことだと感じるのですが、大阪市内の大動脈、市営地下鉄御堂筋線に乗車するときには、『真ん中』あたりの車両には、乗車しないのほうが良いと言うことです。
すなわち、御堂筋線の女性専用車両は、『真ん中』あたりに設けられております。ここが、首都圏の鉄道とは異なるところです。御堂筋線、必ずしも朝夕の通勤時間帯だけに、女性専用車両が存在するわけではないようなのです。
これは大阪特有の文化?かどうかわかりませんし、そんなこと言い始めたらチョット怖いのでやめておきますが、この女性専用車両の存在は、大阪方面でも、少し男性の間では、議論になってきているらしいのです。きっかけは、御堂筋線で、痴漢として逮捕勾留された男性が、『被害者』が虚偽の申告をしたことを後日認めて『冤罪』だと判明した事件でした。それからむしろ、「なんで女性専用車両だけあるんだ。不平等だし、痴漢冤罪を避けるためにも、男性専用車両を設置しろ!」の声が聞かれ出したと言われます。
御堂筋線での痴漢は、制度導入後半減したと大阪市では、女性専用車両に関して、一定の評価をしております。いっぼうでは、同じ大阪市内を起点とする阪神電鉄では、「データを取っていないので、そんなもん(効果があったかどうか)わからない」とのことで、近畿日本鉄道でも、数値は把握していないとした上で、女性から好評ないっぼうで、男性などからは、反対意見があると認めています。男性専用車両は、設けられるべきでしょうか?
ネット社会では、このような話題に投稿するのは男性が多いことを割り引いても、男性専用車両の導入賛成の意見が多いようです。理由の多くは、痴漢に間違えられることは勘弁願いたいであります。私ですら、混雑して、ほとんど密着状態になる車両では、近くに女性が来ないよう願っているのです。よく混雑時男性は、手を上に上げると言っていますね。
でも、男性専用車両が設けられたとしても、この車両に乗っていないだけて、反対に痴漢する可能性があるなんて思われたら溜まりません。そんなにたくさん『男性専用車両』を設置することは不可能でしょうから。
なぜ男性専用車両を設けないのかに関して、ある鉄道会社の広報では、『需要がない』と言いました。なんで男性専用車両には乗らないのかについては、「男ばかりだとむさ苦しいから」とその理由らしきところを述べたことで、またネット社会では批判されています。むさ苦しいなんて、実際乗車してそう感じたのか、匂いを言うなら女だって(香水とか化粧で)臭いのは居る、むさ苦しくたって、痴漢にされない安全を取る、そもそもコレって、男性に偏見を持つ差別だ等等であります。
仮に男性専用車両ができたからと言って、この車両に乗らない人は痴漢する意思があるとか、現在存在する女性専用車両に乗らない女性は、痴漢されても良いと思っているとかあり得ません。大都市圏では、痴漢との関係で、女性専用車両、男性専用車両の議論がなされていることを、密着するくらいの通勤混雑がない地域の皆さんからすると、「何言ってんの」ではないでしょうか。
身体を密着せざるを得ない状況から、この痴漢問題(痴漢冤罪問題)は起きたことです。身体の密着がないよう、通勤混雑が起きないようにするのはどうしたら良いのかの側面があります。東京大阪等大都市圏周辺に、人が集まることをどうすべきかが、政治に託された課題だと思います。人口密度が低い地域の鉄道で、専用車両を創れなんて言わないでしょう。それこそ、需要があるのかと言うことです。
電車内では、痴漢問題だけではなく、ベビーカー問題や車内での化粧や飲食の問題等いろいろあります。最近特に嫌だなーと感じるのは、老若男女問わず、スマホをいじりながら乗車する人たちです。車内マナーの良し悪しは、単に男女の振り分け、各専用車両を設けることで解決できるのか甚だ疑問があるのです。
大相撲九州場所の最中、日本相撲協会理事長で、元横綱北の湖の北の湖親方が亡くなりました。
未だ62歳の若さです。北の湖理事長は、7月の名古屋場所中に、腎臓を患い休養したとの報道を覚えておりますが、九州場所が行われる福岡市に滞在して、先日は、横綱白鵬の猫騙しに関して意見するなど、元気になられたかと思っていたのでただただ驚きました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
