春の陽気に誘われて
2015年3月28日
このところ本格的な春の暖かさが感じられ、汗ばむ陽気となっています。
通勤電車では、息が詰まるようです。そして関東地方では、遂に春一番が観測されませんでした。
春一番とは、北海道、東北、沖縄を除く地域で、節分から立春までの間に、その年初めて吹く南寄りの強い風のことで、関東地方の記録としては、今年は、2000年以降2回目の観測なしの年だそうです。
そして立春となった3月21日、九州では、桜の開花宣言が出されました。
3月と言えば桃の節句、ひな祭りですね。女の子の健やかな成長を祈る節句の行事です。
桃の節句と言われるのは、江戸時代から節句とされた3月3日に行なわれたところ、明治となってグレゴリオ暦となって旧暦の3月3日は4月となったものの、3月3日は、寒冷地では積雪等が残ってお祝いができず、依然として4月にお祝いをする、
そのとき桃の花が咲き乱れることから桃の節句と雛祭りが重なることになったのでした。 雛祭りは、全国各地それぞれに歴史伝統を承継し、趣向を凝らした独自のお祝いがあります。
特に九州では、数年前から、『雛の国九州』と言うキャッチコピーで九州全体が協力して雛祭りをお祝いし、また観光客にあったか九州を知ってもらう機会として、アピールしているようです。
このブログのカテゴリー『よかとこ九州』でも、かつて天領日田のおひなまつり、柳川の雛祭りさげもんめぐりをご紹介しました。
とても綺麗ですよ。3月中は、町中雛人形を目にするので、きらびやかな感がいたします。
この時期、私が宿泊したホテルにも、雛壇が飾ってありました。 雛祭りの時期が終わって4月になると、入学式です。新年度が始まります。
私が小学生のころは、『桜の木の下での入学式』がキャッチフレーズでした。
これも地球温暖化の影響からか、年々桜の時期が早まり、入学式のころは、都内では、もう桜は終わっていることが多いです。
3月から4月、日本国中別れと出会い、新旧切り替え、旅たちと巡り会い、ひとつの節目を感じる季節です。皆さんは、どんな春を迎えられましたか?
落ち着く場所が指定席
2015年3月27日
会社や学校で、自分の席は決められています。
電車やバスでは、決められた席に座ることがあります。これは指定席です。
指定されてはいないけれども、決まった場所を確保することはないでしょうか。
例えば、図書館で勉強するとき、朝開館されたら、いつも同じ場所に陣取ることはありませんか。座席が決まっているわけではないけれども、早い者勝ちもあるでしょう。
よく見られるのは、パチンコ店の開店前の光景です。通勤電車の始発駅で並んで座席を確保したい人も、だいたいどこに座るか決めているようです。
私も、可能な限り確保したい席はあります。例えば、航空機ボーイング767型機では、全日空でしたら18HかK.日本航空のクラスJでしたら7Dです。前者は、すぐ後ろがトイレになっていて、背もたれを倒せること、後者は、出口にいちばん近い座席だからです。
でも、私と同じようなことを考えている人がいるようで、なかなか取れません。
『指定席』とは、予め座る人が決められた席と言う意味で、比喩として使われることがあります。
例えば、あるスポーツのリーグ戦で、いつも最下位のチームに対して、『ここがこのチームの指定席』なんて揶揄されることがあります。
昔世界的な陸上競技選手が、優勝を期待されながら、オリンピック等大きな大会ではいつも3位、銅メダルに留まることから、
『ブロンズコレクター』なんて評されたことがありました。
指定席から脱したい人、指定席が心地良い人それぞれです。
私は、このところ『指定席』にしている場所があります。
福岡空港のある飲食店です。ここに座って航空機を眺めながらビールで福岡を締めるのです。
この『ひとりごと』でも、同じようなアングルが登場するわけはこれであります。
皆さんの指定席はどこでしょう。落ち着く場所こそ指定席だと思います。
春に浮かれて
2015年3月26日
だんだん暖かくなって来ました。
春と言えば花と言われるくらい、花は春の結び付きは強いと感じます。
春風につい良い気分になって、春の歌など歌いたくなる、なんとなく浮かれた気分になるのは禁物です。
春のうららの隅田川~~ 春高楼の花の宴~~ また、桜、桃、杏など、花見が盛んになり、この時期の色はピンクの感があります。でも、世の中で『ピンク』が好きとはなかなか言えるものではありません。
また、花見には酒がつきものです。でも、夏はビアガーデン、秋はスポーツで汗をかき、冬には鍋をつついて忘年会に新年会と、結局年中アルコールが離れません。であるがゆえに、春だ春だと酒に浮かれてはならないと言うことでしょう。
これは、最近のきさらぎ法律事務所福本悟の業務に関しても、反省しなければならないと述感するところであります。
例えば、マッサンを理由に北海道まで行って、結局はウヰスキーをタダ飲みしただけではないかと言う批判と反省です。
そんな思いでおりますとき、良い香りがして来ました。沈丁花(ジンチョウゲ)です。
きさらぎ法律事務所の玄関前に、ビルオーナー様が綺麗に丁寧に育てておられるのです。
でも、沈丁花の芳香の匂いは、ホントどこからともなく漂ってくるようです。これ、原産地は中国で、育てるのは難しいと聞いたことがあります。
あの芳香は、なかなか沈丁花の匂いだと気づかないようです。私も数年前まで、遅咲きのツバキかと思っておりました。 でも、沈丁花のピンクかかった赤い実は、有毒だと聞きました。良い匂いに釣られて深入りするとケガをすると言うことでしょうか?
