徳を失ったら「まさか」が起こる
2015年6月22日
河野洋平元衆議院議長と村山富市元内閣総理大臣が、日本記者クラブで、『戦後70年を語る』と題して記者会見しました。
最近は、今年8月にも出されるであろう『安倍談話』は、1993年に、当時内閣官房長官として出された『河野談話』、1995年に、当時内閣総理大臣として出された『村山談話』を踏襲するのか各方面各国から、関心を持たれているところですから、歴代な日本政府の立場を確認する意味もあったのでしょう。
特に、従軍慰安婦の日本軍関与を認めた『河野談話』、植民地支配と侵略戦争を引き起こしてアジアの人々に多大な苦痛を与えた痛切なお詫びを表明した『村山談話』のそれぞれの部分を、あるいは『未来志向』なんて言葉を使って、安倍晋三内閣総理大臣は、故意に欠落させるのではないかとの懸念があることは、否定し得ないのです。
河野、村山両氏は、これら談話により、戦後日本は、国際社会から信頼を勝ち得たこと、現在安倍内閣が進めようとしている安全保障法案なるものは、憲法の専守防衛を、解釈により勝手に変えて『戦争ができる国』にするものであり、許されないと強く批判されたものです。
日本の歴代政府が踏襲してきたもの、諸外国から信頼されていたものを、なんで簡単に、かつ、早急に変えようとするのでしょうか?そんな意見を持つ国民は、「たくさんいる」と思います。
不思議なのは、与党議員は、誰も政府与党がやろうとしていることに、疑義を言わないことです。ようやくここに来て、ごく一部の与党議員ですが、反対の声の意思を表明したと、これも一部で報道されてはおりますが。
民主主義は、多様な意見を出し合って、認め合い、丁寧に決めていくシステムのはずです。反対意見を抑える、あるいは、反対を言いにくい状況になるとどうなるか、組織は内部から瓦解する危険性があると思います。
現に沖縄県では、辺野古沖移設問題で、自由民主党だった方々が、今や率先して政府の政策に反対しています。与党議員は、なんで安倍晋三自由民主党総裁に、全てイエスなのでしょう。永久に、安倍内閣が存続すると信じているのでしょうか?
河野洋平氏、村山富市氏、あるいは原発再稼働反対!を言い続ける小泉純一郎氏ら先人の意見は、今の与党議員には、なんとも意識されないようです。
歴史も政治も継続が大切、いつの間にか政治家各人に、謙虚さが失われたように感じます。
安倍晋三内閣総理大臣が尊敬される郷里長州の偉人吉田松陰先生は、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』で、井伊直弼大老に対して、こんな台詞を吐きました。
徳川幕府が250年に渡って平穏な国作りを行なってきたのは、徳をもって政を行なったからである。
今幕府は、反対意見に耳貸さず、弾圧を繰り返している、徳を失った幕府に未来はない!
小泉純一郎元内閣総理大臣は、かつての小泉チルドレンを前に、こんなことも言っていました。
人生には、上り坂下り坂がある。しかし、もう一つ坂がある。『まさか』
さて、今、日本国民に対してではなく、アメリカ合衆国国民に先に約束して来た集団的自衛権の行使を可能とする安全保障法案が撤回され、あるいは安倍首相が、「やめた!」と言ったら、与党の先生方はどうするのでしょう。
「まさか。そんなことはないよ」と常にお考えなのでありましょうか。もっと政治が謙虚であったらと思います。
安全保障法案の成立を急ぐネックを排除するかも?
