行き先が初めての場所で、最寄駅まで電車、バスなどの公共交通機関を利用する場合、確実に到着するためにどんなことに注意し、心掛けしますか。
予め何々線の何々駅まで行けば良いと調べて乗車しても、その目的となる駅がいつ現れるのか、気になるのではないでしょうか?
そんなとき、始発駅、または乗車した駅から何個目とか、何々駅の次、あるいは乗車してだいたい◯◯分とか、乗り過ごしや乗り間違えがないように、ご自分なりの工夫をされると思います。
電車内車内放送を利用する、これを気にする方は多いのではないでしょうか。「次は、ーーです。ーー線はお乗り換え。お出口右側です。」なんて、毎々放送されますね。
都市圏の通勤電車を毎日利用する者は、この放送、なんとも思っていないと言うか、無くても自分には関係ないと感じる向きもあろうかと思います。
特に、自宅の最寄駅から、乗り換え無しで新宿駅とか渋谷駅とかの終点まで行く乗客にとっては、途中の車内放送は無くても困りません。終点が新宿、渋谷だからです。
先日新宿三丁目駅から、副都心線で横浜に行く用事がありました。新宿三丁目駅から横浜方面に行く場合、昼間はほぼ行き先は『元町中華街』行きです。副都心線、東急東横線、みなとみらい線が繋がっております。この日私が乗車した電車では、一切車内放送はありませんでした。
地理に明るい私は、下車する駅までの停車する駅の数や時間、車窓からの風景で、乗り過ごしやなどの心配はありません。
この日車内は混雑しており、外はあまり見えません。ただし、横浜駅まで乗車して6駅であることから、停車駅を数え、また、横浜駅直前には、さいわい地下に入って音が変わりますので、間違うことはありません。私と同様、横浜駅で下車する人は多いので、まあ、初めて人でも、人の波について行けば大丈夫だったでしょう。
でも、各駅停車で、あまり乗降客がいない駅に用がある方がこれに遭遇したら、難しかったかもしれません。
車内放送は、煩いと感じる方もいると思います。そんな声に配慮して、通勤時間帯などは、一切車内放送はしないと決められたのかもしれません。
あるいはあの日の経験は、単に機械が壊れて案内がたまたま出来なかったのかもしれませんが。
車内放送に期待してずっと座席に座っていたら、元町中華街駅だった方がおられたのではないか、余計なことも考えました。
私は、時々新千歳空港からリムジンバスを利用して、札幌市内の目的地に行くことがあります。新千歳空港午前9時前のバスで、この時間帯は、いつもガラガラです。
ある日、このバスの乗客は、私ひとりだったことがあり、バスが発車したら運転手の方が、「どこまで乗車されますか」と尋ねられました。私が答えますと、この日一切車内放送は無く、どこにも停車せず、私が降りる停留所まで、ノンストップで運んでいただけました。
リムジンバスは、空港を発車すると、途中乗車は無く、降車のみなので、お客さんの便宜を図ったのです。
これは、臨機応変の対応で、とても有難かったです。
しかし、多くの乗客が利用する大都市圏の公共交通機関では、臨機応変適宜の対応は難しいですね。
航空機に関しては、国内線しか利用しない私は、いったん乗ったら全員目的地は同じなのだから、機内サービスと言って、機内ではあれこれ放送しなくても良いのに、放っておいて欲しいと思う派です。
先の副都心線東横線は、どんな考え事情から、車内放送しなかったのかわかりません。
ただ、首都圏で生活する私にとって、日頃聞くでもない車内放送に、変に慣れてしまったのでしょうか、あの日の副都心線東横線での車内では、静かだったのに、何かいつもと違って落ち着かない感じがいたしました。
公共交通機関のサービスって、難しいですね。
福岡市内の公立校の教職員は、飲酒を伴う懇親会などの開催を、自粛しているそうです。
事のきっかけは4月20日、中央区天神で、夜尾灯が消えている車に居た福岡市立中学の教諭の呼気を調べたところ、基準値の2倍のアルコールが検出されて、道路交通法違反で逮捕されたことにあります。
同日福岡市教育委員会は、幼稚園長、小中高学校、特別支援学校の各校長会と 臨時に協議して、それぞれ一定期間の飲酒を伴う懇親会などの自粛を決めたのだそうです。
福岡大好き人間の私は、呆れました。
飲酒運転が悪であることは、何も被疑者が教員,公務員であろうとなかろうと当たり前。教育委員会が、学校長を集めて議論し、自粛を求めることなのしょうか。
これで思い出すのは、2012年6月、高島宗一郎福岡市長が、福岡市職員の飲酒運転の不祥事が続いたことを理由に、市職員約13000人に、1ヶ月間自宅外での禁酒を要請した件です。
これに対しては、市職員から、日本弁護士連合会に対して人権侵害救済の申し立てがなされ、2014年3月に、福岡県弁護士会は、「人権侵害に当たる違法な通知である」として、このような違法な通知しないよう、福岡市に対しては勧告書が出されたことであります。
今回は、市長直々の通知ではありませんが、教育委員会が決めたことは、なおタチが悪いと言わざるを得ません。教育委員会は、どちらを向いて、誰のために、何をしようとしているのでしょうか?
