冬になると、駅伝大会が多く開催されます。もちろん、単なる大会ではなく、勝負を競い、技能を磨くスポーツであります。関東の大学が集う箱根駅伝があまりにも有名ですが、元旦には、実業団が日本一をかけて競うニューイヤー駅伝が、1月中には、男女それぞれ都道府県対抗駅伝大会が、開催されます。 先日、女子対抗都道府県駅伝が行われました。都道府県駅伝は、中学生から社会人まで、何区間か受け持って、それぞれ所属するチームの襷を繋ぐシステムです。今年は、21世紀に生まれた中学生から、最高齢39歳のベテランまで、参加されたと言うことです。 この女子の大会は、ゴールするまで接戦で、トラック勝負となりました。優勝したチームから4位のチームまで、それぞれ1分の差だったそうです。まさしく最後までわからない、諦めてはならない見本のような結末ですが、ここに襷を繋ぐ駅伝の素晴らしさがあるのでしょう。自分ひとりのためではない、みんなの思いと努力(汗と涙)が染み込んだ襷を受け継ぐ意義です。 駅伝の襷には、単にその年、そのときの参加者だけの思いが染み込んでいるのではないと言われます。例えは、箱根駅伝では、その学校の歴史、代々受け継がれて来た伝統の汗と涙が詰まっているとのだと紹介されます。それゆえでしょうか、駅伝の選手は、どんなに苦しくても、予期せぬアクシデントが発生しても、中々棄権の決断をされません。スポーツの厳しさ素晴らしさは、テレビ放映の限度でしかわからない素人からすると、ときに悲鳴を上げたくなるシーンに見舞われます。 最近先人の努力、歴史と伝統を真摯に承継しようとはしない動き、むしろ、戦後レジームの脱脚などと聞こえの良い言葉を発して、これをひっくり返すかの動きを感じます。言葉を発する方は、強い信念がおありなわけですが、こんな言葉を聞いた若い人たちは、例えば、『河野談話』『村山談話』を良く読み、ましてその背景や外交交渉の経過など知らないまま、「格好良さ」に引きつられている気がしてなりません。今、自分がここに有るのは、先人が、長い歴史の中で失敗と反省を繰り返し、しかし、耐えず努力を怠ることなくもたらした成果であることを理解しなければならないと思いますし、私を含めた世代が、伝えていかなければならないことでありましょう。 成人の日を迎え、『襷の重要性』に思いいたした次第です。