思い込みを正すのは、実際自分の目で見ることです。

2015年10月9日
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10月最初の土日に、わんこ3頭と一緒に出かけました。最近のペットブームで、ペット可の宿泊施設は増えていますが、頭数や宿泊場所の制限があって、『家族旅行』に適する場所は、なかなか見つかりません。そんな中で、ワン友から「良かった」と言われた八ヶ岳に行って来ました。

写真 1 H27.10.06 写真 2 H27.10.06

我が家のわんこの親戚家族とご一緒しました。

八ヶ岳と言えば、長野県と山梨県の県境に連なる山々との答が大方出てくると思います。そのとおりですが、長野県の諏訪や蓼科あたりまで、裾野が広がる北八ヶ岳と、東京方面から見ると、荒々しく山頂が居並ぶ南八ヶ岳に分かれ、旅行ガイドや農作物等の産地として八ヶ岳と称するときは、山梨県側から見える南八ヶ岳を『八ヶ岳』と言うようです。

八ヶ岳は、山梨県北杜市から眺められるのですが、どの辺りと聞かれたら、「清里の近く」と答えるとたいてい「あぁ」となります。清里の隣は野辺山で、ここが山梨県と長野県の県境であり、ここを通る小海線は、日本の最高地点を通る鉄道でもあります。この周辺には、別荘やペンションのほか、会社や自治体の厚生施設が多くあります。実は、私が通学した東京都大田区にも、野辺山と伊豆高原に施設があり、学校行事として団体旅行の経験がありました。

その後、司法修習生時代にも、同期の仲間とレクレーションを楽しんだこともあるのですが、これまで『八ヶ岳』とは、八個の山が連なるからそのように名付けられたと思っておりました。それで今回も、中央高速道路を下りて、清里方面が近づくに従い、秋晴れの中に聳え立つ八ヶ岳を眺めつつ、幾つ山頂があるのか、八個あるかなと数えておりました。

それがカーブが続く道でもあり、見る位置によっては7個に見えたり9個に見えたりし、なんとか8個となることを望む自分に呆れました。それで、現地八ヶ岳に到着してその謂れを調べたのです。そしたら、8個あるから八ヶ岳ではないことを知るに至ったのでした。

八ヶ岳の謂れは、『八百万』から来たとの説が有力だそうです。

『八百万』は、『やおよろず』、神道の八百万の神に例えられ、数あまた、非常に多いの意味で、山々がたくさん連なることから名付けられたとされます。また、幾重もの谷筋が見えることから、『谷戸』にちなんで名付けられたとの説もあるようです。いずれにしても、山が8個だから……。ではないのです。

そんなことから、これまで、さも当然のように思いこんで、人にもっともらしく説明していた地名の謂れには、間違いがあったのではないかと思い、少しの時間調べてみました。八ヶ岳南麓に広がる清里は、当然『清らかな里』から来たと思っておりましたが、私が観光パンフレット等を調べた範囲では、明確には書かれておりません。北海道知床の入り口にも、『清里』がありますが、こちらは、アイヌ語で、清らかな里だと説明されていました。

さらに気になって、都内を幾つか調べてみました。『三軒茶屋』は、江戸中期に、このあたりに三軒の茶屋があったことが由来と確認でき、ホッとしました。また、私が子どもころよく出掛けた大田区にある洗足池は、日蓮上人が、この辺りの池で足を洗ったからと聞いていたところ、足を洗ったのではなく、この池の近くの松の木に、袈裟をかけたのだ説明されておりました。テレビ番組のクイズ番組だと、私の理解は、正解にはならないでしょうか?

言い訳になりますが、小学校、中学校での移動教室で行った八ヶ岳について、これまで間違った理解をしていたと言うことは、私たちを引率した先生方から、『正解』を聞かされていないと言うことでもあります。今回たまたまた岳の数を数えて、疑問を持ったわけですが、世の中さも当然と考えていたことが、思い込みにすぎないことは結構あるのではないでしょうか?修習生時代から30有余年、小学校から45年経過した久々の八ヶ岳で、そんなことを思いました。