福山雅治さん吹石一恵さんの結婚に際して、内閣官房長官の発言について

2015年10月5日
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福山雅治さん吹石一恵さんの結婚のショックとお祝いで、日本中がザワザワしているさなか、こんな発言がありました。「この結婚を機に、ママさんたちが、いっしょに子どもを産みたいという形で、国家に貢献してくれるといいなと思っている。たくさん産んでください。」

なんですかこれ。実に不快と思う以上に、国家のため子どもを産めですって。産めや増やせやの戦時下の国策ではあるまいし。国家のために子どもは生まれるのですか。全く国民主権、個人の尊敬なんて露ほども心に留め置かないのですね。菅義偉内閣官房長官の発言です。発言に慎重な菅義偉氏にしてもコレですから。これが自民党、安倍内閣の本音ですね。

安倍内閣は、女性の社会進出を応援するのではなかったのでしょうか。

結婚して子どもを生むのが女性、そして国民に課せられた国家への貢献ですか。結婚は、出産だけのためにあるのでしょうか。余計なお世話である以上に、個人としての生き方を尊重する姿勢は見られませんね。まあ『個人』を『公共』のために否定するのが、自民党の憲法改正草案ですから。

仮に結婚して子どもを産みたいと願っている夫婦であっても、様々な事情から、子を授かることができない方はおられます。不妊治療に苦しむ方、また、それこそ経済的事情で、妊娠出産に踏み切れない方もおられます。あるいは、ともに子どもは生まれないことをわかりながら、結婚するカップルもおられます。子どもはいらないと決めて結婚するカップルもあるでしょう。なんで、国家のために貢献しなければならないのですか。

第一次安倍政権の厚生労働大臣が、『女性は産む機械』と例えたことがありました。

懲りてないと言うよりも、この人たちの信念なのですからどうにもなりませんね。でも、菅官房長官らしくないのは、発言の真意なるものを、あとになって釈明していることです。女性は出産が義務付けられているかに受け取られかねないとの指摘に対して、「全く当たらない。結婚について聞かれたので、ビッグカップルなので、皆さんが幸せな気分になって欲しいと思った中での発言だ」と述べたそうです。

この菅義偉氏の発言を聞いたことで、幸せな気分になった方っておられるでしょうか。

私のように怒りの感情まで持たなくても、やはり「女性は結婚して子どもを産むのが……。」と言われて、辛い気持ちになる方はいらっしゃると思います。


安全保障関連法が成立した直後に、「ママさんたちが、子どもを産むと言う形で国家に貢献して」とは。政権が、国民に何を求めているのかハッキリしたでしょう。

福山雅治さん吹石一恵さんは、国家に貢献するために結婚したのではないと思うのですが。

 

福山雅治さんの結婚報道に寄せて

2015年10月3日
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昔、9月の雨は冷たいなんて、歌がありました。確かに台風シーズンであることを別にしても、9月には、雨が多い感じはします。雨が多い地域はどこてしょう。

三重県尾鷲市等は、その代表でしょうか?でも、イメージってありませんか?『長崎は今日も雨だった』これですね。でも、9月のある日、涙雨が降ったのは、長崎だけではありません。

長崎県出身の福山雅治さんが、結婚を発表しました。


お相手は、女優の吹石一恵さんだそうです。福山雅治さんは、『恋人にしたい男性』の3位、『最後の大物独身男性』と言われます。『最後の……。』とされたのは、向井理さん、西島秀俊さんが相次いで結婚したことも影響しているらしく、『恋人にしたい伝統…。』の1位は福士蒼汰さんで、2位は相葉雅紀さんだそうですから、46歳の福山雅治さん、さすがですね。

福山雅治さんは、シンガーソングライターですが、私が、彼の曲で惹かれたのは、『桜坂』でした。福山さんは、どこの桜坂をイメージしたのか、巷ではいろいろ言われましたが、かつて福山さんが、
その近くに住んだ時期があると言われた大田区田園調布本町の『桜坂』が、一躍有名になりました。実は『桜坂』、私が通った小学校中学校の学区域内にあるのです。

福山雅治さん、本当にカッコいいですね。歳を感じさせない、また、俳優としても素晴らしい。龍馬をやっても、父親をやっても、研修者をやっても、その役になりきれます。おそらく、男性からも好感を持たれていると思います。私は、同性から好かれる人は、本当にカッコいい人だと思っています。女性との違いは、福山雅治さんが結婚すると聞いて、ショックを受けたり、泣かないことでしょうか。もちろん、吹石一恵さんも、素敵な女優さんですが、福山雅治ファンは、結婚相手が誰かは関係なくショックなご様子です。