横綱北の湖は、昭和新山の麓北海道壮瞥町出身、中学校1年時に上京して三保ケ関部屋に入門、13歳で初土俵を踏み、史上最年少記録で関取に、また幕内に昇進、21歳2ヶ月での横綱昇進と、横綱在位63場所は、現在も破られていない不滅の記録です。優勝回数24回は歴代5位、『憎らしいほど強い』と言われました。現役時代のしこ名北の湖を、一代親方として認められたのは大鵬親方以来のことで、理事長となった後、相次いで発覚した不祥事により辞任に追い込まれたものの、元大関魁傑の放駒親方定年を受けて、再び理事長に就任、『土俵の充実』を訴え、健康を害しながらも、公務を休むことはなかったのです。
北の湖は、私の青春時代に重なる力士です。少し上の横綱輪島関との対戦は、天才と強さの対決と言われ、生涯対戦成績もほぼ五分、『輪湖時代』とも言われました。本当に強く、『ちぎっては投げ』で、負けて土俵下に落ちた対戦力士には、手を差し伸べることをしない、強面の寡黙の大男でもありました。北の湖が負けることを期待していたファン?は多く、実は私もそのひとりだったのです。
北の湖が負けたときは、館内に座布団が乱れ飛んだものでした。現役引退後北の湖親方は、負けた力士に手を差し伸べるのは失礼との考えだと述べました。あのころ、『敵役』あるいは『憎まれ役』と言う言葉が流行った時代でもありました。『北の湖死す』は、まさに巨星墜つです。
大鵬、北の富士、北の湖、千代の富士、北勝海、大乃国等等名横綱は、北海道出身者が多いですね。両国国技館がある東京は、若貴兄弟こと、三代目若乃花、貴乃花が有名ですが、あまり力士の名を聞きません。
私の子ども時代には、江戸っ子でならした龍虎さんがおられましたが、大相撲は東京のイメージはないですね。もしかしたら、野球、サッカー、ラグビー等の団体競技には、競技する人数が必要ですから、北の大地には、団体競技に進む競技人口が少なくて、自ずから個人競技に進む若者が増えるのかもしれません。あまりに強い北の湖をして、子どものころからヒグマと相撲をしていたなんて、やっかみが聞かれたこともありました。
北の湖もそうですが、いかに個人競技だと言っても、ひとりでは強くなれません。皆中学校を卒業するころ、親元故郷を離れて相撲部屋に入門するのです。ここがいつまでも親元で暮らす都会のアスリートと異なるところです。親方女将さんのもと、上下関係厳しい相撲部屋で生活するのは、もはや『体育会』以上の世界かもしれません。
そんな社会を中学生時代から経験した北の湖親方は、この社会を生きた人たちの『その後』をとても気にかけておられたことは、よく知られております。第2、第3の人生を安心しておくれるよう、いろいろな取り組みを考えていたそうです。
また、北海道はじめ地方巡業のときは、現役時代とは打って変わって子どもたちや地元の人ににこやかに接し、相撲の楽しさを語っていた姿が見られたそうです。このころが、ホッと一息、安らぎを感じられた時間だったでしょうか。未だ少年時代に上京し、厳しい相撲部屋での生活を経験されたがゆえに、人間の優しさを存分に発揮した後半生だったと思っています。
それにしても早すぎました。私が若いころ、あれほど「負けろ!」と願った傑物が居なくなり、力が抜けてしまいました。またひとつ昭和のシンボルが、私にとって、ひとつの時代が終わった思いです。合掌。
NHK朝ドラ『あさが来た』が、高視聴率をキープしている事情についてお話ししました。
主人公『あさ』が筑豊炭鉱に行き来し出した明治5年、新橋横浜間に鉄道が開業して、近代日本の石炭需要が増大する様子が垣間見れます。あさと姉の『はつ』の実家京都の豪商今井家は、『バンク』すなわち銀行開業のために東京に移ることになり、大阪にいる姉妹に、母親が別れを告げにくるくだりがありました。母親は、はつに対して、お金を渡したいのです。
この朝ドラがヒットしているもうひとつの事情として、ダブルヒロインの存在が指摘されます。主演の波瑠さんと姉役の宮崎あおいさんの演技が素晴らしいと言われるようです。宮崎あおいさん演じるはつは、あさと異なり穏やかな性格のようですが、嫁ぎ先が倒産した後も、夫婦仲良くコツコツと明日を生き抜くために働く姿が描かられています。
はつは、訪ねて来た母親から、お金を受け取ろうとはしません。はつとしては、嫁ぎ先が倒産する前に、援助を求めたのに断ったことを気に病んでのことと思っていて、倒産したのはそのせいではない、今の自分はしあわせであることを言って、固辞するのでした。
ここであさは、これはバンクやと言いました。バンクすなわち銀行は、志ある人たちにお金を貸し、その人たちが志を遂げ成功したら利子をつけて返してもらう、施しや憐れみでお金を出すのではないと解説します。はつは、気持ちがいくらか楽になったのか、意思を強く持ったのか、あさに背中を押されて、実家の母からお金を受け取るのでした。
