小松空港、富山きときと空港の現状から考えるべきこと
2015年6月29日
北陸新幹線が3月14日に開業して3ヶ月が過ぎました。
これまで首都圏から鉄道で北陸地方に行く場合、新幹線と在来線特急を乗り継ぐ必要があり、新幹線の開業により、時間の短縮と大幅な便宜が図られたことになります。
昨年の同期間と対比して、鉄道は、3倍の乗車率だそうです。 予想されていたとは言え、これであおりを受けたのは富山きときと空港、小松空港です。両空港は、主力線は羽田便ですが、小松空港で33.7%.、富山空港で28.7%の減だそうです。
富山県、石川県にしてみれば、北陸新幹線の開業を声高に言って、実際両県を訪れる人が増えたのだから良いではないか、航空会社ならともかく、県が空港利用者の減少を憂うる必要はないのではとも思われました。
しかし、事情があるようです。石川県によれば、もともと石川県は、羽田乗り継ぎ客をかなり当て込んでいたのだそうです。すなわち、羽田空港利用客のうち、乗継客は6%に過ぎず、福井県にも近く、金沢の入り口としての小松空港は、羽田空港を経由しての観光客の需要はかなりあると見ていたこと、富山県によれば、現在韓国、中国からの国際線乗り入れに力を入れているところ、富山空港を使う国内線はANA1社であり、国際線各会社のハンドリングをANAが担当しているため、もし、ANAが富山空港から撤退などしたら、国際線利用客、海外からのお客さんが、富山県に来なくなると言うわけであります。
首都圏、東京で暮らす人間の悪いところ、驕りとも言えるのは、なんでも東京を起点に捉えることだと思います。新幹線が繋がったから経済効果があったなんて言うのは、その地方の立場からの発言ではありませんね。
北陸3県は、東京だけを向いているのではありません。全国各地、そしてアジア世界からのお客様を受け入れたいと考えているのです。 ハンドリング、航空業界の場合、グランドハンドリングと呼ぶようですが、空港内での航空機の発着に伴う航空機誘導、貨物搭載、給油等を担当する仕事ですが、これを自前で全て行うのは経費的にも困難で、かつてのエァドゥ、スカイマークでも、他社に委託したことがありました。
私は福岡から帰るとき、福岡空港の搭乗便カウンターで、しばしばお魚を預けるのですが、昼間の時間帯は、「本日羽田からのお乗り継ぎはありませんね」と尋ねられることがあります。
九州から、羽田空港を乗り継ぎに使う利用客はいるのだなと実感いたします。
特に小松空港の近くには、名所旧跡があります。安宅の関、松井秀喜記念館しかり、片山津温泉、山中温泉、山代温泉は北陸の名湯で知られ、金沢市の反対には、東尋坊、永平寺等のある福井県です。
私自身も、福井県に出張したときには、小松空港を使いました。これもかつて利用したことのある富山きときと空港は、富山市内から20分の距離に位置します。
特に海外からのお客さんには、立山連峰の勇姿、黒部立山アルペンルートなどは、ぜひ見ていただきたい日本の風景ですね。
一口に地方空港と言ってしまいますが、その意義は、その地域だけが考えればよいのではないですね。日本各地との交流、そして世界に発信するには、国民全体でいろいろ考えなければならないと思いました。
そう考えると、『地方創生』なんて言葉自体が、上から目線と感じてしまいます。いつか申したかもしれませんが、与党のあのポスター、なんとかならないですかね。。。
逃げたい人と逃がす人
2015年6月26日
アメリカ合衆国のある州にある刑務所で、殺人罪で有罪判決が確定して服役中の既決囚2名が脱走したとのニュースが入ってきました。
この脱走は、何らかの機器または道具を用いたことが明らかと言われており、数日後、この刑務所内の洋服を仕立てる作業場に勤務していた女性が、ドリル等を服役囚らに渡した嫌疑で逮捕されたと報じられております。
日本の刑務所は、外部の業者が立ち入って作業等することは、基本的にないと思っています。
よく、刑務所内の刑務作業により作られた家具等が、販売される機会がありますね。
また、国家試験の問題は、刑務所内で作成されていることが多いです。これは、日本の刑務所が閉鎖的、すなわち、中で何が行われているか外部からは掴みにくいことによって、実現できることであります。 有罪判決が確定して受刑中の人も、やはり『逃げたい!』と思う気持ちがあるわけです。
まだ起訴されず、有罪判決を受けていない段階の被疑者は、なおさら『逃げたい!』と思っている人は、少なからず存在するのだと思います。逃げたいとは、逃走するのではなく、他人に罪を被ってもらいたいとの『卑怯な』『厚かましい』思いに繋がるようでもあります。
先日福岡県内の警察署に勾留中の覚せい剤取締法違反の被疑者が、留置管理係の警察官に対し、同じ署内の留置場に勾留中の知人に、この件の罪も引き受けてくれるよう『伝言』を依したこと、そしてこの警察官は、実際『伝言』したことが、この知人の供述により判明したと報じられております。
どうやら、伝言を依頼した被疑者が、福岡県警あげて撲滅を目指している指定暴力団の組員だったことから表面化したようで、とんでもないことだと思います。
何がとんでもないかって、『逃げたい!』と思うのは、本人のある意味自然な感情、しかし、他人は違うはず、『逃がしたい!』と思うのは自然な感情だと言えますか?
