福岡自慢、いか自慢の始まりです。
2015年7月20日
小泉進次郎衆議院議員に期待して良いですか?
2015年7月17日
衆議院安全保障法案関連委員会で強行採決されたいわゆる安全保障法案(『戦争法案』ともいわれる)は、7月16日、衆議院本会議場で、出席した自民党、公明党、次世代の党の賛成により可決されました。
私は、平成27年7月16日と言う日は、生涯忘れません。歴史が刻んできた立憲主義、先の大戦で尊い多くの犠牲の上に掴んだ国民主権と平和主義が、いとも簡単に崩れ去った日だからです。
法律は、衆議院参議院の両院で可決されたときに、法律として成立します。ただし、衆議院で可決され、参議院で否決された(みなし否決を含む)は、両院で構成する協議会での調整等あっても、結局会期内で再度衆議院に送られて、3分の2以上の賛成多数で可決されたら、法律として成立するので。これが衆議院の優越です。現在、自民圧勝の選挙の結果、自民党公明党で、3分の2を越えているからです。この法案は、成立します。
理論上、法律家として、言い出せばキリがありません。この『ひとりごと』でも取り上げた『ギャグ先生』の区分に従えば、潰したい3社に入らない大手新聞社2社の世論調査によっても、国民の過半数が、到底合憲とは思っていない法案を、国民の約8割が、政府与党の説明は不十分、そしてこの国会では成立させるべきではないと考えているのに、強行採決してまで可決し、成立させようとしている政府、そしてこれに反対しない国会議員に、日本国民のひとりとして、強い怒りと失望の思いを表明します。
いろいろ言いたいことはヤマほどあります。今日は、2つあげたいと思います。
この『ひとりごと』でも、『期待します』と申し上げた自民党小泉進次郎衆議院議員は、いつから評論家になったのでしょう。彼が、自己の信念良心に基づき、国民の命を預かる国会議員として、これに賛成したなら、それは文句は申しません。
決議後小泉進次郎氏は、『反省点ばかりじゃないですか』と切り出した後、「国民の理解を得られないのは、自民党自ら招いた憲法学者から違憲と指摘されたのに学者を批判した。勉強会では、マスコミを潰せ等言い出した。
そして党本部は、その後国民に対する議員の発言を禁じるような対応をした。かつて自民党は野党に転落して、なぜ国民に嫌われたのか、驕りや緩るみがあったのではないか真剣に反省した。あのときみなさんから突きつけられたところを、もういちどしっかり自覚したい……。」
これが、賛成票を投じた人が言うことなのでしょうか?もし、中学生以上の人に対して、『このような発言をし、政治家として取り組む人は、この後採決された法案に賛成したか反対したか、あるいは、棄権もしくは決議を欠席したか』と質問したならば、『賛成した』なんて答えが多数になるとは思えません。小泉進次郎さん、あなたは、評論家であってはならない人だと思います。
この日、いろいろな人が、いろいろご発言されました。その中で、私がいちばんこころを打たれ、「これだ!」と思ったのは、美輪明宏さんのこんなご発言です。美輪明宏さんは、80歳になられた被爆者です。
曰く、「この法案に賛成した人、そして、選挙の際、賛成した政党、その所属議員に投票した人、その方々が、ーー自衛隊ではなく、ーー真っ先に機雷掃海に行きなさい」
歌ではありませんが、民主党の自滅の後に、安倍晋三氏率いる巨大与党が誕生しました。
そして、改憲とか集団的自衛権について、このお方の考え方は、国民に対して発信されていました。ご自身詳らかには承知していないと言われたポツダム宣言は、アメリカ合衆国が、2つも原子爆弾を投した後、『これでもか!』と日本を降伏に追い込むために、力づくで強要したと理解されているのに、自国の国会国民より先に、アメリカ合衆国に出かけて、疲れてきた世界の警察官の役目をしてきたアメリカ合衆国と一緒に、ーーあるいは、これに変わってかーー武器を携えて地球の裏側まで出かけますよと約束してきたのです。
このお方の見ている方向、信念?がどこにあるか、国民は、2度の選挙で察知することができました。実際、安倍晋三内閣総理大臣は、先の総選挙の際、自民党が配布ふしたマニュフェストには、『早急に安全保障の整備を行う』と書いて、国民の信任を得たと言われるのです。
私は、先の総選挙で、自民党公明党に投票した人、なんだかんだと言って投票に行かなかった人には、美輪明宏さんと同じ言葉を差し上げます。『えっ。吉田松陰先生を尊敬する福本悟さん、あなたは安倍晋三さんとお友だちでしょ。』
これについては、想像にお任せしますが、今回のことで、私たちは、『投票する際の覚悟、責任』を学んだのではないでしょうか?『野党(自民党以外)がだらしない。他に入れる政党がない。だから投票に行かない』は、今回法案に賛成したと同じだと言うことてす。
あなたは、(巻き込まれたのだとしても)戦争に行く勇気ありますか?
