10月1日は、都民の日です。
この日、都内の公立学校はお休みで、都立の博物館美術館等は、この日の入場は、無料となっています。
大政奉還とこれに続く王政復古により、江戸幕府は消滅し、即位した明治天皇は、慶応4年すなわち明治元年に、江戸から東京と改まったこの地に移られ、翌年東京府のもと、『東京市』が設置されました。ただ、このときは、今で言う一般市の扱いではなく、市長に相当する自治体の長はおりません。
これは、東京遷都を決めた明新政府の中央集権政策の一環だったのでしょう。
1898年明治31年の10月1日に、東京市が、一般市の扱いになったこの日を記念して、1952年に制定された都条例により、『都民の日』として、記念日となったのです。
1943年に、東京府と東京市が廃止されて『東京都』となりました。現在東京都は、23区とかつて三多摩と言われた都下市町村、そして小笠原諸島までの島嶼部を含む範囲となっています。ただ、東京そのものは、明治以降新しい行政区域であるため、この間管轄する範囲は、異動がありました。 三多摩地区、すなわち北多摩、南多摩、西多摩地域は、その幾つかは、明治新政府設立数年は、東京府に含めてきたのを、神奈川県に移管しました。そして1893年(明治26年)に、まとめて三多摩は、東京に含まれることになりました。
現在も、旧三多摩地区に古くからある宿には、『神奈川県』の掲示が残されているそうです。 三多摩が東京に移されたのは、多摩川を巡る水利、水道の利権が絡んだような本を読んだことがあります。今でも市町村の合併には、さまさまな政治的要因がありますね。特に『平成の大合併』では、どこにくっつくか、どことも一緒になるべきではない等、当該自治体を2分するような対立となったケースもあったようです。
きさらぎ法律事務所では、業務上戸籍類を取り付けることがままあるのですが、かつてのA町が、現在どの市町村になっているのか把握するのには難儀することがあります。
東京都下に住んでいる私は、隣県の山梨県に行くことが結構あります。山梨県は、山ばかりと言われますが、大月市の先、笹子トンネルまでは確かに上りが続きますが、笹子トンネルを抜けると、風景は一転します。4月は桃源郷、夏は桃畑、秋はぶどう畑です。ここは、甲府市内まで盆地になっていて、果物の宝庫なのです。果物を買いに、わんこと一緒に行くのです。丘陵地帯から、眼下の夜景も美しいと言われます。
笹子トンネルを抜けると『大和村』があり、ここは、武田勝頼が織田連合軍に追われて自害した武田家終焉の地でした。JRでは、勝沼を経て、武田信玄公が手厚く保護した恵林寺がある塩山市、そして春日居町、山梨市を通って石和町と続いて、甲府になります。
中央高速では、塩山市から山梨市を迂回するJRと異なり、勝沼から一宮町、御坂町、そして石和町と続いて甲府市内に入るのです。私がよく訪ねる青果園は、旧一宮町、また、ワインは勝沼町、そして御坂桃源郷が、パターン化しております。
ところが、平成の大合併により、大和村勝沼町塩山市が『甲州市』に、一宮町御坂町石和町が『笛吹市』に変わりました。一宮町には、中央高速勝沼インターから10分とかからないところ、ここが笛吹市に含まれるのは、なんか違和感があります。
また、勝沼の人は、勝沼のぶどう、一宮の桃で知られていたのに、『甲州ぶどう』とひとくくりにされるようで、特徴が薄れる危機感があると言われます。御坂町には、『御坂一宮インター』から入り、そのまま東京方面に繋がるのに、わざわざここを超えて、北の石和町が中心になる『笛吹市』に含まれたとは、ピンとこないとも言われます。部外者の私なんからすると、『石和温泉』を持つ笛吹川に面する旧石和町が、『日本一の桃の町一宮』『日本の桃源郷御坂町』を傘下に収めてアピールして、お金を落とさせることを目的にしたのでは?と思ってしまいます。
しかし、地元では、やはり『一宮の桃』の名で売っていて、『笛吹の桃』なんて言いませんね。勝沼もまた、『甲州ぶどう』とは言わず、『勝沼ぶどう』と名乗っています。 平成の大合併により、財政面で救われた自治体があったのは事実でしょう。
でも、名前は変われど、もともとその地域、その土地で生まれ、続けられた伝統、残すべきものは、何も変わることなく綿々と継続して行くのだと思いました。それは、そこで暮らす人たちは、何も変わっていないからでしょう。さて、来週も、わんこを連れて、山梨県に行ってきます。