菅直人氏のお詫び行脚におもう。
2015年8月17日
九州電力川内原発が1号機が、8月11日に再稼働しました。
安倍晋三内閣総理大臣のもと、いわゆる新基準による初の再稼働です。
東日本大震災による福島第1原発の事故後、国内の原発は全て停止されました。安倍政権になった2012年7月から翌年の9月まで、国内の電力不足を補うと言う理由で、関西電力大飯3.4原発が一時稼働した後約2年停止していた『原発ゼロ』が、終了しました。
川内原発再稼働の前日、鹿児島県薩摩川内市には、民主党衆議院議員菅直人氏が、姿を見せたそうです。菅直人氏は、東日本大震災発生時の内閣総理大臣で、震災後の対応、そして福島第1原発の事故等に関しては、国民から、そして当時の野党自民党から、散々批判されたことはなお記憶に新しいかと思います。菅直人氏は、福島第1原発の事故後、避難された方々が病に倒れ、お亡くなりになったことの責任を痛感し、原発反対に訴える人、不安に苛まれている地元の方々の前で、謝罪したとのことです。
当時野党だった自由民主党は、国内の原発稼働すなわち、電力エネルギー政策を原子力に委ねたのは、長年政権の座にあった自党ですが、このとき民主党の杜撰さ、頼りなさ、危機管理能力のなさを徹底的に批判しました。そして、政権に復した際の衆議院議員総選挙でのマニュフェストでは、原発に依存しないエネルギー政策、原発の再稼働には否定的な主張を明らかにしておりました。
原発再稼働に踏み切った政府の判断について問われた安倍晋三内閣総理大臣は、「世界最高水準の基準で認められた原発から再稼働していく」と述べました。歌ではありませんが、どうやらご自慢の自身の政権の中で発足した原子力規制委員会での判断だから、ーーかつての民主党政権批判や、自党のマニュフェスト、国民に向けた説明と異なってもーー間違いも矛盾もないと言いたいようであります。
福島第1原発事故では、予想されない事態が発生したのだと言われました。それが全部民主党の責任と仰るのかわかりませんが、もし、今回再稼働した原発で、『予想出来ない事態』が起きて事故に至った場合の責任はどうなるのでしょうか?
この点、菅義偉内閣官房長官は、「個々の原発の再稼働の判断は事業者」と述べました。また、先のとおり、最高水準による新基準をクリアーしたと言われる安倍晋三内閣総理大臣は、「安全神話に陥ることなく、事業者と規制当局が、安全性を不断に追求していくことが大事だ」と述べ、電力会社や原子力規制委員会の責任を強調したと報じられています。
これはおかしいと思います。
過去の人になった民主党を、『これでもか!』と批判したことはもう、どうでもよいです。その言われるところの『世界最高水準の新基準』なるものを設定するよう準備段取りし、その答申、結果報告を受けて、原発再稼働に舵を切ったのは誰ですか?もし、電力会社や原子力規制委員会?が責任を問われる構造理屈になっているのだとしたら、先の福島第1原発事故の結果、東京電力の責任、賠償能力はどうであって、そのため政府は何をしたか、これをお考えにならないのでしょうか?まさか地域の振興等のために原発を誘致した自治体に住んでいる住民の自己責任なんて言わないですよね。仮に事業者の責任だとしても、事業者が責任を果たせるのか、それが政治の判断だと思います。
数年後、性懲りも無く原発をまたしても再稼働しようとする政権が現れたとき、再稼働が決まった何処かの原発の前で、かつての菅直人氏ように、お詫び行脚する安倍晋三氏の姿が見られないことを願うばかりです。
8月に思う福本悟の30年
2015年8月14日
日本人にとって忘れられない、忘れてはならない日のひとつが、8月15日であることは、大方認められるところでしょう。