もっとも、この言葉を、真っ先にぶつけたい方は、他にいますが。そのお方は、いつものように質問には答えず、「集団的自衛権は戦争法案ではない。」と答えるでしょう。質問は、戦争に行きたいか行きたくないか、単純な問題なのですが。
うるさ型老人可愛い老人、政治の世界に選んでもらいましょうか。
2015年7月16日
少子高齢化社会が進む中、介護制度をどのように位置づけるか、国のあり方として、とても大切なことだど思います。
巷では、介護の現場の苦労、努力はなんとなく言われている感はありますが、要介護5の実母を施設に委託している私など、昨今の情勢からすると、親不孝ものと言われるでしょう。
さて、先月介護団体複数が、中学校高等学校の一部教科書には、介護は重労働で低賃金であるなどと記載されていることについて、これを修正されるよう要望書を出したことが明らかにされました。
確かに現実にたいへんなお仕事であり、私は、いつも感謝と尊敬の念を持ちます。 昨年末の衆議院議員総選挙後、真っ先に政府与党は、介護事業者に対する報酬を引き下げることを決めました。
それこそ、そんなこと、選挙の争点にもなっておりません。
曰く、「特別養護老人ホームを運営する社会福祉法人には、多額の内部留保がある」のだそうです。
いっぽうでは、法人税は減税するとのことですから、こちらは、内部留保はなかったのでしょうか。
それはそれとして、全国老人福祉施設協議会や全国老人保険施設協会等は、一部教科書では、介護の現場は重労働低賃金であると強調されるだけで、介護福祉の大切さ、これに従事する魅力や社会的意義等が欠落しており、介護福祉に対する否定的イメージを植え付ける危惧があると指摘したものです。
確かにそうだと思います。中学生高等生にもなると、将来の職業、自分の進みべき道について考えるころでしょう。
たいへん、たいへんだけ言っていても、少子高齢化社会の現実と、今のアベノミクス?を基にする政治では、積極的に介護に従事したいと考える若者が増えるのか、案じられます。
新聞報道によれば、ある特養、すなわち特別養護老人ホームで働く若者を『登場』させ、『介護現場で働く非正規社員として働くが、重労働で賃金も高くない』と、この教科書会社のコメントが付されているそうです。
このコメントだけ見れば、非正規雇用に対する批判かと思いきや、そうではなく、介護の仕事に対する否定的イメージを植え付けるものだと言うわけです。
でも、一部大学、一部学部では、特養での実習をカリキュラムに入れていて、私の周りでも、特養での介護現場を経験した声が聞かれるようになりました。これはよいことです。学生たちが言う言葉として、年寄りって、元気な人ほどわがままだけれど、弱くなると可愛いがあります。
弱くなると、そうねー、わかりました、なんてとても従順、何かしてあげたい気持ちになるのだそうです。
何歳から老人と言うべきかわかりませんが、最近勇ましい老人が目立ちます。
そうです。国会で審議中のいわゆる安全保障関連法案に反対する方々です。
元自由民主党に属した山崎拓氏、古賀誠氏、亀井静香氏、武村正義氏、藤井裕久氏等等のお歴々です。
これは、若者がだらしないことの裏腹でしょう。山崎拓氏は、『上のほうばかり見るヒラメ議員』と言い当てました。ヒラメに例えられた方々は、こんな勇ましい老人?を相手にするのが嫌でしたら、特養にでも研修に出向かれて『可愛い老人』と対話されてはいかがかと思います。