高島宗一郎市長は、元九州朝日放送のアナウンサーでしたが、民主党が推薦する当時の現職市長を破って2010年に福岡市長としては最年少の36歳で当選し、二期目の2014年の選挙では、開票前に当選確実が報道され、史上最高得票となる25万6000票あまりを獲得したある意味、何処かの市長とともに、露出度?が高い、また、安倍晋三内閣総理大臣とは親交が深いことで知られた方です。
一期目でも、7区ある福岡市の8番目の仮想行政区として『カワイイ区』を設置、また、福岡市の風物詩屋台に関しては、他人名義での営業は取り消すことを内容とする福岡市屋台基本条例を施行するなど、何かと目立つ政策をなさる方だと思います。いっぽうで、『思い付き行政』とか、『福岡城主気取り』なんて批判の声は、たまに福岡に行く私の耳に
も入ってきます。
今回の教職員飲酒自粛は、新学期の懇親会などを当て込んでいた地元飲食店からは怨嗟の声です。
実際仕込みまでしていたのにキャンセルが相次ぎ、打撃は大きいと言われます。中には、教育委員会にキャンセル料を請求するわけにもいかないと嘆いた声も寄せられたそうです。
確かに、飲食店が打撃を被れば、市の財政にも影響あるでしょう。
識者は、世間に反省したような姿を見せるだけなら意味がないと批判的です。福岡市を愛する私も、そのとおりだと思います。市長は、良いことをしたと思っているのかもしれませんが、逆ですね。
福岡市職員は、また、飲酒運転をやったのか、懲りない都市だと世間は見ています。
『福岡って、酒しかないの?』と思われるでしょう。確かにそうかもしれませんが。度重なる部下の不祥事には、誰がどのように責任を取るべきか、
これはどこの世界でも難しいことのようです。
大阪都構想の可否を巡る住民投票は、17日に行われます。
現在の大阪市を解体し、5つの特別区を設けて大阪府を『都』とみなす構想で、これまでの大阪府大阪市の二重行政の無駄を省くことを目的とするものと言われます。
2012年に、『大都市地域特別区設置法』が制定され、人口200万人以上の政令市などが、住民投票を経て特別区に移行する仕組みができました。
地方自治の重要性から、国と離れて住民投票がなされる仕組みそのものは、悪いことではないでしょう。 さて、東京都民の私は、大阪都構想についてよくわからないところが多く、『地方自治』の観点から、この是非について、コメントは差し控えます。
私が関心を持ったのは、政府と与党、特に官邸と与党の地方支部との間の温度差であります。
大阪都構想が、橋下徹氏が提唱したが故の『混乱』であったと映ります。 当初大阪維新の党は、自由民主党を離党した議員も多く党員となって、この構想に賛成しました。
大阪府では力を持つと言われる公明党も、基本的に橋下氏に賛同しました。
橋下徹氏は、安倍晋三内閣総理大臣や菅義偉内閣官房長官と親しい間柄と言われ、政府与党も、少なくとも反対はしていなかったと思います。政府特に自民党は、橋下徹氏が憲法改正に理解があり、維新の党には改憲派が多いことから、橋下氏と共同歩調を取る姿勢だったことは明らかです。
ところが、自民党が巨大与党となり、安倍内閣の支持率が高状況が続くいっぽうで、維新の党の支持率が低下するようになり、政府与党態度が、微妙に変わりつつあったのです。
大阪では、維新橋下氏の影響力を無視出来ないと言う以上に、これに叛旗を翻したらやっていけない雰囲気があったのかもしれません。
ところが国政選挙や地方選挙の都度、自民党が圧勝する過程で、大阪でも、これまで不満を抱えていた自民党そして公明党の中で、本音が表われたのだと思います。
もう、国政与党の地方支部として、正々堂々対応する基盤ができたと言うことです。