8月は、原子爆弾の投下や旧ソ連による北方領土侵攻等、あの戦時下にあって昭和を語るとき、日本人として悲劇的な出来事があった月であるとの思いがよぎります。
現在中年と言われる域に達した以上の方々には、もうひとつ忘れられない、忘れてはならない8月が、こころに刻まれているはずです。昭和60年8月12日、単発機の事故としては、今でも世界最大の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故、すなわち御巣鷹山の悲劇がこれです。
この事故は、その数年前、着陸時に尻もち事故を起こしたこのジャンボ機が、製造元ボーイング社の修理が十分ではく、圧力隔壁を損傷したまま飛行を続けた結果、この日東京羽田を午後6時に出て、大阪伊丹に向かう日本航空123便において、垂直尾翼が飛行中に破壊され、操縦不能となって30分以上いわゆるダッチロールを繰り返し、遂に午後6時58分、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、520名の人命が失われた航空機事故であります。
昭和60年は、私が東京弁護士会に登録した年であり、婚姻した年でもあります。前年福岡市での司法修習を終えた私は、もうひとつの大事な仕事をやり遂げるため、翌日8月13日に、福岡に行く予定にしていたものでした。この事故に関しては、決して風化されることなく語り継がれております。
日本航空でも、事故機の残骸等が保存されている同社の『安全啓発センター』で、8月12日を前に、整備士など100人を集めて、研修が行われたそうです。参加者の9割が、あの事故後の入社と言うところが、30年を改めて感じます。
弁護士登録30年と言うことは、日航ジャンボ機墜落事故から30年を意味します。この年の8月に28歳になったばかりの私にとっては、安全、人命、家族、プロ等等生涯に渡っていろいろ考え続けなければならない大きな出来事でありました。
今年も、8月12日を前に、新聞各社では、この事故で肉親を亡くされた方や、事故とは奇遇な運命で結びつけられた方等を中心に、様々な声を掲載しているのです。 私がこの『ひとりごと』でよく話題にするA社とB社もそうです。
いずれも尊い命は失われたが、引き継がれたものがテーマのように読み取りました。 A社の記事は、ダッチロールを続ける機内で、自己の運命を悟った働き盛りの乗客が、『幸せな人生だった』『子どもたちをよろしく』の『遺書』を残していたこと、その後の家族を追ったものでした。
B社の記事は、新婚半年の当時24歳の妻を事故により失った男性が、納得がいかないままただ仕事に打ち込み、深酒を繰り返した日常の中、5年後知り合い、寄り添ってくれる女性に、自分の背負うものの重さをわかってもらえるか、御巣鷹の尾根に同行を求めたこと、その女性こそ、たまたま昭和60年8月12日、あのダッチロールする日航機を、別の航空機の機内から見ていたと知り、御巣鷹山で号泣するこの女性が、『空からバトンタッチを受けた』と運命を感じ婚姻し、以後ふたりで、公共交通機関の安全等に関する活動をしていると言うものであります。
航空機事故に会う確立は、何万分の1にも満たないそうです。でも、人間が関わる以上、絶対はないと言わなければなりません。
この確立が真に0となるよう、私たちは、あの日航ジャンボ機墜落事故で得た辛い悲惨な経験を無駄にしてはなりません。私自身も、この仕事をさせていただいているとき、ブロとして責任の重要性を認識しつつも、『絶対はない』と常に心して臨んでいるつもりです。皆様のこ指導ご意見を賜ればと念しております。
ディズニーに教えられた8月9日