福山雅治ショックは、意外なところに波及しているようです。福山雅治さんが所属する『アミューズ』の株価が急落したそうです。株価は一時前日比500円安の4.810円(9.4%)まで下落し、2013年8月以来の値下り率を記録したのです。アミューズの時価総額は453億円で、前日比41億円減少したとのことです。

株には関心もなく、ましてこれに手を出せる資力もない私でも、これには驚きました。アミューズは、有価証券報告書で、事業リスクとして、アーティストの活動が停止、休止になった場合は、業績に影響するとしているので、福山雅治さん『結婚騒動』が影響したことは避けられないと言うのが、証券会社アナリストの評価です。

福山雅治さん、企業の資産何億をも上げ下げし、日本の株価の高低を決める実力派です。男は、顔、格好そして同性に好かれること、また、株価は、時として女性の動向に影響されることがわかりました。いかにアベノミクスなんて言ってみても…。福山雅治さんが支持される所以がわかります。

横綱は、勝つことが使命なのか、逃げないことが使命なのか。

2015年10月2日
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大相撲秋場所は、横綱鶴竜の優勝で終わりました。白鵬、日馬富士の横綱が休場する場所で、大関照の富士も、終盤全治1ヶ月の怪我と診断されながら最後まで、優勝争いの土俵を務めました。その中で、鶴竜関の優勝には、あれこれ意見が出ているようです。

横綱鶴竜の相撲に対して、文句が出たきっかけは、星の差1で迎えた14日め、大関稀勢の里との土俵で、取り直しと合わせて2回とも、立会いに変化したことが、横綱らしくないと非難されたことにあるようです。私は、大相撲は、もう30年くらい見たことがなく、特に誰を応援しているものではありませんが、大手新聞社を含めて、マスコミほとんどが、鶴竜関が、14日めの取り組みでの立会いに変化したことを、批判的にとりあげていることには、興味を持ったものです。

大横綱白鵬が登場して、それまでの朝青龍関の時代も含めると、日本国籍の力士の優勝は、はるか昔となった感があります。今場所は、日馬富士に加えて、あの白鵬まで休場となり、はっきり言って、久しぶりの日本人の優勝に、期待するむきはなかったでしょうか。鶴竜も、照の富士も、日本国籍ではありません。そんな中で、先頭を行く鶴竜を、星の差1で追う大関稀勢の里が、14日めに行われる鶴竜との対戦には、相撲ファンならずとも、関心を持たれたであろうことは、想像できます。

こうして迎えた14日に対戦した稀勢の里戦で、横綱鶴竜が立会いに変化して、結果勝利したことが、横綱の品格に欠けると言われたものです。横綱とは、正々堂々勝負するのは当然で、格下相手には胸を出し、決して逃げてはならないのだそうです。立会いに変化するのは、相手の圧力をかわすもので、横綱らしくないとされます。

それはそうかもしれません。でも、挙って横綱鶴竜に対する批判的な論調が多いのは、違和感があります。これは、『日本人稀勢の里に優勝を』なんてケチな了見によるのではないとは思いますが、横綱って、負けない強さを求められるのではないのですか?確かにカッコ良く勝ちたい、力の差を見せつけられることが、横綱に求められるとしても、これに拘って、結果勝できない横綱でも良いのでしょうか。鶴竜関は、とにかく勝てて良かったと述べられました。

白鵬、日馬富士がいないひとり横綱の場所で、勝てなかったら何と言われるでしょうか。この場所のプレッシャーは、並大抵のものではなかったと想像されます。反則ではない限り、どんなことをしても勝つ、 これが大切と考えた横綱を、責めるべきでしょうか?
プロは、お客さんに魅せなければなりません。でも、それは、プロである以上、勝負に徹して魅せることだと思います。いかに良いプレーをしても、勝てないのはプロとは言えないでしょう。

私は、この場所も、報道の範囲でしかわかっておりません。でも、1差で千秋楽を迎えた大関照の富士が、数日前に、全治1ヶ月と診断されながら土俵に立って、結びの一番で鶴竜に勝ち、優勝決定戦に持ち込んだことにも、拍手を送りたいと思います。身体が言うことを効かなくても不戦敗はできない、それこそ気力気力なんて、日本人のようです。横綱は、そして大関は、負けないこと、観客に魅せることが、その使命だと思います。白鵬関がいなくても、まだ『モンゴルの壁は厚い』ことを知らしめた秋場所でした。