やはり浮かれてはならないと言うことです。
そして、忘れもしない『あのとき』も、まだ沈丁花とは知らずに、この匂いを私はある場所で嗅ぎ取っていたのでした。
4月1日は、エイプリルフールです。この日は、私にとって生涯忘れ得ぬ日でもあります。昭和60年4月1日、司法研修所の卒業試験の『刑事裁判』の科目で落第したのです。
そしてその日まで、検察官となることしか考えていなかった私は、27歳にして人生の大転換を迫られたのでした。東京弁護士会に弁護士登録したのは、この年の7月でしたから、3ヶ月で弁護士になったようなものです。
春になり、花が咲き、良い匂いが漂ようこの時期、私は苦渋を舐めた若かりしあの時をいつも思い出します。
浮かれてはならない!そして、あれがあったからこそ今の自分がおり、依頼者の辛い厳しい状況を受け止め、ともにしあわせのため進んで行きたいと言えるのだと思っています。
今年も春が来て、30年経過した4月1日がやってきます。エイプリルフールと言う言葉は、いつになつても好きになれない自分がおります。
マッサンの言葉から
2015年3月25日
『マサロス』と言う言葉が聞かれるようになりました。
前は、『あまロス』と言う言葉も流行りました。NHK朝ドラが、いよいよ終わりに近づいてまいりました。
マッサンに魅入られて、北海道余市まで行った私も、そんなファンの思いがわからないではありません。バカですね。
でも、イヤだなと思い、あまり見なかった時期がありました。ある意味いちばん大事な時期だったかもしれませんが、それは戦時下です。どんなテレビ映画でも、戦争の時代は辛いし涙が止まりません。そんな場面を見せられて、近ごろの私は、怒りしか湧きません。
そんな私からすると、エリーさんが、特高に連行されようとしたとき、海軍士官が助けてくれたのは、『国民は軍隊に守られている』に受け取られてイヤだなと思いましたし、玉音放送を聞いたエマさんが、もっと早く戦争を止めれば、一馬さんは死ななかったと言うシーンは、早くも遅くも、そもそも戦争なんてやったことが悪いのであって、なんか違うなと感じざるを得ませんでした。
でも、マッサンは偉いです。
海軍統制化に置かれてウイスキー造りが続けられたこと、余裕綽々のアメリカは、終戦後のウイスキー補給の確保から、マッサンの工場をわざと爆撃しなかったこと、そして今度は、貧しい戦後の日本の中で、進駐軍にウイスキーを販売することで成り立っていることに迷い戸惑いながらも、進駐軍に対して、
マッサンは、『悪いのは戦争そのもの』と言い放ったのですから。戦争は、人々の生活人生を変えてしまいます。良い戦争悪い戦争なんてありませんから。
終戦の後のドラマの放映時間は短いです。これまた『戦争なんてなければ』と思わざるを得ません。どんな終わり方をするのでしょうか。私は、マッサンとエリーの夫婦愛を描いたドラマであって欲しいと思います。
きさらぎ法律事務所は、離婚その他男女関係に関する相談とその依頼が多いです。
なんでそうなのかわかりませんが、私自身人生を学ばせてもらったと感じることもございます。
でも、離婚するために結婚した!と考えさせられるケースさえ存在する実情からすると、マッサンエリーの正攻法の夫婦愛には、このような事案に携る者に対して、初心を忘れるなと言われたような気がしました。マサロスになっている場合ではありません。
表現の自由は誰のもの?
2015年3月24日
我が家では、『つくし』を食べます。
つくしは、『土筆』と書かれるように、土から出た筆のように見えますが、正しくは、すぎなが春になって胞子茎を出して胞子を放出したもので、袴と言われる茶色の輪のような葉が、茎を取り巻いているものをさします。食べるときは、この袴を取り除く必要があります。
毎年この時期になると、周辺の人があまり立ちいらない土のある場所には、つくしの姿を見ることができます。
空き地や土手、フェンス越しの雑草が生い茂っているような場所で見かけることが多いです。
天ぷら、佃煮、茶碗蒸しなどいろいろな食べ方があるようですが、我が家では、卵とじにします。
つくしの姿が見えなくなると、春の深まりを感じるのです。
不思議なことに、前年たくさん採ったと思った場所でも、また翌年つくしの姿が見られます。
世の中には、良い意味でも悪い意味でも、毎年同じことが繰り返されることがあります。
守るべきものは守り、変えるべきものは変えることが重要です。
先日ある新聞に、安倍晋三内閣総理大臣が、「首相にも憲法で表現の自由が保障されている」と述べられたことが書かれておりました。
議論のきっかけは、昨年の選挙期間中、首相があるテレビ番組で、アベノミクスに批判的な街頭インタビューばかり出しておかしいんじゃないかと述べた生放送での発言が、その後のテレビ局に、放送の萎縮を齎したのではないかの批判に対してなされた答えがこれでした。
昨年、安倍晋三氏が生出演されて発言した場面は、私も見ていました。そのときは、『一国の総理大臣が、子どもみたいなこと言うな』くらいしか感じませんでした。しかし、このときの正当性に関して、首相は憲法で守られているかに言われたことには、違和感を持ちます。
憲法は、権力者を縛る規範です。権力を持った者によって、国民の権利が侵されたり、個人の尊厳が脅かされることを許さないために憲法があるのです。
あれは、安倍晋三氏が個人として権利を主張した場面ではありません。だいいち安倍晋三氏も自由民主党も、現憲法は改正すべきとの立場だったのでは?
やはり表現の自由を守り続けなければならない、変えてはならないと言うことが、身を持って実感されたと言うことでしょうか。
国民は、表現の自由が侵されるような場面に遭遇したら、つくしのように、繰り返し毎年毎年徹底的に主張し続けるでしょう。
私は、今年も同じ場所に生えたつくしを見て、雑草の強さを感じるとともに、踏まれても諦めず、また同じ訴えを続ける意義を思ったのでした。