2015年8月13日
ウォルト・ディズニー・ジャパンの公式ツイッターが8月9日、「なんでもない日、おめでとう」との投稿をし、批判が殺到する騒動になったと報じられています。この日は、70年前長崎市に原子爆弾が投下された日であり、同社は、ツイートを削除し、「みなさまにご不快な思いをさせてしまう不適切な表現がありましたことを深くお詫び申し上げます」と謝罪したとのことであります。
問題となった投稿は、『ふしぎの国のアリス』の劇中キャラクターたちが、『お誕生日じゃない日の歌』を歌いながらお茶会をすると言う『誕生日ではない残りの364日を祝う』と言うものですが、アリスのイラストとともに、日本語で、「なんでもない日おめでとう」のコメントが付されて物議をかもしたようです。なんでも、『お誕生日じゃない日の歌』は、日本語では、『なんでもない日の歌』と意訳されていたからです。
長崎市に原子爆弾が投下された日で、日本人にとっては『なんでもない日じゃない』わけですが、「よりによってなんで今日なんだ!」「日本の公式がするツイートじゃない」等の批判が続出したそうです。私は、ディズニーにはほとんど関心ありませんし、そんなツイート見たことありません。
ただ、このニュースにコメントした人によれば、3月11日、8月6日、そして8月15日にも、かつてわざとらしいツイートがなされていたのだそうです。もし、これが事実だとすると、何らかのメッセージを発しているものととられても仕方ないかもしれません。
この公式ツイッターは、日本のスタッフ関係者が投稿したので、直にアメリカのディズニーの意図が出ているのではないのでしょう。でも、仮にアメリカ合衆国で、未だよく言われる「無謀な戦争をやめさせるために原子爆弾を落とした」の意図が見え隠れするとしても、そしてそれは立場、見方の違いだと言われても、あえてこの日を「なんでもない日」とは言えないはずです。あえて言えば、もし、ディズニーファンの若者の中に、8月9日が何の日か知らなかった(気づかなかった)人が居て、この不謹慎なツイートで、長崎市に原子爆弾が投下された日なのだと認識する機会になったら、かろうじて効果があったかもしれません。
8月15日を前に、あるテレビ番組が、街角で、10代から30歳くらいまでの若者に対して「8月15日は何の日か?」とインタビューしているところが放映されました。インタビューを受けた人のうち『日本の終戦の日』『終戦記念日』と答えられた人は6割を切ったと発表されておりました。回答としては、『うなぎを食べる日』『肝試しをする日』『山の日』等が紹介されておりました。
これはちょっと衝撃ですね。確かに高校社会科の授業では、明治以降の近現代史までは時間切れになるとよく言われます。でも、子どものころから、命の大切さ、戦争の悲惨さ、平和の有り難さは、親から子へ語り継がれるものだと思っておりました。
この時期になると、テレビ番組等でも特集が組まれますから、目にしないことはないと思うのですが。それとも、スマホやツイート等で忙しくて、あまりニュースなんて気にかけないのでしょうか。
図らずもディズニーファンには、8月9日の意味がわかったことでしょう。
ついでに、8月6日、8月15日も、話が及んだことを期待します。ディズニーにより、日本人にとって忘れてはならない8月の出来事を若者が教えられたのであれば、反対に有難いことではいでしょうか。そうであれば、アイドルタレントを多く使って、それぞれの日を若者に知らしめるべく発信して欲しいですね。もっとも、その場合、当のアイドルタレント自身が、それを理解していなければなりませんが。
非核三原則の中には、『日本国外で、核を運ばない』ことは含まれておりますか?