私たち弁護士は、刑事弁護人として被疑者と接見することが、とても重要な職務です。
接見交通権と言われるものがこれです。ときに録音機を持参した、写メで撮影したなんてことで、検察庁等から、弁護士会に担当弁護士の懲戒請求などなされることがあります。
中には、被疑者から聴取した事実を確認するため関係者と接触しただけで、証拠隠滅なんて疑いをかけられることもあります。
留置管理室、業界用語で『看守さん』は、ストレスが溜まるお仕事だと思います。
でも、『真実』を曲げる行為を、しかも職務に絡んで行うのは、いったいなんの意味があるのでしょうか?現段階では、金銭授受はないそうです。
報道では、この警察官は、「信頼関係が築け、業務が円滑に遂行されると思った」と供述したそうです。
誰と誰の信頼関係なのか、なんの業務がスムーズに進めばよいと考えたのか、報道の限りでは明らかではありません。
『伝言』を聞いた『知人』は、「自分がやった」と供述し、その後警察官からの『伝言』のとおり対応したと訂正したそうです。
この警察官には、暴力団員とされる被疑者を逃がす意図まではなかったでしょう。暴力団との信頼関係なんて『まさか』ですから。弁護士としてとても気になるのは、単に犯人を逃がす手伝いをした、つまり犯人隠避の罪が成立することが問題ではなく、『業務の円滑』とは、要は、犯罪が起きたら犯人を挙げることが重要、『犯人』が誰かは関係ないなんてこの警察官が考え、教えられていたのではないかと言うことです。
もし、件の暴力団組員が否認するなど捜査が困難を極めていたら、折良く『犯人』になってくれる者がいたら……の思いに至ることはなかったのかの疑いであります。留置管理室の手柄で捜査は一件落着?そんなことがあろうはずがありません。これは一福岡県の特別なケースだなんて終わらせず、警察組織の問題として、『真実追求』をして欲しいと願います。
いつも思う、『強い国より優しい国』
2015年6月25日
千葉県のある市で、県営住宅から明渡しの断行をされる日に、中学生の娘を殺害したとして起訴された母親に対する裁判員裁判の判決がありました。
検察官の求刑懲役14年に対して、懲役7年の判決です。刑の執行が猶予されるのは、懲役3年以下ですが、この事件で弁護人は、執行猶予付き判決を求めていたと伝えらました。
報道されたところでは、この刑事事件、事実関係については争いがなく、専ら被告人であるこの母親に対する情状面が、審理の対象だったようです。
報道されたところの事実関係は、次のとおりです。
被告人は、婚姻した夫が借金を抱えていて当初より生活は苦しく、離婚後も、そのために負担した借金の返済を続け、仕事の収入は月10万円少々で、しかも公立学校の給仕のため、学校が休みのときはほとんど収入はなく、公務員に準じるため副業はできず、やがてヤミ金から借り、月額金12.000円の県営住宅の家賃の支払いができなくなって、県から賃貸借契約を解除されて明渡しを求める訴訟の判決が確定し、この間、市役所の福祉課に赴いたものの生活保護は受給することなく、ついに裁判所執行官が明渡しの断行に来た日、娘を殺して自ら死のうと思って殺害に及んだと言うものです。
発見時被告人は、殺害された娘さんの手を握り、呆然としていて、その周りには、数日前の中学校の楽しい思い出の記録が、残されていたと言うことでした。
最近の殺人事件で、裁判員裁判の判決の量刑が重いことを理由に、高等裁判所で破棄されることがあり、これでは裁判員裁判の意味がないとの批判がなされています。私も、裁判員裁判の判決が破棄されるような事態が続くようなら、そもそも裁判員裁判の制度そのもの見直しが必要と思います。裁判員になり、審理に関わることの負担は、想像を絶するものがあると思います。
国民に負担をかけてなんだ!と言うことだと思います。 今日は、裁判員裁判のことを言うのではありません。この刑事被告人、刑務所に行かなければならないのでしょうか?行刑の目的が、応報であれ教育であれ、また、巷間言われように、『被害者は納得しない』を取り入れるならばなおさら、この被告人を、懲役7年にすべきなのでしょうか? 私が司法修習生だったころ、もし、求刑の半分以下の判決になったら、検察官は控訴すると聞かされたことがあります。
それは、だから求刑よりせいぜい7かけにしておく、半分以下にしたら、『あの裁判官はおかしい』と噂され、裁判官の成績に影響するような意味が含まれていたと感じられ、『嫌だな』と思ったことがあります。
裁判員裁判なら、そんなことにならない期待はあります。 この事件、判決では、本件に至ったことについては、被告人のみの責任とすることはできないと量刑理由を述べています。