こうして大阪では、自民党から共産党まで、『反維新』網ができ、大阪都構想の賛否は、投票直前の段階では拮抗していたと報道されました。 この動向に政府側から、個人的意見として、官邸の菅義偉官房長官が、「理解できない」と意見しました。地元の自民党が、共産党と一緒に反対集会なり開いたことを指すようです。
他方、前自民党総裁で、現在の自民党幹事長谷垣禎一氏は、大阪の自民党の活動を、同志が必死の活動をしているとして、シンパシーを送ると述べました。 安倍内閣としては、集団的自衛権に関する法案の審議が重要な折、橋下徹氏と袂を分かつようなあり方には、躊躇するといったところでしょう。
いっぽう党幹事長が、地元大阪の自民党員に対してエールを送るように、もう、安倍自民党の看板があれば、自由民主党であること自体で、ときに官邸すなわち安倍晋三内総理大臣の意向を気にしなくてもやっていけるようになったと言うことでしょうか。
これは、巨大与党が生んだ矛盾、あるいはブーメランかもしれません。
でも、安倍晋三氏には心配にはおよびません。たとえ橋下氏氏が失速しても、もう公明党とは全ての擦り合わせがなり、政府は、この国会に、安全保障法制関連法案を提出できるようになりました。
公明党と言えば、平和と福祉の党として政界デビューを果たしました。
護憲でありながら、『加憲』を主張して久しいです。先に安倍晋三内閣総理大臣が訪米して、日本国民ではなく、アメリカ合衆国政府に約束してきた急ぎ成立をさせると言うこれら法案ーーある国会議員は、これを戦争法案と称しましたが、ーーは、明らかに専守防衛と言う日本の安全保障政策を、根底から転換する憲法上の議論を要する内容を含んでいます。
憲法改正の布石ともなりうると認識せざるを得ません。
憲法改正が現実化したとき、与党公明党は、これは憲法の改正ではなく憲法に書き加えたとでも言うのでしょうか。
そうだとすると、安倍内閣、官邸は、今回の大阪都構想の結果がどうであつても、橋下徹氏が破れて政界を引退しても、何の影響もないことになるのでしょう。
やはり巨大与党は強いですね。あの橋下徹さえ、飲み込もうとしているのですから。安倍晋三氏そして巨大与党には、ドローンはともかく、ブーメランなんてあり得ないと言ったところです。
ゴールデンウイークも終わりとなった5月9日、久しぶりにサッカー観戦をしました。
きさらぎ法律事務所が、法人後援会に登録されているサッカーJリーグディビジョン2に所属する福岡市をホームタウンとする『アビスパ福岡』の試合が、この日宇都宮市でありました。
栃木SCとの試合のほうは、0対0の引き分けで、両チームとも、ご苦労さまでした。
アビスパ福岡は、もともとJ1におりましたが、最初のころは、「落ちそうで落ちない」と言われ、ついでJ1とJ2を行き来し、それから何年周期で再びJ1に昇格するが、1年で直ぐに降格し、このところは、すっかりJ2に定着した感があります。
あまりファン、すなわちサポーターが増えない悩みをここ数年抱えておりましたが、前前社長、前社長、そして前監督を含めたスタッフサポーターの努力で、今年は地元の企業、そして資金力ある企業の応援を得られ、元日本代表主将井原正巳氏を監督に招聘でき、ここまでは、まあまあの成績を維持しているものであります。
新しく応援してくださる皆様には、誠にありがたいことであります。
ただ、資金難で2年間債務超過、ゆえにライセンス返上となって、Jリーグ退会、廃部の危機にも陥ったチームを、どん底から救ったのは、その当時の関係者、そして地元企業、さらには同じJリーグ所属クラブのサポーターたちでした。