2015年8月12日
安全保障関連法案は、核兵器の運搬を否定しないことが、参議院特別委員会での政府答弁で明らかとなりました。法律上は可能であるが、日本には非核三原則があるので、実際は運搬しない、『運ぶことはあり得ないぐらい日本人の常識だ』と自由民主党の幹部有力者は仰っています。
非核三原則の有る無しに関わりなく、日本が、核兵器を運搬することは憲法違反であり、そもそも核兵器が存在すること自体が、唯一の被爆国に生を受けた日本人として、人間の尊厳を踏みにじるものである、これの『均衡』ではなく、『廃絶』を発信し続けなればならないと考えます。『抑止力』という言葉は、要は、アメリカ合衆国の核の傘に入ることを意味し、核廃絶と真逆の方向に進むことに気付かなければなりません。
今日は、核廃絶や非核三原則を論じるのではありません。このところ政府与党が言う、『法律上可能だが、実際はあり得ない』と言う言葉の意味について考えます。
法律が制定される場合、『なんでそんな法律が必要であるか』が考えられます。すなわち、法律を制定しなければならない社会的事実が存在するのです。これを『立法事実』と言います。私が司法修習生になったころ、バイブルとされた東京大学の芦部信喜先生の著述に、『立法事実とは、法律を制定する場合の基礎を形成し、かつ、その合理性を支える一般的事実、すなわち、社会的、経済的、科学的事実』と書かれております。
立法事実論は、制定された法律が憲法に違反していないか裁判所が審査する際の基準として注目された経緯があります。つまり、ある法律が制定され存在すると言うことは、そのような法律を作るための根拠となる事実が、確実な証拠により合理性に説明できなければならないこと、そして、その法律が目指すところと、制定される法律が合致しているのか、目的達成できるのか、これが認められることが、合憲性の要件とされるのです。
私は、法律実務家の端くれですが、実際に適用されない法律が作られるなんて、聞いたことがありません。もし、日本には非核三原則があって、核兵器と関わることが人間の尊厳に背くものであるとの立法事実があるのだとしたら、こんな法律、出来っこないですね。むしろ非核三原則が国是であると言われるなら、その安全保障関連法案とやらに、『核兵器、大量破壊兵器等を使用する国のため、あるいは、そのような国と戦闘状態に至る明白な危険がある国のための兵站は一切行わない』法律を、どうして策定しないか理解できません。
そんなある意味福本悟に似合わない高尚な議論をしようと思っているのではありません。8月6日広島市での平和式典で、歴代内閣総理大臣で初めて非核三原則堅持に言及しなかった安倍晋三氏の周辺が、このことで強い反発が出たのは意外だと述べたことでもあり、政府与党は、実は、アメリカ合衆国等核保有国のために、日本の自衛隊が核兵器を運搬しても、非核三原則に反しないなんて、後になって言い出すのではないかと危惧するものであります。
非核三原則とは、『核を造らず、持たず、持ち込ませず』であります。日本国内で、核兵器が造られることはなく、また、核兵器を持つ政府や団体、個人は居ない、これは分かります。また、日本政府は、アメリカ政府に確認は取らないとは言うものの、核がアメリカから日本国内に持ち込まれたことはないはずです。
しかし、この安全保障関連法案により、日本国外の非戦闘地域において、同盟国アメリカの核兵器を日本の自衛隊が運んだとしたら、これは『持ち込ませず』には違反しないのでは?と法文上考えられる余地があります。公海上から公海上まで運んでも、日本の国内ではありません。まして、化学兵器、大量破壊兵器等非人道的兵器は、そもそも非核三原則には当てはまらないのでしょう。要は、本音は、可能な法律さえ作ってしまえば、後の『やる、やらない』は、ときの政府の施策、現場の自衛隊の判断でてきる道を開くのではと言う危惧であります。
法律上なんでもあり、あとは適用する政府の自由なんて事態は、認められません。この安全保障関連法案、廃案しかないと考えます。
日本国憲法の3つの原理を否定する国会議員が存在するのです。
2015年8月11日
ある政党の衆議院議員が、安全保障関連法案に反対する学生グループ『SEALDs』が行なっている国会前のデモ活動等を指して、「だって戦争行きたくないじゃんと言う極端な利己的考え」「利己的個人主義が、ここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろう」とツイートしたことに関しては、この議員の所属政党から、ツイート後1週間経過した段階で、公式なコメントはなされておりません。