これは、今に通じる銀行の使命、在り方だと思います。銀行は、与信と受信をします。お金を預かり、貸し出し、利子を付けて返してもらう、いっぽうでは預かったお金は運用して利益を生み出して預託主に戻す、まさに金は天下のまわり物さながらなのです。銀行は、血液と同じ、これが回らなくなったら、詰まったら、当人のみならず、関係する多くの人たちが多大な影響を受けるでしょう。
かつて『公的資金』が言われました。端的に言えば、政府が税金を投入して銀行を潰さないようにする措置です。これは株式会社である銀行を助けるのではなく、銀行の公的使命に鑑みて、公共のため銀行の再建に乗り出したものです。そして声高に言われるアベノミクスの影響なのか、このところ銀行は、公的資金を完済したと発表しました。
私なんか、もし、銀行が公的使命を忘れて破綻の危機に陥って、政府与党の政策により、国民が預けたお金で再生し得たのであれば、銀行は、国民に利子を支払うべきだなんて思ったりします。それはそれとして、実に気に入らない情報が入ってきました。それは、銀行は、政治献金を復活させることを検討していると言うことです。
日本経済が真似をしたがるアメリカ合衆国でも、企業の政治献金は禁止されているのに、日本では、これが合法とされているところが疑問はあります。企業による政界への献金額は、90億円くらいになっていて、これに含まれない政治家全体のパーティ収入は180億円にも達すると計算されます。
もとより企業は参政権を持たないので、これら献金は、基本的に、その企業や業界に利益となるような政治を行って欲しいが故の支出であることは明らかです。しばしば政治献金と賄賂の線引きが問題となる所以です。
さて、銀行は、なぜ政治献金なんて行う必要があるのでしょうか?銀行は、志ある人をサポートすることにより利益を得る仕組みだったのではないでしょうか。銀行は、すなわにお金を集め拠出する組織は、国民こそお客様ではないのですか。
ハッキリ言って、献金と言う利子どころか『元金』さえ返らないお金を差し出すことは、公的使命に合うことなのでしょうか。そんなお金あったら、本当に志ある人、困ってる人たちに出してあげるべきだと思います。
政府与党は、銀行の公的使命を言って、かたちの上では私企業である銀行に対して、国民のお金を出しました。それで銀行が助かったのだとしたら、財源になった国民に対してこそお礼を言うべきでしょう。それが国民からお金を出させた政治家に『ありがとう!』と思ったのかどうか知りませんが、献金するなんて、公的使命ってなんでしょうかね。
要するに、平たく言えば、主として自由民主党にお金を差し上げると言うことです。さて、白岡あさ(広岡浅子)さんがこの体を知ったら、「びっくりぽん」でしょうかね。
11月23日は、勤労感謝の日です。きさらぎ法律事務所が法人後援会に登録されているサッカーJリーグディビジョン2に所属する『アビスパ福岡』は、2015年J2リーグ戦最後の試合をFC岐阜と行いました。先に予告したとおり、私も岐阜市にある長良川競技場に、アビスパ福岡の応援に参りました。先週のホーム最終戦となったレベルファイブスタジアムに続いての観戦です。
アビスパ福岡の城後寿主将は、11月23日と言う日が、アビスパ福岡にとって特別な日で有ることを知っています。アビスパ生粋の城後選手は、2005年と2010年のいずれも11月23日に、アビスパ福岡のJ1への昇格を経験しているのです。そして今年は5年周期の…。いえ、5年間わざと昇格を目指さなかったわけではありません。
先週、ホーム最終戦を終えた後の挨拶で城後選手は、全てを信じて奇跡を起こしましょうと言いました。5年前の11月23日、奇しくも長良川競技場でアビスパ福岡は勝利して、J1への切符を手にしました。あの寡黙な城後選手が決意を新たに呼びかけた、これはもう、『長良川の奇跡』をみんなで起こすしかない!と思い立ったわけです。
これまでしつこいくらい、何度も申しました。今季開幕三連敗の最下位スタートだったアビスパは、その後力をつけ、順位を上げて、2位のジュビロ磐田と勝ち点が並ぶ3位をキープしております。後半戦は2敗しかしておらず、最終戦を前に、11戦負けなしの7連勝を記録しているものの、ジュビロ磐田も負けなしが続いていて、最終戦でアビスパ福岡は勝利して、ジュビロ磐田の引き分け以下の結果を待つしかない状況です。この両チーム得失点差は大きく、両チーム勝利の場合、アビスパ福岡は、ジュビロ磐田を抜くことができません。J1への自度昇格枠は、年間2位までなのです。