2015年6月19日
先日国会の憲法審査会で、自由民主党が推薦した憲法学者、さらに自身が改憲論者であることを公言されてきた憲法学者を含む参考人として出席した憲法学者全員が、現在衆議院の平和安全特別委員会で審議されている集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案について、『違憲』であると表明されました。
これを受けて開かれた同委員会で、野党議員から、「政府はいちど法案を撤回したらどうか」と質問された中谷元防衛大臣は、こんな答弁をしたのです。
「現在の憲法をいかにこの法案に適用させれば良いのかという議論を踏まえて閣議決定を行なった」 これには驚きました。憲法を(政府が決定した)法案に適応させるのだそうです。
憲法と法律どちらが上か、考えたことはないのでしょうか。
また、憲法は、ときの政治権力を縛るもの、政府(内閣)が、与党が絶対多数を占める国会に、『憲法を合わせろ!』の意図のもと、法案を提出するなんて。
法律によって憲法を変えるなんて、憲法に違反する政治が行われていることを自認したに等しい。
先日の憲法審査会での憲法学者の違憲発言に驚いた与党は、所属議員に対して、憲法に違反するかどうかは最高裁判所が決めることなんてペーパーを配布したと報じられています。
これまた憲法を理解していないと言わざるを得ませんね。
最高裁が違憲を言うまでは、どんな法律や政策も違憲ではないと言っているわけです。
誰がそう言っているのでしょう。
それは、憲法上憲法尊重擁護義務が明文で課せられている国会議員、国務大臣等ではありませんか。であるがゆえに、これまでは、現憲法に縛られるのがイヤな見解をお持ちの方々は、憲法改正を訴えてきました。
この憲法では、個人がいかなる思想信条を持ち、それを表現する自由が認められているのです。 先の総選挙で、『早急な安全保障体制を整備する』とマニュフェストに明記して、国民の圧倒的多数から支持を受けたと言う政府与党は、最高裁が憲法違反と判決する前に法律を変え、これにより憲法も変えてしまうようです。
しかして、そんな本音を言ってしまった中谷大臣は、ある意味真面目な方だと思います。
中谷元氏は、もと自衛官ですが、加藤紘一氏や、宮沢喜一氏ら自民党の中でも『リベラル』とされる政治家の秘書を歴任し、現在は、ーーかつてはか?ーーもっともリベラルと思われていた谷垣禎一自由民主党幹事長の勢力に属しておられますから。 思わす与党政治家として本音を言ってしまった中谷元氏は、過日の沖縄那覇空港の自衛隊機による管制無視による『あわや大惨事か』の責任を取って、更迭なんてならないでしょうか。
そう言えば、年金に関連した個人情報の流出に関連して、中谷大臣は、防衛省は大丈夫との答弁をしていましたが、こんな時期に『そんなこと』をしているのは、なんかこの際防衛大臣をなんとかしろ……!の声が、何処かから出ているのでは?の見方をする人もいるのではないでしょうか?
『武力行使と武器の使用の違いがわからないんですか!』と発言して謝罪した中谷氏ですが、こんどは、立憲主義、憲法尊重擁護義務に関して適切を欠く発言があったとして、なんとかのなんとか切りによって、またしても謝罪する羽目になったとして辞任なんてならないか、真面目な中谷大臣に代わる大臣のもと、安全保障法案が審議されるのではないか、『心配』しております。
福本悟がご案内する初夏の福岡三大珍味です。
2015年6月18日
世の中には、珍味と言われるモノがあります。世界三大珍味と言われるのは、フォアグラ、トリフ、キャビアですね。宍道湖の七珍は、私は全部言えませんが、美味しそうです。どこそこに行けば、その場所での珍味と言われるものはありますね。福本悟なりの珍味もあるのです。
北部九州では、この時期しか食べられないモノがあります。この時期外せないのは、剣先いか(ヤリイカ)と唐津のうにですが、それに勝るとも劣らない三大珍味は、コレです。だいたい6月から7月の博多祇園山笠のころまで、福岡市内の柳橋連合市場や天神岩田屋さんでは見られます。
『あぶってかも』『まじゃく』『あげまき』です。
あぶってかもは、私が福岡で暮らした30年前には、博多湾でたくさん獲れました。スズメダイのことで、漁師さんが獲れすぎて困るので、船上で炙って食べたところ、小さな魚なのに骨が多く、頭は硬いので、バリバリ噛むしかなかったことから、『あぶってかも』の名が付いたとされます。手のひらサイズで、確かに骨が多くて食べられるところは少ないですが、これが脂が乗って美味しいのです。現在は、ほとんど獲れなくなり、柳橋連合市場の常連料亭では、高級食材として仕入れていると聞きました。主として熊本県、福岡県で食されています。
