住宅地近くの飛行場に思う。
2015年8月3日
航空会社の時刻表や、空港での掲示板に、北海道の空の玄関口新千歳空港を、『札幌』と表示されることについて、以前この『ひとりごと』で取り上げたことがありました。千歳市と苫小牧市に跨るのが、『札幌新千歳空港』ですが、札幌市内には、『丘珠空港』があるのです。
丘珠空港とは、正式名称は、『陸上自衛隊丘珠駐屯地飛行場』で、自衛隊と共用する民間施設があることから、通称丘珠空港と呼ばれているのです。札幌市の中心から6kmくらいのところにある滑走路は1.500mなので、大型機の離発着はできず、これまでプロペラ機のみの就航だったと思われます。
丘珠空港は、主として北海道内を結ぶネットワーク空港としての位置づけがされていたと思っています。全日空の子会社エアーニッポンネットワークのプロペラ機か主力で、日本航空のサーボと言う30数人乗りのプロペラ機も、運航されていました。
数年前私も、急遽新千歳空港に着陸できず、函館空港に連れて行かれたとき、地理や交通に明るい利点を活かして、函館空港から丘珠空港まで、エアーニッポンのプロペラ機で、『貸切状態?』で、運んでもらった経験かあります。
昨年秋と今年の冬、函館空港、女満別空港から、それぞれ札幌市内に行く用があって、懐かしいまた、たいへん助かった丘珠空港に行けると思ったのですが、エアーニッポンネットワークは、丘珠空港から撤退していたことを知りました。
なんでも親会社全日空の意向だとかで、結局私は、函館空港からも、女満別空港からも、新千歳空港に行くことになったのでした。現在丘珠空港は、北海道エアシステムと言う第三セクターが運営する道内便と三沢空港便のみの運航なのだそうです。第三セクターですから、運営会社の意向のみでは撤退にはならないでしょう。
さて、今年そんなことで懐かしい丘珠空港の話題に接したところ、なんとも複雑な思いがするニュースが飛び込んできました。東京都内が真夏日を記録した7月26日の日曜日、都内にある調布飛行場を離陸した軽飛行機が、わずか数分後に、飛行場近くの住宅地に墜落した事故であります。戦前からある調布飛行場は、今では周囲は住宅地で、1km以内に味の素スタジアム、野川公園、中央道調布インターチェンジ等があって、私も日頃よく利用する地域であります。
調布飛行場も、小型機のみの使用で、定期航空路線は、新中央航空の伊豆七島便のみのはずです。
この日墜落事故を起こした小型プロペラ機は、2004年10月27日、雪の丘珠空港に着陸した後、再度離陸しようとして、機首部分を地面にぶつけた事故を起こしていたと言うものです。このとき、搭乗者は大事に至らなかったものの、機体は、当然損傷したはずです。もちろん、その後の飛行に当たっては、十分整備はされていたと信じますが、重大事故を起こした飛行機が、今度は取り返しがつかない事故に至ったとは、辛いものがあります。
しかも、丘珠空港と同様、かたや道内のかたや東京島嶼部を結ぶ起点となる飛行場で、同様周囲は住宅地と言う環境のもと、発生した事故でした。
調布飛行場からは、新中央航空の路線を利用したことがありますし、味の素スタジアム他あの辺りは、日常当たり前のように行き来する場所です。丘珠空港の比ではありません。
でも、丘珠空港も調布飛行場も、そして大阪伊丹空港も、さらに福岡空港も、常に危険と隣り合わせなのです。『世界一便利な空港』福岡空港の有り難さを痛感する者として、いろいろ考えさせられるショックな出来事でありました。今回の事故により亡くなった方のご冥福をお祈りし、負傷された方の回復を願うとともに、この小型機の悲しい最期に、悲しみを覚えるものであります。
暑さの中で自分を知る、身の程をを知る
2015年7月31日
7月を1週間以上残した時点で、今年都内で熱中症で亡くなった方が15人を超えました。
台風が沖縄九州付近を通過しているこのところ、湿った大気と張り出した太平洋高気圧の影響で、関東地方は、連日猛暑続きです。
今日も昼前に、東京都内は35℃を突破したようです。 熱中症の危険性は、大量の汗をかかないのに、平熱を超えて身体が熱くなっているため、脳が体温を下げるよう指令できない状態に至っていることがよく言われます。
