大相撲秋場所は、横綱鶴竜の優勝で終わりました。白鵬、日馬富士の横綱が休場する場所で、大関照の富士も、終盤全治1ヶ月の怪我と診断されながら最後まで、優勝争いの土俵を務めました。その中で、鶴竜関の優勝には、あれこれ意見が出ているようです。 横綱鶴竜の相撲に対して、文句が出たきっかけは、星の差1で迎えた14日め、大関稀勢の里との土俵で、取り直しと合わせて2回とも、立会いに変化したことが、横綱らしくないと非難されたことにあるようです。私は、大相撲は、もう30年くらい見たことがなく、特に誰を応援しているものではありませんが、大手新聞社を含めて、マスコミほとんどが、鶴竜関が、14日めの取り組みでの立会いに変化したことを、批判的にとりあげていることには、興味を持ったものです。 大横綱白鵬が登場して、それまでの朝青龍関の時代も含めると、日本国籍の力士の優勝は、はるか昔となった感があります。今場所は、日馬富士に加えて、あの白鵬まで休場となり、はっきり言って、久しぶりの日本人の優勝に、期待するむきはなかったでしょうか。鶴竜も、照の富士も、日本国籍ではありません。そんな中で、先頭を行く鶴竜を、星の差1で追う大関稀勢の里が、14日めに行われる鶴竜との対戦には、相撲ファンならずとも、関心を持たれたであろうことは、想像できます。 こうして迎えた14日に対戦した稀勢の里戦で、横綱鶴竜が立会いに変化して、結果勝利したことが、横綱の品格に欠けると言われたものです。横綱とは、正々堂々勝負するのは当然で、格下相手には胸を出し、決して逃げてはならないのだそうです。立会いに変化するのは、相手の圧力をかわすもので、横綱らしくないとされます。 それはそうかもしれません。でも、挙って横綱鶴竜に対する批判的な論調が多いのは、違和感があります。これは、『日本人稀勢の里に優勝を』なんてケチな了見によるのではないとは思いますが、横綱って、負けない強さを求められるのではないのですか?確かにカッコ良く勝ちたい、力の差を見せつけられることが、横綱に求められるとしても、これに拘って、結果勝できない横綱でも良いのでしょうか。鶴竜関は、とにかく勝てて良かったと述べられました。 白鵬、日馬富士がいないひとり横綱の場所で、勝てなかったら何と言われるでしょうか。この場所のプレッシャーは、並大抵のものではなかったと想像されます。反則ではない限り、どんなことをしても勝つ、 これが大切と考えた横綱を、責めるべきでしょうか? プロは、お客さんに魅せなければなりません。でも、それは、プロである以上、勝負に徹して魅せることだと思います。いかに良いプレーをしても、勝てないのはプロとは言えないでしょう。 私は、この場所も、報道の範囲でしかわかっておりません。でも、1差で千秋楽を迎えた大関照の富士が、数日前に、全治1ヶ月と診断されながら土俵に立って、結びの一番で鶴竜に勝ち、優勝決定戦に持ち込んだことにも、拍手を送りたいと思います。身体が言うことを効かなくても不戦敗はできない、それこそ気力気力なんて、日本人のようです。横綱は、そして大関は、負けないこと、観客に魅せることが、その使命だと思います。白鵬関がいなくても、まだ『モンゴルの壁は厚い』ことを知らしめた秋場所でした。 大相撲は、国技と言われます。勝った横綱を批判するなら、日本人の強い力士を育てることに、関係者懸命になるべきだと思いました。折しも、ラグビー日本代表は、国籍日本だけで構成されているのではないけれども、日本国中が、歓喜したものでした。 モンゴル出身の横綱が、日本の土俵を守り、横綱の意地を見せたことは、日本の国技向上に、役立っていると信じるものであります。