安全保障関連法案の審議に影響するとの考えからなのか、「法的安定性、あんなもの…」と述べた参議院議員は、与党最高責任者から注意を受けた上、特別委員会で謝罪しましたが、この若手議員には、特にお咎めはないようです。
それは、この議員の所属する政党の姿勢に反しないと言うことなのでしょうか?「戦争行きたくないじゃん」は当たり前、人のいのち、人権を尊重することが、天賦人権思想の根幹であり、人間の尊厳を踏みにじる最たるものである戦争は、絶対に起こしてはならない、絶対に巻き込まれてはならない、そんな当たり前のことを規定した憲法9条を守ろうとする若者の行動が利己的とは……。
この議員、かつてこんなこともブログで述べていたことが明らかにされました。「滅私奉公のような徳の高い『日本精神』を破壊し、社会を荒廃させたのは日本国憲法である。中でも『主犯』は基本的人権の尊重だ。生存権すら制限された戦前と異なり、戦後日本には身勝手な『個人主義』が存在している」 この人、『生存権』を誤解している点だけは、単に憲法の勉強をしていないだけで、まだ可愛い?ところありますと論評してあげたいです。その余は、おぎママではありませんが、憲法3原則を否定した国会議員が存在するなんて、『腰を抜かした!』方がおられるのでは?と気になります。
教育評論家が仰るまでもなく、日本国憲法のもと、子どもたちは、人間の尊厳を根本規範として大人たちから教えられ、いのちの大切さを学び、自分のそして他人の生命や自由を尊重し、平和を愛するよう育ってきたのではありませんか。この議員は、子どものころは、このように教えられ、学んだはずです。
なぜなら、日本国民だからです。しかしながら、今、憲法の3原則を否定する考えに至ったとしたならば、その後彼が属した団体において、そのような『教育』がなされていたことになりましょうか。なるほどこの議員さん、この政党が講師として招いた例のギャグ先生の勉強会に、参加していました。
私は、ふたつのことを言いたいです。
まず、この衆議院議員、国会議員を辞めるべきです。憲法を改正するべきだ!と主張するのは構いません。なぜなら、日本国憲法は、それを認めているからです。しかし、国会議員は、憲法尊重義務があります。
現憲法に則って国会議員になったこの議員先生、この憲法を否定するのですから。そして、なんで私たちからこんな批判を受けるのかがお解りにならないのでしたら、『そんな私に誰がした』か、その後所属された団体政党から離れて、子ども用の憲法の絵本でも読み直してください。
この国会議員は、ツイートの内容が報道された後も、撤回も謝罪もしないのです(この点、朝日新聞社に所属する記者が、自己のツイートの不適切を詫び、削除したことが記憶に新しいです)が、この議員先生が、「若い人は先導されて騙されている。
法案が通っても戦場に行かされることはない」と述べたと報道した大手新聞社は、その後も、「世界にいる日本人は各国の軍隊や警察に守られいる。
日本人の安全に関して『我関せず』と言う態度をとり続けることは、日本人のいのちや財産を守るリスクを他国に負担されることになる」と述べたと掲載していることです。ちなみに、若者たちを騙したのは誰かは明確にされてはいないようです。かつて若者を騙して戦場に送り込んだのは誰かもですが。
さて、表現の自由、報道の自由は、憲法で保障されておりますから、議員先生の弁を報じた記事を削除せよなんて申しません。
でも、私は、この報道によるところの議員先生の憲法3原則否定や『戦争に行きたくないじゃん』は利己的個人主義とのお考えご説明と、どんな関係があるのか、特に憲法を否定する理由になるのかサッパリわかりません。
私は、普通の日本人として文章の理解力はああると思っておりましたが、コレって答えになっているのか疑問です。新聞社は、読者が理解しやすいよう記事を選び、説明するべきだと思うのですが。なんでこんな記事を掲載しなければならないのでしょう。朝日新聞社を批判するときのトーンと全然違いますね。
そしてそして、この議員先生が、所属政党から辞職勧告や除籍処分を受けないのはなぜだ?この疑問にどなたか答えて欲しいです。