それでは誰が責任を問われるべきなのでしょうか。月額金12.000円の県営住宅の家賃を2年間支払っていないことに、県は『おかしいな』と思わないのでしょうか。
市役所の福祉課に生活保護に関して訪ねて来た人間について、『申請がなかった』なんて、子どもの使い(反対か)じゃあるまいし……。
以前『水際作戦』なんて隠語が囁かれていたことがありました。
覚せい剤が密輸される事態を水際で止めることを言うのではありません。自治体の福祉課に来た人に対して、生活保護の申請を受付しないで帰らすことを意味します。
私もかつて債務を抱えて法的対処をすることになった依頼者の方が、生活保護の申請をした際、担当者から、働きなさいはまだ序の口、やがて『市民のためにやっている。市民の理解が得られない。市民の税金が使われる……。』を言われて追い返されたことがあり、『思い切り』言い返してやったことがありました。
ホント偉そうにです。市民にこんな仕打ちをする職員に対して、市民の税金が使われるのかと言うことです。
この刑事事件、被告人となったお母さんが刑務所に入ることを、『被害者』となられた娘さんは、望まれているのでしょうか。
こんなとき、日頃声高に言われる『被者のため』が聞かれないのはなぜなんでしょう。
昔、自分の子どもに手をかけた親が、執行猶予判決を受けた事例はありました。そんなケースは、多くの人々から嘆願書等が提出されてもおります。
この刑事事件は、どうだったのでしょう。被告人は、誰も相談する人がいなかったなんて報じられていました。もし、そうだとしたら、それこそが、被告人の責任だとなるのでしょうか?県と市の縦割り行政なんて言い訳になりません。
シグナルは、幾つもありました。地域、自治体が、積極的に包み込んで差し上げるべきなのではありませんか。 日本弁護士連合会は、毎年人権擁護大会を開催しています。千葉市で今年10月に開催される第58回大会では、『母子家庭における子どもの貧困ーその原因と実効的施策を考える』がテーマとされています。
私は、母子家庭で頑張っているお母さんをたくさん知っています。頑張りすぎと感じることも多いです。
このお母さんたち、自分の努力だけでは子どもは育てられないと仰います。もちろん謙遜が含まれてはおりますが、周りに相談できる人や機関があり、サポート体制があるのです。
さて、本件刑事事件の被告人について、私は、懲役7年は重すぎると感じます。
執行猶予は厳しいのかもしれないが、実刑であっても7年は……と思います。裁判員裁判になって、死刑判決が増えていることはよく知られているーーもっとも、マスコミはほとんど触れないーーのですが、本件を知り、やはり裁判員裁判になってから、量刑は重くなったと実感します。
この事件は、一地方で起きた悲劇です。街のあちこちで、『地方創生』とか、『地方から』なんて書かれた与党のポスターが目につきます。安倍晋三自由民主党総裁が、胸の前で手を合わせたポーズを撮っています。
今、国会では、何がなされようとしていますか?ホント、『地方創生』のポスターは、ボーズなんだなと思ってしまいます。日本国民隅々まで、見てよと言いたいです。
アビスパ福岡の試合中に起きたことに関して
2015年6月24日
昨年の衆議院議員総選挙後に政界を引退した大物政治家は、「シナ」「アメちゃん」などの発言で知られ、女性を「ババア」と言ったとして、女性たちから民事訴訟を提起されたこともありました。
また、大阪都構想の応援演説で、与党の有力議員が、「バカでもチョンでも」と述べたことを、直ちに撤回して謝罪しました。
これは、差別用語と受け取られるかおそれがあるからです。 今、汚職問題で揺れてはおりますが、FFA国際サッカー連盟は、サッカーでの人種差別を厳しく対処します。選手のみならず、サポーターであっても、差別的言動をした者、グループに対しては、出場入場禁止等の措置が執られるのです。
この国際的流れを受けて、最近では日本でも、『JapaneseOnly』の横断幕を張ったJリーグサポーターらが、処分されたことがあります。
さて、6月6日、私は、福岡市をホームタウンとするサッカーJリーグ第2ディビジョンに属する『アビスパ福岡』の試合を、本拠地レベルファイブスタジアムで観戦しました。
この試合、いつものことながらアビスパ福岡は押され気味でしたが、後半セットプレーのワンチャンスをものにして1対0で勝利しました。
高い位置から観戦していたので、ロスタイム4分が早く過ぎろと思い、審判が時計をチェックしていたシーンが、良くわかりました。 この試合、アディショナルタイムの最後のところで、アビスパ福岡のFWの選手の前にボールが転がり、相手GKと1対1となり、まさにシュート!と思った瞬間試合終了の笛が吹かれ、アビスパファンは苦笑したものでした。