外でスポーツをしている人は、汗をかきますし、最近では、試合中にも給水タイムが設けられますので、熱中症にはかかりにくいとされます。特に危ないのは、室内にいる高齢者だとされます。 高齢者は、一人暮らしをしているケースが比較的多いので、誰かの手を借りて身体を冷やすとか、水分を補給する機会が失われがちではあります。高齢者は、皮膚の温度感受性が鈍くなっていて、あまり暑さを感じにくい体質になっていることや、汗をかきにくくなると同時に、脳が、体温を下げるよう指令する能力に劣ってくること、若者と違い、高齢者は移動が少なく刺激もなく、喉の渇きを感じにくくなっていることなどが、脱水症状になりやすい理由と言われます。
年をとると小食になり、もともと体内に水分や塩分が少ない状態なので、発汗等による体温調節機能が奏功しないのです。
私は、皆さん驚くほどの暑がりです。ロクに運動しないのにいつも大量の汗をかき、事務所内の私の執務室は、知った人からは『冷蔵庫』と陰口を叩かれております。
猛暑の時期は、家にいても暑いので、土日はラフな格好で、誰に気兼ねなく、事務所の『冷蔵庫』で休んでいます。
従って、夏季期間の事務所の光熱費は、信じられない金額になっています。
でも、水分の摂取量ともあいまって、私は、おそらく熱中症にはならないでしょう。
自分を正しく知ることが、『事故』から身を守る基本だと思います。私は、運動オンチを自覚しているので、例えば、雪に弱い東京として報道される凍った雪に足を取られて転倒などしたことはありません。
ほとんど毎年出張する札幌市など北海道でも、転んだことがはないのです。歩き方は、心得ているつもりです。
また、少しでも走ると息切れするので、電車などは、予め時間を調べて利用しますし、駅の階段等では、可能な限り、手すりの近くを歩行します。なんだかお年寄りのようですね。
備えあれば憂なしの言葉があります。備えとは、『武器』を意味するものではありません。自分を知る、すなわち、『身の程を知る』ことであります。
「世界の……」「唯一の……」「最大の……」なんて言葉を発する方は、その中身を備えておられるのか、裸の王様になっていないか、お考えになられるべきかと思うこの暑さです。
トイレ内に、『自民党』と落書きされた事件に寄せて
2015年7月30日
JR四ツ谷駅ほか都内の複数の駅のトイレ内で、『自民党』と書かれた落書きが相次いで見つかったことが報道されています。
なんでも、ここ数日、JR御茶ノ水駅、秋葉原駅等の男子トイレ内個室の壁に、黒スプレーで、『自民党』と落書きがされていて、『手口』が似ているとのことで、警視庁が捜査しているようであります。
トイレの壁に落書きしたら、確かに器物損壊罪に該当します。ただし、器物損壊罪は親告罪です。つまり、被害者の告訴が公訴提起の要件で、これがなければ起訴されず、従って『犯人』は、有罪判決を受けることはありません。
昔、刑事訴訟法が大好きだった私は、親告罪は、告訴がなくても捜査はされてもよいが、少なくとも告訴がない間は、逮捕勾留や捜索差押等の強制捜査はされるべきではないと学んだ記憶があります。 この『連続?落書き事件』の被害者は、誰でしょう。それは、落書きされた『器物』の所有者管理者です。
件のトイレは、自民党が管理していたのではないでしょう。おそらく被害者は、JR東日本かと思います。
JR東日本は、自己の所有物の効用を害されたとして、告訴するでしょうか。 最近は、トイレもきれいになって、また、監視体制もしっかしてきて、あまり落書きが目に付くことはないようです。昔は、酷かったですね。場所が場所だけに、ちょっと文書にできないような落書きがなされていたことを、みんな知っています。
でも、今回の事件の犯人は、トイレに落書きをしたかったのか、それとも『自民党』と書きたかったのか、どちらでしょう。
あるいは、その両方、つまり、トイレ内に、『自民党』と書くことに意味があったのかもしれません。 先ほど、かつての例で、「場所が場所だけに…」なんて申しました。この落書きは、この場所がふさわしかったのでしょうか?なんで、『民主党』ではないのでしょう。
そもそも、親告罪である器物損壊罪、それも告訴があったかどうかはっきりしていない現段階で、手口が似ているとか、複数のトイレで発見されたなんて報道するようなニュースバリュがあるものなのでしょうか。こんなこと?が報じられて、『被害者』は、告訴せざるを得ない感じです。
まあ、臭いものに蓋は嫌ですね。何事も真実は明らかにされるべきで、報道機関は、国民の知る権利に奉仕すべき社会的責務があります。そんな意味で、場所が場所だけに、明らかにせざるを得なかったのでしょう。
土用の丑の日になぜうなぎを食べるのでしょうか?