老人となった先人の努力あっての現在です。 それとも、うるさい老人は、施設にでも入って可愛いくなれと言われるのでしたら、こんなうるさ型をしっかり介護していただけるよう、やはり介護現場に対して、十分な保障をするべきだと思います。みんなやがて年寄りになります。
さて、自分は可愛い型、うるさ型どちらか考えてみませんか。
人知れず自殺することをどう思いますか。
2015年7月15日
先日走行中の東海道新幹線の車中で、71歳の男性が、持ち込んだ燃料に火をつけて焼身自殺した事件が起こりました。
人が現に居る公共交通機関での放火であり、この男性の自殺に巻き込まれて死傷された方がおられるうえに、多くの利用者に、多大な迷惑、衝撃を与えたことは、到底許されるものではありません。
ネット等で、非難の嵐となっていることは当然です。 この被疑者の行為自体は、全く同情の余地はありません。
ただ、自殺した動機が徐々に明らかされるに従い、なんとかならなかったのかと悔しく、やるせない思いに至りました。
被疑者は、昨今言われる『下流老人』だったのです。そして、高齢者の困窮を支援するあるNPO法人の代表理事によれば、高齢者の9割が、下流老人に陥る試算となっていると言うのです。 現役時代に大企業や公務所等に勤めたごく一部の富裕層や、生活安定者を除けば、低収入で現役を退き、年金生活に入ったものの、預貯金はなく、頼れる身内友人もなく、生活困窮を訴え、相談する対象もない人々は、誰でも『下流老人』になるのだそうです。
この被疑者は、流しの歌手や清掃廃品回収の仕事等をしながら、約35年間国民年金を納めてきたにも関わらず、受給できる年金額は、この被疑者が住む都内の自治体の1ヶ月の生活保護費よりも少ない12万円なのですから。
前年仕事をしていれば、国民健康保険と住民税だけで、数万円の支払いを要します。 被疑者が賃借する家の家主は、生活が苦しいからと申し出され、1年前より家賃を1.000円減じたこと、2ヶ月分まとめての支払いだったが、遅れたことはなかったと言います。
私はわかります。この被疑者は、受給する年金が、2ヶ月に1回入ったら、直ぐに家賃の支払いをしていたのです。
事件を起こす当日、落ち着いた声で、区役所に電話して、恨んでいない旨言っていたと報じられております。
この被疑者から相談を受けていた区議会議員は、生活保護の申請について話をすることになっていたと言います。被疑者の知人は、かつて区役所に、縄を持って相談に行ったと聞いたことがあると述べており、おそらく生活保護が、なかなかおりなかったのでしょう。
繰り返しますが、私は、この被疑者の行為は、酌量の余地がないもので、彼のこれまでの生き様を正当化するつもりはありません。
ネットでは、死ぬなら勝手に死ねとか、人に迷惑かけず人知れず死ぬ!なんて掲載されています。もし、この方が、人知れず自殺した場合、彼の人生って余りにも悲しいとは思われませんか。貧困は、彼ひとりの罪なのでしょうか。 かつてこの『ひとりごと』でも、案内しましたか、菅原文太さんは、国の責任は、戦争をしないこと 、国民を飢えさせないことだと言われました。
こんな勝手に死ね!の風潮で良いのでしょうか?