特に博多明太子の売上金を全額寄付した企業と、この姿勢に全国のサッカーファンが共鳴協力してくださったことは、決して忘れてはならないと出来事でありました。明太子がチームを救ったとも言えます。
また、チーム存続の危機が報道されたとき、他チームからのオファーを断って、先頭に立って各方面に支援をお願いした選手あってこその今日だと、宇都宮での試合を観戦して、しみじみ思いました。
我々の社会では、苦しい局面に陥った人や団体を救えるかどうか、とても大事なことだと思います。
でも悲しいかな、苦しい、ドン底に陥った者をあえて、わざわざ手を差し伸べようとする姿勢は、なかなか見られないと感じます。
よく勝ち馬に乗るなんて言われますが、人間自分にブラスとなる選択をするのでしょう。どーせやっても無駄だよは、選択しづらいものがあるのでしょう。
さて、アビスパ福岡は、支援されるだけの魅力があったのだと思われます。
応援してくださった方々は、落ち目の団体だとか、無駄なことだとなんて考えもしなかったのです。
私なんぞが論評するのもおこがましいですが、ただひとつだけ言えることは、スポーツが結んだ縁、勝ち負けの世界であっても、それだからこそ、相手が苦しいときには応援しようとの思いがあったのではないかと言うことです。
いつかサッカーJリーグが推奨する『リスペクトの精神』を申し上げました。
感謝する気持ち、それは自分にとって目には見えない実感が伴わないものかもしれませんが、何と無く『仲間』を放っておけない行動に駆り立てるのかもしれません。
私は、事件の相手方をこれでもかと叩くことは絶対にいたしません。
自分の依頼者が苦しかった、紛争を抱えていたと言うことは、相手方だって苦しかったはずです。
苦しい状況の人を助けられるか、それはとても難しいことです。
ただ、アビスパ福岡に関係する方々は皆、助けてもらった恩は忘れないでしょう。
こうして見ると、競争し、強い社会を作ることよりも、多くの人は、優しい互いに共存する社会を望んでいるのだと考えさせられるのです。
ゴールデンウイークは、全国的に好天で、行楽地は、どこも人人人で混雑した様子です。
このGW期間中は、プロスポーツは連戦に次ぐ連戦で、競技場は、どこも満員御礼だったと聞きおよびます。
選手、関係者の皆様には、お疲れ様でした。
このGW期間中、プロ野球セリーグ公式戦で、『珍事』が起きました。
それは、広島マツダスタジアムで行われた読売巨人軍対広島カーブの三連戦の初戦で起きました。
読売ジャイアンツは、昨年もセリーグを制覇したように、毎年優勝候補に挙げられおります。
また、広島カーブは、今年大リーグを退団したベテラン投手が復帰し、優勝候補の一角に挙げられ、好ゲームが予想されておりました。
試合はまさに下馬評とおりの熱戦で、2対2の同点のまま9回裏に入り、ホームチームのカーブが、一死満塁のサヨナラ勝ちのチャンスを迎えた場面でそれは起きたのです。
カーブのバッターは、投手、捕手、三塁手、一塁手の真ん中あたりにフライを打ち上げました。
三塁塁審は、すかさずインフィールドフライの宣告をしました。これにより、バッターがアウトになります。
『インフィールドフライ』のルールとは、無死または一死一、二塁または満塁で、バッターが内野にフライを打ち上げた場面、インフィールドフライが宣告されるとバッターがアウトとなることを意味します。
つまり、塁上にランナーが溜まっているときに、バッターがゴロを打つと、野手は、ランナーにタッチすることなくベースタッチして併殺を狙えるので、上記場面で、内野に打ち上がったフライをわざと野手が捕球せず、地面に落下して拾ってランナーにタッチすることなく併殺を取るのはフェアではないからだとの理屈です。