2015年7月29日
今年は、『土用の丑の日』が2回あります。
土用の丑の日には、鰻を食べる風習があります。7月も半ばに入ると、成田空港には、台湾や中国からのうなぎがたくさん輸入される様子が放映されます。
うなぎの生態は、なかなか把握しにくいようで、産卵の地や移動の経路などの研究努力が、よく報じられております。
もう、当たり前のようになった土用の丑の日の鰻ですが、『土用』『丑の日』そして、「なんで土用の丑の日にはうなぎを食べるの?」これをご存知ですか? 私は、大学生のころ、これを言い出したのは、江戸時代の平賀源内であったと知りました。
また、同じころ、刑法総論で、『丑の刻参り』を習いまして、何と無くは、わかっていたつもりでした。 まず『土用』とは、4つの立、つまり立春、立夏、立秋、立冬の前18日間を言います。この『四立』は、古代中国(だったと思います。インドでしたか?)の『陰陽道五行』から来てきています。万物は、木、火、金、水、土の5つの元素から成り立っていて、春は木、夏は火、秋は金、冬は水に振り分けられるところ、土は、全ての季節に存在することから、『四立』の間の季節の変わり目に当てはめ、次の立の前18日間を、『土用』としたものです。
この辺り、福本悟が出席する結婚式の祝辞では、しばしば登場するくだりであります。
しかし、なぜ土用を各立の前の18日としたのか、昔聞いたのですが、地球の軌道が絡むような話で、私にはよく理解できません。
それで、土用の丑の日『18日前』の結論だけ覚えました。万物流転や四季に絡んだお話が好きなのに、「な~んだ。本当は、よく知らなかったのか」と思われた方もおられるでしょう。すみません。
『丑の日』は、こちらは、子、丑、寅……の十二支を指すことは知られております。4つの立ですから、『土用の丑の日』は、それぞれぞれの季節に存在するわけで、各18日の間に十二支が回るので、4つの各土用のうちいくつかは、2回『丑の日』が存在する年があるわけです。
今年は、立秋前の18日間に、7月24日、8月5日の2回、丑の日があるのです。 土用の丑の日は、年間複数回あるのに、立秋前の土用の丑の日だけがクローズアップされるのは、やはりうなぎとの関係抜きにしては、その説明は困難でしょう。ここで、平賀源内先生の登場です。
江戸の街中で、源内先生を知るうなぎ屋さんが、夏は暑くてうなぎはちっとも売れないのを嘆いて相談したところ、『本日土用の丑の日うなぎの日』と書いたのぼりを立てなさいと先生に助言されたそうです。もちろんうなぎ屋さん、なんでそうなのなんてわかりませんが、平賀源内ご直々の宣伝であり、そのとおりやってみたら、うなぎは飛ぶように売れたと言うことです。それで以後、夏バテ防止なんて副題を出して、立秋前の土用の丑の日にうなぎを大量に出して、どんどん人々に食されていったと言うわけであります。
おそらく平賀源内さんも、理屈があったわけではなかったのでしょう。あるキャッチフレーズを出して、人を虜にさせるやり方ですね。 ですから、何も立秋前の土用の丑の日だけが、うなぎを食べなければならない日てある必要はありません。
だいいち、土用の丑の日とうなぎとの関係も、おそらく根拠なんてないでしょう。
であれば、他の立の前18日間も、『土用の丑の日』として、うなぎを食べるよう営業する店舗も出ていますね。
ところで、こう考えると、皆さん勘違い、してやられていることに気づかれたのでは?そうです。うなぎの旬は、夏ではありません。秋から冬に産卵するようで、その前がふくよかな味わいで、特に美味しいのだそうです。
実は私も、かつて常連だった福岡市郊外の海鮮居酒屋の大将(福岡の場合、店主を大将と言う)から、「室見川から天然鰻があがる」と聞かされて、何回か夏に高~い天然うなぎを、『ほんの少し』食べさせられたことがあるのです。もと漁師だった大将は、カウンター9席の天然鮮魚を食べさせてくれる朴訥な職人で、私も『お友だち』の仲間に入れていただいておりました。
行くといつもカウンター席、大将の包丁捌きが見える位置に案内してもらい、お魚談義に楽しいひとときを過ごしたものです。しかし、先の夏の天然うなぎのお話のころより、福岡市中心の天神、東京丸の内、大阪梅田と店舗そして事業を拡大し、活躍される過程で、やがてなんか凄い人!になってしまい、足が遠のいてしまいました。
そんなことを思い出しながら、今年も土用の丑の日を迎えました。
保守でもなく、リベラルでもない政治
2015年7月28日
先日あるテレビが、『戦後70年ニッポンの肖像』と題するテーマを放映するにあたり、『戦後を最も象徴する人物』のアンケートを行ったところ、吉田茂、昭和天皇、美空ひばり氏らを押さえて第1位となったのは、田中角栄元内閣総理大臣でありました。