生活保護を受けることが悪いかの風潮があることは悲しいです。もし、偉そうな水際作戦ではなくて、自治体が、資金がなくて本当に住民を助けることができないなら、赤字国債を発行し、じゃぶじゃぶ市場にお金を流し込んで株価が上がったと得意顔するではなく、国は、地方交付税交付金を増やすべきでしょう。
第1次なんとか内閣では、『再チャレンジ』なんて政策が示されましたが、既にスタートラインに差がついているところに、競争を煽ってお金をつぎ込んでも、『勝つこと』は困難です。
そしてここ数年、『アベノミクス』であります。この被疑者のように、低所得ながらも、国民年金を納めてきた高齢者が、下流老人になってしまうのは、政治の誤りだと思います。
誰でも下流老人になりうるのです。センセーショナルな事件報道に留まらせることなく、事件の背景事情、遠因について、国民として考えなければと思いました。
『ひよ子』は、『面白い恋人』とは違うんです。
2015年7月14日
北海道札幌みやげは、今でこそたくさんありますが、昔から出張族の定番だったのが、石屋製菓株式会社が販売する『白い恋人』だったと思います。
淡い白い雪と、恋の街札幌のイメージは、これを貰った人もまた、北への思いを馳せたのではないでしょうか。
ところで数年前、『面白い恋人』なる商品が、大阪伊丹空港や新大阪駅で販売されて、議論を巻き起こしたことがありました。これは、『白い恋人』をパクった吉本興業の子会社が販売したみたらし味のゴーフレットであります。
最初のころ、白い恋人だと思って購入した客から、「違う!」との苦情が石屋製菓に入ったようで、やがてお笑いの吉本興業が、模倣品を販売して利益をあげていると指摘されたものです。
石屋製菓は、商標権侵害、不正取引防止法違反を理由に、販売禁止や損害賠償を求めて民事訴訟を提起しました。そして最終的に、吉本興業側は、パッケージの図柄を改め、販売地域を関西地区のみにすることで、両社間に和解が成立して終了したと言うことでした。
私も、大阪伊丹空港の売店で、『面白い恋人』が並べられているのを目にしました。恋人とおぼしきふたりが、大阪城等の大阪周辺の場所を訪ねるパッケージであり、札幌によく行く私からすると、明らかに『白い恋人』をパクって面白おかしく、そして利益をあげようとしているのだとわかるものです。はっきり言って、気分が悪かったです。なんでもお笑いで済むのかと言う疑問です。和解になってよかったです。
ところで、福岡から上京した学生や、東京に転勤してきたサラリーマンたちも、東京での生活が始まった当初、『なんで!』とある光景を見て、ショックを受ける例があります。それは、『銘菓ひよ子』が、東京みやげとして、東京駅等に並べられていることです。
ひよ子は、福岡の吉野堂グループの銘菓だからです。
吉野堂グループのひよ子は、明治も末のころ、当時炭鉱の街とされた福岡県飯塚市に、炭鉱で働く人たちのエネルギーとなる甘い物を作ろうと言うことで初代が考案し、福岡県はまた、当時より美味しい鳥と卵を生み出す都市として定評があって、ここに大正元年、『ひよ子』の販売に至るのです。吉野堂の名称は、飯塚から福岡市内に行く途中の難所八木山峠に咲く染井吉野から名を取ったのだそうです。
あの可愛いらしいひよ子が、なんで索漠とした東京みやげなの?。それなりにショックだったと思います。
実は、吉野堂グループを統括する株式会社ひよ子は、飯塚から福岡天神に、そして東京にも出店したところ、折から東京オリンピックで沸く東京では、ひよ子のかたちをした可愛いらしい、そして焼きあがって数日しても、皮と餡が絶妙に馴染んだこの味に魅せられた人々から口コミで広がって、ひよ子は、関東でも工場を建設して直売することもなったのです。
こうしてひよ子は、福岡と東京に別会社を設け、それぞれ協力しあい、また、競いあって、『福岡』『東京』それぞれのひよ子として、今日まで愛されていると言うわけであります。決してどちらかがパクった訳ではないのです。
それで福岡から東京に来て、生活することになった人たちは、東京のひよ子を見て、ふるさとを懐かしみ、愛着を持つようになっていくのだそうです。福岡に帰省するときには、東京のひよ子をおみやげにするとも聞きます。
今では、東京ご出身なんですよと言われたら、福岡市民には、『あれっ』て思われるであろう王貞治ソフトバンクホークス名誉会長が、初めて東京から福岡に赴任したとき、ひよ子があるのを見て、全く同じことを思ったそうです。
福岡と東京は、なんか近しい、仲良くなれる素地があるようです。きな臭い?話が続く昨今、ひとりごとには、こんなひよ子今昔物語も良いのではと思いました。