大相撲は、国技と言われます。勝った横綱を批判するなら、日本人の強い力士を育てることに、関係者懸命になるべきだと思いました。折しも、ラグビー日本代表は、国籍日本だけで構成されているのではないけれども、日本国中が、歓喜したものでした。

モンゴル出身の横綱が、日本の土俵を守り、横綱の意地を見せたことは、日本の国技向上に、役立っていると信じるものであります。

 

10月1日都民の日に思う。

2015年10月1日
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10月1日は、都民の日です。

この日、都内の公立学校はお休みで、都立の博物館美術館等は、この日の入場は、無料となっています。

大政奉還とこれに続く王政復古により、江戸幕府は消滅し、即位した明治天皇は、慶応4年すなわち明治元年に、江戸から東京と改まったこの地に移られ、翌年東京府のもと、『東京市』が設置されました。ただ、このときは、今で言う一般市の扱いではなく、市長に相当する自治体の長はおりません。

 

これは、東京遷都を決めた明新政府の中央集権政策の一環だったのでしょう。

1898年明治31年の10月1日に、東京市が、一般市の扱いになったこの日を記念して、1952年に制定された都条例により、『都民の日』として、記念日となったのです。

1943年に、東京府と東京市が廃止されて『東京都』となりました。現在東京都は、23区とかつて三多摩と言われた都下市町村、そして小笠原諸島までの島嶼部を含む範囲となっています。ただ、東京そのものは、明治以降新しい行政区域であるため、この間管轄する範囲は、異動がありました。 三多摩地区、すなわち北多摩、南多摩、西多摩地域は、その幾つかは、明治新政府設立数年は、東京府に含めてきたのを、神奈川県に移管しました。そして1893年(明治26年)に、まとめて三多摩は、東京に含まれることになりました。

現在も、旧三多摩地区に古くからある宿には、『神奈川県』の掲示が残されているそうです。 三多摩が東京に移されたのは、多摩川を巡る水利、水道の利権が絡んだような本を読んだことがあります。今でも市町村の合併には、さまさまな政治的要因がありますね。特に『平成の大合併』では、どこにくっつくか、どことも一緒になるべきではない等、当該自治体を2分するような対立となったケースもあったようです。

 

きさらぎ法律事務所では、業務上戸籍類を取り付けることがままあるのですが、かつてのA町が、現在どの市町村になっているのか把握するのには難儀することがあります。

 

東京都下に住んでいる私は、隣県の山梨県に行くことが結構あります。山梨県は、山ばかりと言われますが、大月市の先、笹子トンネルまでは確かに上りが続きますが、笹子トンネルを抜けると、風景は一転します。4月は桃源郷、夏は桃畑、秋はぶどう畑です。ここは、甲府市内まで盆地になっていて、果物の宝庫なのです。果物を買いに、わんこと一緒に行くのです。丘陵地帯から、眼下の夜景も美しいと言われます。

 

笹子トンネルを抜けると『大和村』があり、ここは、武田勝頼が織田連合軍に追われて自害した武田家終焉の地でした。JRでは、勝沼を経て、武田信玄公が手厚く保護した恵林寺がある塩山市、そして春日居町、山梨市を通って石和町と続いて、甲府になります。

中央高速では、塩山市から山梨市を迂回するJRと異なり、勝沼から一宮町、御坂町、そして石和町と続いて甲府市内に入るのです。私がよく訪ねる青果園は、旧一宮町、また、ワインは勝沼町、そして御坂桃源郷が、パターン化しております。

 

ところが、平成の大合併により、大和村勝沼町塩山市が『甲州市』に、一宮町御坂町石和町が『笛吹市』に変わりました。一宮町には、中央高速勝沼インターから10分とかからないところ、ここが笛吹市に含まれるのは、なんか違和感があります。

 

また、勝沼の人は、勝沼のぶどう、一宮の桃で知られていたのに、『甲州ぶどう』とひとくくりにされるようで、特徴が薄れる危機感があると言われます。御坂町には、『御坂一宮インター』から入り、そのまま東京方面に繋がるのに、わざわざここを超えて、北の石和町が中心になる『笛吹市』に含まれたとは、ピンとこないとも言われます。部外者の私なんからすると、『石和温泉』を持つ笛吹川に面する旧石和町が、『日本一の桃の町一宮』『日本の桃源郷御坂町』を傘下に収めてアピールして、お金を落とさせることを目的にしたのでは?と思ってしまいます。

 