私も、まあ、そうだろうなと感じます。 田中角栄氏は、『日本列島改造論』で知られます。
また、その象徴とも言われる越山会、新潟の寒村出身の学歴なき宰相であることを強く打ち出して、高度経済成長を地方に齎す、日本の政治は地方からとして、高速道路をはじめとするとする公共事業を打ち出し、また、福祉元年を掲げつつ、後の自民党政治の骨格を築いた人との印象を持ちます
田中角栄氏のやり方は、後に田中政治とか、金権腐敗などと批評されました。その基本は、成長の果実を地方に分配する、豊かさを求める国民に応えるべく、お金を落とすことで政権の座にあり続ける方法と言ってよいでしょう。
東京目白の田中邸には、『目白詣で』と言われるごとく、陳情の団体がバスで乗り付ける有り様でした。成長を分配する手法で、自民党への集票に結びつける、これは中選挙区制のもと、同じ党の候補者が議席を争うシステム上、自ずとボスからお金を貰って選挙戦を繰り広げることから派閥が生まれ、また、分配される果実のもとに人は集い、群がるため、既得権益の温床となったとも称されるのです。
確かに、経済が成長し続ければ、果実を分配し、その見返りを受けることは可能でした。しかし、低成長時代に入り、お金は入らないのに、成長を支えるシステムでもある既得権は肥大化したため、これの維持等のため、国の借金は増え続けたのでした。田中角栄氏自身、総理大臣を退いた後、5億円の賄賂を受領したとして、ロッキード事件で有罪判決を受けたことは、田中政治の象徴だと思われます。
田中角栄氏が、佐藤栄作氏の後の内閣総理大臣に指名される前提となる自民党総裁選は、『三角大福』と言わるごとく、後に全員内閣総理大臣を歴任するヒートした選挙戦でありました。この選挙戦、予想では、佐藤栄作氏、岸信介氏の兄弟の流れを汲む福田赳夫氏の優勢が伝えられておりました。しかし、総裁に選出されたのは田中角栄氏で、もう、このときには、『分配』を起点とする田中流親分子分の関係、派閥政治が構築されていたとも言われるのです。
さて、この選挙戦を生涯忘れ得ぬ人物がおりました。後に、「自民党をぶっ潰す!」「この内閣に反対する勢力は、全て抵抗勢力!」と言って、分配から競争を持ち込んだ小泉純一郎氏であります。
小泉氏は、師匠福田赳夫氏が、田中角栄氏に敗れたことを知ると号泣し、夜明かし福田氏の側に居たそうです。 確かに、分配を続けるには、資金が必要で、高速道路やダム建設等いったん決められた公共事業をゼロベースに戻すことは容易ではありません。ある意味地方の思い、あるいは福祉の重要性を言っても、抵抗勢力だとか既得権だとか言われるので、小泉政治には、反旗を翻しにくい感はあったでしょう。
小泉氏得意のわかりやすい、単純な言葉に国民が酔いしれた面もありました。小泉内閣の発足時の支持率は、過去の自民党内閣の最高値を記録しました。 小泉政治は、肥大化したシステムに切り込み、民間の競争力を高め、能力ある者が勝利するいわば新自由主義であり、『小さな政府』を目指すものです。
その結果、確かに不要なモノはなくなったとは言え、守るべきものが失われ、福祉は冷え込み、国は、国民の面倒をみない、競争社会が齎されたのでした。第1次安倍内閣も、基本的には小泉政治承継しており、私はしばしば、「競争が成り立たないところで競争させている」「競争原理を持ち込むべきところではないところに競争原理を持ち込んでいる」と評しました。
さて、NHKの討論では、同じ自民党でありながら、手法の違う政治が行われたこと、そして現在の安倍内閣はどうなのか?について、こんな見解が述べられておりました。もともと保守に対立する言葉はリベラルであり、保守は、文字とおり読めば組織を守ること、リベラルとは、みんなに富や幸を分配することである、田中角栄氏は保守で有りながら分配をした、これは福祉政策に見られる革新勢力の立場に近い、小泉政治は、分配をなくしたが組織をぶっ潰した、この交錯が、自民党政治の矛盾であり、行き詰まりだとするものです。
なるほどと感嘆しました。それでは安倍晋三氏の政治は何なのか?について、こんな答えが述べられました。「あれは保守であり、イデオロギーである。」そうですか。なんとなくわかります。安倍晋三氏の言動を追えば、ご自身の世界観、物事に対する独特の観念をお持ちなのでしょう。
ですが、幸徳秋水以来、日本におけるイデオロギーとは、愛国主義と軍国主義の産物、あるいは、大正デモクラシーの時代、日本の独特性と言う欺瞞により、政治や自由を抑圧する用語としてイデオロギーが使われたことを忘れてはならないでしょう。
私は、田中角栄氏を称賛するものでも、小泉純一郎氏の子息小泉進次郎氏の応援団でもございません。でも、復古主義的イデオロギーには、戦後憲法を学んだ人間として、どうしても馴染むことはできません。昭和と言う時代、捨てたものではなかったですね。