まじゃくは、有明海の泥の中に生息するエビでもないカニでもない、外形はシャコに似た甲殻類です。有明海は、長崎県、佐賀県、福岡県、熊本県に跨がる九州最大の湾であり、現れる干潟の面積は、日本最大とされる海であります。この干潟には、むつごろうをはじめ希少生物が多く生息し、珍しいここにしか居ない生物たちを目にする(食する)ことができます。
まじゃくは、泥の中にいるので、名人が筆(割り箸でも可能かも?)を泥地に突っ込むと、これにまじゃくがくっ付いていて、そのまま引き上げて捕獲する漁法であります。
有明海の中でも、福岡県大牟田市から南、熊本県で良く捕獲されると聞きます。唐揚げで食べるのですが、食いつく場所によって違った味がするので面白いです。一見ザリガニかと勘違いする、山笠のころにしか目にしない珍味かつ美味です。
あげまきは、『揚巻貝』のことです。古くは瀬戸内海、九州、韓国と中国東側で獲れたところ、日本国内では、長く有明海にしかいないと言われた時期があったのです。二枚貝で、マテ貝と勘違いされます。あげまきの名は、古くは日本の子どもたちが、髪を左右に分けて角状に巻き上げた髪型をしていたことから付けられたとされます。基本的には、焼いて食べますが、ちょっと茹でて冷やせば、寿司ネタとしても使われます。
あげまきは、司法修習生だった30年前に初めて食べて以来、毎年初夏の福岡では食べられたものです。しかし、例の有明海水門閉めにより、有明海からは死滅したのです。有明海の生態系を完全に変えてしまった水門閉の映像の中で、海底に沈んだあげまきの死骸を見たときは、唖然といたしました。同じく私が大好きだったタイラギ(平貝)も、有明海からほとんど姿を消してしまいました。
あげまきは、現在全てが韓国産となっています。しかも、年によって違いはありますが、こちらもかなり値が張ります。ただし、福岡市内には、当然生きたまま入ってきますから、新鮮そのものです。考えてみれば、博多湾その後ろの玄界灘で獲れた魚介が、築地に運ばれると考えれば、釜山から博多は近いものです。
今年のあげまきは、良いようです。岩田屋さんで848円で買ったあげまきは、翌日でも生きていて、玄界の匂いを醸し出しながら、美味しく焼けて食べられました。
これらが、福本悟の初夏の福岡三大珍味です。これが冬になるとどうなるか……。
日本の四季を感じ、また、四方が海に囲まれ(福岡県は、玄界灘、周防灘、有明海と三方が海に囲まれ)た地形が齎し出したしあわせを感じるときであります。珍味と言われますが、こうして毎年同じ楽しみをくれるのは、日常生活そのものに入り込んでいるとも言えましょうか?珍味もまた妙味です。皆さんにも、きっと生活に溶け込んだ珍味があると思います。
いつもの指定席で思う焼酎の嗜み方
2015年6月17日
芋焼酎の本場鹿児島県では、『黒千代香』と言う器があります。これは、『くろじょか』と読み、昔から伝わる焼酎の燗付けの器具です。『ちょこ』を意味する『ちょか』が方言だったとか、琉球王朝から入ってきたとか諸説あるようですが、この黒の鉄の容器に焼酎と天然水を混ぜて一晩寝かせ、囲炉裏などで暖めて翌日飲むやり方が美味しいとされ、ここから焼酎のお湯割りが生まれたとも言われます。確かに鹿児島県の焼酎の名店で芋焼酎を嗜むとき、黒千代香の容器に入れて、出されることがあります。
もともと焼酎と水を混ぜていたので、これを暖めたのが焼酎のお湯割りだとすると、どの程度割っておくとよいのかの疑問が出されるかもしれません。黒千代香による飲み方が始まったころは、何気なしに半々だと言われます。ところが、焼酎好きには、半分水では物足りないとなって、7•3とか6•4等いろいろ広まっていきました。
やがて、ウイスキーの水割りの真似かもしれませんが、焼酎の水割りが誕生しました。私のように、酒飲み焼酎党は、焼酎を味わうではなく、ぐいぐいやりたく、家でも冬季以外では水割りで、そして福岡の屋台では、決まって水割りでやっています。
先ほど7•3とか6•4とか割り方を申しました。これも地域やお店、また飲む人等によっていろいろだなと思います。私の行きつけの屋台『しんきろう』では、さすが20年も通い続けて歳になりましたから、最近は、5•5としています。因みに、大将(店主のこと)は、『芋水』と言います。芋水用のグラスには、ちゃんとメモリがついております。
さて、しんきろうでは、まず焼酎を5のラインまで注ぎます。もっとも、そうは言っても、常連客に対するサービスなのか、5と6(の間くらいまで、焼酎を入れてくれますが。ついで氷をドバッと入れます。この段階で、氷はもう、グラスをほぼ覆いつくします。グラスを越える塊も出てきます。それで、最後にグラスのいちばん上まで、水を入れます。しかし、水は、かたちだけ、合わすだけで、ほとんど入らないのです。これが福岡博多の屋台での飲み方です。知人を同行すると、口々に「濃い!」とびっくりされました。