アディショナルタイムが終了する直前に、コーナーキックとか1対1のシーンになったときは、そのプレーが終わるまでは笛を吹かないと言う暗黙のルールがあるのだそうです。
しかし、当日私は気づかなかったのですが、アビスパ福岡によれば、この試合の最中、この日主審を務めた審判は、決して苦笑では済まされない差別的言動をしたと言うのです。
選手らから報告を受けたアビスパ福岡は、試合終了後マッチコミッショナーに抗議したものの、当の審判本人がこれを否定したことから、近日中に、Jリーグに意見書を提出することになったと報じられております。
アビスパ福岡によると、問題のシーンは後半35分、接触プレーで倒れたアビスパ福岡の選手に対して、主審が、「Are You OK?」と英語で質問したところ、この選手が、「大丈夫です」と日本語で答えたので、「なんだ、お前、日本語話せるんだ」と嘲笑しながら応じたと言うもので、やりとりを見ていたチームメイトが、「審判、それはないでしょ」と言ったところ、「後で謝る」と答えたものの、謝罪はなく、マッチコミッショナーからの聴取では、当の審判は、このような事実そのものを否認したと言うものであります。
英語で?話しかけられたアビスパ福岡の選手は、ドイツ人の父と日本人の母を持ち、日本で暮らし、J1を含む日本でのプロサッカー選手歴は短くなく、この審判のように、長くJリーグで審判を務め、まして海外での審判歴があるトップチームの試合を担当する審判が、この選手が日本国籍であり、当然日本語を話せることを、知らぬわけがありません。
私としてはあまり言いたくないところですが、この選手の兄は、日本代表として海外でプレーしているのです。確かに外形、髪の色等は、生粋の日本人とは見えないのかもしれませんが……。
だからと言って。 私は、2つのことを申し上げたいと思います。
もちろん私は、その場面を見た(正確に言えば『気づいた』』わけではありませんが、事実の信憑は、合理性の有無でかなり説明が可能と思っております。
アビスパ福岡側が、『こんなこと』で嘘をつき、『こんなとき』に問題提起なんてする合理性があるのでしょうか?
複数の関係者が、勝った試合の主審を務めた審判を、陥れることをするだろうかと言う疑問です。
この部分、よく『浮気の証拠はありますか?』の質問でお答えするところです。そうだとすると、これもいつも申しますとおり、『事実は変えられない』と言うことを、この審判に対しては、申し上げたいのです。
ふたつめは、リスペクトの精神なくして世の中の平穏は成り立たないと言うことです。
かつてサッカー4級審判の資格をいただいた時期もある私は、講習などで、リスペクトの考えを強く教えられました。
今自分がサッカーができるのは、家族指導者、相手チーム、審判、ボールやベットボトル等多くに支えられているからであり、これらに対して感謝しなければならないと言うことであります。審判が居なければ試合は成り立ちません。
ですから私は、審判に対する抗議、まして暴言は認めることができません。決して審判を尊敬しろとまでは申しませんが、ある意味試合での主役、存在なくして試合は始まらないないのです。それなのに、審判が、最もリスペクトに欠ける言動をするとは。
このことは、今の日本の政治、特に外交問題にも言えることだと感じます。
かつての日本は、『植民地支配と侵略戦争により、アジアの諸国民に、多大の苦痛と損害を与えた』事実を認め、これらを痛切に反省して平和憲法のもと、世界各国から尊敬とまではいかないとしても、国際社会において、それなりのポジションを得られたことは否定できないと思います。
ところが、このかつての『お詫び』が間違いであるかの風潮が現れております。
それどころか、先の大戦は、アジアの植民地化を阻止するためのものだった、日本が統治した国には、戦後日本流の教育、文化等が残され、それぞれの国の発展に寄与した、その後日本を習って独立した国もある等等です。
そのような見方があることは、わからないではありません。また、各国に、日本の名前を使用した建物や、日本人の偉業を讃えた記念碑等があることもまた事実です。かの国々の方々が、このように思っていただけることは、誠に有難いことです。
ですが、日本のほうから、「良いこともした」「これからは未来志向で行こう!」と言うのはどうなんでしょうか?まず、かつての行為を謝り、許しを得たことから全ては始まると考えます。
これに感謝するがゆえに、相手国も、日本を認め、良いところを学び、尊敬もされるのではないでしょうか?