この日長良川競技場は、1万人近くの観客でした。福岡からだけではなく、各地のアビスパ福岡を応援する人たちが集まりました。中部国際空港で、名鉄岐阜駅で、また、JR岐阜駅で、多くのサポーターの姿を見ました。試合が始まると、一緒に応援します。また、ホームFC岐阜のサポーターのみなさん、岐阜駅やスタジアム周辺では、多数押しかけてきたアビスパ福岡のサポーターを、優しく迎えていただきました。
こうして始まった試合は、城後選手のゴール等で、アビスパ福岡は勝利しました。しかし、同時刻に行われていたジュビロ磐田の試合のほうは、後半アディショナルタイムにジュビロ磐田が勝ち越して勝ち点3を手にしましたので、この瞬間にアビスパ福岡は、遂にジュビロ磐田を追い抜くことができず3位が確定し、2015年11月23日、J1への昇格はなりませんでした。
『長良川の奇跡』は起こりませんでした。
でも、井原正巳監督をはじめスタッフそして選手は、がっかりした様子はなく、また、浮ついた感じなど全く見えません。私たち観戦するほうが、あーでもないこーでもなあいと騒ついていただけです。おそらく彼らは、やることは全部やった、この先も、この姿勢は変えない信念と自信があるのだと感じました。でも、考えてみれば、『二度ある事は三度ある』では、もはやそれは『奇跡』とは言わないでしょう。
ブレずに頑張る井原アビスパには、この先誰も予想し得ない奇跡が訪れるのだと思い、その奇跡を彼らと共に起こすべく、改めてこのチームを応援しょうと自覚した岐阜市での勤労感謝の日でありました。
俳優の大沢樹生さんと女優の喜多嶋舞さんとの間の長男に対し、大沢さんが、親子関係が存在しないことの確認を求めた訴訟の判決が言い渡されました。判決主文は、『原告と被告との間に親子関係が存在しないことを確認する』となったようです。
この『事件』、2年ほど前に、大沢樹生さんが、あるきっかけでDNA鑑定をしたところ、長男との間には、99.999%以上、親子関係は存在しない鑑定結果が出たことから、家庭裁判所で、親子関係がないことを前提にする調停を申し立てたことが明らかとなり、マスコミを賑わしたものです。調停は不成立となり、訴訟となって、判決が言い渡されたわけです。 大沢さんと喜多嶋さんは、当時いわゆる『できちゃった婚』と言われ、6月に婚姻し、翌年の1月に長男が生まれたとのことす。
その後両名は離婚し、当初親権者に就任したのは喜多嶋さんでしたが、再婚をきっかけに長男の親権は、大沢さんとされ、大沢樹生さんが、約3年間男で1人で育て、その後大沢さんも再婚し、ある出来事がきっかけとして、大沢さんが、長男とのDNA鑑定に踏み切り、その結果、親子関係がほとんど存在しないと鑑定されたころから、長男は、アメリカ合衆国で生活する喜多嶋舞さんの親が引き取って、監護しているようであります。 マスコミ等では、『大沢樹生さんは、長男の実の親なのか?』だけがひとり歩きし、『嘘をついているのは大沢樹生か喜多嶋舞か?』の論戦となり、この判決が出るや、喜多嶋舞は最悪の女だと言ってみたり、父親探しを早くも始めているのです。
世間では、DNA鑑定等で、実親子関係があるかないかハッキリする時代なのに、なんで揉めてんの?との感想があるかと思います。それは、民法は、単なる血縁関係だけで親子関係を割り切る考えを取っていないからです。例えば、昨年最高裁判所では、明らかに血縁関係がないと証明された父親であっても、その子が、妻との婚姻中に懐胎され、生まれたのであれば嫡出子であり、嫡出子の身分を失わない、つまり、血縁関係がなくても父親なのだと言う判断をしています。
もし、この判決の結論だけ見れば、今回の大沢樹生さんのケース、親子関係は否定されず、実の親ではなかったとしても、長男は、大沢樹生さんの嫡出子の身分を失わないとなるはずでした。 細かい事実関係を知らない、と言うか、興味がない私なんかからすると、大沢樹生さんの思いや『正義』はともかく、当然大沢さんの請求は認められないと思っていたのです。ポイントは、『嫡出推定規定が及ぶか』にあります。