焼酎を飲ませる店舗とすれば、焼酎は、薄くしたほうが採算が取れるでしょう。でも、より大切なもの、守りたいものがあるのだと思います。屋台は、『袖振り合うのも多生の縁』の世界、たまたま隣に座った人が有名人だったりします。店主もお客さんもすぐ近くにいます。今日の出来事と縁、それは焼酎の濃さとともに、その人それぞれに、濃く残るのように思うのです。いつもの『指定席』で、今日もビールを飲みながら、考えてしまいました。
小泉進次郎衆議院議員に期待します。
2015年6月16日
小泉進次郎衆議院議員は、勉強家です。
父親小泉純一郎元首相が、自由民主党総裁として自ら定めた定年制に従って政界を引退するとき、後継者に指名したのが自身の二男進次郎氏でした。
小泉家は、小泉元首相で政治家三代と言うことで、その後内閣総理大臣を務める野田佳彦民主党衆議院議員から、「ルパンだって三世までですよ」と指摘されての進次郎氏の政界入りでした。
そんなことも影響したのか、小泉進次郎氏は、親の七光りではなく、各地を歩き、国民と触れ合い、会話を進め、喋ることの重要性を学んだそうです。
特に『地方』に関心が強く、毎月11日には、東日本大震災の被災地を訪問されているのです。 この小泉進次郎氏が、会話の最初に発するのは、「どこから来たの?」だそうです。確かに人間その日その場にいるのは、出自を辿れば、必ず『どこか』から来ているのです。
これは人と会う機会が多い私にも、学び取らなければならないことで有ります。よく、初対面の人どおしの会話として、「忙しいですか?」があります。
あれ、私はあまり好きではありません。
そのように尋ねられて、Yes、NOいずれの答えをしても、その後会話が繋がらなくなることが多いです。 小泉進次郎氏は、どこから来たのと尋ねた以上、それで会話が止まることは許されないとご承知です。
だから、日本また、世界各国をていねいに調べ、知識を得、自ら考え、人々との触れ合いに努められるのでしょう。
幸いにも私は、地理歴史と交通にはかなり詳しくほうだと自負しておりますので、「⚪️⚪️ってとこだけど、知らないでしょう」と返されても、例えは「△△県ですね」とか、「XXの近くですか?」とか、なんとかお返しできているのです。
東京生まれ東京育ちで東京で仕事をする私は、故郷がある人は羨ましいと思うとともに、なんで『こんなとこ』に来るんだろうと思うことがありました。都会は生活しづらいでしょうに。 増田寛也元総務大臣を座長とする産業界や研究者の団体で作る『日本創生会議•首都圏問題研究会』が、東京圏の1都3県の25年後の介護需要を調査したところ、45%増の172万人となって、全国平均の32%を大きく上回り、入院需要も21%増となる試算が出されました。
東京圏は、介護医療の受け入れ態勢が全国平均よりかなり低いようで、今でもよく聞く『患者のたらい回し』や『介護難民』は、さらに増え続けることが必定だと発表されたのでした。
創生会議では、介護医療の需要供給の見直しを東京圏全体で共有するとともに、高齢者の介護医療制度が崩壊しかねないゆえに、高齢者の地方移住を促すための費用援助等を提言するようであります。
いっぽうで創生会議は、介護医療のサービスで、他地域からの高齢者の移住を受け入れられる余力がある41都市を発表しました。
東京圏どころか、『東京周辺』には、そんな地域はありませんでした。 このうち大都市は、その周辺地域を含む福岡県北九州市ただひとつで、北海道は函館、旭川、釧路等、東北地方は秋田市、山形市等、山陰の松江市、米子市等、四国では高松市、高知市等、九州では別府市等の地方都市型32地域が、これに入っております。
地方の中堅都市こそ、これから先、比較的安心して生活できると言うことのようです。
そのような地域を故郷とされる方々は、ずっと東京圏で暮らす私からすると、やはり羨ましいのです。
冒頭に揚げた小泉進次郎氏は、自由民主党の青年局長を務めて全国を回ることから学び、現在は、内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官をされています。是非とも全国を回り、「どこから来たの」を続け、少子高齢化社会の制度作りと整備をされるよう願うものです。
えっ、なんですって?小泉進次郎氏は、自由民主党の選挙の顔、本人の意向と関わりなく全国を飛び回っているよとの声が聞こえてきました。
もっとも、現在審議中のいわゆる安全保障法案に関して、小泉進次郎氏は、全国の声を集めて、政府与党にこれを伝えていただくことを、私はまず希望しているのです。