東日本大震災のとき、世界各国が、特にアジア諸国が挙ってその復興を支援されたのは、このような『戦後の歴史』があったからではないでしょうか?リスペクトすなわち感謝は、思いやりに通じます。
そんなふうに考えろとき、先のアビスパ福岡戦の主審を務めた審判と、何処かの国の宰相とが、オーバーラップして見えてしまいました。
盲導犬が、ホテルに宿泊拒否されたとの報道に寄せて
2015年6月23日
先月、北海道のある都市で開催が予定されていた道内の視覚障害者らの卓球交流会が、盲導犬同伴で宿泊できるホテルが見つからないとして中止となったことが明らかになりました。
なんでも、会場近くの3軒のホテルは、盲導犬同伴の宿泊について、これを拒否または即答を避けるなどしたため、主催者側が宿泊先確保を断念したからとのことであります。
2002年に施行された身体障害者補助犬法は、公共施設や不特定多数の人が利用するホテルなど民間施設に対して、盲導犬の同伴を拒むことができないことを明記しています。
実際に、『犬』が宿泊したら著しい損害が発生すると予想できるものでもないのに、ホテルの対応については、批判的な意見が多い感じです。 都会におりますと、駅構内、電車の中、さらには百貨店等でも、目の不自由な方が、盲導犬と一緒にいる姿を見かけます。我が家にもわんこがおりますので、盲導犬『偉いな』と思います。
でも、犬に慣れない人が少なくないこと、また、アレルギー体質の方がおられることも事実です。ちなみに、家族の一員としてわんこ3頭と一緒に暮らしている私ですが、誠に恥ずかしながら、『ネコアレルギー』なのです。喘息のような症状がでるので、ネコの居る家には行くことができません。 大会が中止に追い込まれたこの都市には、ホテルが3軒しかなかったのかどうかわかりませんが、ホテルの対応を非難するだけでは、なんかおかしいのでは?と感じます。
この交流会は、今年が初めてではなく、道内の都市を巡回してこれまで開催されてきたと言うのですから、こんなことになったのは、何かしら他の要因もあったのではないでしょうか。
ホテル業を営む側は、全く補助犬法を知らないはずがありません。
私が気に入らないのは、『こんなこと』が発覚して全国ニュースになった途端、この自治体は、市内にある宿泊施設に対して、補助犬法等を説明し、理解を求め、盲導犬に関する冊子を配布するなどして、再発防止に努めると発表したことです。
要するに、『こんなこと』が起きて、ニュースになると、「真面目にやっております」とアピールするがごときであります。
いつか福岡市の教職員について、外での飲酒自粛の話題にも触れましたが、なんか自治体って、人気取り、わざとらしいところがあるなと感じるのです。 そんな人間界の意図目論見に関係なく、盲導犬は、主のため黙々とその務めを果たすのです。
犬は、人間の言葉はしゃべりませんが、人間の話、感情は理解できています。自分が愛され、大切にされているのか、単に体面や何かの駆け引きに使われているのか、見抜くことができます。
厚生労働省の記録では、この交流会が行わらるはずだった自治体を含む地域管内にいる盲導犬は、2頭だそうです。
この2頭が、ホテルに宿泊できなかったのかもしれませんが、当該自治体としては、『もっと地元に盲導犬を増やそう!』と、盲導犬に関する理解を深める活動をされてはいかがかと思いました。あらゆる場面で、福祉は重要課題です。