1月10日は、『明太子の日』です。知る人ぞ知るではありますが、昭和24年のこの日、現在は福岡市中州を本社とする株式会社ふくやが、初めて『辛子明太』を店頭に並べて販売したことに因んだのだそうです。 今では福岡みやげの定番となった辛子明太ですが、ふくや創業者初代川原俊夫氏が、戦後満洲から福岡に引き揚げた後、子どものころ、韓国釜山で暮らしたときに食べた味が忘れられず、独自のやり方で研究を重ね、これを日本の食卓でも食べられるよう、遂に販売にこぎ着けたということです。初代は、皆に食べて欲しいとの思いでしたから、周囲の人たちに作り方を教え、これが広まって、「明太子を販売したい」と言う事業者が出れば、丁寧に伝授したと言われます。商標登録せず、特許も取得せず、ただ食べてもらいたい思いだったと述懐されました。ですから、福岡市内に数ある明太子販売業者の中で、ふくやは、『元祖』を名乗らないのです。 福岡で暮らしたことがあり、福岡大好き人間の私は、もともとあまり辛子明太は食しませんでした。それは、唐辛子が苦手と言う理由もありましたが、三方が海に面し、博多湾の先玄界灘は屈指の漁場である福岡県の名産が、スケソウダラの卵を使った加工品というのは勿体無い、「な~んだ、やっぱり魚は北海道だな」と言われるのではないかと思われるのは、悔しい思いがあったからです。 随分狭い了見でした。初代川原社長は、利益や権利、名声?なんか関係なく、ただこんな美味しい食品は、広くみなさんに食べて欲しい思いだったわけです。一昨年、福岡市をホームタウンとするサッカーJリーグ第2ステージに属する『アビスパ福岡』が、資金難で、Jリーグからの強制脱会の危機が報じられた折、株式会社ふくやは、明太子のギフトセットの売上代金全額を、アビスパ福岡に寄付する支援活動をされました。その結果、用意した2296セットは瞬く間に完売となり、約900万円と見込まれた売上金は、全てアビスパ福岡に渡されたのです。危機を脱したアビスパ福岡は、今年は、元日本代表主将を務めた井原正巳氏を監督に迎え、次のステップに進むことができました。 このころから、私は、ふくやの明太子をよく食べるようになったのです。全て直営方式のふくやの明太ですが、きさらぎ法律事務所は、通販の会員になり、大切な方々に、ふくやの明太子を食していただいております。因みに、きさらぎ法律事務所は、『アビスパ福岡』の法人後援会『ソシオ』に所属してもおります。 最近、日韓の交流、あり方について、あちらこちらで議論がなされおります。今では、日本全国の食卓に欠かせない明太子は、満洲そして釜山を経由して、素晴らしい先人の努力によりもたらされたものだと知る人は少なくなったのでしょう。いっぽうでは、インスタントラーメンは、日本から韓国にもたらされた歴史があります。『歴史は忘れてはならない』と言うことでしょうか。