すなわち、民法772条は、1項で、『妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定する』、2項では、『婚姻開始後200日経過して生まれた子、婚姻解消後300日以内に生まれた子は、『婚姻中に懐胎したものと推定する』と規定しているからです。これはよく『300日規定』として問題にされるところです。例えば、長く夫と別居していた妻が別の男性と交際して懐胎したが、夫との離婚届の300日以内に子が生まれた場合、そのまま出生届を出すと、前夫の子となってしまうと言う問題がありました。 時代遅れ!女性差別!非科学的!様々な批判がなされる現状です。
もともとこの規定は、『嫡出否認の訴え』と一体として捉えれば、多少は、当時の立法者の意思がわかります。すなわち、この規定を受ける子について、もし、父親とされた男性が、『自分の子ではない』と言いたい場合、その手続きは、子が生まれてから1年以内に行わなければならないと言う決まりがあるのです。 これは、まずもって、婚姻中の夫婦の間に生まれた子は、その夫婦の子だとの社会的観念があるでしょうし、嫡出子とされた子の法的身分関係を早期に確定したあげて、保護する必要があるとの考えに基づくものです。
相当後になって、父親だと信じていた人から、『親でも子でもない!』と言われたらどうでしょう。従って本件で、もし、この民法772条2項に該当するならば、もはや18歳となった長男について、大沢樹生さんは、DNA鑑定がどうであろうと、嫡出否認は認められない、つまり、長男との親子関係不存在は認められない結論になるからです。
報道されたところでは、この判決、長男は、大沢樹生さんと喜多嶋舞さんが婚姻して200日以内に生まれており、民法772条の推定は及ばない、つまり親子関係を否定するには、1年以内の嫡出否認によるしかないとの解釈を取る場面ではなかったと言うことだったのです。前年6月に婚姻、翌年1月に出生と聞いておりましたから、200日超えたかどうか、まさに『ボーダーライン』だったわけです。そうすると、裁判所は、証拠調べをして、長男が大沢さんと血縁関係があるかどうか判断します。おそらく長男すなわち喜多嶋さん側が、改めてのDNA鑑定をする意思がないとみなされ、大沢さんが拠り所としていたDNA鑑定を覆す証拠は存在しないと認定して、原告大沢樹生さんの請求を認めたのだと想像されます。
本件訴訟は、『DNA鑑定により大沢樹生さん勝訴!』ではありません。
『長男が生まれたのは、婚姻後200日を超えたか超えていないか』なのです。200日を超えていた日に生まれていれば、昨年最高裁判所において、3対2の微妙なところで判決されたところを踏襲し、血縁関係よりも、長年の培われれた子の身分を重視する判決となったでしょう。種明かしすれば、マスコミや世間がワーワー言うところとは関係ない入口、それも計算で決まりだったわけです。
こんなふうに言いますと、大沢樹生さんは、罪のない子の身分を奪ったとして福本悟は、『他人』の子を育ててきた事実を無視して批判するのか!と言われるかもしれません。それは違います。報道される範囲で、大沢樹生さんが、DNA鑑定をした契機に打たれるものがあったからです。大沢樹生さんは、この長男が障害をもっていることや、再婚して不妊治療の末授かった胎児が死産となったこと等から、自分のDNAに異常があるのではないかと不安になり、いわば家族のため、DNAを調べたのだそうです。その結果の…であります。
そして一部報道されるところでは、このような結果になった以上、あいまいなままにしておくわけにはいかない、しかし、それでも親と思ってくれるなら、いつでもアメリカから帰って来い!と言ったと伝えられています。
これは、まさに私が大切だと信じ、また、法の趣旨でもある子どもの身分地位を不安定にしない、より直裁に言えば、子どもから親を奪わないことを『父親』として認識されていると思えるからです。
本件で、もし、長男の誕生が、婚姻後200日を経過していたらと思うと、おそらく全く反対の結論になったでしょう。
その場合マスコミは、『大沢樹生さんの訴え認められず』とか、『喜多嶋舞さん側勝訴』なんて書き出すのでしょうね。繰り返しますが、血縁関係が認められなくても、『父親とされた側』が勝訴することは、この推定規定のため、稀有なケースとなります。
そんなことは、大沢樹生さんは百も承知、このような案件に精通した弁護士が就いていたのです。この長男の今後に思いを馳せつつも、200日のボーダーラインでセーフとなったことは、おそらくこれまで大沢樹生さんは、長男くんと親子として接し、また、今後も、その意思を変えないであろうことを、天は見ていたのだと思います。
なお、長男の母親喜多嶋舞さんに関する私からのコメントは、控えさせていただきます。