2015年7月、国連教育、科学、文化機関(ユネスコ)世界文化遺産に、8県8エリア、合計28遺産が、『明治日本の産業革命遺産』として、製鉄、製鋼、造船、石炭産業の礎を築いたとして、登録されました。
その中でも九州は、八幡エリア、三池エリア、佐賀エリア、長崎エリア、鹿児島エリアと計21遺産が含まれ、その中には、日本初となる現在も使われている施設も存在します。その興奮が冷めやらぬ状況にある中、2年後平成29年のユネスコでの世界文化遺産登録を目指す国内候補地として、またしても九州福岡県の遺産が、今年7月に、文化庁より発表されました。
ぞれは、『神宿る島宗像沖ノ島と関連遺産群』です。すなわち、福岡県宗像市にある宗像大社が所有する沖ノ島全域、大島の中津宮、沖津島遥拝所、宗像本土の辺津宮、それと福津市にある新原奴山古墳群の5遺産で構成されます。これまで日本の世界遺産は、観光や自然景観が注目された感がありますが、この『神宿る…』は、文字とおり神聖な場をいかに後世まで保存するかの観点から選定されたもので、歴史的にも極めて重要な意味をもつものと言えます。
宗像市にある宗像大社は、福岡県周辺では、交通安全の神徳有りで知られておりますが、もともとは、古来この地が、特に沖津宮のある沖ノ島は、日本と大陸との中間地にあり、遣唐使などの交流が続けられるよう、海上安全をお護りする御神体と崇められていたものです。
今年のパワースポットに宗像大社が案内されていたので、宗像市の宗像大社に詣でました。
宗像大社とは、もともとは、天照大神の子となる三女神が、沖ノ島、大島そして現在の宗像大社に降臨し、それぞれ沖津宮、中津宮、辺津宮の祭神になられ、大陸と日本のとの交流を護ったとされます。
宗像市大社のある辺津宮から、玄界灘の大島にある沖津宮まで11km、そこから、沖ノ島の沖津宮まで49km離れ、その直線上には、韓国釜山が位置するので、特に沖ノ島はその中継点として、歴史を残しているのです。ここから出土した銅鏡、土師器、刀剣類その他は、国宝として宗像大社すなわち辺津宮の神宝館で保存され、公開されております。
宗像三女神、あるいは沖津宮中津宮辺津宮と言われる中で、先の『神宿る…。』にもあるとおり、神秘的なのは、絶海の孤島沖ノ島にある沖津宮でしょう。ここは、現在の宗像大社本宮の所有で、神官が、10日交代で務めるほかには、住人はおりません。この絶海の孤島が、歴史通に知られたのは、日露戦争の日本海海戦であります。バルチック艦隊が、対馬海峡を通過したとき、東郷平八郎艦長率いる連合艦隊が攻撃を仕掛けたものですが、その様子が、ここ沖ノ島で見られたからです。
沖ノ島は、女人禁制の島で、先の神職以外には、立ち入ることができませんが、日本海海戦のあった5月27日のみは、厳選された男子200名が、沖ノ島に入ることが許されます。でも、厳しい決まりがあり、前日は、大島の中津宮に参拝し、沖ノ島に入ったら、全裸で海に入り、禊を受けなければならないなど、全て神事の一環として行われるものです。
こんな神宿る島が、世界遺産になったとしても、年間200人の男性が、たった1日だけ立ち入ることが許されるのでしたら、滅多なことでは、この島を体得することはできません。
まさしく観光ではないのです 。神秘なものには触れない、遠くで拝むのがご利益だなんて言われますが、もし、宗像大社沖ノ島が世界遺産に登録されたら、その保存の仕方は、議論されるでしょう。そんなことを考えなかわら、宗像市大社の境内や歩きました。女神様から、パワーをもらえたでしょうか。