もっとも、インフィールドフライなんか落球する選手はいない前提があるのかもしれません。
ところが問題の巨人広島戦では、打ち上がったフライは、投手•捕手•三塁手•一塁手の間にポトリと落ちました。
主審は、『インフェア』の判定をし、慌てて拾った一塁手は、目の前のホームベースを踏んだ後、一塁のベースカバーに入った二塁手目掛けてボールを投げたところ、この間に、三塁ランナーだったカーブの選手がホームベースを走り抜け、得点が認められてカーブのサヨナラ勝ちとなったわけであります。
当初巨人軍は、ホームゲッツーが成立したと勘違いして、喜んで自軍ベンチに向かおうとしたようです。
これに異を唱えたのは、広島カーブの石井琢朗三塁コーチでした。実は石井コーチは、これと全く同じ場面を、まだ自身は、一軍でプレーする前の横浜ベイスターズの選手時代に経験したと言うのです。
それは、石井選手が入団間もない若かりしころの横浜スタジアムで起きた横浜対広島戦の9回裏一死満塁の場面でした。このとき、インフィールドフライの宣告がなされた後、強風に煽られて打球がファールゾーンからフェアゾーンに流され、取り損ねた捕手が、ホームを踏んで一塁に投げたものの、既にバッターはアウトとなっていて、すなわち、この段階でニ死満塁ですから、ランナーがホームベースに突入して来れば、ランナーにタッチしなければならないからです。
一般のインフィールドフライの場面では、各ランナーは、インフィールドフライの宣告があったら、直ぐに帰塁するでしょう。
もしかすると、件の広島カーブの三塁ランナーは、何か勘違いしてホームに突入したのかもしれませんし、ジャイアンツの一塁手は、その勢いに飲まれて勘違いしたか、あるいは、三塁塁審のインフィールドフライの宣告を、聞き落としたのかもしれません。
実際サヨナラ負けが決まった巨人軍原辰徳監督は、一応の抗議をしたようですから、あの場面、冷静だったのは石井琢朗広島カーブコーチくらいだったのかもしれません。
この『珍事』によってサヨナラ負けとなった巨人軍は、広島カーブに三連敗しました。奇しくもジャイアンツが首位転落した日、入れ替わってセリーグ首位にたったのは、石井琢朗氏が最初に入団した横浜ベイスターズであります。
私は、横浜ベイスターズが、前身の大洋ホエールズ以来2度目のリーグ優勝を果たして臨んだ西武ライオンズとの日本シリーズ第1戦を思い出しました。
横浜スタジアムで行われたシリーズの初戦、先頭バッターとして、バッターボックスに入った石井琢朗選手は、なんと投手前にセーフティバントをしたのです。
意表を突かれた当時の西武の大エース西口文也投手は、これをさばくことができず、結果、本来の投球をすることなく試合は終わり、この年の日本シリーズは、横浜ベイスターズが、西武ライオンズを4勝2敗で破り、シリーズ出場2回にして、またしても日本一の座についたのでした。
ここで学ぶべきは、そのときは、今の自分に関係ないことだと思えても、自分の周りに起きた出来事は、その意味を理解しておく必要性です。
おそらく件の横浜広島戦の結末を知った当時の石井琢朗選手の本音は、一軍が勝った結果よりも、自身が早く一軍に上がりたい思いであったでしょう。
でも、一軍でプレーし、ブロとして生きていくためには、今の自分には直接関係ないと思えたことであっても、周りで起きたことは全て吸収し、学ばなければならないと考えられたのでしょう。
石井琢朗選手は、小細工のきく、野球センスに富んだ選手、燻し銀との印象がありましたが、コーチとなって指導する立場になっても、若い人たちに大切なことを教えられた気がいたします。
『珍事』もまた違った側面から見ると、なかなか意味深いものがあると思いました。