しかし、地元では、やはり『一宮の桃』の名で売っていて、『笛吹の桃』なんて言いませんね。勝沼もまた、『甲州ぶどう』とは言わず、『勝沼ぶどう』と名乗っています。 平成の大合併により、財政面で救われた自治体があったのは事実でしょう。

 

でも、名前は変われど、もともとその地域、その土地で生まれ、続けられた伝統、残すべきものは、何も変わることなく綿々と継続して行くのだと思いました。それは、そこで暮らす人たちは、何も変わっていないからでしょう。さて、来週も、わんこを連れて、山梨県に行ってきます。

大相撲秋場所の横綱鶴竜関の優勝に寄せて。

2015年9月30日
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大相撲秋場所は、横綱鶴竜の優勝で終わりました。

 

白鵬、日馬富士の横綱が休場する場所で、大関照の富士も、終盤全治1ヶ月の怪我と診断されながら最後まで、優勝争いの土俵を務めました。

その中で、鶴竜関の優勝には、あれこれ意見が出ているようです。 横綱鶴竜の相撲に対して、文句が出たきっかけは、星の差1で迎えた14日め、大関稀勢の里との土俵で、取り直しと合わせて2回とも、立会いに変化したことが、横綱らしくないと非難されたことにあるようです。

私は、大相撲は、もう30年くらい見たことがなく、特に誰を応援しているものではありませんが、大手新聞社を含めて、マスコミほとんどが、鶴竜関が、14日めの取り組みでの立会いに変化したことを、批判的にとりあげていることには、興味を持ったものです。

 

大横綱白鵬が登場して、それまでの朝青龍関の時代も含めると、日本国籍の力士の優勝は、はるか昔となった感があります。

今場所は、日馬富士に加えて、あの白鵬まで休場となり、はっきり言って、久しぶりの日本人の優勝に、期待するむきはなかったでしょうか。鶴竜も、照の富士も、日本国籍ではありません。そんな中で、先頭を行く鶴竜を、星の差1で追う大関稀勢の里が、14日めに行われる鶴竜との対戦には、相撲ファンならずとも、関心を持たれたであろうことは、想像できます。 こうして迎えた14日に対戦した稀勢の里戦で、横綱鶴竜が立会いに変化して、結果勝利したことが、横綱の品格に欠けると言われたものです。

横綱とは、正々堂々勝負するのは当然で、格下相手には胸を出し、決して逃げてはならないのだそうです。立会いに変化するのは、相手の圧力をかわすもので、横綱らしくないとされます。 それはそうかもしれません。でも、挙って横綱鶴竜に対する批判的な論調が多いのは、違和感があります。

 

これは、『日本人稀勢の里に優勝を』なんてケチな了見によるのではないとは思いますが、横綱って、負けない強さを求められるのではないのですか?

 

確かにカッコ良く勝ちたい、力の差を見せつけられることが、横綱に求められるとしても、これに拘って、結果勝できない横綱でも良いのでしょうか。

鶴竜関は、とにかく勝てて良かったと述べられました。 白鵬、日馬富士がいないひとり横綱の場所で、勝てなかったら何と言われるでしょうか。この場所のプレッシャーは、並大抵のものではなかったと想像されます。反則ではない限り、どんなことをしても勝つ、 これが大切と考えた横綱を、責めるべきでしょうか?

プロは、お客さんに魅せなければなりません。でも、それは、プロである以上、勝負に徹して魅せることだと思います。いかに良いプレーをしても、勝てないのはプロとは言えないでしょう。 私は、この場所も、報道の範囲でしかわかっておりません。

 

でも、1差で千秋楽を迎えた大関照の富士が、数日前に、全治1ヶ月と診断されながら土俵に立って、結びの一番で鶴竜に勝ち、優勝決定戦に持ち込んだことにも、拍手を送りたいと思います。

 

身体が言うことを効かなくても不戦敗はできない、それこそ気力気力なんて、日本人のようです。

横綱は、そして大関は、負けないこと、観客に魅せることが、その使命だと思います。

 

白鵬関がいなくても、まだ『モンゴルの壁は厚い』ことを知らしめた秋場所でした。 大相撲は、国技と言われます。勝った横綱を批判するなら、日本人の強い力士を育てることに、関係者懸命になるべきだと思いました。折しも、ラグビー日本代表は、国籍日本だけで構成されているのではないけれども、日本国中が、歓喜したものでした。

 

モンゴル出身の横綱が、日本の土俵を守り、横綱の意地を見せたことは、日本の国技向上に、役立っていると信じるものであります。